インテリマフィアなオルゾさんとボスの娘の襲撃。
「いらっしゃいま……」
ある日のオルゾ会計事務所である。事務所の扉が勢いよく開かれ、挨拶をしようとしたカンディータの声が中途半端に止まった。
そこにいたのは初めて見る女性であり、おそらくカンディータと同年代であるか少し若い彼女が、あまりにも奇抜な格好をしていたからである。
左右非対称で下半分をピンクに染めた金髪。
身に纏っているのはエミリオ・プッチのミニワンピースドレス。緑がかった虹色の配色で、歪んだストライプを見ていると目眩がしそうだ。形状は古代ローマのトーガをイメージさせるゆったりとした造りであり、ワンショルダーで右肩は完全に晒し、腰は太い同色の帯で留めている。
健康的な太もも、すらりとした足にはヒールの高い編み上げのサンダル。カラフルなビニール製ではあるが剣闘士サンダルが意匠の元なのだろう。
「……うわあ」
思わず小さく声が漏れた。
なるほど、魅力的な女の子だし彼女には良く似合っている。
だが少なくとも会計士事務所に、それもマフィアの経営している会計士事務所に適したファッションでは断じてなかった。
幸い、相手には聞こえなかったようで、彼女はカンディータの前に立つと言った。
「オルゾはいる?」
魅力的であるが、それよりも勝ち気そうと感じさせる声だった。
ともあれオルゾさんを知る女性らしい。ただ、だからといって不審者を通して良いわけではない。特に先日、彼の兄というアキッレーオ氏を通してたことに注意を受けたのだ。
「今、面会中でして少々そちらでお待ちいただけますか? それとお名前を……」
「そう、いるのね」
カンディータは座って待ってくれるよう促したが、来客の女性はそう言うと勝手に奥に向かって歩き出した。
「ちょ、ちょっ。お待ちください!」
思わず掴んだ腕にはピンクがかった白の時計。
「はあ? アンタがアタシの腕を掴むとか何様のつもり?」
「だから私はあなたが誰なのか知らないんですって!」
「ふぅん、マーレよ」
誰よ!
そんな、さも自分が有名人で、名前さえ言えばどこでもパスできるようなつもりでも困る。とカンディータが思った瞬間に掴んだ力が弱まったのか、マーレは手をするりと抜いて再び歩き出した。カンディータは慌てて後を追う。
マーレはノックもなくオルゾの所長室の扉を開く。
奥のデスクにはオルゾの姿。だが壁際に控えていたエキーノが素早い動きで懐に手を入れながら立ち上がり、オルゾへの視線を遮った。
懐から黒光りするものを抜きかけて、その動きは不自然に止まる。
「お嬢様!?」
エキーノの悲鳴のような声が上がり、マーレは不満気に言った。
「何よ。面会なんてしてないじゃない」
オルゾはちらりとこちらに視線をやり、PCに向けて二、三言葉を交わす。そして不機嫌そうに立ち上がり、マーレに向けて言った。
「お前は若者のくせにリモートでの面談というものを知らんのか」
「し、知ってるわよ!」
もつれるように入ってきたカンディータを碧の視線が射止めた。
「カンディータ、迷惑をかけたようだ。お前は俺がオロトゥーリア組に属しているというのは聞いているな?」
「は、はいっ!」
カンディータはオルゾ会計士事務所に飛び込みで就職したのである。その所長がマフィアであるとは知らずに。彼女は裏の仕事には関わっていないが、その日のうちにエキーノから組の話は聞かされている。
「このマーレはその組の首領の娘だ」
ひぇっ、と息を呑む音がした。
「偉いのは首領であってこいつではないから畏まらなくていい。ただ、すまんが茶を用意してくれるか」
「は、はいっ!」
すかさずマーレがカンディータに言う。
「紅茶のダージリンがいいわ」
「ダージリンもウバもあるがうちは紅茶だ」
カンディータが茶を淹れに部屋から出ると、オルゾは立ち上がってマーレの前に立って彼女を見下ろした。
碧の瞳には明らかな呆れの色があった。
「な、なによ」
「護衛はどうした」
「撒いてきたわ」
大きな舌打ちが一つ。
「エキーノ、カラマーロとグラーノに連絡を」
カラマーロはマーレの護衛を任されている組の構成員だ。古参の幹部であるグラーノの配下でもある。
つまりこの二人が今、世界で最も焦っている二人ということだ。
「はい」
エキーノは携帯電話を取り出すと早速コールを始める。
「ちょっと! せっかく撒いてきたのに!」
マーレはエキーノに飛びかかり、ぴょんぴょんと跳ねながら携帯電話を奪おうとする。エキーノは体捌きと逆の手で軽くあしらいながら、電話を続けた。
「おいマーレ」
オルゾが彼女を呼ぶ。
「その原始人じみたファッションは護衛を撒くための変装か」
前に彼女を見たとき、オルゾの結婚式の時は彼女もフォーマルな格好をしていたから別としても、その前は敵対組織であったポルポ組のホテルを潰した時か。その時はもうちょっとマシな格好だったと思うのだが。とオルゾは思い返す。
マーレはその場でくるりと回った。
「ちょっと! 可愛いって思わないの?」
「恥ずかしいなとは思うがね」
「年寄りじみた発言はやめてくれる?」
「良識があるだけだ」
そう言いながらオルゾは応接スペースのソファに腰掛けて向かいを指し、座るように促した。
「言いたいことがあるのだろう。直ぐに言え。俺の立場ならカラマーロ達に連絡することくらい分かっているだろう? あいつらがやってくるまでがお前の話せる時間だ」
そう言えば、マーレは諦めたように溜め息をついて、オルゾの向かいに座る。
と思えば突然もじもじと膝を擦り合わせるような動きをし、頬を染めて榛色の瞳をきらきらと輝かせ始めた。
なんだこいつ。という言葉を飲み込んだのはオルゾの良心ではなく面倒だったからである。
「……えっとね、オルゾ」
「なんだ」
カンディータが部屋に戻ってきて紅茶と茶菓子をローテーブルに並べ始める。今日の菓子はバウリのパンドーロであるようだ。
彼女が離れたのをきっかけにしたのか、マーレが勢い込んで話し始める。
「あの素敵な人はどなたなの!?」
思わず電話中のエキーノとお盆を胸に抱えたカンディータがこちらを見た。
オルゾは表情を変えずに問う。
「誰のことだ?」
「アキッレーオ様よ! 先日ここを出入りしていたって聞いているんだから!」
エキーノとカンディータがこちらを二度見した。
オルゾは思わずソファーに背を預けて天を仰いだ。オルゾは質問に答えず、別のことを問う。
「なあ、マーレよ。前に運命の人とやらと駆け落ちしていたんじゃないのか?」
「あの運命は偽物だったわ! でも今度は本物なの!」
「なあ、カンディータ。俺の知っている運命という言葉はもっと重いものだったと思うんだが」
「えっとぉ……、一般的にはその通りだと思います」
「ちょっと、何の話しているのよ! アキッレーオ様について答えなさいよ!」
「俺の兄だ」
「まあ、オルゾのお兄様!」
半オクターブ高い声で返答があった。
「アレのどこに運命を感じたってんだ」
「とても公平で優しい方で、あたしがパパの、首領の娘って聞いても態度を変えないし……」
それはそうだろうな、とオルゾは思う。アキッレーノは価値という概念を有さない。全てのものが彼にとって等しく無価値だ。故に公平である。全てを無価値と見るということは、全てに対してそれなりに優しいと見えるのだ。特に付き合いの浅いうちは。
マーレはアキッレーオとの出会いや、彼がいかに紳士的であったかをオルゾに話し始める。オルゾはそれを聞き流していたが、まあまだ会ったばかりで惚れっぽいマーレが一方的にアキッレーノを好いている状態なのだろうということだけは分かった。
そのあたりで事務所の入り口あたりが騒がしくなる。どうやらカラマーロや彼の部下たちが事務所に着いたのだろう。
時間切れだ。
「ローマの休日は終わりだ、お姫様」
「そうみたいね」
嵐のようにやってきた彼女は嵐のように去っていった。
飲みかけで冷めた紅茶を飲み干しながらオルゾは一人ごちる。
「どうしてあいつは変な男ばかり捕まえてくるんだ、才能か?」