死の檻9
死の檻では、ほとんど代わり映えのしない毎日だ。
心に苦痛を伴う事が少ない、何もないから心も亡くなっていく。
心に持っていたエネルギーは、1ヶ月も経たないうちに枯れ果てた。だから、枯渇し、亡くなることを受け入れるしかないのだ。
刺激があれば何か変わるだろうか?
身体の苦痛以外、何か心躍ること。自分で探すには、死の檻の中には限られたものしかない。
それに、亡くなった心では新しい事に取組む気力などない。
心は慰めと愛情を求めているのだ。死の不安を取り除いてくれるエネルギーを求めているのだ。
だが、それは死の檻にいる多くの者が望んでいる。少ないエネルギーを自分の物にしようとしている。
生きる活力がある者から吸い取ろうとしているのだ。
私は臆病で他人の目を気にする、何処にでもいるような弱い人間だ。だが、死の気配からは遠いところにいる。今回は、時間はかかるが死の檻からでられるだろう。心身共に疲弊し、心が亡くなっていようと、時が経てば、外に出られる。今が死の時ではないからだ。
だからこそ、怖かった。生に飢えている死の近い者は、私から生のエネルギーを吸っている。奪われている。
身体が健康な時なら戦えた。壁を作る事もできた、筈だ。白い他人の天使が壁を作るのは、彼等が生きるためだと気付いた。
死の近い者が私を呼んだ。手招きした。恐怖だ。
何故、私を呼ぶの?心は怯え続けた。
昔のエネルギーのある私ならどうしただろう?呼ばれても平気だったろうか?
目が離せない。死が呼んでいる。
不規則な音を告げていた電子音が、規則的に変わった。死の近かった者が帰ってきた。
奪われた、と思った。そして、気付いた。私は搾取される側だ。
死の恐怖は圧倒的で、心を殺される以外、道がない。少しだけ溜まったエネルギーもすぐに奪われる。
私が持っているエネルギーの筈なのに、私はそれを守れない。身体はエネルギーが足りず、壁になってくれない。
死の檻の中にも生者はいるが、壁を上手く作るか、外でエネルギーを補える者だけだ。だから、彼等からは奪えない、身体が盾になるからだ。外で補えるからだ。だから、生者は生者なのだ。
だけど、死を受け入れて戦う者は気付く、怯えている奪い取れるエネルギーを。
だから、分かってしまった。
此処が死の檻だと私が思った理由だ。
私は搾取される側なのだ。死から逃げている私は、ただの獲物なのだ。
気付かずに奪われた心がエネルギーを失って、亡くなった。
亡くなった心では、気付いたところで何も感じなかった。変わらない恐怖と不安。死の圧倒的な存在を感じるだけだった。