死の檻8
白い他人の天使は、私を嫌っているわけじゃない。
私は手のかからない者なので、白い他人の天使は私を一括りの対象の中の一部としているだろう。
簡単に言えば、時間が経てば忘れる存在だ。
特別にはなり得ない。だからこそ、白い他人の天使なのだ。
一部の丁寧な介助を受けた、受けている者にとっては白い天使だろう。
だが、まだ死の遠い、でも、健康でない者にとっては白い他人の天使なのだ。
いや、実際に介助を受けている者も、どう感じている分からない。
本当に天使のような者もいるが、雑な者もいるのだ。それは仕方ない。過酷な現場だ。
私のように、臆病で他人の目を気にする生き方しかできない者にとって、白い天使は他人でしかないのだ。
感謝しているからこそ、迷惑をかけられない。それが悪循環となり、他人のままでしか居られない。
縁を築けないのは、私が私だから悪いのだろうか?
でも、白い他人の天使も、此方に壁を作って取り組む。仕方ないだろう。
その壁を壊して縁を築けるほど、私の心にエネルギーは残っていない。
心が亡くなっている今は。
身体もエネルギーが足りない。不足している心身では、他人に何かをあげられないのだ。だから、縁も築けない。
白い他人の天使は、もしかしたら、少しはエネルギーを送っているのかもしれない。
でも、それ以上に、死の檻では、周りにエネルギーを吸い取られる。
弱った身体では太刀打ちできないほど。心は亡くなるほど。
ふと、元気な赤子の声を聞きたくなった。
生の声を。生きる活力を。
だが、死の檻の中で、そんな声は聞こえてこない。