死の檻7
実際に死んだ後はどうしたらいいのだろう?
私は特定の宗教は信じていない。信じていないが、死後の世界はあると思っている。
理由はないが、数年前に亡くなった祖父が側にいて欲しいからだろう。
どこにも居なくなる。無になる、と言う者もいるだろう。だが、幽霊などの話を聞くと、やはり死後の世界はあると、漠然とだが私は思うのだ。
だからこそ、考えた。
死んだ後、私は迷いなく死を受け入れて、死後の世界に行けるのか?
誰か迎えに来てくれるのか?
死の直前、お迎えが見える人もいるようだ。臨死体験の中には、亡くなった家族と会った、と言う人もいた。
それなら私は、祖父に迎えに来て欲しかった。迷わないように。怯えないように。
臆病な私だ。行き先が分からなければ迷子になる。きっと幽霊は迷子なのだ。もしくは、死を受け入れられない者、何か強い未練のある者。
死を受け入れる準備は、今はできない。でも、未練は残さないから、迷わないように迎えに来て欲しい。
多くの愛情をもらっておきながら、不謹慎な願いだが、今の死に怯えている私には、死んだ後まで恐怖や不安が続くとは思いたくないのだ。
宗教家は言う。全ての命、魂に意味があると。何かを学ぶために現世にいるのだと。
私は思う。それが本当なら、この健康には戻れない身体で生きる恐怖と不安が、私の学ぶ事?それなら、この苦痛は死ぬまで続くのか?
それでも願う。取引だ。少しでも回復できたら、人に感謝して恩を忘れません。だから、死の苦痛は短く、寂しくないように。他人の中で死にたくないと。
だが、死の檻の中では無理な話だ。私は白い他人の天使の実験体。ネズミと変わらないのか。いや、ネズミは時期がきたら苦痛なく殺される。私は長く生かされる。1人、本当の願いを聞いてもらえずに。
祖父に願った。祖先に願った。
死んだ後はどうか道標になって下さい。
まだ、生きている私には、不安な心を慰めるために、信じる以外、術はないのだ。