死の檻6
ふと考えた。
身体の死を私は受け入れられるのか?
本当に死ぬ時は苦しいのか?
死んだ後は?どうしたらいい?
死んだ者は答えてくれない。だが、臨時体験をした者ならいる。死ぬ時を多く診ていた者はいる。
私は携帯で調べ始めた。
死の恐怖に少しでも安らぎを見出したくて。
臨死体験をした者は、とても幸福な場所に辿り着いたと言う者が多かった。後一歩、踏み出していれば死んでいた、が死は怖くなく幸福だと。
本当の死の直前で苦しい事はないように書いてあった。
脳科学者が言うには、脳が死ぬ時は脳内麻薬が出て、苦痛を緩和するようだ。
これは少しだけ私の心を慰めた。
だが、死までの道のりは人それぞれだ。
私は死の檻の中で、長い苦痛の中、死の時を待つと考えているが、もしかしたら、明日誰かに刺されて死ぬかもしれない。
実際にはそんな事は起きないが。
そして、願うのだ。神様と。
今、充分苦しんでいます。死を側に感じ、恐怖と不安の中耐えています。
だから、これ以上試練を与えないで下さい。本当に死ぬ時は穏やかに。長く苦痛を与えないで下さい、と。
どんな死に方なら楽なのだろう。
海外には安楽死もある。孤独に恐怖に怯えながら生きるよりは、とても魅力的だ。心が亡くなっている今は、希望のように感じるが、私はその基準に当てはまらない。
特に日本では、医療でいかに長く生かすかを、使命としている。
苦痛の中、管に繋がれ、白い他人の天使の中で、知らない天井を眺めながら死に絶える最後など、私は望んでいない。
知らない天井でも構わないが、管を身に纏い、他人の中で死ぬなど、寂しすぎる。
白い他人は、私の心に触れてくれない。死に1人挑む恐怖と不安を取り除いてくれない。
死の檻の中に、気心のしれた家族・友人がいて欲しいのだ。