番外編 『ディルクス・フォゲット・ミーノットの回想』 2
久しぶりに、短編更新です。
ディルとライムが初めて会った時の話。
こういう系の話は書いてて楽しいですねー。
ようやくたどり着いた『魔女の家』は、想像以上に小さかった。
ぜーぜーと煩い音が口から零れ落ちる。
それだけじゃない。
チリチリと呼吸をするだけで痛む胸や、乾ききった口の中に辟易しつつも俺は何とか立ち上がる。
(指示された錬金術師の家までの道は、村人たちが元気な大人ですら半日以上かかると言っていた。今日中には……なんとしても着かないと、死ぬ)
冗談ではなく本気でそう思う。
まともに飲み食いしていなかった所為で、体力が落ちていた俺の足では一日中歩き続けても中間地点にすら到達できなかった。
村の大人たちが俺を見て心配そうにしていたのは、この険しすぎる山道を知っていたからだ。
死に物狂いで登った初日、道の真ん中で気絶するように倒れ込んだのは覚えている。
気付いたら朝だった。
ちなみに、今朝も同じ目覚め方をしている。
(まさか村についてから三日もかかるとは)
毎日気絶するみたいに眠り、持っている少ない食料と水を飲む。
水やパンは、盗賊に襲われて荷物をなくしたという俺の言葉を信じた村人がくれたので助かったが、これがなければたぶん今頃俺は死んでいただろう。
(とりあえず、水……いや、調査―――…水、だな。人がいなけりゃ先に何か飲み食いしないと死んじまう)
こんなところに調査しに来ようとした俺がバカだったと思いながら、持ち歩いていた短剣を取り出す。
錆びて刃こぼれもひどい短剣は、タリスが俺に貸してくれたものだった。
朝日に照らされた道を進んでいくとうっすらと前方に煙が立ち上っているのが見える。
「やっと、ついたのか」
心底安堵した声が零れて、俺はかすかに残った水を飲み干した。
まずは、水が欲しいと訴える体の声を無視して、俺は息を整え、気を引き締める。
(人がいるかいないか、だな。煙が出てるってことはいる可能性が高い……が。この時間帯なら家によってはお湯だけ沸かしてることも多い)
生い茂った木々の中で身を隠すように移動する。
息を殺し、気配を殺し、極力家の中から見えない様に素早く足を動かし、体を縮めて。
(にしても『魔女の家』は、普通の家と変わらないんだな。大きいといえば大きいし、造りもしっかりしてる。まぁ、間取りがわかりやすいのと綺麗な『窓』があるのは助かった)
音を立てない様に注意しつつ、ぴったりと家の壁に張り付く。
周囲を見回しながら、出窓から中の様子をうかがった。
大体の家には窓ガラスなんて高価なものはない。
あっても、濁ったような色のガラスがほとんどで、今、目の前にあるような硝子越しに中の様子がうかがえるものはかなり希少だ。
貴族の家ならば割とよく見るが、こういった場所でこんなに綺麗なガラスは見たことがない。
(パッと見た所、人はいなさそうだな。煙、は……ああ、あの大きな釜か。錬金術師っていうのは確か釜で高価なアイテムを作るって聞いたことがあるな)
物音がしないことを確認してから、ぐるっと家の周りをまわって人の気配がしないかどうか確認したが誰もいない様だった。
(いないとわかれば、あとは室内を見て金目物があれば回収するか)
この家を調査したところで、盗賊団がこの場所を襲撃することはないだろう。
なにせ、家に来るまでの道のりが辛すぎる。
移動にも時間がかかるし、錬金術師の作ったアイテムは足がつきやすい。
(第一の目的は調査だからアイテムを盗む必要はどこにもないが、回復用のアイテムと今後冒険者登録した時に使えそうなものはいくつか欲しいな。錬金アイテムは高い。あとは水と食い物だな)
食べられそうなものがあればいいんだが、と思いながら正面に回ってそっと扉を押し開く。
蝶番が微かに金属音を響かせて開いていく。
直ぐに逃げられるように扉を全開にしてから足音を殺し、室内に体を滑り込ませる。
いつでも逃げられるように、万が一相手に出くわした時のことも考え短剣は構えたままだ。
(家の中は、割と普通なんだな)
素早く家の中に目を走らせながら、薬品が置いてありそうな場所を探す。
正面の玄関から右手側にカウンターとその奥に大きな釜が見えた。
釜の周りには錬金術に使うと思われる道具や植物、何かの粉のようなものが並べられていた。
見たことののないものに興味は惹かれるが、俺には用がないのでそのまま左手側――…生活スペースらしき場所に目を向けた。
左側には六脚の椅子と手作りらしい大きめの木製テーブルがあって、その奥には台所らしきものがある。
用事があるとすればこっちだな、と数歩歩いたところで突然声が聞こえた。
「あれ。おきゃくさんだ」
「……ッ!?」
俺と同じくらいの女の子の声。
バッと弾かれるように振り返る。
あけ放っておいた扉に小さな人影が立っていた。
手には木を編んで作ったらしい籠があり、そこには土塗れの何かが乗っている。
「えっと、ごめんなさい。今、おばーちゃんはいるにはいるんだけど……採取にいってて、戻ってくるの明日の昼くらいになるって」
こちらに向かって歩いてくる彼女には敵意どころか、警戒の欠片もなかった。
―――…本当なら、逃げるべきだ。
油断しているのだから隙をついて、入り口にいる彼女を押し退けて、振り向かず直ぐに。
でも、俺にはできなかった。
目の前で揺れる見たことのない不思議な色合い。
「ふた、いろの髪……?」
美しい黄色の髪の先端は緑色をしていた。
よく見ると瞳も不思議な色合いで、違う色の系統である黄色と緑が一つの瞳として其処にある。
「やっぱり珍しいんだね、これ。初めてのおきゃくさんは、私の髪をみてみんな驚くんだよ。えっと、おばーちゃん戻ってくるまで待つならここに座って。いま、冷たい何か出すから待ってて。んと、お茶でいいかなぁ……昨日作ったお茶がれーぞーこにあったハズ」
女の子は俺をみて嬉しそうに笑った。
朝独特の白さが目立つ陽の光を受けて輝く双色の髪と笑顔。
ふいに、心臓を絞られるような感じがして薄汚れた服を握る。
彼女はそれを見て不思議そうに首を傾げ、真っすぐに俺の手を取った。
―――……垢と泥に塗れ、錆びた短剣を持つ方の手を。
ハッとして振り払うように飛びのけば彼女はきょとんと眼を丸くして、なぜか目を輝かせる。
「触るな……ッ!!」
「わぁ、早いっ! 着いて直ぐに動けるってことは、その短剣がいらい品かなぁ? おばーちゃんが手入れすればきっとピカピカになるよ」
あと、直して欲しいものにはさわらないから大丈夫!
そういってケラケラ笑う彼女に探るような視線を向けた。
心臓が、煩い。
どくどくと脈打って、息苦しくて、やけに景色が眩しくみえる。
(しまった。咄嗟に避けたのはいいが扉の方に飛べばよかった…ッ! これじゃあ距離が……)
そのまま入り口にいた彼女から距離を取ったせいで、俺は左手側のスペースの台所に近い場所に立っていた。
運が悪いことに、窓はあっても高い位置にある。
部屋の奥に続く扉もあるが逃げられる気がしない。
錬金術や魔術師の家には罠も多い。
奥歯を噛み締め、いつでも斬りかかれるよう体勢を低くする俺を不思議そうに見ながら、何事もないように俺に近づいてきて、俺のすぐそばにある取っ手付きの箱に手をかけた。
一定の距離を保ちつつ、いつ攻撃されても防げるように警戒を強める。
彼女は箱の中からガラスでできた細長い筒を取り出し、薄い琥珀色の液体を近くに置いてあった陶器の器に注ぐ。
そして、それを俺に向かって差し出した。
「まずはコレどうぞ。セン茶っていうんだよ、おばーちゃんが作ったやつだから安心してね。私はまだ、上手にちょうごう出来なくて……難しいんだって、お茶のちょうごう」
「………」
喉は乾いている。
でも、これに毒が入っていないという確証はない。
彼女は受け取る気配のない俺をみて首を傾げて、そして早くもってよーと唇を尖らせた。
「これ飲んだら、お風呂入ってね。きがえは、あるし……あの山道って何回かのぼらないと、汚れるよね。私も、村に降りる時に道草採取しちゃって汚したことあるもん」
そういうと彼女は武器を持っていない方の手を掴んで強引にカップを持たせる。
ひんやりとした陶器の器は、カップの形をしていた。
(匂い、は……嗅いだことがない匂いがする。す、少しだけ舐めて何ともなければ飲もう……不審がられて、騎士団とか自警団に突き出されても困る)
警戒を続けながら、無理やり持たされた器の中身に舌をつけた。
ひんやりとしたソレは、本当にお茶だったらしくピリピリとした刺激も妙な味もしない。
大丈夫だと判断した瞬間に俺はそのカップを思いきり傾けて、不足していた水分を体へ取り込んだ。
(美味い。冷えてて、少し甘くて、独特の苦みはある、けどコレたまに食う苦草の味だな……茶になるとこんなにスッキリした飲み物になるのか)
空っぽになったカップをまじまじと眺めていると彼女は、まだ喉が渇いていると思ったらしく、箱の中からガラスの筒を取り出して再びカップに中身を注ぐ。
安全なのは分かったので、二杯目は躊躇なく飲み干した。
美味かった。
こんなにうまい飲み物を俺は飲んだことがない。
空になったカップを彼女は俺の手からそっと奪い取って、箱の横にある小さな棚へ置いた。
「じゃ、次はお風呂だね! 私がちょっと前に入ったばっかりだからまだお湯あったかいよ」
そのままだらりと体の横に垂れた俺の手を握って、台所横にあるキッチン横にあるドアを開け、ずんずんと廊下を進む。
いくつかの部屋と一つの階段を通り過ぎた所で彼女はピタッととあるドアの前で足を止めた。
ガチャッと音を立てて開かれた扉の向こう側には、もうもうと湯気を立てる液体が入った、大人一人が足を延ばして座れる陶器の入れ物があった。
その横には小さな棚があり、部屋の片隅にはカーテンで仕切られた空間。
床は木ではなく、平らにした石を敷き詰めているらしい。
想像もしていなかったうえに今まで一度もない展開に呆然とする俺をよそに、彼女は楽しそうにあれやこれやと準備を始めた。
大きな陶器の器の横に小さな台を持ってきて、そこに柔らかそうな白い布と小さな布、何かが入った入れ物をいくつか。
入り口で固まる俺の手を引いた彼女はピッと指で液体が入った陶器を指さした。
「これ、お風呂だよ。魔力を通すとねお湯出てくるの。で、これ使ったばっかりだから汚れてないし、いい匂いするやつ入れたから入っちゃって」
おばーちゃん、汚れてるお客さんがいたらお風呂に入れていいって言ってた
そんなことを言いながら俺の服を脱がそうとし始めたので、慌てて距離を取る。
「っ……なにするんだ!!」
「え。だって服脱がないとお風呂入れないよ。使い方わかるなら、朝ごはんつくりに戻るけど……だいじょうぶ?」
風呂に入る習慣があるのは貴族と一部の商人、あとは温かい湯がでる地域の人間位だということは、知っている。
普通は、濡らした布で体を拭いて、そのあまり湯で髪を洗う。
汚れが酷いときは大きめの桶や樽に温めた湯を入れて入ることもあるがお湯を沸かして運ぶのが大変なので、奴隷を飼っている家の人間くらいしかやらない。
(こいつ、俺のみぐるみ剥いで攻撃手段を奪うつもりだな)
じっと警戒する俺を不思議そうに見ながら、彼女は口を開いた。
「自分でできるっていうならいいんだけど……使い方だけおしえるね」
そういうと彼女は体の洗い方や汚れた湯の捨て方、謎のアイテムの使い方を説明し始める。
一通り説明したところで満足したのか大きく頷いて一人、出入り口の方へ歩いていく。
ドアを開けて、体を半分外に出した状態で振り向いた。
「あさごはん、つくってるから、お風呂出たらまっすぐ歩いてきてね」
いっしょに食べよーよ、と何が嬉しいのか機嫌よく鼻歌を歌いながら、ドアをパタンッとしめた。
ぱたぱたと聞こえる足音はひどく機嫌がよさそうで、その事実が俺をひどく混乱させる。
どうしたらいいのかわからず立ち尽くす俺は、数十分後に着替えを持ってきた彼女に風呂に入っていないことを怒られた。
なぜか呆れながら、服を脱がそうとしてきたので自分でできると追い返し、仕方なく服を脱いだ。
短剣は直ぐに振るえる様近くに置いておく。
汚れた服を脱いで、言われた通りの手順で体を拭き、風呂に浸かる。
今まで汚れが酷くなったら川で簡単に体を洗うだけだったので、温めた湯に入るのは初めてだった。
思ったよりも気持ちのいい『風呂』に気づけば目を瞑って暫くぼーっとする。
足の裏や体の所々についた切り傷や擦り傷に、石鹸が沁みたりもしたが、すごい勢いで垢や汚れが落ちたのには驚いた。
頭もさっぱりしたな、とぼんやりした思考で考えて―――…ハッと我に返る。
「……なんで、俺は魔女の家で風呂に入ってるんだ」
のんびりしてる場合じゃない、と慌てて風呂から上がって、一応……汚れた湯を抜いておく。
体を拭いて用意された子供用の服に着替える。
簡素な服だったけれど、肌触りがいい。
体も軽いし、痒みもない……貴族が風呂に入るのを好む理由がわかって、内心複雑だが、俺はちゃんと短剣を持って警戒しながら、廊下を歩く。
扉に近づくにつれて、うまそうな食べ物の匂いがしてくる。
ごくりと喉が動いた。
ドアを開けると、そこには何度か盗み見た『食卓』があった。
手作りの木のテーブルに乗せられたパン入りの籠、木のスープ皿、焼かれた肉と果物。
異臭のしない、腐ってもいない、残飯でもない、きちんとした食べられる食事が―――……二人分。
「おお。さっぱりしたね、私お腹すいちゃった。早くすわってよー。その依頼品は横に置いといてね、じゃまだもん」
呆然とする俺に彼女は小さく眉をひそめた。
なにしてるの、というような顔をして直ぐに頬を膨らませる。
「はーやーくー! ごはん、冷めちゃうよ。あのね、今日は私の好きなマトマのすーぷなんだよ。昨日、罠で鳥を捕まえたから特別にお肉もはいってるの」
はやく、と言いながら俺の腕を引いて椅子の前まで連れて行き、自分はさっさと先ほど座っていた椅子に腰かける。
(なん、だよ……これ)
ほかほかと、暖かい湯気を立てる『ちゃんとした食事』を俺はこの日、初めて食べた。
流されるまま、食事のあいさつをさせられてスプーンを握って……そして、人の様に皿に乗った飯を食う。
今まで俺は、多分『人間』という『動物』だった。
でも、今は違う。
きれいな服と汚れのない体で、皿に乗った飯を椅子に座って食べている。
そう思ったら――…目頭と鼻の奥がツンッと痛くなって、ぼたぼたと両目から生ぬるい液体があふれた。
スープ皿を、パンを、肉を、抱え込むように必死に食べる俺を彼女がどんな顔で見ていたのかなんて、知らない。
でも、俺はこの日…初めて『人間』になった気がしたんだ。
ぼたぼた泣きながらスープを食べきった俺に、彼女は嬉しそうに笑って二度、お替りを持ってきた。
食事を終え、初めて感じる満腹感にぼうっとする俺をみて彼女は満足げな笑顔を浮かべる。
裏表のない、ただひたすらに眩しい笑顔だった。
(―――……ああ、もう……俺には、ころせない)
錆びた短剣は、ぽつんとテーブルの上に乗ったまま。
俺は椅子に座って動き回る彼女を目で追う。
人が人間になるには、多分他の人間に認められて、存在を認識されて、肯定される必要があるのだろう。
ああ、と天を仰ぐと温かみのある木の板が貼られた天井が見える。
朝の陽ざしを浴びて輝く双色の髪は俺にとって、救いの象徴だった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
疑問や感想、誤字脱字などがあればぜひご一報ください。
とくに、誤字。
あれは、うん……どうしようもなくって。