番外編 『ディルクス・フォゲット・ミーノットの回想』 1
番外編として、書きかけだったディル視点の過去話。
ディルがライムを探していた理由は採取旅7日目後半で何となく察してくださった方もいるかと思いますが、ちょっと掘り下げてみます。
懐いた(むしろ執着?)経緯みたいなものです。
ライムに出会う前まで、俺は満腹になるという感覚を知らなかった。
薄暗く、汚物と腐臭と鉄臭い匂いと多様な悪意の中で俺は生きていたからだ。
そこそこ大きな街だったこともあってか、教会は孤児で溢れていてそこに入りきらなかった子供はスラムの住人になるのは当たり前で、よくあること。
正確にいうならば、スラムにいる子供は教会で受け入れられない子供や直接ゴミとして捨てられるのだけれど。
スラムにいるのは、訳アリの子供ばかりだ。
ハーフと呼ばれる違う種族の間に生まれた子供。
手や足がない子供。
醜い子供。
貴族と奴隷の間にできた認知できない子供。
奴隷として売られて逃げてきた子供。
そんな子供が集まって身を寄せ合って生きていた。
勿論、スラム街には大人もいた。
でも、子供だからと守ってくれるような出来た人間はスラム街にいるはずもない。
人間のクズのような奴らから隠れるようにこそこそと息を殺して生きていた。
子供だから体力はないし、弱い奴から死んでいったけれどそれは至って普通のことだ。
けれど、子供だから仲間意識は大人より強かった。
互いに協力しなければ生き残れなかったから、というのもある。
「どうだった?」
「いつもの場所からはこれだけしか盗れなかった。そっちは」
「俺達の方はこれだけだ。ただ、夕方には団体客が来るとかで食べ残しが出るかもしれない」
そんな会話を周囲の気配を探りながら交わす。
手に入れた食べ物は“仲間”で分けて食べるのがルールだ。
口に入る量は少なくなるけれど、複数で行動すれば食べ物を手に入れられる確率がぐっと上がるから、必要なこと。
独り占めはしない。
揉め事になって仲間から外れると生き残れない確率が高いから。
盗みやスリと呼ばれることもやっていたけれど、生きるためには仕方がなかった。
それらが“悪いこと”なのはわかっていたし知っている。
けれど、俺たちのような望まれない子供が生き残るにはこれしかなかった。
「――…冒険者登録できるまで、生き残るぞ」
「わかってる。冒険者登録さえできれば、今よりマシな暮らしができるんだ。飯だって」
飯だって、腹一杯食べることができるかもしれない。
冒険者登録さえしてしまえば、俺たちみたいな孤児やスラム出身の人間でも“生きること”を認められる。
仕事だって、きちんとこなせば金だってもらえる。
それくらいは知っていた。
教会では月に一度、結構な規模の炊き出しと一般常識についての“話”があったからだ。
そこでは子供が優先的に飯にありつけるので、俺らのようなスラムの住人でも問題なく参加できたのだ。
この日だけ、俺たちは大人に食べ物を取られる心配をせずに少しだけゆっくり食べることができた。
量は、足りないけれどないよりは何倍もマシだ。
「冒険者登録できたら俺とディルで絶対パーティー組もうな」
「ああ。俺とタリスならきっと装備揃えてこの街から出るくらいまでいける筈だ」
その為に、時々、木の棒なんかでスライムを倒したりもしている。
流石にウルフは倒せないし、野良ネズミリスはすばしっこいから体力を使わないようにしなきゃいけない俺たちには難しい相手だけれど、木の棒じゃなくて剣を持っていたら確実に勝てる相手だと思う。
冒険者になることだけを生きる支えにして、生きていた。
どんな辛い状況でも、俺たちは空腹をやり過ごしながらそれだけを考えて、冒険者になればとチビたちにも言い聞かせて、そうやって生にしがみついていた。
――――…ライムに出会ったのは確か7歳の頃だ。
丁度、背も伸びてきて出来ることが増え、比較的固定化した面々と生きていた時期。
この頃が今思えば俺たちの転換期だったのだろう。
ある日、いつものスラム街の目立たない場所で息を潜めて眠りにつく時にタリスが俺を呼び出した。
「タリス、どうしたんだ? いつもなら体力温存の為に先陣切って寝てるだろ」
「まぁ、な。そのさ…俺、義賊団に入ることにしたんだ」
「義賊団…って、黒の方だよな…?」
念の為ではあったけれど確認せずにはいられなかった。
この街で義賊団は二つに分かれている。
スラムの住人が作った黒の義賊団と貴族や商人を中心に仕事をする紅の義賊団。
黒の義賊団は冒険者で構成されていて、ここに所属している元スラムの人間は多い。
組織に入れるのは冒険者登録前の7歳くらいから。
リーダーはウツギさん。
この人も元スラムの住人だけれど、冒険者ランクはAでかなり強い。
他のメンバーもスラムの面々で、中には魔術師もいる。
黒の義賊団は、俺たちのような子供でもある程度は守ってくれるから此処に入るために泥水を啜ってでも7歳までは生き残るという目標にもなっているし、俺たちもそのつもりだった。
でも、タリスは小さく首を振った。
「―――…紅の、義賊団に入ったんだ」
「な…っ!! あそこは闇ギルドで請け負ったヤバい仕事しかしてないって……!!俺らなんか直ぐに使い捨てられるだけだぞ!? 何考えてんだよ!」
「俺だってッ! 俺、だって…入りたくはなかったさ。でも、紅の義賊団は黒の義賊団より情報が多く集まる。俺の親だって見つかるかもしれないんだ」
「にしたって…ッ! 紅の義賊団は金積まれれば人殺しだって」
紅の義賊団は赤の大国で育ったマニールという男が立ち上げた。
一般人には手を出さないが、相手が貴族や商人ならば多少の手荒いことも良しとする傾向があり、噂では金を積まれれば殺しも誘拐もするらしい。
特に殺しに関しては俺たちみたいなスラムの子供や人間を使うとも聞いている。
……足がついても切り捨てやすいように。
「わかってる。でも、この金の髪と赤の目は貴族の血が流れてるってことだろ…ッそれなら、より貴族と関わる機会も情報も多いほうがいい。俺は…死なない。俺を捨てた親に会うまでは絶対に…!」
手をきつく握ったまま動かない相棒を見て俺は何も言えずに口をつぐんだ。
「大丈夫だって、俺、要領はいい方だし…一般人には手を出さないっていうのは確かみたいだから」
お前を狙うような事態にはならない筈だろ、といつもどおりの笑顔を浮かべるタリスが何処か危なげで言葉をかけようとしたのに、俺に言えることは何もなかった。
「……俺は、冒険者になる」
「―――…おう。お前は、俺の分まで有名な冒険者になれ」
一度でも義賊団や盗賊団といった反政府組織や犯罪組織に入ったものは冒険者になることはできない。
それが分かっていながら、紅の義賊団に加入した親友…だと思っているタリスの行動に納得がいかなかったのは、確かだった。
その日からタリスと顔を合わせる機会は減って、俺は何も考えずに食いつなぐ日々が続いた。
ライムに出会うことになった切欠をもたらしたのは、なんの因果かタリスの提案だったのを今でもはっきり覚えている。
盗みにも慣れ始めた夏のはじめだった。
騎士団が増え始め、残飯もほとんど出ないこの季節は“振り分け”の季節で、ほぼ一人で行動するようになっていた。
食い物を確保する効率が悪くなった事もあり、俺は三日でカビの生えたパンを1つ食べたきりだったのを今でも時々思い出す。
空腹を紛らわせるために“食べられる”まぁ、言い換えると食べても死なない草や花、川の水でどうにか生きていた。
暑さと飢えは今まで何度も味わってきた。
けれど、一人で行動するようになってその辛さがより過酷に感じているところに、ひとつの影が近づいてきた。
「―――…久しぶりだな、ディル」
億劫に思いながらも視線を向けるとそこには以前よりも身奇麗になったタリスがいた。
来ている服も“ちゃんと”していて、腰にはあれほど憧れていた剣が下げられている。
返事を返す気力もない俺にタリスは大きなパンと飲み物を投げてよこした。
「……なんだ、これは」
「別に。俺の食い残し。捨てるのもなんだし、やるよ」
素っ気ない言葉に俺は表現し難い不快感を覚えたものの、食べないと死ぬことは分かっていたのでパンを流し込んだ。
カビても腐ってもいない『まとも』なパンを食べたのに、味は全くわからなかったのは今思えばいろんな意味で動揺していたからなのかもしれない。
「―――…なぁ、お前さ…盗み得意だったよな」
「それがなんだ」
「仕事、ちょっと手伝ってくんねぇ…? 危険だと思ったらすぐに撤退してくれりゃいいし、お前の名前は言わねぇからさ」
頼むよ、と真剣な顔で頼まれて少しだけ考えた。
久々にみたタリスは、きちんと食べているようではあったが随分と疲れきった、どこか荒んだ雰囲気をまとっている。
「……詳しく話せ」
「おう。俺ら下っ端にいくつか仕事が割り当てられたんだけど、それが貴族や強欲商人の調査なんだ。盗めそうなもの、人柄、警備の状態なんかを見るんだ。貴族の場合は金庫なんかも見る。で、俺も結構な広さの区間を割り当てられた。チームで動いてるとは言ってもぶっちゃけ成績が悪いと格下げってことで色々ヤバイんだよな…で、調査だけでも手伝ってくんねーかと思ってよ。勿論、報酬は払う。1件につき銀貨1枚でどうだ? 勿論、調査した先が盗みに入れるかどうかにかかわらず報酬は支払うからよ」
破格の申し出だった。
銀貨1枚なんてスラムで普通に生きていればまず、手に入れることはない。
少し悩んでいるところで、タリスはいった。
「―――……調査だけなら、冒険者になる時の判定には引っかからねぇんだよ。犯罪行為には含まれないからな。盗みは罪といえば罪だ。でも、相手に見つかって騎士に突き出されない限り記録には残らない」
これが、決定打だった。
この日から俺はタリスの指定する貴族や商人の家に忍び込んで“調査”を請け負った。
貴族の家はそれなりに厳重な警備だったけれど、祭りやなんかで浮き足立っている時期ということもあって割と楽に忍び込むことができた。
商人についてはもっと簡単で、出入りする人間が多いのでもっと楽だったのを覚えている。
流石に、タリスも事前情報で警備がやばいところは俺に回さなかったし、俺も見に行って無理だと思ったら断っていた。
「―――…魔女の家?」
「おう。ここで、最後だ。俺は他のやつよりこなした件数が多いからな…ここらが落としどころだろう。この場所は正直、誰も期待してねぇ。貴族ってわけでも商人ってわけでもねぇからな。リストに入っていた以上報告の義務はあるけど、五日たっても戻らなかったら一応上には対象外ってことで報告しておく。場所は…ここから二日半かかる場所だし家までは山を登らなきゃなんねぇから半日は見ておいた方がいい。行って帰ってくるだけでもギリギリだ」
「行く意味あんのかよ、それ」
「一応な。魔女っていっても貴族の座に収まるのを蹴ったっていう変わり者のお偉い……あー、今は錬金術師だったか? そんな感じのばーさんが暮らしてるらしい。結構な歳だって話だし、あちこちで慈善事業してるっぽいから有り金もないだろうな。何せ、稼いだ金額はすぐに素材やらなにやらに消えてるって話だし、ある程度の確認も取れてるから戻ってこなかった場合、頭にはそう報告する」
ますます行く意味があるんだろうかと思っていると、タリスは声を潜めた。
「その錬金術師はオランジェっていうらしい。色んな噂があるんだが、バカみたいに強い婆さんで、名のある貴族や王族も一目置いているって話だ。ただ、暗殺者を仕向けても全員死んで帰ってくるんだってよ……だから、誰も暗殺者を差し向けなくなった」
「意味がわかんねぇんだけど、なんでそんな家を調べなきゃなんねぇんだよ」
「そんなん、下っ端の俺に話すと思うか? まぁ、噂では頭がオランジェっていう錬金術師に助けられてから何かと気にかけてるらしいけどな」
あくまで噂だ、と言い切ったタリスの表情は興味などかけらもないようだった。
俺は前金で銀貨1枚と食料を貰い、さっそくそのオランジェという錬金術師の住む山へ向かって歩き始める。
場所は、噂にも聞くヤバい山だ。
正しいルートを通らなければ生きて帰れないとも囁かれている悪魔の山ともいわれているその場所は、確かに片道だけで最も近い麓の村まで2日半…やれやれと小さく息を吐いて俺は受け取った金を仕舞い、ため息をついた。
(武器らしい武器も持ってないからモンスターや盗賊に狙われた時点で終わりだな)
生憎とタリスのように立派な剣を持っていない俺の手元にある唯一の自衛武器は錆びた短剣一つ。
途中、川で喉の渇きを潤し、見かけた木の実なんかを摘まんで飢えをしのぐ。
何度か銀貨を使ってしまいたい衝動に駆られたが冒険者になる為にはまず金を貯めなくてはいけないのでぐっとこらえた。
昼夜問わず休憩を朝晩で一回ずつ休む。
あとは歩いたり走ったりを繰り返して2日で目的の村に辿り着いた。
村では、ボロボロの俺を見ても“孤児”や“盗人”だと指差す者はいなかった。
(こんな遠くて小さな村に大勢いるスラム街のガキの情報が知られてる方がおかしいか)
空腹に耐えかねて何か買おうにも、この村に飲食店らしきものはない。
実際に聞いてみるとオランジェという錬金術師目当てに時折尋ね人が来るものの、頻度はそう高くなく、そもそも目的の錬金術師が必ずここに居るとは限らないという。
(いない方が好都合だ)
そんなことを考えながら俺は山道を登る。
あまりにボロボロな俺をみた村人があまりものだというパンとスープをくれたのでいくらか力が入るようになったのは嬉しい誤算だった。
…こういう所で暮らす方が楽なのかもしれないな、なんて出来もしないことを考えたあたりで思考を止める。
正確には無駄なことを考える余裕がなくなったから、だけれど。
とりあえず、一話じゃ収まらないと思いましたので分割しました。
この続きはまだちょっとしか書いてないので、書き次第アップさせていただきます。
……本編にアップした方が良かったかな……(悩