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番外編 『 リアン・ウォードの回想 』

 ベルに続いて、リアンの話です。


想像以上に長くなったのは主人公やベルより先にキャラができていたからかもしれません。






 “この子はもう長く生きられないだろう”と、医者は言った。




 絶えず出る乾いた咳と湿った咳。

空気を肺に取り入れる度にチリチリとした痛みが全身を刺す。

重く鈍く痛む頭と食物を無理に嚥下する度に込み上げる嘔気。


 毎日毎日代わり映えのしない部屋で僕はただ、いつ死ぬのだろうと人ごとのような想いを抱いていた。

死が身近にあった僕にとって一番身近にいる子供は実の弟だ。


 弟は僕の三つ年下で、僕とは違って健康そのものだった。

性格も僕とは真逆で明るく朗らかで人懐っこい。

人当たりのいい性格だからか友達も少なくなく、家族の中心にいるのは大体弟だった。


 そんな弟は何故か生まれた頃から僕に懐いていた。

一人で歩けるようになり、自分の意志を持つようになってからは暇さえあれば僕の部屋や僕のベッドによじ登っては両親や使用人に回収されていく日々。

 やがて、ある程度知恵がついてからは両親や使用人たちが寝静まってから、そっと部屋に忍び込むという手段に変化した。


正直な話、何度か自分にないモノばかりを持った弟を妬んだことはある。

 けれど、一日あったことや経験したことを一生懸命話す幼い弟を突き放すことも嫌うことも僕にはできなかった。



「――…でね、その時草むらから見たことのないモンスターが出てきたんだ! でも、護衛の人が一瞬で倒して、その後出てきたモンスターも皆一撃でやっつけて…だから、俺、その人に稽古つけて欲しいって頼んだんだけど、父さんはまだ駄目だって」



素直な弟が肩を落とすのを少し落ち着かない気持ちで見ながら、口を開く。



「強い相手を懐に入れるには色々と準備や情報がいるんだ。本当に雇っていいのか、お前を任せられるのか見極めないといけない。善良な振りをしている人間だっていることは知ってるだろう?」



 僕の口から出る言葉は優しさのかけらもない、淡々とした“事実”ばかりで、幼い弟はますます眉尻を下げていく。



「うん…それは、わかるけど、でも」


「大丈夫だ。父さんは人を見る目があるから、本当に指導者として適切だと思えば正式に雇ってくれるさ。お前は大事な跡継ぎなんだぞ。適当なことをして才能をつぶすのは本意ではない。部下や使用人を雇う際にも時間がかかるのは知っているだろう、あの人は才能を無駄に潰したりはしない人だ」



行商にお前を連れて行くのが何よりの証拠だろう、と事実を告げると弟は少し考えこんで、何故か瞳を輝かせて僕を見ていた。



「にーちゃんって、やっぱ頭いいよね。おれ、にーちゃんのいうこと、ときどきわかんないけど、にーちゃんがすごいのはわかるんだ」



自慢げに胸を逸らす弟を馬鹿だなぁと思いながら、頭を撫でれば嬉しそうに笑う。


 釣られるように目を細めると弟は更に目を細め自分から僕の手に頭を擦り付けてくる。

いつもの行動だったけれど、この日は随分早く僕から離れた。


 弟は少し名残惜しそうにベッドの上の僕の手を気にしながら、ズボンのポケットへ手を入れた。

弟の手には、子供の掌より小さな布袋が一つ。

 褒めてもらえることを疑わない表情でそれを僕に差し出して笑っている。



「にいちゃん、これあげる」



母に似た柔らかな金茶色の髪がランプの炎で照らされて、僕とは正反対だなと改めて感じながら口を開く。



「……これは?」


「すごい薬草のタネだよ! これの花が咲いたら、にーちゃんの病気を治す薬が作れるんだって。だから、おれいっしょうけんめい花をさかせるから、そしたらおれと外でいっぱいあそんでくれるよね?」



真っすぐな目を見ていられなくて、掌に落とされた包みを見つめる。

軽い布袋には弟の言う通り植物の種が入っているのだろう。

 弟の“土産”を見て弟はまだ何も知らされていないことだけは理解した。



(まぁ、親も僕自身が“長くない”ことを知っているという事を知らないんだけどな)



この間偶然聞いてしまった医師の言葉がある。


 その夜はたまたま調子が良く、ベッドサイドの水差しの水が空だったので、キッチンに水を貰いに行こうとベッドを抜けだしたのだ。

その際、リビングで深刻な顔をした両親が僕の治療担当している医師と話しているのを聞いた。

医師は酷く難しい顔をして両親に頭を下げているのが狭いドアの隙間から見える。


『恐らく二カ月程度持てばいいでしょう。申し訳ない、あらゆる手はつくしますが覚悟だけはしておいてください』


 医師の声は、妙によく聞こえた。

絶句する母と助ける方法はないのかと震える声で医師に詰め寄っているのが漏れ聞こえてきて僕は踵を返した。

廊下を歩きながら自分が死ぬことが分かってもあまり驚いていない自分に少し驚いた。

自室に戻ってベッドに入り、目を閉じる。



「――…死ぬとわかってるなら明日から何を残せるか考えるか」



ため息交じりに吐いた言葉は暇をつぶすにはいい案のように思えた。


 翌朝から両親が部屋に会いに来る頻度が少し増えたのには、少し笑ってしまった。

少なくとも、朝晩のどちらかは必ず声をかけに来る。

弟もその時一緒に来るので、弟自身は喜んでいるようだったけれど。



(両親の対応から考えてみると花が咲く頃にはもういないだろうな)



 花が咲くまでおおよそ数カ月はかかるだろう。

僕が元気になったら、というありえない話を進める弟は楽しそうだった。

その様子を本でも読むように眺めながら自分が死んだ後のことを考える。



(僕は、この弟に何を残せるのだろう)



自分が果たせない“長男の役割”を背負わせてしまう負い目は、死の恐怖よりも大きい。

産まれてから殆どベッドの住人だった僕は早々に“長男の役割”よりも“生きること”を優先させられるようになった。


 弟は、おそらく僕にするはずだったであろう後継者の教育を施されている。

ここ数年の間、暗い表情で僕の部屋に来て、弱音を吐くことが多々あった。



(切り捨てるのが苦手でどちらかといえばお人よしだからな、アリルは)



活発で人懐っこい弟は他人との壁をあまり作らない。

 商人としてはある程度必要な素養だとは思う。ただ、損得勘定をする際に私情が良く挟まるのでそこが心配だ。



(多少の融通を効かせるのは恩を売るには有効になることもある。ただ、相手を見極めないといけないが……まぁ、人を見る目に関しては徹底的に鍛えるつもりではあるだろう。今から様々な場所へ連れて歩いていることを考えてもまず間違いない)



「兄ちゃん?」


「なぁ、アリル。何でも話せる、信用ができる相手を見つけておけよ」


「それなら兄ちゃんがいるから大丈夫だよ」


「僕以外の、家族以外の誰かで見つけるんだ――…でも、盲目的に信じてはいけない。心を預けてもいいが思考を止めてはいけない。それは、相手が誰であっても」



この言葉は、商人になると決めた者に父が送る言葉だ。

 商人は金と手をつなぐ代わりに他の物を得難くなるのだと、俺の頭を撫でて父は言った。



「兄ちゃんのいうこと、むずかしくってわからない。どういうこと?」


「もう少し大きくなったらわかるさ」



重い腕を持ち上げて頭を撫でる。

 母に似た色の髪は柔らかくて心地いい。

気持ちよさそうに目を細める弟を撫でながら医師の言葉を聞いた時には思わなかった気持ちが新たに芽生えたことに気づいた。



(できればアリルが独り立ちするまでは生きていたかった)



小さく息を吐いてもう寝ろ、と弟へ告げると名残惜しそうに何度も振り返りつつ、そっと部屋を出ていった。

 目を閉じた僕は、普段と変わらず全身に走る痛みにウンザリしながら眠りに落ちていく。


今更“生きたい”と思った所で意味がないのにな、と意識が落ちる寸前思わず呟いた。



◇◆◇



 その年の冬のことだ。


首都モルダスで流行り病が猛威を振るったのは。

 感染者は老人や子供が主で、庶民だけではなく貴族にも広がっているそうだ。

原因が分からない上に感染すると一週間ほどで死に至るらしい。



「リアン、あと少し、あと少しで薬が届くから」



だから頑張ってと泣きそうな顔をしながら僕の手を握る母を無感情なまま、眺める。


 普段より息苦しく、体も熱っぽいのに悪寒が酷い。

ベッドに寝ている筈なのに視界が歪んで体全体が揺れているような感覚に襲われる。

考えを巡らせることも億劫で気持ちが悪いのに吐く体力すら残っていない。


 唯一口にできるのは水だけ。


 固形物を食べた日も思い出せないのは、意識がない時間の方が長いからかもしれない。

元々体が弱かったこともあって一週間も持たずに死ぬだろうな、なんて考えていた。



(早めに終わらせておいてよかった。少しは役に立てるといいんだが)



まともに働かない頭でそんなことを考える。

 ベッドサイドテーブルの引き出しには、弟の為にまとめたノートと両親に宛てた手紙を入れて置いた。

完成して数日後に流行り病にかかるとは思わなかったが、まぁ、タイミング的には良かったのかもしれない。



「リアン?!しっかりして、今お父さんが特効薬を―――」



母の声が遠く、強い眠気が押し寄せてきてそこからの記憶はない。

ただ、二度と目など覚めないだろうと思った。



 なのに……僕は眩しさを感じて思わず目を開けた。



 見慣れた天井と、見慣れた壁紙と本棚。

驚いて体を起こしたのに痛みがないどころか、普段必ず感じる倦怠感や息苦しさはない。

どういうことだ、と呆然と自分の手を眺めて恐る恐る動かしていると部屋のドアが開く音が。



「あら、やっと目が覚めたのねぇ。良かった、失敗しちゃったのかと思ったわ」


茶目っ気たっぷりにキラキラと輝く緑色の目を細めて笑う、初老の女性。

ゆったりとしたローブと手には魔石のついた杖が握られている。

 短く切りそろえられたふんわりとした白金色の髪は窓からさす光を浴びて白く輝いていた。


 深みのある優しい声の主は嬉しそうに微笑みながら僕の傍へ近づいてくる。

ふわりと、嗅いだことのある薬草と柑橘類の混じった匂いが鼻を擽った。



「熱はどうかしら? 薬を飲ませるのはギリギリだったから間に合うかどうかと思ったけど、色々投薬したのが良かったみたいね。元々あった肺の病気は直してあるから安心して頂戴。少し前にいい材料が手に入って実験を兼ねていくつか作ったのよ」



 爪の先が茶色く染まったお年寄り特有の手で僕の額に触れる。

ナイスタイミングってやつね!なんて満足げに笑う顔は老女なのにどこか幼くて、ただ、呆然とその人を眺めていた。



「にしても、随分と細いのねぇ。ああ、いいものがあるわ。コレ食べなさいな。レシナのタルト! さっぱりしているから食べやすいわよ。お茶は……そうねぇ、これでいいかしら。作ったばっかりだけど、自信作なの」


「え、あ…も、申し訳ありませんが僕は」


「大丈夫よ。内臓の方は薬でちょちょちょーいっと治しちゃいましたからねぇ。寝起きに食べるものじゃないかしら…?まぁ、苦しくなったら胃薬をあげるから安心して頂戴な」



 楽しそうに笑いながらバックからカップやらお皿に乗ったお菓子を取り出してはベッド上でも食べられる、病床用テーブルに乗せていく。



「このタルト、孫も大好きなのよ。さっぱりしていて食べやすいから病み上がりには必ずねだられるの。早く帰ってあげたいけど、今回はちょっと帰るまでに時間がかかってしまいそうねぇ」



そんなことを言いながら、金属の筒のようなものから琥珀色の液体を注ぎ始める。


 カップは鞄から出てきたとは思えない高級品であることは直ぐにわかった。

呆然とする僕の前にお茶菓子とお茶が並ぶのはあっという間で、気づけばそのおばあさんは僕の隣に座って美味しそうに自分の分のタルトを頬張っている。



「ほらほら、子供が遠慮しないの。私のタルトは王様に頼まれてもあげてないんだから、貴重よ?」



うふふ、と楽しそうに笑うその人がオランジェ・シトラール様だと知ったのは彼女が家を去ったその日の夜の事。


 オランジェ様は僕に数枚のレシピとお古だけれど、と一冊の本をくれた。

錬金術師を目指すなら体力をつけなくちゃね、とほほ笑みながら頭を撫でてくれた手は温かくてとても優しかったことを僕は今でも覚えている。



◇◆◇



 初めて出会ったライムに対して湧き上がった感情は落胆と憤りだった。



 珍しい双色の髪に珍しい色味の瞳。

運よく有名な親と高名な祖母の血を受け継いだだけの、知性もなさそうな女。

話す声や言葉から賢さも思慮深さも感じられない人物に怒りすら覚えた。



(オランジェ様の孫?あれがか)



冗談だろう、と痛む額を抑えそうになるが周囲の目があるので営業用の笑顔も姿勢も崩さない。


 記憶にあるオランジェ様は気さくではあったが、思慮深くて、賢く、尊敬できる人だった。

オランジェ様の孫が入学することは噂で知っていたので是非友人になりたいと考えていただけあって、落胆は大きい。


 一つため息を吐いた僕は、彼女に背を向けて視界から外した。

商談に来たわけではないが、情報は多い方がいいだろうと取引をしたことのある中流貴族の元へ。

挨拶をして家名を名乗ると相手も身元が分かってホッとしたようで色々と話してくれた。



「そういえば君は新しい制度に参加するのかい?さっき、先輩から聞いたんだけど新しく“工房制度”っていうのが作られたみたいだね」


「工房制度ですか。初めて耳にしましたね…新しく作られたという事は従来の学び方ではない学び方が提示されているという事で間違いはなさそうですが」


「入学の儀の後に説明があるらしい。先輩方もその位しか知らないって言っていたからこの後分かるとは思うけど、気になるよね。まぁ、他の生徒にも色々聞いたけどやっぱり上流貴族や名家出身者でもこれ以上の情報は持っていないみたいだ」


「そうでしたか。態々教えて下さってありがとうございます。今年は私のような貴族ではない者も多いようですし、こうして話をしてくださるだけで有難いですよ。何かご入用でしたら私にでも気軽におっしゃってください」



手に負えなさそうであれば、家の者に繋ぎますよと告げる。

すると相手も悪くないと思ったのか握手を求めてきたので、笑顔を浮かべたままその手を取った。



(地道にこうして人脈を広げていくか。面倒だがある程度は基盤を築いておいた方がよさそうだしな)



錬金術に早く集中したいので今この場と実家を最大限有効的に使わせてもらうつもりだ。


 父や弟は僕が錬金術師になる資質があるとわかった時から錬金術関連の素材や本などを集め、販売を始めている。

今まで多少取り扱いはあったが本腰を入れて部署まで作っていた。



(今後僕も利用するし錬金術と言っても比較的容易に手に入るものから入手が難しいものまで幅広く、ついでに地域差もあるようだから上手くやれば大きな利益が見込める)



 僕はそんな思いを胸に紹介される貴族たちに頭を下げる。

流石に上流貴族はいないが、在校生にもウォード商会を利用している者が結構多く、色々な情報を得ることができた。

 そうこうしている間に、入学の儀は滞りなく終わり、工房実習制度についての説明を受けた。



(工房実習制度か。運によるところは大きいが、悪くない。実際に作ったものを取り扱えることもそうだが、なにより錬金術を時間の制約なしに学習できるというのはいいな。始めたばかりの制度という事もあって一年目は教員への質問もたやすそうだ)



 周囲を窺うと貴族の中でも扱いにくい保守派や過激派と呼ばれる派閥の人間はいないようだし、参加一択だな。

僕以外にも庶民出身や下級貴族もチラホラ残っている。



(オランジェ様の孫もいるのか)



 心の中で舌打ちをしかけたが、『まぁ、バランスを見て振り分けるだろうし家柄も考慮すれば同じ工房にはならないだろう』と気を静める。

 分け方は色々あるが、生活を共にするなら同性で組ませるのが一般的だろう。

庶民同士ならば男女混成もあるだろうが貴族となれば体裁なんかを気にするものも多い。


 他の面々も似たようなことを考えたようで残った生徒たちは互いに様子を窺っている。

僕も念のため“全員”を詳しく“視て”みるが良くも悪くもない。



(少なくとも犯罪者はいないようだな。いたら困るが、貴族にも色々いるし警戒しておくに越したことはない――…保守派と過激派には怪しいのが数名まぎれていたし、安全もこっちの方が確保できそうだ)



工房制度を利用すれば、貴族との付き合いも必要最低限で済むだろう。

 店を始めてからはわからないが…多少の妨害があっても行き過ぎた場合は確実に学校側の指導が入る。

学校側だって新しく立ち上げた制度を無駄にしたくないだろうからな。



(――…僕は薬に特化した錬金術師になると決めている。そのためにすべきことは山ほどあるんだ。雑事に割く時間は出来るだけ少なくしておきたい)



本当はオランジェ様の弟子になりたかった。


 子弟制度という古い制度は今も生きているのでそれを利用して彼女の元に弟子入りし、そこで学ぶつもりで命を繋いだ日から生きてきた。

だが、その途中で彼女が亡くなったという知らせを受ける。

 彼女が亡くなったと聞いた時は衝撃が大きすぎて暫く何も考えられなかった。



(僕が今この場にこうして立っていられるのも、あの流行り病で死にかけていた僕をオランジェ様が助けて下さったからだ。最高峰の錬金薬師と呼ばれるオランジェ様が作った特効薬と、オリジナル調合で作られた薬のお陰でずっと患っていた病気が完治した。特効薬もそうだが合わせて投与された薬の作り方も素材もわからないままだ――…ここで勉強をすれば、オランジェ様のように対象者に合った薬が作れるようになるかもしれない)



 命を繋いで、オランジェ様が我が家に滞在している間僕はずっと彼女の傍であれやこれやと質問をしていた。

 その時のことは今でも忘れていないし『錬金術師になりたいなら』と渡されたレシピや本は生涯手放すつもりはない。



(とにもかくにもこれから、か。調合というのは最後まで出来なかったが理論だけならば頭に入っている)



少なくとも彼女の孫に負けるつもりは毛頭ない。

 見ていてください、と貴女の一番弟子と呼ばれるように錬金術の腕を磨いてみせます。



◇◆◇



 視線の先で揺れる双色の髪を眺めながらぼんやりと手元の茶を口に含む。


 手の中には薬草辞典。

この首都モルダス周辺の植物分布図と照らし合わせながらメモを取っている所だったが、少し疲れたので一息入れることにしたのだ。


 鼻歌を歌いながら機嫌良さそうに調合釜をかき混ぜているライムはベルの監督の元、それなりに集中しているようだった。



「ライムその調子よ。でも少し混ぜる速度が速いかしら。あまり早いと魔力を切るタイミングを逃しますわ。まぁ、混ぜる速度がある程度早いと火薬と魔力の反応が良くなって品質は上がるのよね。ただ、確実に仕上げるならあと一秒遅くかき混ぜなさいな」


「あと一秒? わ、わかった。ええとこんな感じかな…どう?」


「いい感じね。次に入れるものの準備をして、完全に色が一体化したら即時投入。投入した素材が消えるまでは一気に魔力を注ぐのですけれど……恐らくここが一番爆発しやすいですわね。十分に注意してちょうだい。一応、魔力を切るタイミングは私が教えてあげるから大丈夫だとは思いますけどコントロールはくれぐれも間違わないように」


「一気に魔力を注げばいい、とわかった。混ぜる速度はこのまま?」


「いいえ、速度は今の倍です。さ、そろそろいいですわよ。素材を投入できるように準備して!」



釜の中を覗き込みながら指示を出すのは、炎よりも鮮やかな紅色の髪声の持ち主。

上流貴族であり、同じ工房生でもあるベルガ・ビーバム・ハーティーのものだ。


 髪色や瞳の色に違わない性格をしている彼女は、上流貴族として見ると異端と言っていいだろう。

ハーティー家自体が特殊なのである程度覚悟はしていたが、同じ工房に振り分けられた当日に実感させられた。



(まさか、雑務をすることに難色を示すどころかあっさり了承する上流貴族がいるとはな)



 今後卒業まで生活を共にするという事で、役割分担について話し合ったが規格外であることを認識した。

日常生活でも存分に“普通”という概念からかけ離れた存在であることは理解できたが、それ以上に彼女自身の能力がもはや超人というべきだろう。


 一言でいうと戦闘能力がずば抜けている。


 彼女は珍しい『怪力』の特性を持っているのだろう。

その所為か恐ろしく力が強いうえに、メイン武器は『斧』で、戦闘に関して天性の才能のようなものがある様にしか見えない。

僕とは対極といっても過言ではない恵まれた身体能力を持っているのに、錬金術の素質までも持っているという事に不満がないといえば嘘になる。


(だってそうだろう?)


 ベルは赤の魔力色の持ち主だ。

だから爆弾に対して優位に働くのはわかっていたが、本人が実際に爆弾をよく知っていることが品質と効力に結び付き、たった一度の調合であっさりコツを掴み、質のいい爆弾を作れるようになった。 

 恐らくベルはライムと同じように“感覚的”な錬金術師なのだろう。

僕は“理論的”錬金術師に分類される。

どちらもいい面と悪い面があるが、優れた錬金術師は“感覚的”錬金術師が多い。


 

(僕からするとベルは爆弾を使わずに絶対物理で殴った方が早いだろ。まぁ、兵士として訓練に出ていた経験があるお陰か、掃除や洗濯などに抵抗がないのは助かるし、貴族としての仮面も使い分け出来ているので僕としてはいい誤算ではあったが)



小さく息を吐いて思考を一度、切り替える。


 やや強引に視線と意識を再び手元の薬草辞典に戻す。

ペンにインクを付けて必要事項を書き出す作業を再開した所で、釜の方から賑やかな声。

 熱のこもったベルの激励にライムの動揺に不安を混ぜた声が響く。



「そうですわ!その調子でグルグルかき混ぜなさい!あと少し!ちゃんと素材が消えるタイミングを見計らって」


「こ、こんな感じ?!結構早くないかき混ぜるの!?大丈夫なんだよね、これ!?」


「何の問題もないわ。私もっと激しくかき混ぜてみたけど爆発はしなかったし」



 ベルはともかくとして、ライムが調合で不安げな返答をするのは珍しい。

僕ら三人の中で――…いや学年の中でも一番調合が上手いのは恐らく、ライムだ。

発想力も、魔力のコントロールも、錬金術に対する勘も、素材への知識も扱い方も、同期や僕より勝っている。


 勿論、素材の知識や扱い方はオランジェ様の知識なのだろう。

けれど、それ以外は全て彼女が培ってきた、若しくは元々有していた能力だ。



(いくら間が抜けていて、常識がなくて、馬鹿正直のお人好しで、甘い考えを持っていても)



 ライムはこのままいけば多分優秀な錬金術師になれるだろう。

初めて会った時の印象は最悪に近かったが、今では感心することも多い。

特に、錬金術に対する想いは確かだ。

……若干暴走しているような気もするが。


 動かしていた手と集中力が切れたので、あきらめて本や筆記用具を片付ける。

急ぐ作業でもなかったので、今度は何をしようか…と立ち上がった僕の耳に嬉しそうなライムの歓声が飛び込んできた。



「やったぁああ!できたっ!ねぇねぇ、これみて!ほんとに私でもフラバン作れた…!家じゃ何回やっても爆発しかしなくって、爆弾の調合の時には爆発するのが当たり前だと思ってたから、毎回爆発してもいいように道具とか家具とか服とか遠ざけて調合してたのに!ベルありがとう!教えてもらってなんとなくコツがわかったよっ」


「そ、そう?もし、その爆弾づくりでわからないことがあれば、いつでも教えてあげるわ。でも、爆弾はわたしが作れる物だけにして頂戴。爆弾の調合は私が一番適性あるみたいだし」


「うんうん!薬はリアンで爆弾はベルに聞けばいいんだよねっ」



嬉しそうに爆弾をもってクルクルと踊っているライムにベルが呆れたような視線を向ける。

ただ、口元が緩んでいるのを見ると悪い気はしないのだろう。

 なんだかんだで仲がいいからな…この二人は。



「折角だからその爆弾リアンに鑑定して貰いなさいよ。品質とか気になるし」


「そうだね。ってことで、リアンの出番だよー。お願いしますっ」


「僕は便利屋か何かか。全く、君たちは本当に僕を何だと思ってるんだ」



満面の笑みでこちらに爆弾を差し出すライムに呆れつつ、フラバンを受け取って魔力をごく少量かけている眼鏡に流せば手に持ったアイテムの詳細が表示される。


 アイテム名や品質だけでなく作成者やアイテムの効果なんかも表示される『詳細鑑定』は利便性の高く、商人であれば皆が欲しがるスキルでもある。

僕の場合は今かけている魔道具の眼鏡についている機能なのだが、魔力認証をしてあるので実質使えるのは僕だけだ。



「品質はD-だが、戦いでは十分通用する威力だ。店では売れないがポーチに入れておいて使える様にしておいた方がいい。魔力を通さないと爆発はしないが爆弾をもって踊るのは止めてくれ。心臓に悪い」



はーい、という暢気なライムの返事に脱力感を覚えながら爆弾を返すといわれた通り腰のポーチへ嬉しそうに仕舞っていた。



「僕も何か作ろうと思うんだが、作っておいた方がいいものはあるか?」



特に作りたいものもなかったのでライムとベルに聞いてみる。

 独断で作ることもあるが、ライムが良く作って欲しいものがあるか、とかこれを作りたい等と口にするので自然と僕らも確認を取るようになった。



「私は特にないわね。ただ、この後パンは作っておくつもり。夕食分はあるみたいだけど朝のはないみたいだし、クミルの実を混ぜてみようと思ってるのよ。前にライムが作ったクミルパン美味しかったし」


「あ!できれば新しい回復薬みたいなの作れない?この間、エルとイオにあったんだけど、どういう商品置いて欲しいか聞いたら『手ごろな値段の回復薬』だって。あと、イオは『飲みやすい状態回復系の薬』が欲しいって言ってたんだよね。なんか、遠征とかで食べ物が痛んだり、水に当たったりすることもあるみたい。だから、そういうのに効く薬があれば嬉しいって言ってたよ」


「飲みやすい薬…か。いくつか思い浮かぶのはあるが、丸薬あたりが妥当だろう。ただ、状態回復薬の丸薬はあまり聞いたことがないから作れるようになれば看板商品になりそうだ」


「ってことは、イチから考えなきゃいけないんだよね?うーん、何か参考になりそうなのあるといいんだけど。良さそうなレシピは……っと」


「そういう事でしたら私も一緒に考えてあげますわ!パンは……後でも良さそうね」



お茶を入れるわ、とキッチンへ向かったベルにライムは自分のポーチから何かを取り出し始めた。

 僕は部屋から必要になりそうな本を取ってこようと足を自室へ向ける。

賑やかで遠慮のないこの二人との生活は、思ったほど悪くはなくいことには驚いたけれど。



(まぁ、悪くはない……な。初めのころはどうなるかと思ったが、まったくタイプが違う人間の方が上手くいくものなのかもしれない)



細く命を繋いでいた、幼いころを思い出して改めて自分が恵まれていることを実感する。


―――…少し癪だが彼女たちが、僕にとって親しい友人であることは間違いない。




ここまで読んでくださってありがとうございました。

誤字脱字変換ミスなど見つけ次第直します、必殺・サイレント修正!!

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― 新着の感想 ―
[一言] リアンのライムへの執着に近い思いはこんな理由があったんですね! ちょっと不憫で ちょっと不器用で ちょっと可愛いですね〜
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