番外編 聖鐘祭 前夜
クリスマスですからねl
空から降り積もる白は、昔、憧れたものだ。
嫌いな季節など、数えるほどあったことを思い出す。
体力どころか生きている未来すら思い描けないほどに生命体として脆弱だった幼少期は、この、白に覆われた世界を自身の足で踏みしめることに羨望に似た想いを飼っていた。
外出できるようになって初めて雪を踏みしめた際に「生きている」とようやく実感したものだ。
商店街の大通りから工房へ向かう歩きなれた道へ足を踏み出す。
瞬間、図ったように吹き付けた凛と冷えた冬風に眉を顰める。降り積もった雪は、湿り気を帯びすぐに水へ変わったなと今朝のことを思い出し、滲む苦笑。
「──除雪がされているか確認に来た、とでも言っておくか」
これを届けに来たとは言いにくい。
そんなことをひとり呟いて、気恥ずかしさと共にマフラーに顔を埋める。
商店街やギルド周辺は騎士や地域住人が協力して除雪をするが、僕らの工房はあいにくと周辺に『店』がない。民家もないから除雪は大変だろう、例え奴隷たちがいたとしても。
膝までのロングブーツを履いて来てよかったと思ったのは、ふくらはぎの中ほどまで積もった雪に足を突っ込んだ瞬間だった。行くのをやめるという選択肢が脳裏をよぎったが、今日に渡すべきものだと思いなおし一歩、また一歩と足を前へ。
工房に続く道に明かりはない。
腰に下げた魔石ランプが振動でゆらゆらと揺れ、遠くにポツンとともる淡い灯りたちは吐き出した白い息で一瞬ぼやけた。
目を細めつつ重たくなってきた足を動かしていると空からチラチラと無数の白が落ちてくる。
徐々に上がってきた体温のおかげで煩わしくなったマフラーを両親から送られた収納袋へ仕舞い、コートの前ボタンを開けた。暑いな、とだれに言うでもなく口の中でつぶやく。
声は音にはならなかったように思う。
雪をかき分けるように進んでいくと工房前は綺麗に除雪されていて、無数の足跡がついている。
寝ているだろうか、と思ったが気配はしっかりと感じられたので、工房のドアに手を伸ばす。
僕の手はあっけなく見えない障壁に阻まれた。
「……ライム以外、いないのか?」
警備結界が張ってあるということは、おそらく全員が外出しているのだろう。
どうしたものか、と考えつつ除雪された細い道を通って建物に沿うように除雪された道を進む。サフルだけではなく新たに奴隷になった彼らも除雪している筈だ。
そして、除雪作業をライムとラクサも参加しているのだろうと考えが至った瞬間、何とも言えない気持ちになった。
小さな脇道に並ぶ、僕やライム、ベル、ラクサ、エルやイオ…マリーやディルらしい雪だるま。
他にもサフルや新しい奴隷、ルヴやロボス、ポーシュといった共存獣すらそれなりに作られていた。細工が細かいものはラクサで、それ以外はおそらくライムだろう。
「性格が出るな」
ふっと笑った自分の声は静まり返った空気によく溶けた。
工房の裏庭に回ってみようと思ったのは、スペースを確認するためでもある。
必要であれば、裏庭に馬が休憩できるような場所が作れないだろうかと考えた。馬が無理でもルヴやロボスが外でゆっくりできる場所を、と全員で話したから。
雪が降っている今、こうして確認しているのは雪の積り方や風がどのくらいの強さに変わるのか……そういった点を実際に見るため。
積雪の具合によっては素材選びや強度が変わってくる。
中に入れないなら仕方がないしな、と足を運んだ先。丁度、ライムの部屋の窓があるあたりに何かが立っているのに気づく。
驚いて息をのみ足を止めるが、相手は全く僕に気づいていないようでジッと背を向けて雪降る夜空を見上げていた。
薄い、布を羽織っただけの頼りないその姿はひどく儚い。
黄色と緑という双色の髪に降り積もる雪が輝きを閉じ込めるように、淡々と降り積もっていく様がひどく恐ろしいものに思えてグッと足に力が入っていた。
踏みしめた雪が「ぎゅ」と小さな抗議の声をあげるが、すぐに反対の足を動かしできるだけ早く距離を詰める。
彼女は、ライムはまだ気づかない。
声をかけることを躊躇したのは一瞬。
「ライム」
慎重に、けれど悟られないよう普段通りを心がけて震わせた喉から出た声は氷のような硬度を持っていた。
けれどこの声は彼女に届いたようで、大げさな程に小さなその方が揺れ振り向く。
「……ッ?! え、リアン?! ど、どうしたの?」
びっくりした、とただでさえ大きな瞳を丸くして僕へ向き直った彼女の耳も鼻も、そして指先やひざに至るまで血の気を失っていて、慌てて自分がつけていたマントを頭からかぶせる。
「どうしたのもこうしたのもない。スペースの確認のために来たら君が立っていたから声をかけただけだ。なんだって、こんな真冬にそんな薄着で外に立っている?」
用事があったわけではないだろう、と思わず責めるような言葉を吐けば彼女は一瞬視線を彷徨わせ、そして誤魔化すように笑う。
笑みの形を模ったソレが妙に気に障ったが、ここでこのまま話していると風邪を引きそうだったので手を握りどこから来たのかと問う。
「えっと、まぁ……そ、そこから?」
叱られるのが分かった子供みたいに人差し指で窓を指さす姿に頭を抱えそうになったが、それも後でいい。はぁ、とため息をついてライムを横抱きにした。
驚いて奇声を上げたことに少しだけ気分が良くなったが控えめに自分の肩に手を置いて「高い! 怖い! 落ちる!」と賑やかすぎる声に低い声が思わず出てくる。
「落とすわけないだろう。全く。ほら、早く中に入れ」
どうあがいても自分では上がれなさそうな彼女の部屋の窓までその体を持ち上げると慌てながら、転がるように室内へ入った。そのまま僕に向かって手を差し出したのには驚いたが冷え切った手に自分のそれを重ねる。
小さくて、柔らかい手だ。
苦労はしてきたんだろうが優秀な錬金術師の薬によって肌荒れとは無縁のその手は武器を握ったこともあまりないのだろう。ペンだこはあるが、それだけだ。
手を掴んでも平気だろうか、と心配する僕をよそにグイッと力強く体を引き上げられ、慌てて窓枠へ足をかけた。
室内に入ると全身が暖かな熱と彼女の香りに包み込まれる。
「……リアンって、足長いよね。なに、いまの。ひょいって入ってきた」
「足の長さというよりも背が高いからな、君よりは。確実に」
「そんなの見ればわかりますぅ~! って、そうじゃないや。えーっと、確認は終わった? トーネたちは聖鐘祭の関係で仕事が忙しくって泊まり込み、サフルとルヴ達は騎士団の人達に誘われて冬限定の特別訓練に参加したいって今日から三日間外泊でしょ? ラクサは職人街で細工師たちが集まって明日の聖鐘祭本番に向けた最後の追い込みをするって言ってた」
「まぁ、街はどこもかしこも忙しいからな。聖鐘祭は稼ぎ時だ」
観光客が増えるだけでなく、他国もわが国も多くの人間が休暇を取り仲間や恋人、友人、家族と買い物や外食、はたまた少し豪華な食卓を囲み贈り物をしあうのだ。イベント的側面が強い明日の『本番』に向けてウォード商会での忙しさは例年通り凄まじい。
決算の時期と見事にかぶるのだ。
休みの希望も多く、それを埋めるために人手不足になるのは言うまでもなく。
「リアンは予定ないの? 明日って聖鐘祭本番だよね?」
「僕は必要な書類の処理をすべて終わらせてきた」
「ってことは、工房に泊まる?」
「まぁ…そうだな、君だけでは不安だし、そうするよ」
そっか、と短く返事を返してパッと顔を輝かせたライムは自分の部屋のベッドを指さして、朝の挨拶でもするように言った。
「じゃあ、私のベッドで寝よう! リアンの部屋寒いと思うし」
「いやだからなんでそうなるんだ」
「薪の節約? 朝のんびりしようって思ってたし、一部屋なら薪もここだけでいいじゃんか。枕もあるよ、取り出せば。新しいシーツだってあるよ、取り出せば」
「………いや、僕は自分の部屋で寝る」
どうにか言葉を絞り出せばライムは「えええ」と盛大に不満を漏らしていて、幼いころの弟に酷く似たリアクションだなと苦笑する。
ライムは僕に断られたからなのか不満げに自分のベッドにボスりと飛び込んで、こんなにふかふかなのに、などと自分のベッドを撫でまわしていた。
「──君に、多くの光と暖かな音色が響きますように」
僕の言葉にライムがパッと上体を起こしたのでその顔に押し付けたのは、母に頼んでいたものだった。
うぶ!?と間抜けな声をと共に確かにそれを両手で持ったのを見て手を放す。
彼女の上半身より少し大きいそれは、ぬいぐるみだった。
「見ればわかると思うがルヴをモデルにした」
「……これ人形ってやつだよね」
「人形というか『ぬいぐるみ』だな」
ぬいぐるみ、と復唱するライムに眉間に皺が寄ったのを自覚。いくら辺境にいたとして、ぬいぐるみを知らないというのは少々考え難かったからだが、反応を見るに『初めて』ぬいぐるみを持った子供の行動に非常によく似ていることが気にかかった。
居心地悪そうにベッドに座り直し、そっとぬいぐるみを撫でながらライムは唇を尖らせてボソボソと彼女らしくなく話始める。
「し、知ってはいたよ。知ってはいたけど、薬をもらいに来た貴族が時々持ってるくらいだったし……ちょっとイイなって思って作ったこともあるけど、布はともかく、中の具が分からなくって、ひとまず木を彫ってみたけど出来上がりが何か違ったっていうか」
「待て。ぬいぐみの具という表現自体が怪しい。普通に綿だろう」
「わ、綿が庭になかったの! それに、行商の人も綿なんて持ってきてなかったし」
「……綿という素材自体は知っているんだな?」
「素材辞典にあったし、麓の人が何かに使うって言って少しだけ育ててたから。見せてもらったことはあるけど、欲しいなら育てなきゃいけなくて……食べ物のお世話だけで手いっぱいだったし場所もないから諦めた。ぬいぐるみ、かぁ。ふかふかで気持ちいいね! ありがとう、リアンっ」
観察が終わったのかぎゅっとぬいぐるみを抱きしめたライムがにへらと僕を見上げて笑う。
ぎゅっと心臓が締め付けられ、体中の血液が瞬時に煮えるような感覚をずれてもいない眼鏡を直すことでどうにか落ち着かせ、当たり障りない返事を返した。
渡すものは渡したし部屋に戻るか、とドアへ視線を向けた僕の意識を引いたのはライムが立ち上がる衣擦れの音。
なにごとか、と行動を目で追えば彼女は部屋の片隅にあった収納ダンスを開けてそこから青い包みを取り出す。
「リアン、これどうぞ。えっと、貴方に希望と祝福の音が響きますように」
はい、と渡されたそれを受け取ってどうすべきか悩んでいるとライムが嬉しそうに机を指さし、開けてみてと無邪気な子供のように告げた。
開けていいのか、と場所を借りて包みを開けるとそこには深い藍色に染まった布があり、手触りからするとマフラーのようだ。
そしてその上には小さな箱が一つ。
小箱を開けると中からキーチャームが出てきた。クレシオンアンバーで作られたそれには【身代わり】というお守りとして最上級と言ってもいい効果がついていてギョッとする。
「マフラーは私が染めたし、糸も私が調合したの。あと、キーチャームはお守り代わりに持っててね。私の代わりに戦ってくれてるし、ケガするところは見たくないからさ」
照れ笑いと共に紡がれた言葉ではあったが表情には「不安」が浮かんでいたので慌てて感謝の言葉を口にする。
目に見えてほっとしたライムは、そうだ、と言わんばかりに手をたたく。
「明日、レシナのタルトつくるね! 一緒に食べよう」
「ん。そうだな……明日は年に一度の聖鐘祭だ。商店街を見て歩くのも悪くない」
「それは賛成! トーネたちのマフラーとか編めなかったから何か買いたいな」
明日の約束を取り付けて、そしてライムの部屋から出るためにドアノブへ手をかけ──ふと疑問が浮かんだ。
なぜ、あんな所にライムはいたのだろう、と。
「ライム、君はどうして外にいたんだ」
「……え? あ、あー……なんでもないよ。なんとなく外に出たくなっただけ。気にしないで」
問い詰めようと思えばできたけれど、それは今ではないと頭のどこかが警告を鳴らしている気がして喉元まで出かかった言葉をぐっと飲みこんだ。
ひやりとした廊下の温度に身震いするとライムが嬉しそうに「やっぱり一緒に寝ない?」とぬいぐるみを片腕で抱きしめながら服の裾を掴まれたので、あきれながら首を横に振ろうとしたところで気づく。
僕の服の裾を握る手が小さく震えていた。
表情はいつも通りで、態度もまとう空気も普段通り。おそらく自分の手が震えていることに彼女は全く気付いていない。
断ったらどうなるのだろう、と思考を巡らせあっさりと「気づかないまま」でいるだろうという結論が出る。
それはなんだか、妙に落ち着かないので…意志の弱い自分にため息を一つ。
「……誰かが帰ってくるまでだ」
「! やった! 早く寝よう! 寒いしっ」
「薄着で外に出ていたのだから当たり前だろう。まったく。ああ、服を取ってくるから待っていてくれ」
行儀とついでに機嫌もいい返事を背に、僕は自室へ戻り着替えを済ませて彼女の部屋へ。すでにベッドにもぐりこんでいた彼女が嬉しそうに布団を捲って自分の隣をたたくので諦めて体を横たえた。
嫌ではない。
嫌ではないが、共に寝ることになれつつある自分と安心しきって健やかな寝息を立てるライムに少しだけ苛立ちを覚える。
「──君は忘れているようだが、僕は男だといい加減意識してくれ」
舌打ちと共にせめてもの腹いせに額へ唇を押し付け、離した途端に気恥ずかしくなったので背を向けて無理やり目を瞑る。
ぬいぐるみのルヴは、本物のルヴには不評だったと後日ライムから聞いて、笑ってしまったのはまぁ、余談だな。
ひとまず、ばんがいへんひさびさの こうしんです!