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霧雨市怪奇譚

霧雨市怪奇譚 丁字路

作者: 野崎昭彦

注意:本作における死神はタナトス的なヤツではなく、絵本百物語に書かれているものに準じます。


相変わらず派手なことの起こらない、地味なシリーズですが楽しんでいただければ幸いです。

 みどり流鏑馬やぶさめ町に、少し変わった丁字路がある。

 問題の丁字路があるのは、流鏑馬小学校の裏で国道五十号を降り、北西方向へ道なりに進んだ先だ。

 住宅街の中を通る緩くカーブした道を抜けると、急に視界が開ける。道の両側が田圃になるためだ。

 地元で通称“大田圃”と呼ばれる地帯で、昼間は近隣の農家が田圃に乗り入れる機械でゆっくり走行していることもある、長閑な一帯だ。

 この田圃に差し掛かったところで道路は直線になる。

 おそらくはそのせいだろう、ここでは過去に何件もの死亡事故が起きている。一種の“魔所”なのだ。

 その理由は、直線道路を数百メートル走った先にある。

 高さ五メートルほどの、コンクリートで補強された灰色の崖が立ちはだかっているのだ。

 道は、この崖のところで南北に別れているのだが、ここでは速度を落としきれなかった車が何台もこの崖に突っ込んでいる。これは厳然たる事実であり、都市伝説の類ではない。

 この丁字路と大田圃を抜ける直線道路では事故を誘発する何者かの存在が囁かれている。運転手の自由を奪い、高速のまま崖へ突っ込ませるような何者かが潜んでいるのではないか、と。

 実のところ、多発した事故の原因は、道路が直線であること、これに尽きるように思われる。

 向こう見ずな若者が深夜帯にこの直線道路でチキンレースを繰り広げる……かつて、暴走族の勢いが盛んだった頃にはこの田舎でもそんな光景があったに違いない。

 そうした中で速度を殺しきれなかった車が崖に叩きつけられるというのは、ある種、起こるべくして起こった事故なのではないだろうか。

 ただ、そうして不幸な最期を遂げた霊が今も現場をさまよい、仲間を求めているとしたら……?


 ――週刊きりさめ八月号特集記事『怪奇スポット探訪記~君の後ろに黒い影~』より抜粋


***


「で、この記事がどうしたって?」


 黒田孝美くろだたかみは記事を読み終えると、机の上にタウン誌を放り出した。

 昼休みの校舎はどこもかしこも終わったばかりの夏休みの話題で普段よりも賑わっている。

 そんな中、孝美は隣のクラスの長坂ながさかのどかに呼び出されていた。


「ほらぁ、今年って超暑いじゃない。だからちょぉっとヒンヤリしたいなぁ~って」


 のどかは右手を頬に当て、悪びれる様子もなくヘンラヘラヘラと笑っている。このおっとりした物言いが孝美はなんとなく気に入らない。

 ましてや、今日の用件である。


「僕はさ、霊能者でもなければゴーストハンターでもないんだよ」

「でもぉ、オバケ日記はつけてるんでしょぉ?」


 いちいち引っかかる物言いだ。


「どうでもいいじゃないか、そんなこと。とにかく、僕は肝試しなんかついてかないからね」


 と、いうわけだ。

 のどかが孝美のところに来たのは肝試しに誘うためだった。すでに四人ほど同行者がいて、のどかの恋人が大学生で免許を持っているので、車であちこち巡ってみようという趣向らしかった。


「えぇ~っ!? タカちゃんが来てくれなくちゃぁ。みんな期待してるのにぃ」

「ご期待には添えません、ごめんね。その代わりってわけじゃないけど、何かあった時のためにお守りもらってきとくよ」


 孝美はスマートフォンのメモに『お守り:五人分』と書き加えた。


「でもでもぉ、お守りとかあったら幽霊さん出てこられないんじゃないの~?」

「ダメだよ。命に関わるかもしれないんだから、お守りは絶対持って行って」


 孝美は念押しする。


「それにしてもこの記事、よくまとめたなぁ。霧雨の近辺にこれだけの怪奇スポットがあるなんて知らなかったよ」


 そう言いながら、改めてラインナップに目を通す。

 山奥のダム湖、トンネルは定番として、怪奇ビデオの舞台になった廃神社に町中にたたずむ廃墟、さらにはなんの変哲もない丁字路まで含まれている。

 しかも、記事に書かれたいわくはおおよそ真実だった。

 ダム湖の湖底に祭神不詳の小さな祠があるのはよく知られているし、トンネルの入り口には作業中の事故で亡くなった作業員の供養塔が設置されている。

 廃神社は自殺の名所を見下ろすような場所に建っていて、その吊り橋とセットで紹介されている。

 二カ所紹介されている廃墟ではどちらも住民が亡くなり、権利者も不明なために廃墟のまま放置されている。

 事故の多発する交差点と丁字路ではご丁寧に多発原因まで推測されている。

 そして、孝美の見立てではおそらく、人をどうこうできるようなレベルのモノはこれらの場所にはいない。


「なんでもぉ、そういう勘がよく働く記者さんなんだってぇ」

「ふうん。だから本当にまずい場所は避けてるわけか」


 孝美はまだ腑に落ちないものがあったが、のどかはまるで気にしていないようだった。


「ねぇねぇ、やっぱりお守りって、もって行かなきゃだめぇ?」

「ダーメ。じゃなきゃ、何が起きても知らないからね」

「だってぇ、肝試しだもん、何か起こらないと怖くないよぅ」


 のどかはそう言ってぷう、と頬を膨らませた。


「あーそう、じゃあ勝手にすれば」


 孝美はやれやれ、と頭を振って立ち上がった。


「僕は止めたからね。それでも行くならどうぞ」

「タカちゃ~ん、ひどいよぅ」


 のどかが抗議の声を上げるが、孝美に付き合うつもりはない。

 そもそも、あぶない刑事みたいな呼び方をされるほど仲がいいわけではないのだ。

 それで、その時はもう、孝美はそれ以上のどかの相手をしなかった。

 自分のクラスに戻るなり、荒木薫あらきかおるがかけよってくる。


「孝美、長坂さん、なんだって?」

「肝試しに行くから用心棒してくれってさ、バカバカしい」

「あー、そんなこと企んでたんだ。もちろん、行かないんでしょ?」

「当たり前だよ。一応お守りは用意するつもりでいるけど、持って行ってもらえるかは微妙だな」


 答えながら、孝美はルーズリーフに参加者の名前を書き出す。


「そういえば荒木、夏休みはどこか行ってきた?」

「うーん、お盆にお婆ちゃんち行ってきたくらいかな。って言っても、大間賀おおまが鷹津戸たかつどだからそんなに遠くじゃないんだけどさ」

「うわ、それはそれは……日帰りどころか自転車圏内とは」

「そういう孝美はどこか行ってきたん?」

「うん、赤城山で二泊三日のキャンプしてきた」

「いいなー。うちのお父さんそういうの全然興味ないから」

「いやいや、キャンプって言っても、ふじ姉さまの修行について行っただけなんだけどさ」

「それでもうちより全然ましじゃん」


 夏休み明けらしい平和な話題で盛り上がっていると、他のクラスメイトも次々に話に加わってきて、教室のにぎわいはさらに大きくなっていった。


***


 次の日の昼休み、孝美はその道の師匠から預かってきた人数分のお守りを持ってのどかを呼び出した。

 のどかはいつも通りのおっとりした表情だったが、開口一番にとんでもないことを言い放った。


「えぇ? えへへ~。ゴメンねぇ、タカちゃん。もう行って来ちゃった」


 そう言って右手を額に当ててぺろり、と舌を出す。

 まったく悪びれていないのがそれだけでわかる。


「昨日って……まあ、その様子じゃやっぱり何もなかったんだね?」

「うん~、そうなのぉ。だからぁ、今度は違うとこ、行こっかなぁって」


 のどかはあからさまに視線を逸らしながら言った。その様子から察するに何かがあったのだろう。

 それも、孝美に知られたくないようなことだ。ひょっとするとそこに潜むモノと遭遇したのかもしれない。

 だが、のどかが話してくれない以上、孝美にはどうすることもできなかった。


梅畑うめはたの方にね、今は合宿所みたいに使われてる廃校があるんだってぇ。それでねぇ、今度の週末、一晩お泊まりしよっか~って話してるんだぁ」

「……」


 あまりの脳天気さに絶句する孝美。


「あれぇ、タカちゃん、どうしたのぉ?」

「いや、なんでもないよ。じゃあ、今度はちゃんとお守り持って行ってよね」


 孝美がお守りを差し出すと、のどかは渋々といった風に受け取った。

 おっとりした表情は変わらないが、わずかに眉根が寄っている。


「それなんだけどぉ、どうしても持って行かなきゃダメぇ?」

「昨日も言ったけど、何か起きた時のためなんだ。お守りを持っておけば、危険が及ばないように身代わりになってくれる」

「でもでも、それじゃぁ幽霊さんがぁ……」

「相手は幽霊とは限らないよ」


 孝美の知る限り、いわゆる幽霊が怪異の原因となっているのはレアケースだった。死者が原因であっても、怪異を起こすまでの力を持つモノは妖怪化していることが大半なのだ。


「妖怪さんってことぉ? わぁ、のどか会ってみたぁい」

「いや、会わない方がいいと思うけどな。それに、お守りがあっても見える時は見えるよ」

「そうなんだぁ~。じゃぁ、お守りもらっておくねぇ~」


 孝美の一言が効いたのか、のどかは不服そうにうなづいた。


「何かあったら教えるからねぇ」


 もう用は済んだ、とばかりにひらひらと手を振るのどかに、孝美は小さく手を振り返し、自分の教室に戻った。

 孝美からすれば、のどかが企んでいるのは趣味が高じた素人の、どうということのない交霊会でしかない。

 何かが起こるとは思っていないし、起きたとしてもそこまで大事にはならないだろう。


「あっ、孝美お帰りー」

「ただいまー。まったく、何を考えてるんだろうね、彼女は」


 教室に戻った孝美はぐったりと机に突っ伏す。


「うぇー、暑いだるいバカバカしいー」

「おつかれ、孝美」


 前の席の加藤明良かとうあきらがそんな孝美の背中をさすってやる。


「だいたいさ、僕を一体なんだと思ってるんだろうね、みんな」

「うーん、霊能者、とか?」

「霊能……僕にそんな力はないんだけどな。ああ、言っとくけど霊感も人並みだよ」

「でも、羽柴はしばさんの弟子なんでしょ?」

「まあね。藤姉さまが特殊なんだよ。生まれつきの才能を修行で引き上げてるんだから」


 孝美は体を起こして大きく伸びをすると、机の脇に下げた鞄から次の時間に使う教科書を引っ張り出した。


「次って確か小テストだったよね。ちょっと勉強しとかないと……でもやる気出ないや」

「あーはいはい、あたしも手伝ってあげるから」


 明良は孝美の前の席に逆向きに座り、教科書を開いた。


「えーと、じゃあ行くよ。問一……」


 明良が問題を読み上げようとした時、騒々しい足音がして、薫が教室に飛び込んできた。その後によろよろとのどかが続いてくる。


「孝美、大変! 長坂さんの彼氏が事故ったって!」

「あぁ、そう。僕はそれより小テストの方が大事」

「タカちゃん、そんなこと言わないでよ……」


 孝美はそんな話には心底興味が無かったのだが、のどかが今にも倒れそうな青い顔をしてすがりついてきたので話を聞かざるを得なくなった。


「カレね、友達と一緒に大学から車で帰ってくる途中、急にブレーキが効かなくなったって。そのまま車ごと刀根とね川に落ちて重傷だって……」


 いつものまだるっこしい話し方ではなくなっているあたりに必死さを感じる。


「さっき、一緒だった友達から電話があって。ねえ、これってやっぱり、昨日の肝試しが原因なのかな……?」

「さあ、どうだろう?」


 きかれても、孝美には肝試しと事故の因果関係は分からなかった。


「ひょっとしたら車が急に故障したのかもしれないし、路面に原因があったのかもしれない。向こうの住人のせいにするのはまだ早いよ」

「で、でも……。もしそうだとしたらのどかが悪いんだよね? のどかがあんな記事見つけちゃったから……」


 どうやら、あのタウン誌の特集を見つけたのはのどかだったらしい。


「長坂さんは悪くないよ。記事に載ってたスポット以外にも、有名な怪奇スポットって多いもん」


 明良が慰めるように言うが、のどかは激しく首を振った。


「違うもん違うもん! 肝試しだって、のどかが最初に言い出したんだもん! のどかが、のどかが肝試し行きたいなんて言い出さなければ、きっとカレも事故を起こさずにすんだんだもん!」


 完全に取り乱しているのどかを明良と薫があわてて宥める。

 孝美の視線はそんな三人のさらに後ろ、教室の入り口に向けられていた。

 狂乱するのどかの声を聞いて集まってきた野次馬の中に一人だけ、異様な風体の男がいた。

 黒いソフト帽をかぶった青年で、まだ暑いというのに黒く、裾の長い外套を身につけている。太い眉の下の落ちくぼんだ目は孝美たちの方――というより、のどかに向けられているようだ。

 なによりも異様なのは、これほどに異彩を放つ人物だというのに周囲の生徒たちはまったくその存在に気付いた風がないということだった。

 青年は悠然とした態度で振り返ると野次馬の向こうへと消えていく。

 その動きも野次馬をかき分けるというより突き抜けるといった感じで、生きた人間でないことはあきらかだった。


「荒木、明良。長坂のことを頼むよ。僕、先生を呼んでくる」


 孝美は二人にそう言いおいて教室を飛び出した。

 野次馬をかき分けて廊下に出ると、すでに青年は教室を二つ挟んだ先の階段のところにいて、上へと登っていくところだった。

 それを追って階段のところへ行くと、ちょうど階下から担任の木下秀子きのしたひでこが登ってくるところに出くわした。


「黒田、こりゃなんの騒ぎだ?」

「長坂が恋人が事故って重傷だってパニクってるんだ。今、薫と明良がみてるけど、デコちゃんもお願い」

「お願い、ってお前はどうすんだよ?」

「あいつを追わなくちゃ! 僕の手に負えるかどうかわからないけど、手がかりくらいは掴みたいんだ!」


 孝美は木下の返事を待たずに階段を一段飛ばしで駆け上がった。

 孝美の教室は四階建て校舎の三階にある。

 だが、四階に上がっても青年の姿はない。

 見回すと、青年はさらに上、屋上へ登っていくところだった。

 孝美は逡巡したが、すぐに階段を駆け上がる。

 屋上へ出ると、青年は手すりを背にこちらを向いていた。


「あっ……」


 誘われていたことに気づき、孝美は足を止めた。


『お迎えにあがりました』


 青年の声が孝美の頭に流れ込んでくる。


「あなたは、何?」


 孝美が訪ねると、青年は一歩、足を踏み出した。

 落ちくぼんだ目が赤く光る。


『私は御者でございます』


 もう一歩、歩を進める。


「彼女の恋人を狙ったのは、あなたでしょ? 一体どうして?」

『求められましたので』


 さらにもう一歩。


『求められたが故に、ご案内致しました』

「じゃあ、君は役目を果たしただけって言いたいのか」

『作用でございます。それが勤めにございますので』


 一言発言する度に、青年は一歩ずつ孝美に近付いてくる。

 孝美のこめかみを一筋の汗が伝う。


『あと一命いちめい、お乗りになれますが?』

「ぼ、僕はいいよ。乗る理由がない」


 孝美が答えると、青年は不思議そうに首を傾げた。

 次の瞬間、青年の背後に二頭立ての馬車が現れた。

 壁がなく、屋根が天蓋状になっている四輪の葬儀用馬車で、引いている青毛の馬は二頭とも頭がない。

 青年が御者台に座って鞭を一振りすると、馬車は風に溶けるように消えた。


「逃がしたか、見逃されたか」


 孝美は馬車の消えたあたりを一瞥すると、校舎内に戻った。


***


「うんとね、丁字路にね、行ったのね。三カ所くらい回った最後に」


 保健室のベッドに横たえられたのどかはぽつぽつと語り始めた。


「そしたら、一緒に行った友達の一人がかごめかごめやろうって言い出して……」

「やったんだね。誰が真ん中で?」


 孝美がきくと、のどかは黙って自分を指さした。


「そしたらね、道の向こうから馬車が走ってきて、運転手さんが『お迎えにきました』って……」

「それで、君たちはなんて答えたんだい?」

「んとね、のどかとカレと、あと一人は乗りますって答えちゃったの。でも、他の友達は乗らないって答えたの」


 のどかの話をきいた孝美は手元のノートに情報を書き込んだ。


「迎えにきました、か。たぶん死神の一種だろうけど、どう対処すればいいものか」


 そもそも、死神から逃れる術というものを、孝美はほとんど聞いたことがない。


「タカちゃん、のどかたち、死んじゃうの?」

「たいてい、死神っていうのは場所に居着くモノなんだよな。だから、縄張りに近づかないっていうのが対策なんだけど、今回は自分たちで呼んじゃったわけだから……」


 孝美が首を横に振ると、のどかは黙ってうつむいた。


「ゴメンね、コウくん。全部のどかのせいなんだよね……」


 小さな声で、ここにいない彼氏に謝る。

 と、保健室のドアが荒々しく開き、木下が入ってきた。


「あれ? 保健の百地ももち先生は?」

「今日は出張。それより、授業始まってるぞ。早く教室戻れ」

「はーい。ねえデコちゃん、その前に藤姉さまに電話してきていい?」

「はあ? ダメに決まってんだろ。それに、かけたところでこの時間は留守だぞ」

「うーん、じゃあどうしよう? 僕には手に負えない案件なんだけどな。それに、人命がかかってる」

「知るか……ってのも後味悪いよな。わーったわーった、オレが連絡しとくよ」

「うん、ありがとう。長坂からきいた話はこのページにまとめてあるから」


 孝美は木下に『怪奇事件簿』と題したノートを押しつけると保健室を出た。

 口こそ悪いが、面倒見のいい姉御肌。それが木下秀子という教師だ。

 だから、孝美は安心して教室に戻ることができた。


「それにしても、どうしてかごめかごめなんかであんなものが出たんだろう?」


 かごめかごめという遊び、それ自体に一種の降霊・招霊要素があるのは事実だ。子供を囲んで歌うことで一種のトランス状態にし、神託を求めるという儀式が伝わっていた地域は割と多い。

 だから、明治時代に成立したとされる今日のかごめかごめにもなんらかの意味や解釈を求める人がいるのも無理からぬことではない。

 だが、それで出てきたのが死神というのが、孝美にはいまいち腑に落ちないのだった。


「あるいは、儀式じゃなくて場所が重要なのかもしれない」


 だとしたら、考えるべきはなぜその場所に死神が居着いているのか、だ。

 それに関してであれば、明確ではないものの、すでに孝美の中で答えは出ていた。

 死神は非業の死を遂げた者の無念が形となったものだ。だから、いわゆる自殺の名所や事故多発地帯に潜んでいることが多い。

 くだんの丁字路は、例のタウン誌によれば何件もの死亡事故が起きたというから、死神が居着く場所としては申し分ない。


「うーん、死神死神……墜鬼ついき溺鬼できき轢鬼れきき縊鬼いつき……」


 孝美は階段の途中で足を止めた。

 思い出したのは、かつて明良の兄が縊鬼に魅入られて危うく自殺しかけた事件だった。

 あの時、縊鬼の呪縛から逃れられたのは、縄張りである松の木のところに携帯電話を落としたからだった。

 携帯電話が身代わりの役目を果たしたのだろう、とは後になって事件のあらましを知った藤の推測である。

 推測ではあるが、古今東西の妖怪伝承に精通した藤の推測だ。まったくの的外れということはないはずだった。


「だったら、あの時の方法をもう一度、試せないかな。今度は藤姉さまにもらったお守りがあるし、あれを身代わりにすれば……」


 方向性が定まって、孝美はうん、とうなづいた。


***


 授業が終わり、休み時間になると、孝美はさっそくのどかの教室へ行って、机の上に放り出されたままのお守りを回収した。

 もう一度保健室に行くと、のどかはまだ不安そうな顔で休んでいた。

 孝美は付き添っていた木下に声をかけた。


「長坂、大丈夫?」

「だいぶ落ち着いたが、一人で帰らせるのもな。一応、親御さんには連絡しといたんだが」

「そっか。それで、藤姉さまには?」

「ああ、やっぱり屋敷は留守だったから、利也の携帯に一報入れといた。気付いたら折り返し連絡してくるだろ」

「それならまあ。ところでヒデちゃんさ、死神って詳しい?」

「詳しいわけないだろ、バカ。オレは日本史と世界史の専科で、民俗学なんぞ知らんし、民間伝承なんぞはそれこそ藤の領分だろうが」


 木下はぐっ、と椅子に体重をかけてふんぞり返る。


「ただまあ、世界史での話だったら、やっぱり十四世紀のヨーロッパ、伝染病の大流行に端を発する『死の舞踏』だな。いわゆる死のモチーフとして骸骨が盛んに描かれたのがこの頃だ。ひょっとして、今の死神のイメージ――ローブをまとって大鎌を持った骸骨っていうのはここから来てるのかもしれん」

「やっぱそんなもんか。うーん、結局このお守りに頼るしかないか」


 孝美は回収してきたお守りをポケットから取り出した。

 と、その中の一つに妙な違和感を感じた孝美はそのお守りの包みを開いてみた。中に入っていた身代わりの木札が粉々に砕けている。


「……ッ!」


 孝美は言葉を失った。

 さっきまで、孝美はお守りの力が及ばなくて事故が起きたのだと思っていた。

 だが、実際にはお守りは間に合っていたのだ。

 のどかの恋人はお守りが間に合って、かつ力を発揮してなお、重傷を負ったのだ。

 だとすれば、のどかもまた、このお守りではどうしようもないかもしれない。

 孝美は自分の迂闊さを悔いた。

 強く、強く奥歯をかみしめる。


「どうした、黒田?」

「ううん、なんでもないよ」


 取り繕ってはみたものの、表情が暗くなっていたらしい。

 木下が不機嫌そうにこめかみを押さえる。

 もう、どうすることもできない。

 近い内になんらかの事故が起きて、のどかもまた重傷を負うだろう。

 お守りがあるから命に別状はないだろうが、どれほどの傷になるかは想像もつかない。


「タカちゃん、のどかたち、死んじゃうの?」

「うっ……」


 即答はできなかった。

 考えてみれば、孝美が独力で解決した案件はこれまで一体いくつあったろうか。


「ごめん、長坂。でも、命までは取られないはず、だから……」


 そう言うのが精一杯だった。

 のどかが息を飲むのが気配でわかった。


「うまく行くと思ったんだけどな」


 孝美は手近の椅子に腰を落とした。


「こんな時、藤姉さまならどうするかな……?」


 思わず、師匠の名がこぼれる。


「そうね、まずは相手の正体をもう一度よく考えてみるわ」


 涼やかな声がした。

 孝美がハッとなって顔を上げると、紺色の和服姿の藤が立っていた。


「藤……姉さま……」

「真打ち登場、ってか? もったいぶんなよ。弟子ぃ泣いてんぞ」


 木下の悪態など、それこそどこ吹く風といったように、藤は保健室に入ってきた。

 今にも泣き出しそうな孝美を優しく抱きしめると、幼子に対してそうするように、優しく語りかける。


「よしよし、よくがんばったわね、孝美。あなたはとてもよくがんばった。……ただ、相手が悪かっただけなのよ」


 孝美の頭を撫でると、今度はのどかの方に向き直る。


「あなたが長坂のどかね? 事件のあらましは秀子から聞いたわ。まったく、とんでもないことをしてしまったものね」


 厳しい口調で、言い切った。


「のどかたち、やっぱり……?」

「安心なさい、死にはしないわ。私が作ったお守りが身代わりになれるから。けれどもしばらくの入院生活は覚悟なさいね」


 藤の口調には、有無を言わさない迫力があった。

 そのせいか、のどかは無言でうなずく。


「おい、わざわざ出てきて、何もしないのかよ?」


 木下が反論すると、藤は顔をほんのわずか、上に向けた。

 木下の方が上背はあるはずなのに、まるで藤の方が見下ろしているかのような、そんな印象。

 その視線は氷のように冷え切っていた。


「落ち度があるのは人間側なのに、どうして手を出す必要があるのかしら? 私はそこまでお人好しでもないし、身の程を弁えない似非宗教者でもないわ」


 そして、ぐっと孝美を抱き寄せる。


「無理よ。誰一人として死からは逃れられない。だからこそ『死の舞踏』なんてものが生まれたんだし、『死を想え』なんて言葉もあるのよ。私にもどうすることもできないわ」


 赤い唇から紡ぎ出される、絶望的な言葉。

 木下は今度こそ打ちのめされたようにぐったりとなった。


「そうかよ……」


 それきり、何も言わない。

 一方、藤はというと、のどかの様子をじっ、と観察していた。

 孝美は藤の目がわずかに燐光を放っているのに気付いた。


「藤姉さま……?」


 どういうことかたずねようとした孝美の口に藤の人差し指が当てられる。


「さて、と。それじゃあ、私は戻るわ。孝美、くれぐれも川には気を付けなさいね」


 そう言って、藤は保健室を出ていく。

 三人は、その後しばらく、何も言わなかった。

 だが、孝美だけはその沈黙の意味が違っていた。

 孝美の手の中には、さっき藤から手渡された、新しい守り袋があったのだ。

 感触から察するに、中に入っているのは長方形をした普通の木札ではなく、人型の札のようだ。

 とすれば、昨日作ったお守りよりも強力なものと見て間違いないだろう。

 ああ言いながらも、やはり藤は対抗策を用意していたのだ。


***


 結局、六限が終わってものどかの両親からの連絡はなく、木下が家まで送っていくことになった。

 孝美も当然のようにのどかに付き添って、そして木下のSUVの後部座席に、二人並んで収まった。


「ごめんね、タカちゃん。付き合ってもらっちゃって」

「いや、いいよ。僕だって事態を知りながらほとんど何もできないんだからさ」


 孝美は何気ない風を装ってそう言うが、頭の中では次に例の馬車が姿を現したときにどうするかを考えていた。


「さて、出発するぞ」


 木下が緊張を隠しきれない様子で車を発進させる。

 相手が死神である以上、どこから現れるか分からないからだ。

 校門を出て左側に向かう。


「さて、長坂ん家は丘公園の方だったな」


 木下が呟いた、その時だった。

 どこからともなくあの葬儀用馬車が現れ、木下の車を追走してきた。

 御者が無表情で車の方を見ている。


「ひっ……!」


 のどかが息をのんだ。

 馬車はみるみるうちに速度を上げ、車のすぐ後ろにつける。

 振り向けば馬の首の断面が見えるほどに。


『お迎えにあがりました』


 御者の声が孝美の頭の中に聞こえてきた。

 のどかにも聞こえたのだろう、みるみる表情が固くなっていく。


「せっ、先生ぇ……」

「そんな声出されたって、スピードは出せねえぞ! こんな狭い道じゃすぐ事故っちまう」


 木下が焦ったような声を上げた。


「うん、出しちゃダメだよ。きっとあいつはそれを……こっちが焦って事故を起こすのを狙ってる」


 孝美はポケットの中の身代わりを握りながら必死に考えた。

 これをこのまま持ち続ける? ノーだ。のどかは無事だろうが、事故は起きてしまう。

 馬車に投げ込む? それもノーだ。それで馬車が退散するという保証はどこにもない。

 だが何か、何かあるはずだ。

 そう言えば、藤は何か言っていなかったか?

 孝美の脳内で思考が巡る。何度も、何度も、めまぐるしく。

 確か、川がどうとか……。川……川……。

 孝美は自分を落ち着かせるために二度、三度深呼吸をした。


「タカちゃん……」


 のどかが不安げに孝美に向けて手を伸ばしてきた。


「大丈夫だよ」


 ふ、と孝美の脳裏に一つの予感めいたものが閃いた。

 シートベルトが食い込むのもかまわずに身を乗り出し、二つ先の十字路を指さした。


「デコちゃん、あの十字路を左に行って!」

「左? それ逆方向じゃないのか?」

「いいから曲がって」


 そうこうするうちに、車はその十字路に近づいていく。


「ええい、ままよ!」


 木下はハンドルを握り直すとドラマのように大きく左に切った。

 アウトドア仕様のSUVはほぼ直角に左折する。


「タカちゃん、あの馬車まだついてくるよぉ」


 のどかが悲鳴を上げた。

 自動車はまだ余力があるが、馬車はほぼ全速に近い速度。

 だというのに、馬車の方もまったく危なげなく車についてくる。


「大丈夫、落ち着いて。……デコちゃん、このままかぶと橋まで行っちゃって」

「かぶと橋ね、はいよ」


 木下の車と馬車は今にも追突しそうな状態のまま、県道を道なりに進んでいく。

 制限速度と交通法規を守る、奇妙なカーチェイスは五分ほど続いた。

 行く手にかぶと橋が見えてくる。霧雨商業のそばを流れる渡来わたらい川にかかる橋だが、川が大きく蛇行しているためにそれだけの時間がかかったのだ。

 複雑な信号の並ぶ交差点は奇跡的に青、そのまま走り抜けてかぶと橋を越える。


「これで、どうだ……?」


 孝美が後ろを振り向くと、馬車は橋の手前で止まっていた。

 そのまま一歩も進むことなく、ゆっくりと姿が消えていく。


「な、なんなの、ねぇ、あれ、なんなの? どうして馬車消えちゃったの?」

「……川さ。どういうわけかわからないけど、あの馬車は川を渡れないらしいや」


 孝美は自分の座席に戻ると大きく息を吐いた。

 手の中の身代わりはいつのまにか微塵に砕けていた。


「とりあえず、これで逃げ切った、ってことでいいんだよな」

「そっか……のどか、助かったんだ」


 のどかもまた、安堵の息を漏らした。

 そのとたん、のどかのポケットの中でスマートフォンが鳴り出した。チェリーポッピンの『PASSION☆COASTER』。車内にポップでハイテンポな原宿系ミュージックが鳴り響く。

 のどかはすがるような目で孝美を見たが、孝美が小さくうなずくと、意を決したようにスマートフォンを取り出した。


「もしもし……えっ、コウくん!?」


 びくびくしながら電話に出たのどかは相手を知るや泣きそうな顔になった。


「うん……うん。のどかねぇ、コウくんが心配でぇ……」


 いつものおっとりした話し方に戻っているが、鼻声になっているのはごまかせない。


「そうなんだぁ……じゃぁ、来月には退院できるんだぁ……」


 予想外の良い知らせに、涙が一筋、頬を伝う。


「のどかぁ、それまでい~っぱいお見舞い、行くからねぇ……」


 感動に包まれているのどかとは正反対に、木下と孝美は醒めていた。


「なあ黒田、小悪魔ってのは本当にいるんだな」

「僕も初めて見た。あざといなあ」


***


 それから二、三日して、孝美が羽柴屋敷に顔を出すと、藤は庭の東屋で紅茶を飲んでいた。


「藤姉さま。あの、この前のことだけど……」


 孝美が上手く言い出せずにいると、藤はくすり、と笑った。


「いいのよ、あれくらい。それで、あれから何かあった?」

「うん、まあね。あの後、長坂は二日くらい寝込んでたよ」

妖精界ティル・ナ・ノグの瘴気に当てられたんでしょうね。その程度で済んで良かったじゃない」


 使用人の前田が新しいカップを持ってきて、孝美の前に置いた。

 すかさず、藤がカップに紅茶を注ぐ。


「さあ、どうぞ。上質のセイロンよ」

「ありがとう。……ところで、妖精界ってどういうこと? あれは死神じゃなかったの?」

「私は、あれは死神ではない、と考えてるわ。もっとも、死を呼び寄せるという意味では変わらないけれども」

「うーん? つまり、死に関わる妖精ってこと?」

「そう。一口に死神といっても色々いるけれど、あれは中でも対処しやすい部類だったわ」


 ふふ、と含み笑う藤。


「確かにあの丁字路にはもともと死神がいたんでしょうね。三十年前に境の神を祭った記録があったもの。で、そんな場所でかごめかごめなんかやったから、妖精界から葬送馬車コシュタ・バワーが召び出されたりしたのよ」

「えっ、じゃああれって……デュラハンだったの?」

「ご名答。川は彼岸と此岸を隔てるもの、転じて世界を隔てるものだから、妖精たちは例え橋が架かっていても渡ることができないのよ」


 藤はどこか遠くを見るようにそんなことを言った後、孝美の頭を撫でた。


「う、ふふ、ふ……。あれだけのヒントでよくできたわね。いい子いい子」

「藤姉さま、子供扱いしないでよ~」


 孝美が顔を真っ赤にして抗議するが、藤はどこ吹く風だった。


***


 デュラハン……アイルランドやスコットランドに伝わる妖精。黒いドレスに身を包んだ貴婦人、もしくは自身の首級を脇に抱えた騎士などの姿を取り、コシュタ・バワーと呼ばれる葬送馬車に乗って現れるとされる。これの訪問を受けた家では、大量の金属皿をひっくり返したようなけたたましい音がするという。

 その音に驚いて家人が戸口に出てくると、デュラハンは桶一杯の血を浴びせかける。血を浴びた家人はその後一年以内に命を落とすという。

かごめかごめって昔から色々言われてますが、今回は「輪になって踊る」という部分に着想を得て妖精界との門を開くような使い方をしてみました。

あと、冒頭の記事は沙耶香が書いたという設定です。彼女、本職は制服レイヤーではなくタウン誌の記者なので(笑)


それでは、眠いのでこの辺で。

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