第7話 氷の女王
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ウィノナ・エレンブルグ(Вайнона Эренбург)はユダヤ系ロシア人。弱冠三十四歳ながら世界的に名の通った、神経科学の権威で、ソ連国立医学アカデミーの上級研究員。
その冷やかな眼差しと透きとおるような白い肌からついたニックネームが「氷の女王」(лед дама)。それは実に的を射たもの――と言うのは、彼女には、人としての感情を捨てて遂行すべき任務があったから。
生物兵器開発チームの責任者――それがウィノナの裏の顔。
専門は「人体兵器」。脳神経のオペレーションにより人の潜在能力を引き出すことで戦闘能力や思考能力の向上を図り、もって、人の領域を超えた「超人」を作り出そうというもの。
アカデミーでは、動物を使った実験はもちろん、人を使った実験も日々行われていた。
人体実験に使われたのは、ソ連が軍事介入した、中央アジアのA国から集められた捕虜たち。第二次世界大戦後に締結された諸条約により、捕虜に関する人道的な取り扱いが定められていたが、そんな条約は呆気なく破られた。
今回のノーベル賞は、ウィノナの単独受賞ではなく、スウェーデンの医学者二人との共同受賞。受賞内容は「脳内神経細胞網のモデル化と長期記憶への接触及び想起に関する考察」
人の記憶の大部分は脳内にある大脳皮質に格納されている。そこには約百四十億の神経細胞が、まるで長いひげを絡ませるように密集し、俗に「脳内神経細胞網」と呼ばれている。
脳内には、ものを見る「視覚野」、音を聞く「聴覚野」、体を動かす「運動野」、ものを考える「前頭葉」が存在し、人がものを覚えようとするとき、ニューロン・ネットワークに電気信号が流れることでニューロン同士の繋がりが強固となる。その瞬間、各部署から取り込まれた情報がネットワークに保管される。
本人が忘れているような昔の記憶も「長期記憶」として存在するが、それを本人の意思により自由に取り出すことはほとんど不可能。「ほとんど」と言ったのは、過去にそれができた者が若干名存在したから。そんな彼らは、いずれも「天才」と称された。
ウィノナたちが行ったのは、脳内器官それぞれの機能に加え、器官同士が作用することで可能となる相互機能の分析。
取り込まれた外部情報がネットワークに保管される仕組みを究明し、脳の機能モデルの構築、長期記憶への接触・呼び起こしの手法を考察した。
過去の記憶を自由に取り出すレベルには至らなかったものの、脳内器官のメカニズムを明確にし、記憶という、目に見えないものにアクセスする手法の方向性を示したことが、神経科学における大きな前進であると評価された。
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国家の最重要機密を知るウィノナが他国の研究者と接触することを党の上層部が認めたのは、一にも二にも神経科学分野における、最新の情報やノウハウを取得するため。
新たな技術や文明の利器と言うのは、例外なく「殺傷兵器」となり得るものであり、皮肉なことに、ノーベル賞の生みの親であるアルフレッド・ノーベルが発明したダイナマイトがその最たるもの。
ウィノナの研究がノーベル賞を受賞したのは、党にとっては誤算だったが、見栄えのする彼女を広告塔として利用していたこともあり、悪い話ばかりではなかった。
そんなウィノナは、常に党の厳しい監視下に置かれていた。
ウィノナが行くところには四六時中ルドルフとタチアナが目を光らせ、トイレに行くときもタチアナが同行した。
家の中までついて来ることはなかったものの、電話のやり取りはすべて傍受され、定期・不定期の検査により持ち物やノートの内容もこと細かにチェックされた。
党がウィノナに対しそれほど慎重な態度を示したのは、彼女が国家の最重要機密を知っていることに加え、彼女の両親に対する、強い不信感が関係していた。
ウィノナの両親はユダヤ人の移民で家具職人。両親の愛情を一身に受けて、彼女は明るく真っ直ぐな、子供らしい子供に育った。
しかし、ウィノナが五歳になり初等教育機関へ入学したとき、運命の歯車が動き出す。
IQテストの結果があり得ないほど高い数値を示したことで、ウィノナは「天才予備軍」として党の教育機関へ送られる。「強制連行」と言った方が適切かもしれない。
ウィノナはどんなに難しいことも一度説明を聞けば容易く理解し、吸収した知識を基に様々な思考を展開した。それは周囲の期待を遥かに超えるものだった。
教育過程を通常の半分の期間で修了したウィノナは、大学で生物学と医学の知識を習得し、十八歳で国立医学アカデミーの研究員となる。
つづく