第55話 ミッドナイト・レイン(その2)
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「どうした? 浮かない顔して。バランサー・システムは順調なんだろ?」
奥歯に物が挟まったような言い方をする冬夜に、健吾が訝しそうな顔をする。
「それは、あくまでPhase Oneの話だよ。Phase Twoは上手くいっているとは言えない」
「どういうことだ? お前、先月バランサー手術を受けて、ヘレナ・カーペンターをバランサーにしたんじゃなかったのか?」
冬夜は黙ったまま首を横に振る。
「理論もシステムも完璧なのにどうしてかな?」
「PT媒体は正常なのかよ? システムじゃなく、そっちに問題があるんじゃないのか?」
「それはない。PT後の正常値チェックで『九十八』の数値が出ている。この数字でNGだったら何も信じられないよ。
やっぱり相性の問題かな。Phase Oneのバランサーは自分の分身みたいなものだから、拒絶反応は九十九パーセントあり得ない。でも、Phase Twoでは全くの他人だから九十九パーセント拒絶されてもおかしくない」
「男と女の相性と同じか? 男が女のことを『恋人』だと思っていても、女が『友達』だと思っていたら上手くいかない。一筋縄じゃいかないってことか?」
ポーカーフェイスの冬夜だったが、心の中では焦りを感じていた。
もしヘレナの意識をバランサーとして引き出せなければ、彼女はいつまで経っても眠ったまま。しかも、ヘレナを蘇生できないとしたら見落としている何かがあって、春日の蘇生も上手くいかない可能性が高い。
春日を救うために自らPT媒体となったヘレナのためにも、冬夜は何としても結果を出したかった。
ただ、何度もバランサー・サーバーとの通信を試みたが、現段階では、コミュニケーションをとることはおろか、その《《兆し》》さえ見えていない。
「まぁ、ガッカリするな。気長にやろうぜ。開発期間はまだ九ヶ月あるし、テスト期間も二年ある」
「大河内くん、ありがとう。そうするよ。ところで、人工衛星の方はどう? 難航してるって聞いたけど」
冬夜が話を振ると、途端に健吾の顔色が曇る。眉毛をハの字にしてこれ見よがしに溜息をつく。
「その話は頭が痛い。予算は潤沢で問題はないが、経産省の手続きが遅くてな。担当者は頭は切れるんだが、石橋を叩いて渡る……いや、石橋を叩いて壊しちまうようなタイプだ。はっきり言って、俺とは合わねえ。出身大学は予想どおりT大だ」
「大河内くん、あと二年九ヶ月ある。気長に行こうよ」
「そうだな。お互いストレスを溜めずにのんびり行くか」
冬夜と健吾はそれぞれの拳を掲げて顔の前で軽く合わせた。
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机の上に置かれた、冬夜のスマホが、ディズニー・キャラクターのテーマソングを奏でる。
「もしもし。うん、大丈夫だよ。母さんの方こそ、こんな時間に何かあったの?」
電話の相手は冬夜の母・秋穂。時刻は午前零時を回っている。《《普通であれば》》電話をかけてくるような時間帯ではない。
「それ……ホントなの?」
珍しく、冬夜が驚きの表情を露わにする。
その様子を目の当たりにした健吾は嫌な予感がした。「とんでもないことが起きている」。彼の「直感」がそう言った。
健吾はコーヒーカップを机の上に置くと、冬夜の方へ歩を進める。
「うん。わかった。ちょうど大河内くんがいるから相談してみる。温人くんの身にもしものことがあったら……母さんは家にいて。何かあればまた連絡する」
「どうした? 冬夜。何か――」
「大河内くん、お願いがある。今から長野県のO市民病院にいる伊東温人くんをNISNへ搬送して欲しい。すぐにバランサー手術をしなければいけないんだ。もちろんPhase Twoだ」
健吾の言葉を遮って冬夜は早口で言った。冷静さを欠いているのは明らかだった。
間髪を容れず、健吾の両手が冬夜の両肩を掴む。
「冬夜、重要事項はしっかり確認しようぜ。行き違いがあると上手く行くものもダメになっちまうからな」
健吾の真剣な眼差しが冬夜に突き刺さる。
冬夜は小さく息を吐きながら首を縦に振る。
「そうだね。こういうとき、焦ったら負けだね」
健吾は安心したように、冬夜の肩から両手をすっと離した。
「伊東温人ってのは、妹の宿主の第一候補だな? 今、そいつはどんな状態にある?」
「詳しくはわからない。鬱病の治療の過程で、睡眠薬を大量に飲んで意識を失ったらしい。母が定期的に連絡を取っていたけど、昨日はいくら連絡しても繋がらなかった。嫌な予感がして実家や会社に連絡したら、部屋の中で倒れているのが見つかって、O市民病院へ緊急搬送された。
もし温人くんの症状が『意識が戻らない』とか『自分が誰かわからない』といった《《重度》》のものだったらバランサー・システムは機能しない。そうなったら春日は救えない。
Phase Twoの成功確率は未知数。でも、そんなことを言ってる場合じゃない。とにかく一刻も早く彼にバランサー手術を施して、春日のPT媒体をぶつけるしかない」
冷静さは取り戻したものの、冬夜の表情からは相変わらず切実なものが感じられる。
「これから俺は、衛生医療省経由でドクターヘリをO市民病院へ向かわせる。そして、伊東温人をNISNへ搬送させる。
ただ、関東から甲信越にかけてとんでもない大雨が降ってる。ドクターヘリが飛べる保証はない……そのときは、親父から首相へ連絡をしてもらう。国防省が導入した、全天候型の軍用ヘリを行かせる。あれなら嵐の中でも飛ぶことができる。
伊東温人は俺が絶対に連れて来る。お前はPhase Twoを死んでも成功させろ。わかったな?」
健吾の瞳に並々ならぬ決意が感じられる。まるで冬夜の思いが乗り移ったかのようだった。
「わかった。今からバランサー手術とPhase Twoに必要なNISNのスタッフを集める。温人くんの手術が終わった後、すぐにPhase Twoの措置へ移行できるよう段取っておく。大河内くん、頼む!」
「まかせとけ。俺は、お前の妹の《《本物》》をじっくり拝むって決めたんだからよ」
握った拳を軽く合わせて、二人はそれぞれの任務に取り掛かった。
つづく




