第40話 バランサー・プロジェクト(その2)
★
「Phase Two……?」
ヘレナは思わず訊き返す。隣にいるドロシーも首を傾げて難しい顔をしている。
「わかりやすく説明します」
二人の顔を交互に見ながら、冬夜は穏やかな口調で話し始めた。
「フェイズ・ツ-は、|Personarity Transfer《PT》(人格移送)をバランサー・システムに取り込むステップです。
PTにより電磁データに変換された者を人として蘇生するもの……正確には『バランサー』として蘇生するものです」
ヘレナとドロシーの顔がその日一番の驚きで満たされる。何か言いたげな表情で冬夜の顔をじっと見つめている。
そんな二人を後目に、冬夜は淡々と続ける。
「ただし、それは映画や小説のように簡単にできるものではありません。
妹の春日は、心臓に先天性疾患があるため、胸に心臓の機能を補助する装置が埋め込まれています。これまで頭を悩ましてきたのは、彼女を助けるはずの《《それ》》が、逆に身体に悪さをすることです。つまり、体内に『異物』を入れることで身体が拒絶反応を示し、合併症を引き起こす恐れがあるということです。これは、バランサーについても同じことが言えます。
ただ、《《脳内》》に異物を入れる方が身体に入れるよりずっと質が悪い。なぜなら、宿主のすべてがバランサーにわかってしまうからです。過去の記憶はもちろん、性格や考えまですべて筒抜けです。隠し事など絶対にできませんから、恥部を曝け出す覚悟が必要です」
二人は興味津々といった表情で冬夜の話に聞き入っている。
「脳はデリケートな器官です。PTの電磁データをバランサーとして取り込んだ後でトラブルが起きれば、精神崩壊にもつながります。
そこで、電磁データをバランサーとして採用するかどうかは、双方の気持ちが一致することを条件とします。もし互いに求めているものに少しでも差異があれば、電磁データはバランサーには採用されません。『究極のお見合い』といったところでしょうか」
ヘレナとドロシーは「うんうん」と首を縦に振る。
突飛な話ではあるが、二人ともしっかり理解したようだ。
「そうなると、キミの妹を蘇生できるかどうかは『相手次第』ということになるが……そんな相手がいるのか?」
ヘレナの言葉に冬夜は視線を逸らして「フッ」と溜息をつく。
「母と連絡を取っている中ではいないようです。病気のことが原因で周りに対して壁を作っていて、友達と呼べる者もいません。
現段階では、母に宿主になってもらうしかないですね。妹は母に対しては信頼を寄せていて、何でも話してくれるようですから……。いずれにせよ、周りと協調性がないのは困りものです。誰に似たのかわかりませんが」
ヘレナとドロシーは顔を見合わせる。「似た者兄妹」。そんな言葉が二人の脳裏に浮かぶ。
「冬夜、誰かいい人が見つかるといいな」
「そうですね、でも、こればっかりは……」
「お母さんにも、誰か紹介してもらうよう頼んでおいたらどうだ?」
「妹は病弱な割に男勝りで荒々しい性格で、一筋縄ではいかないタイプです。まともに付き合える人がいるとは思えません」
「諦めるな。縁なんて言うのは思わぬところにあるものだ」
「ありがとうございます。母にも、そんな人がいたら二人の仲を盛り上げてもらうようお願いしておきます」
ヘレナと冬夜のやり取りを聞きながら、ドロシーは思った。「適齢期を過ぎた女のことを心配する会話にしか聞こえない」と。
★★
「――これからの最優先事項は、日本政府にスポンサーになってもらうための説明資料の作成です。PTの導入予定時期が五年後の二〇二〇年ですから、何とかそれまでに日本政府から融資の確約をとって、システムの製作に入りたいと思います。百億ドルは日本の国家予算の一パーセントに当たります。そう簡単に出せる額ではありませんから」
「姫野冬夜、気になったんだけど、どうしてシステム開発にそんな破格の金が必要なの? 個人的には高くても数千万ドルのイメージだけど……」
ドロシーが腕を組んで「納得がいかない」といった顔をする。
「用途として大きいのは、百人程度のプログラマーとシステムエンジニアの人件費、システムの躯体製造費とそれに係る施設の買収費用、どこにいてもバランサーとの通信を可能にする人工衛星の製作・打上げ・メンテナンス費用といったところです」
「じ、人工衛星!?」
間髪を容れず、ドロシーが大きな声を上げる。
まさかそんなものまで作ろうとしているとは想像もしていなかったから。
「妹一人を助けるのに人工衛星を打ち上げるの!? さすがにそれは……」
「そういうわけではありません。日本の人口の四、五人に一人――二、三千万人が精神疾患に陥っている現状を勘案すれば、どんなところにいてもバランサー・システムを有効化する必要があります。
そのために、宿主がメインサーバーから離れているときでも、専用の人工衛星を介して通信を行うようにします。高性能の物を二基打ち上げても五十億ドルで足りる計算です。携帯電話のように地上に基地局を設置することも考えましたが、テロの標的になることは必至ですから。
誤解して欲しくないのですが、あくまで人助けのための費用で、妹はそれに便乗するだけです。何と言っても国税を使うわけですからね」
冬夜は本気とも冗談ともとれる説明をする。ただ、日本政府に対して、この額を要求するのは本気と取って間違いないようだ。
「冬夜、バランサー・プロジェクトの資料作成には私も積極的に協力させてもらう。具体的なスケジュールについてはどう考えている?」
「来年と再来年で形にして、二〇一八年には持ち込んで確約をとりたいと思います。資金を捻出するには、国会で特別法を制定することになります。事前に有力議員や関係団体へ根回しをする必要がありますから、プロジェクトとして動けるのは、早くて二〇一九年です。
人工衛星を含む機器製作とシステム試験に五年かかるとしてXデーは二〇二四年といったところでしょうか? 待ったなしの状態ですから、一刻も早く動きたいのですが、日本は根回し社会ですから、まずは柵を何とかする必要があります」
「根回し? キミがやるのか?」
ヘレナの言葉に、冬夜は「違う違う」と言わんばかりに右手を左右に振る。
「ボクにはそんなことはできません。ただ、学生時代の友人で適任者が一人います」
「キミに友人がいるなんて初耳だ……まさか、女じゃないだろうな?」
ヘレナの声が少し大きくなる。冬夜はすぐに首を横に振る。
「いいえ。男です。変わり者ですが、かなり頼りになります。ヘレナさん? 女だったら何かまずいことでもあるんですか?」
「い、いや、ない。訊いてみただけだ」
視線を逸らしてホッとした様子を見せるヘレナには「氷の女王」の面影はもはやどこにもない。
「これからも、打ち合わせは私の家を使ってくれ」
「はい。ありがとうございます」
二〇一五年十一月、バランサー・プロジェクトはキックオフを迎える。
つづく




