第20話 熱い視線
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「――本日ここに集う二千八百七十三名は、高い志しと飽くなき探求心をもって、勉学に勤しみ自己研鑽に努めることを誓います。平成二十一年四月XX日。新入生代表・姫野 冬夜」
京都市内で行われた、国立K大学の入学式。新入生を代表して誓いの言葉を読み上げた冬夜に、会場を埋め尽くした、五千人の出席者から大きな拍手が沸き起こる。
トップの成績で医学部に合格した冬夜は、高校までの教育課程を飛び級で修了した十五歳。K大学始まって以来の快挙に関係者は驚きを露わにするとともに、彼の入学を心から歓迎した。
冬夜のことがメディアで大きく取り上げられたのは、合格発表後、学校関係者からマスコミに情報提供がなされたため。
少年のあどけなさが残る面持ちに、精悍さが漂う、中性的な外見も手伝い、冬夜はちょっとした有名人になる。
しかし、週刊誌やファッション誌はもちろん、大手新聞や医学専門誌の取材にも一切応じることはなかった。理由を問われると、彼は毅然とした態度で答えた。「勉強が忙しいので」と。
挨拶を終えた冬夜は、医学部最前列にある、自分の席へと戻っていく。
その一挙手一投足を食い入るように見つめる者がいた。
「あいつが姫野冬夜か。確かに他の奴らとは違う……俺の『直感』がそう言ってる」
法学部の最前列に座る男は、黒ぶちのメガネのブリッジを人差し指で突き上げると、スマホの電子メモに何かを書き込む仕草をする。
彼の名前は「大河内 健吾」。法学部にトップの成績で合格した新入生。身長百八十センチの大柄な体格に、金色に染めた髪を、女性のように首の後ろで一つに束ねている。その風貌は一際目を引く。
健吾が書き込んでいるのは冬夜のこと。ピンと来たことをその場でこと細かに記録するのが彼の習慣で、もともと父親から教わったこと。
健吾の父・大河内 健蔵は、京都市出身の衆議院議員。四十七歳ながら当選四回を数える、党期待の中堅議員。
若い頃、大手製薬会社の医療情報担当《MR》を務めていたことで、活動の場は専ら医療・衛生分野。衛生医療委員会の委員長を務めていることもあり、大学病院や医療関係の企業とも太いパイプを持つ。
高校に入学したときから、健吾は、将来父親の跡を継いで議員になるよう言われていた。
二世議員と言われるのは良い気はしなかったが、もともと日本を動かすような、大きなことをやりたいと思っていた彼は「使える者は何でも使う」と割り切り、父親の言葉を受け入れた。
K大の法学部に入学したのも、将来の計画を具体化するための一つのステップだった。
健吾の成績であれば、難関大学の中でも最高峰と言われているT大の文科一類も十分合格圏内だった。
そんな中、あえてK大学を選んだのは、代議士となった暁に自分の力になってくれる者とのコネクションを作るため。それには、全国選りすぐりの秀才が集うT大ではなく、特異な感性や資質を有する天才肌が集まるK大へ行くのがベターだと考えた。
「政治家として大成するには金と人脈が不可欠」。しばしばそんなフレーズを耳にするが、それは正しいとは言えない。なぜなら、それが当てはまるのは「政治家」ではなく「政治《《屋》》」だから。
もちろん政治家に金と人脈が不要というわけではない。ただ、それ以上に必要なものがある。それは、人を惹き付ける「カリスマ性」。
いくら御託を並べて尤もらしい主張をしたところで、できもしないことをそれらしく言っているだけでは誰も納得しない。説得力がなければ心に響くものはなく、誰も付いて来はしない。
自らの主張や政策に説得力を持たせるには、豊富な経験や深い知識の裏付けが必要であり、それが「適確な判断力」、「迅速な決断力」といった評価につながる。言い換えれば、その部分を蔑にすれば、カリスマ性の要件は決して満たされることはない。
真の政治家を目指す健吾にとって、自分を支えるブレインの《《予備軍》》を確保することこそ、大学生活における最優先事項だった。
過去に例を見ない難局に直面したとき、類似事例を紐解いて解決策を模索する者はいくらでもいる。しかし、局面を分析したうえで、独創性を発揮し、効果的な手立てを講じる者はなかなかいない。
健吾が求めているのは後者であり、そんな者がブレインとして存在することがカリスマ性をより強力なものへと変え、国民の信頼を高めることができると考えた。
なお、口にこそ出してはいないが、健蔵にはそこまでのブレインは存在しない。優秀なブレインを集めることは、父親の教えであると同時に、父親を反面教師とした行動でもあった。
健吾は、雑誌やテレビで冬夜の姿を見たことはあったが、生で見たのは入学式が初めてだった。そのとき、冬夜のことを特別だと思った。なぜそう思ったのかはわからないが、もともと瞬間的なひらめきというのは、そこに至った経緯や理由がわからないものが多い。
潜在意識の中にある情報が作用した可能性はあるが、それを証明する術はない。
健吾は、政治家として成功を収めた父親から、人の臭いを嗅ぎわける、特殊な嗅覚を受け継いでいるのかもしれない。
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少年と大人――二つの顔を持つ、希代の天才に俄然興味を示す健吾。入学式の次の日から冬夜への猛アタックが始まる。
「医学部一回生の姫野冬夜くんだね? 俺は法学部一回生の大河内健吾。よろしく」
カフェテリアで一人昼食をとる冬夜のところに、京風の醤油とんこつラーメンを手にした健吾が現れる。小さく会釈をしながら冬夜の隣りの席に腰を下ろす。
健吾の方にチラリと目をやる冬夜だったが、その奇抜な外見や不躾な言葉を気に留めることなく、皿の縁に集めた、短いパスタをスプーンで集めて口へ運ぶ。
「単刀直入に言う。俺と友達になってくれ。きっとお互いにとってプラスになる。ギブ・アンド・テイクって奴だ」
健吾は割り箸で細めの麺をまとめて持ち上げて口いっぱいに頬張る。
すると、黒ぶちの眼鏡のレンズが見る見るうちに曇っていく。
「申し訳ないけど、ボクは友達は作らない主義なんです」
冬夜はナプキンで口の周りを拭うと、そそくさと席を立って返却コーナーへと向かう。
声が出せないうえに視界を奪われた健吾は、コップの水で口の中のものを流し込んで眼鏡を外した。
しかし、時すでに遅し。冬夜はカフェテリアから姿を消していた。
健吾は大きな身体をイスの背に預けて天井を見上げる。そして、大きく息を吐いた。
「一筋縄じゃいかないってことか……まぁ、そうだろうな。ますます気に入った。俺は絶対に諦めない」
健吾の顔にうれしそうな表情が浮かぶ。
物事を楽観的に考えるところと打たれ強いところが健吾の健吾らしいところ。彼は自分の《《らしさ》》をしっかりと把握していた。
つづく




