第1話 天才と呼ばれて(その1)
初めて「天才」と呼ばれたのは、小学校に入学して三箇月が経った頃。
小学校の応接室で、母といっしょにIQテストの結果について説明を受けたとき。
「――冬夜くんには、教育省の要綱に基づき、テストを受けてもらいました。本日はその結果をご説明します。
知能指数は百八十五。これは一億人に一人の数値です。素晴らしいの一言です。冬夜くんは間違いなく天才です。
ついては、《《選ばれた子供》》として、ぜひ特別な教育を受けてもらいたい。その件については、後日、教育省から直接連絡が行きます」
頭が禿げかかった教頭が紙ファイルを広げて型通りの台詞を並べ立てると、隣りに座る、クラス担任の女教師が相槌を打つ。「寝耳に水」の話に、母は驚きと喜びが入り混じったような表情でボクの顔を眺めていた。
ただ、当事者であるボクは全くと言っていいほど冷めていた。「違和感を覚えていた」と言った方が正しいかもしれない。
教頭の話が理解できなかったわけではない。天才が「他人にはない天賦の才を備える者」だということもわかっていた。
物心ついた頃から、ボクは見たり聞いたりしたことを即座に理解し、知識として蓄積することができた。そして、課題や問題に直面したとき、蓄積された情報をもとに最適な答えを得るための道筋を作ることができた。
喩えるなら、ジグソーパズルの抜けた部分を埋めるような感覚。どんな形のもの、どんな絵柄のものを当てはめれば目的の達成に至るかを頭の中でシミュレーションした。道筋を細分化させることで、その数は無限に広がり、多いときには百パターンを超えた。
しかし、それは程度の差こそあれ誰もが持ち得る能力。ボクは他人より少し頭の回転が速いだけ。言い換えれば、それが天才と呼ばれる所以とはなり得ないと思った。
そんなボクが自分の考えを改めたのは、「彼女」から「天才には二つのタイプがあること」を聞かされたとき――無の状態から《《新たな何か》》を生み出すタイプと、既存のものを使って《《最適な何か》》を見出すタイプ。
最初は納得がいかなかった。
前者は神様が奇跡を起こすような神々しさが感じられるのに対し、後者は盗人が他人のものを略奪するイメージしか浮かんでこなかったから。
そんなボクの心を見透かしたように、彼女は言った。
「どちらのタイプも希少価値が高い。『そんなのできて当たり前』だとか『程度の差こそあれ誰もが持ち得る能力』だと思うのは極めて主観的な考え。天才であるかどうかを決定するのは、あくまで客観的な評価」
彼女に言わせれば、前者のタイプがもたらすものは、社会生活を営む上であまり見えてこないのに対し、後者のタイプは具体的な課題解決や効率化に役立つものをもたらし、有益性を実感できることが多いらしい。
彼女の言葉は、長年ボクの中で燻っていた違和感を払拭してくれた。同時に、前に進むための力を与えてくれた。
彼女は言った。「後者が羨ましい」と。
ボクに言わせれば、前者の方が後者よりも圧倒的に優れている。
そして、間違いなく、彼女は前者の部類に属する。
そんな彼女と出会えたことを、ボクは心から感謝している。
つづく