薄い病院にて
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ここは私がいた世界とは違う世界。いわゆる“異世界”というものだろう。
異世界……聞いたことはある。私の元いた国でも少し流行っていると聞いた。小説の設定で、だ。私はまだよんだことはないが、それだけ流行っているというのであれば一読する価値はあるのだろう。まあ、つまりは、すべての異世界は単なる創作の中の世界でしかないことはもちろん当たり前だ。みんながみんな異世界に行けるわけではない、そしてみんなはそれが当たり前のことと自覚している。私だってそうだった。
今日の昼までは…
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彼女は戸惑う、当然のことだ。もしかしたら彼女の人生で最大の驚きかもしれないし、彼女の今の様子を見るにそれはどうやら事実となした。
彼女は頭を抱えた。何か考えているようだった。
『あの、大丈夫ですか?』
看護師は心配そうに尋ねる。
数秒の無音のあと、彼女が答える。
『…大丈夫だ、すまない』
『そうですか、それなら安心です』
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『えぇと…、ゲルマニアをしらない?』
『ああ、そのような国はまるで聞いたことがない』
彼女は答えた。看護師は少しは困惑したものの話を続ける。
『…わかりました。それではまずゲルマニアという国について説明します』
『まず、ゲルマニアとは、いま、貴女がいるこの国のことを言います。この国のトップ―つまり、はアウグスト・ライナルト・ローゼンベルク宰相です。10年ほど前までは弱小国だったこのゲルマニアの地を復活させたすごい人です。もちろん国民も宰相閣下に忠誠を誓い、宰相閣下もまたそれに答えるかのように素晴らしい政策をしてくれます。ここまではいいですか?』
『ああ』
『では続けさせていただきます』
看護師は先程書いた世界地図らしきものを出し、おそらくゲルマニアであろう場所を指でまるくなぞる。
『ここがゲルマニアです。この世界……についてはわかりますか?』
『いえ、全く』
『わかりました。この世界は主に2つの大陸と周辺の島々で構成されています。この世界地図で見て左側の大陸の上の部分は西欧諸国といい、この中にゲルマニアも入っています。あとは…』
看護師はここで口を閉ざす。
『あとは…?』
『すこし言いづらいのですが…この世界が脅かされていることについても話しましょう。この世界には』
その時ドアが開いて誰かが入ってくる音がした。看護師は驚き話を止めてしまう。音の主はどうやら医者のようであった。
『何をやっているんだね君は。他の患者もいるというのに、まったく』
『すいません…』
どうやら怒られたようだった。看護師は医者との話が終わると申し訳なさそうに彼女へ言う。
『すいません、この世界についてもう少し話したかったのですがあいにく私も仕事がありますので…』
『いや、私も済まなかった』
そう言い残すと、看護師は出ていってしまった。
看護師がドアを閉める。バタンと言う音とともに回りは少しの間、その音の余韻が残る。が、すこししてその余韻も消え去った。
訪れる静寂___
―――病室の窓からは一筋の風が流れ、隣りにある木の葉はざわと音をたてる。先程の看護師との会話が、扉の音が、全て幻だったかのような。そんな静けさ。彼女のいた世界とはまるで異なる世界の、そんな静けさ。
―――異なる、世界。
彼女は恐ろしかった。彼女はこの言葉を恐ろしがった。同時に、不安があった。異世界への不安。これからの、不安。
それこそ先程は、看護師と――少なくとも自分の中では――冷静に受け答えをしたが、それは、話し相手という支えがあってこその冷静さであった。その支えがない今は…―――なにもない静けさは、彼女の不安という棒を支えるものはないという、そういうことを示しているようだった。
しかし、こんなところ、ましてや病院なんかで折れていてはこの先が思いやられる、そう思った彼女は、ある目標を決める。目標を“たてる”事によって不安という棒を支えようといったものだ。
目標とはすなわち、元にいた世界に戻る。
おそらく、異世界に来たら誰しも――異世界に来たいというような人は除く――思うような、当たり前のような目標。およそ一般人であれば考えるような。しかし、彼女にとってはそのようなことなど些細なことに過ぎなかった。とにかく彼女には、不安さを支えるものが欲しかったのだ。
目標を決めた彼女は、病院を散策することにした。彼女は病室の扉へと向かっていく。
そういえば、この部屋はやけに暗い。白いはずのベッドは薄いながらも黒く濁っており、看護師の書いた世界地図の線は黒よりも黒かった。
(私の心が暗いから視界にも反映されるのだろう)
そのように納得した彼女は病室の扉を開く。廊下はやはり暗い。廊下は決して長くはなかったが、何故か奥は暗い。少なくとも彼女の中ではそう見えた。
廊下を右に見ると、先ほどとは違う看護師が1人、それとどうやら患者らしき人もが2人歩いていた。そして、それらは廊下と同様、薄く、暗い。
彼女はそれらを通り過ぎて廊下を行く。十数メートルほど歩くと廊下の突き当りにつく。彼女は右に曲がると、数メートルほどで階段につく。
階段を登る音が聞こえた。どうやら下の階から上がってくるようだった。踊り場で彼女は彼とすれ違った。
ゲルマニア人というのは金髪に碧眼が多い。いや、ゲルマニア人に限らないのだが、翠眼―――つまり、緑の瞳というのはこの世界には恐ろしく珍しい。首都どころかゲルマニア郊外の町―――例えばこの町、サラトバッハなんかにはまずいない。そんな人種であった。
この病院はさほど有名ではなく、首都や海外から人が殺到するほどではない。そんな病院に、彼はいた。
髪は金髪であるが、彼が前を見つめる瞳は、翠であった。
身長はゲルマニア人らしく高身長で、180はあるかのような人であった。体つきは良さそうで、野球選手かサッカー選手でもいいが、スポーツに従事していてもおかしくはなかった。
(あれ?)
彼女と同じような、この病院に入院している患者が着るような服装に身を包んでいた。
肩から下がる布には、血が少し滲んだ包帯が巻かれた腕が、預けられていた。どうやら大怪我をしているらしい。
(いや…)
しかし、それは過去の出来事に過ぎないらしく、彼は痛みを感じる素振りをしない。
彼女は彼と一瞬すれ違った。一瞬の出来事だが、彼女は何かを思い出そうと記憶をひねる。だが、でない。忘れてしまった。旅行前に見た――であろう――一瞬の出来事が、彼女の脳には刻まれていた。
(特徴…)
特徴…翠の目、高身長、体つきの良さ…。
思い出せなかった。彼女にはその引き出しを開ける権限がなかった。鍵がなかった。
彼女に彼は一礼すると、階段を登って、二階に上がってしまった。彼女はその礼を返すと彼女も階段を降りて、一階に下りる。
降りてそのまま右に行くと、少し大きな扉があった。右の扉を開くと、そこは食堂であった。この病院はこの町にそぐわないような大きな建物だったが、その食堂は病院の大体半分ほどの広さの空間だった。
4人席のテーブルがほとんどであったが窓際に数席、窓に向かったカウンターのような席があった。
「ふう、」
小さなため息をつくと、彼女はそのカウンターへと向かい、椅子を引いて座る。
ちょうど病院の横にある光景が見えた。
遠くには森が見えた。広大な森。彼女が転移し、彷徨った挙げ句倒れた、薄暗い、気味悪い、白い霧の中の黒い森。
森より手前に見えるのは、この町に駐在しているゲルマニア正規軍だった。人の多さもさることながら火砲が数門見える。
なにかが慌ただしかった。数百の正規軍は慌ただしく動く。窓からみて右側にはその数百の兵の殆どが集まり、左にある数門――約5門――の周辺には兵が集まり、なにやら整備をしているようだった。
(おや?)
なにかが、来るようだった。
奥の森の先程までのざわめきは死んだかのように、何かに殺されたかのように止まる。
次の瞬間であった。
『敵襲ー!!』
数百の兵の約1名は、そう叫んだ。
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私は目標を決めた。「異世界からの脱出」である。単純だ。
単純だが、私にとっては重要であった。
とりあえず私は病院を散策することにした。なぜだか知らないが廊下は暗く、廊下で会う人も暗かった。そういえば部屋も暗かった。なぜだろうか。
病院はとても広かった。いや、とてもではないが。少なくともこの小さな町には似合わない広さだった。ああ、そういえば。途中ですれ違ったあの人だ。とても覚えていたが、全く覚えていなかった。今でも思い出せない。一体誰だろうか。
その人とすれ違ったあと、私は食堂へと向かった。カウンター席らしきものがあったので私は座ったのだが、目の前の窓から見たのは…
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