サラトバッハの町にて
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後に聞いた話なのだが、私は「影病」と呼ばれる病気にかかっていたらしい。影の病と書いて影病だ。簡単に話を聞いただけだが、この世界に存在する黒い影が引き起こすと言われているらしい。症状はというと、全身の疲労(主に手足かららしい)が最初にきて、それから肺の機能低下、喉の縮小(喘息のような息はこれが原因らしい)、それらと同時に体力の低下、最終的には気を失い倒れてしまうらしい。最悪の場合、死んでしまうという。
治すには、自然に回復するか、薬によって進行を抑える程度しかなく、まだ、自然治癒以外での完全回復はいまのところできないらしい。なんとも恐ろしいことだ…
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『…影病だ』
発したとたん、周囲の人物が1歩足を引く。相当悪いらしかった。
男はどうやら衛生兵らしく、兜には赤十字のマーク、ポーチにも同じマークがついていた。
その衛生兵はそのまま続けて言う。
『だがまだ初期段階だ。近づいただけで感染はしない。安心してくれ』
『感染してからどれくらいたつんだ』
指揮官らしき男が聞いた。
『わからないが、おおよそ1時間ほどだろう』
『1時間か…』
指揮官らしき男は口を閉ざし、考え込んだ。それを遮るように衛生兵は言う。
『まだわからないがとりあえずはこの女を病院に運ぼう、ダニー伍長』
ダニー伍長と呼ばれた、指揮官らしき男が頷き、横にいた者に口を開く。
『レオナール上等兵、この付近に病院のある街はあるか』
レオナール上等兵と呼ばれた男は地図を取り出し、ディアーナの森と書かれた範囲の周囲を指でたどる。その指はやがて「サラトバッハ」の名前の上に止まった。
『サラトバッハという、小さいですが病院のある町があります。ここから一番近く、おそらく正規軍が補給のため駐在していると思われますので、影病の薬ももらえると思われます』
『距離と方角は』
『方角は34度、距離は約4kmであります』
『よしわかった』
ダニーは全員の方向を向き、指揮を出す。
『分隊諸君、我々の新しい任務が決まった。この影病にかかったと思われる女性をサラトバッハの病院まで運び、合流する。ディアーナの森は時間とともに暗くなる。早急に取りかかれ』
『『『jawohl(了解)!』』』
幸い女性は軽く、男で構成されたこの部隊には軽々しく運ぶことができた。
この森から一刻も早く連れ出そうと、少々早足で進んだつもりだったが、森の出口についた頃にはもう、日は落ちて月明かりがぼんやりと地を照らす夜になっていた。
出口から更に10分ほど歩き、ようやく町の明かりが見えてきた。それと同時に、ゲルマニア軍を示す白と黒のクロスの描かれた旗も見えた。どうやら正規軍が駐在しているらしく、安堵の息を漏らす。
ついてすぐに女を病院に連れて行った。葉と土がついており、見慣れない服を着た女性を見た医者は、最初はその見た目に動揺を隠せなかったが、衛生兵が影病だと伝えると、顔色を変えすぐに病室に通してもらえた。
ダニーはこれまでの事情を医者に話し、はなされた時の状況から、完全に影病だとの診断がくだされ、彼女は精密検査を受けた
検査が終わったらしく、医者がダニーに結果を伝える。
『まだ、初期段階の影病でした。幸い、本人の治癒能力により体調自体は1日もあれば回復するでしょう』
医者は続ける。
『しかし、影病の影響と疲労により3日ほどは眠ったままと思われます、伍長』
『そうか…』
ダニーは一安心した様子を見せた。自分の部隊が救助した人間が死に至ることを彼は恐れていた。しかし明日には回復するとなれば取りあえずは安心できる。
ダニーは言った。
『彼女をしばらくこの病院においていてくれるだろうか』
『それ自体は別に構いませんが』
『我々の部隊は私含め首都に戻ってしまう。彼女が起きる頃にはもうこの町にはいないだろう』
『あぁ、それで』
『それでは、よろしく頼んだぞ』
『ええ、わかりました』
医者が同意すると、ダニーは病院をあとにした。
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私は森で発見されると、その森から一番近い町の病院に運び込まれたらしかった。
私が起きたのは、運び込まれてから4日後らしかった。
私が目覚めた時、ちょうど看護師が入ってきた。最初は看護師の行っている言葉がわからなかったが、次第に私は、旅行先の西の国の言語に似ていることがわかった。そこで、看護師にここについて聞いたが、ゲルマニアやサラトヴァッハと答えた。
私はゲルマニアとサラトヴァッハという言葉に驚いた。そんな地名は聞いたことはない。その看護師はどうやら、私の元いた国はおろか、確実に知っているだろう国名すらも知らないらしい…
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外はもう暗く、出歩くのには向かない。何より黒い影の存在を恐れたダニーとその分隊は、一晩だけここにとどまり、首都に出発することにした。
翌日の朝になると、分隊は早くから身支度を始め、まだ家に光の灯っていないような時間帯に首都に発っていった。
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彼女が目覚めたのは4日後の昼だった。
「うーん、」
と、体を持ち上げる。視界がひらけると、そこは白い霧の中の黒い森の中…
「あれ?」
ではなく、明らかに病院とわかるような場所の部屋の1室であった。窓の外を見ても暗くはなく、およそ5日ぶりの陽の光は、今の彼女には少し強すぎた。
動揺する素振りを見せたが、困惑するのも無理はない。ついこの間まで旅行の帰りだった彼女は、気づいたら、スマホもつながらず気分が悪くなるような暗さの森にいた。かと思えば、いまは気づいたら病院の一室である。
と、そのとき、扉を開け誰かが入ってくる音がした。服装から見て看護師のようだった。
『具合は大丈夫ですか?』
看護師は彼女に対して聞く。しかし、彼女は答えない、答えられなかった。彼女にとっては知らない言語だった。知らない世界の国の言葉などわかるわけもなく、彼女は首をかしげる。
『あ、あの?』
看護師は困惑した様子で問うが、やはり彼女は答えない。
ふと、彼女は似たような言語を聞いた覚えがあることを思い出した。頭の中の記憶をフルに引き起こし発見した。そしてその言語は、旅行中に行った西の国の言葉そっくりであった。
『…言葉がわかりますか?』
看護師も察しがついていたようだった。彼女は、つい最近覚えた拙い言語から必死に言葉を探る。
『はい』
どうやら通じたようだった。看護師は明らかに先程の表情と比べて安心した表情を見せると、彼女に対してなるべく簡単に伝えた。
『ここはどこですか?』
『ここはゲルマニア帝国の町、サラトバッハです』
“ゲルマニア”と聞こえた。“サラトヴァッハ”も聞こえた。おそらくどちらかは国名だろう。
『ゲルマニアはなんですか?』
『ゲルマニアはこの国のことです』
どうやら国のことらしかった。しかしゲルマニア国とは全く聞き覚えがない。少しおかしいと思った彼女は自分の出身国を言った。
『???』
看護師には全く通じなかった。流石に知っているだろうという国名も、彼女は試しに聞いてみたが、全て疑問符で返されてしまう。
看護師は紙と鉛筆を取り出し何かを書き始めた。
(今の時代わざわざ鉛筆なんて使う人がいるのか…)
看護師が書いたのは、どうやら地図らしかった。数字も彼女の世界の文字とは少し違ったが、言葉よりは読むことができた。縮尺によると世界地図の大きさだった。
看護師は、およそ2大陸に分けられる地図の左上を指し、指を丸くなぞった。
『ゲルマニア?』
看護師は頷いた。どうやらそこがゲルマニアらしかった。もちろん、彼女はゲルマニアの国どころかこの世界地図など、どこでも見たことがなかった。
(もしかして…)
彼女は思い出したように、彼女が寝ているベッドの横の机においてあった、自分のカバンを探り、四角い物体を取り出す。
看護師は首をかしげる。彼女がその四角い物体の横についているスイッチを押すと、その物体の表面が光った。
看護師は驚いた。彼女にとってはあまりにも見慣れたその物体。それに対して驚く看護師に、彼女も驚く。
すべての答えが決まった。気づけばいた見慣れない、暗い森。看護師――おそらく、看護師以外にも、この国にいる彼女以外の全員――が話す謎の、しかし若干聞き覚えのあるような言語。知らない地域、国名。“今”になっても使われる鉛筆。
ついに、彼女は決心してしまう…
ここが“異世界”で、あることを…
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看護師は紙と鉛筆を取り出し、地図らしきものを書いた。看護師の示す左上の国がゲルマニアらしいが、私は、看護師が書いた地図すら知らなかった。私が取り出したスマホにもあのときは驚いていた。それには私も驚きであった。少なくとも私が元いた時代には全員が持ってると言っても過言ではないスマホに驚いたのだ。驚くに決まっていた
しかし、その時の私はついに、ここが何処かを確信してしまった。今でも信じられないが、おそらく…
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