#008 鋼の体躯
耳をつんざくような衝撃。金属と地面のコンクリートが激しくぶつかり合い、白く火花が散る。
焼けた匂いと共に立ち上がる機械人間と、その向かいに膝をつく少女。お互い素手の状態で、武装もしていない。早くも2撃目を打ち込もうと腰を低めている相手を睨み、この場から逃げる足音を確認しながら、少女は構えを取る。
水平に打ち出された拳を避け、彼女は建物の2階であった部分まで一蹴りで飛び上がった。驚異的な脚力だが、それは相手も同じ。
相手が同じ壇上に上がったところで、今度は彼女の方から仕掛けた。相手の元まで一気に駆け寄り、弱点と思われる頭部へと狙いを定める。
(頭のセンサーさえ破壊すれば、敵の捕捉も移動もできなくなるはず!)
しかし、彼女の放った右手は外れた。目前にあった黒光りするマスクが、ほんの数センチのところで左にずれていった。だが、"失敗"ではない。
攻撃を加える前から、恐らくこの機械の反応速度は自身よりも速い、と彼女は気づいていた。逆にいえば、避けさせることが目的だった。
敵が攻撃を躱した直後、彼女の左脚が相手の体を狙った。頭部と胴体に逆方向の力を加え、相手を転ばせる。彼女の目的は達成され、機械の躯が地面に打ち付けられた。──その時、相手は既に次の行動へと移っていた。
彼女が左の足首に違和感を覚えその場所を見ると、金属の手に掴まれていた。見た目や素材は全く違うが、人間と同じ構造の5本の指。大きさにしても握力にしても、相手を引きずるには十分だった。
その手を振り解こうと脚を動かすが、離れる気配はない。脚の動きに合わせて着いてくる。この状態なら右足で頭部を踏み付けることもできるが、軸足を離した隙に転ばされる可能性がある。
仕方なく姿勢を低め、腕を下ろして相手を突き放そうとする。しかし、相手はうつ伏せになっている為、上からは狙いにくい。
(……まさか……)
これが相手の狙いだった。彼女がそれに気づくまでに、時間は掛からなかった。
脚を掴めば、移動の自由をごく簡単に奪うことができる。強い握力に加え、低姿勢で床に張り付くことによって、その固定をより強固なものにできる。
更に、人間型と戦闘型では重量も明らかに違う。
人間型の方は人間に近い体重で、日常生活において不便が生じないようになっている。骨格の素材や内部構造も、できる限り人間に近いものになっている。
反して機械型は重い。金属装甲のせいもあるが、打撃による攻撃でダメージをより多く与えるために、元からそれを意図して作られているのだ。
そうして気が抜けた一瞬、掴んでいた手が持ち上がり、体勢が崩れた。そして相手は腕を大きく1振りし、彼女を向かいの壁に叩きつけた。
「くっ……!」
生身の人間なら意識を失いかねない程の威力。視界が歪み、いるはずの敵の姿を認識できない。
立ち上がって探そうとした瞬間、頭上から折れた柱が4本降り注いだ。壁に張り付くようにして引き下がり、着地点から離れる。突き刺さる柱を掻き分け、音を立てて迫ってくるのは、やはりあの機械人間。
どうやら相手は、自らの躯だけではなく、周りの残骸も利用してくるらしい。
次に投げられたのは部屋のドア。内壁ごと破壊されてボロボロになり、真ん中に大きな穴が空いている。その次は天板が真っ二つに割れたテーブルを叩きつけ、椅子の脚を分解しながら投げつける。彼女が避けている間に鉄骨を力ずくで折り、着地した地点の周囲を囲うように刺す。
粗暴かつ容赦ない攻撃に、彼女は身の自由を奪われつつあった。相手は休みなく、部屋の物品を壊しては投げ、壊しては投げる。そして確実に彼女を追い詰める。行動の1つひとつが、全て戦略的なものと思える程に。
──いや、実際その通りだろう。状況からも、感覚からも分かることだ。
「なっ……なんて乱暴な戦い方なの!? とにかく、もっと広い場所へ移動しないと……」
脱出路を見繕うべく、周囲に視線を巡らせる。
下の道路に移動するのは不味い。相手が逃げ出した場合に追いつけないと、エルミナとあの少女が狙われてしまうからだ。まだ連絡はこない。ならば、この建物の最上階を目指すしかない。
断続的に飛んでくるスクラップの間をくぐり抜け、彼女は部屋の外へと走った。廊下に落ちている障害物を次々と超えると、上の階の床が見えた。階段はまだ無事なようだ。
飛ばし飛ばしで階段を駆け上がり、屋根の抜けた廊下を"登りながら"進む途中も、敵の姿から眼を離すことはなかった。間違いなく後ろに着いてきている。
最上階──5階。何がある訳でもなく、空調や水道の設備らしき機械があるだけだ。都市部のビルでは見られない旧型で、パイプが外に露出している。床も何ヶ所か抜け落ちているが、それ以外に破壊されたものは特に見当たらない。
階段登り終えた時、例のアンドロイドは床の穴から飛び上がってきた。2人──2体の向かい合う距離は約20m。間の床も壊されていて、正面からの攻撃は難しい。
相手が動くより僅かに早く、少女が前に出た。大穴を1つ飛び越し、相手の斜め上に位置をとる。そのまま蹴り技を繰り出すが、当然相手は受け身を取っているので、大ダメージには繋がらない。
彼女が進んで距離を詰めたのは、2つ理由がある。
1つは、彼女のいた場所の後方に建物の設備が並んでいる為。戦闘するには邪魔な上に、先程のように相手が武器として使いかねないからだ。
もう1つは、相手に時間的な猶予を与えない為。戦闘型アンドロイドなら、当然戦闘用のAIを積んでいる。地形を完全に把握され、作戦まで立てられたらお終いだ。
(断然こっちが不利だけど……こっちから攻め込まないと、もっと不利になる!)
実際、次々に繰り出される彼女の攻撃を、相手は無駄な動き1つ無く抑えている。更に、攻撃後の隙を見計らって反撃を挟んでくる。
反撃の数も多くなり、彼女が焦りを感じ始めた頃。突き出した左腕を敵の左腕が捕らえた。相手は腕の動きを止めることなく、攻撃を容易く受け流す。勢いで前に出され、大通りが目下に迫った。
その瞬間から、今までとは一転して相手の猛攻が始まった。彼女は何とか躱そうとするが、元々足場が崩れていることに加え、屋上の端に追いやられているので、身のこなしが上手くいかない。
相手は無表情で、喋らず、何の反応も示さない。相手を倒そう、とも思っていない。そんな思考は介在しない。ただ闘うことのみに特化したその機械は、何も感じずに躯を動かしていた。
その無機質な仮面を何度も目にすると共に、彼女は戦闘型AIの恐ろしさを痛感していた。
闘いの舞台が屋上に移動してから、相手が最初に攻撃を仕掛けなかった理由。彼女は相手に地形を認識する暇を与えないつもりだったが、あの機械の目的は違った。地形は二の次、把握するべきは彼女の動き。そこから反撃を徐々に加えることで、彼女の回避パターンをも記録していった。
つまり相手が反撃を開始した時点で、彼女の動きは全て読まれていたのだ。その証拠に、彼女の反撃は1度も当たらない。それどころか初動の時点で回避行動を初めているため、前より余裕をもって躱されている。
彼女の判断は、決して間違いではなかった。それ以上に明確な、残酷なまでの実力差があっただけだ。
少女は自分の限界を感じていた。体力的な限界ではなく、戦闘力の限界。
闘う為に生み出され、闘う為の知能を持つ。強靭な体躯を全て、戦闘にのみ捧げる。そんな相手に刃向かうなど無謀でしかない。ここまで時間を稼げただけでもまだ上出来か。
一際鋭い拳が彼女に向かって打ち込まれた。片手では足りず、両手で相手の右手を受け止める。──いや、受け止め切れず、踏ん張る脚が少しずつ押し出されてゆく。不幸にも、落下防止のフェンスなどはあるべき場所から消えている。
彼女は決して後ろを見ず、耐え切るつもりでいた。
ここで下がれない。どうしても、引き下がる訳にはいかない。
あの2人の無事を祈る間もなく、彼女の左足から地面の感触が消える。姿勢が崩れ、全身が下向きに落とされる感覚を受ける。視点が上に移動し、雲の隙間から差す光が景色を奪う。
──どうしても、引き下がる訳には──
『ステラ!』
声が響いた。左腕に付けた端末からだ。
「エル! 無事なの!?」
『何とかさっきの駅まで来たから大丈夫。それに、案内所に頼んで援軍も呼んでもらったから』
「そっか……良かった……」
『相手の隙を見て戻ってきて』
「うん……」
返事をして初めて、自分の身体が落下していないことに気づいた。ギリギリのところで、足がビルの外壁に引っ掛かっていた。
全身に緊張が走るが、目の前の敵はもう力を加えてこない。後ずさり、向きを変えて飛び去っていった。
「何で……?」
屋上の床まで登り、後ろを振り返ると、何やら空を飛ぶ物体が見えた。戦闘機と言うには少し小さい、小型の飛行機。装甲が傷ついていることから、大戦時にも使われたものだと分かる。
全3機が彼女の頭上を通り抜けた。敵が逃げていったのと同じ方向へ飛行してゆく。
全身の力が抜けた。彼女の知らないうちに身体の限界をも超えていたようで、全身が焼けるように感じていた。
今の彼女に痛覚はない。アンドロイドは場合に応じて、感覚を遮断することができる。普段の生活で痛みを感じないのは、危険を察知できないなど不便だ。だが、既に危機に晒されている状態で、これ以上痛みを感じるのはマイナスにしか作用しない。
これは痛覚のみではなく、他の感覚においても同じことができる。しかし今のところ、遮断して役に立つ感覚は痛覚のみ、とされている。例外として、実験的に感覚を無くすこともあるが、一般的には知られていない。
呆然と空を見上げた。風の吹く静かな音に紛れて、銃声が遠くから聞こえる。あの戦闘機がアンドロイドに攻撃しているのだろうか。それを思考するのも煩わしく、このまま意識を手放してしまいそうになった。
だが、まずは彼女達の安全を確かめなければならない。そうしなければ、ここまで闘い抜いた意味がない。
少女は重い身体を起こし、おぼつかない足取りでその場を去った。