#007 騒乱の前兆 *
マサキが転移した場所は東区の外周近く、都市部とは異なる背の低い建物が続く場所だ。ここが今回の調査する場所となる。ほとんどが居住区と畑で、その中に食料品店や4~5階建てのビルが点在している。
この辺りは8年前、境界大戦の影響を受けた場所だ。外周部ほどの直接的な被害は無いものの、至る所に争いの傷跡があった。それは、道路に亀裂が走っていたり、家の壁が一部剥がれていたりする様子からもよく分かる。中にはかなり古びた建物もあり、外からも分かる程大掛かりな修理の跡が見える。
リニアを降りてこの地域に入った後、ステラは呆然と廃れた街並みを眺めていた。やがてその景色にも慣れ、独り言と間違うくらいの音量で呟いた。
「やっぱり、この辺って人少ないね。ここでも、戦争してたんだ……」
「被害はそんなに出なかったんだって。元々この辺って人口多くなかったし、大戦前は都市部に移住してたから」
「確かあの頃、襲撃事件があったもんね」
エルミナの簡潔な説明に、ステラは大きく頷いていた。そして、2人がふと見上げた空は、相変わらず灰色の雲に覆われていた。
大幅な人口減少があったのは大戦の2年前、まだ境界が正常に機能していた頃のこと。"魔族"と名乗る者達によって、外周部とその近くが占拠された。その動機は明らかになってはいないが、占拠後の彼らの行動からある程度は予測されている。
彼らが求めたのは食糧、食べられるものを全てだ。狙われた中心は農業施設の集中する西区の外側だが、施設は東区にも幾つか存在していた。襲撃により街の住人は立ち退きざるを得なくなり、都市部にまで大混乱が及んだことは言うまでもない。
このような事情で、10年前から既に人が少ないことは確かだ。不幸中の幸いというべきか、それが2年後の争乱の犠牲者を減らしたことにもなる。
「……でも、無人でもないみたいだよ? さっきも何人かすれ違ったから」
「多分、外周部にいる人達かな。食料調達しないと、食べる物が無くなるし」
そう言って周囲の瓦礫や柱などの残骸を一瞥し、再び前を見た。
「あの人達もきっと、必死に暮らしてるんだ……」
「……」
今度は何も返さなかった。いや、返すことができなかった。
ステラのAIには、境界大戦の経緯や被害状況などの情報が数多く記録されている。が、それはあくまで"知識"であり、"経験"ではない。
一方のエルミナは、大戦を経験している。その身を持って知る戦争の恐ろしさに、またそれを踏まえて述べられる彼女の言葉に、ステラは口を挟めずにいた。
そのまま暫く無言で歩き続け、転移の発生した地点に辿り着いた。周りと比べて何ら変わりのない小路の真ん中。特に人が出入りしている様子はなく、新たな転移者の姿も見えない。
最近最も転移の起こっている所は、この場所よりもさらに外周へ近い場所であり、中層部は警戒が薄かったという。
その地点の目の前に立ち止まると、ステラは目を瞑って"調査"を開始した。
案内所所属のアンドロイドに備わっている機能は、他の平均的なものとほとんど同じものだ。ただ一つ特殊な機能として、境界の歪みを感知することができるようになっている。
程なくして目を開いたが、その表情は今ひとつというところだ。
「どう?」
「うん、まだ転移の形跡は残っているけど……何処に繋がっているかまでは分からないかも」
彼女が感知したのは境界が"歪んた跡"で、感知したものを記録されている今までの境界の形跡と照合することで、転移元の世界を判別する。にも関わらず彼女が「分からない」と言ったのは、現在目の前にある境界の種類が記録されていないからだ。
「やっぱりそうだよね。ダナクさんも、今まで聞いたことないって言ってたし」
「マサキ君、どこから来たのかな?」
ステラが考え込んでいる隙に、エルミナがゆっくりと小路を進んでゆく。周りの様子に目を凝らしながら、時折メモを取り出して書き込む。
両脇には少し背の高いビルが2つ。換気用のダクトや空調設備の室外機などは、約一世代前のものに見える。曇り空から僅かに差す日光が照らすのは、奥の少し開けた土地。
「──やっぱり、手掛かりらしいものは無い、かな」
数分後、分かっていたようにあっさり言い放ち、ステラの元へ戻ってきた。
手掛かりというのは、境界が開いた時に、稀に人と共に移動する事のある道具などのこと。その世界にしか存在しないものがあれば、そこから転移元を特定することも可能になる。
何度見ても同じ景色に、エルミナはそっとため息をついた。
「さて、どうしようか……。まさか、何も分からないまま帰る訳にもいかないよね」
「この辺に境界の跡があればいいんだけど。他の場所からは離れているみたいだから、参考にはならないかな」
2人が顔を合わせて思考を巡らせていると、あるものをエルミナの目が捉えた。床に散らばるガラスや金属の破片。その上には割れたガラスがあり、頭1つ分程の穴から放射状にヒビが入っている。周囲に同じような物はなく、その1箇所だけというのは不自然だ。
それらを認識した直後、彼女の脳裏をある予感が過ぎった。直接的に示す証拠はないが、状況からすれば考えられることではある。
「ステラ、あれ……ガラスが割れてる」
「あ、ホントだ。何だろ、誰かが不法侵入したとか?」
「こんなボロボロの建物に入ろうとするのは、冒険好きな誰かさんだけでしょ」
「ちょっと! 冒険とかじゃなくて調査だよ、ちょ・う・さ!」
微笑するエルミナに、ステラは全力で否定をしてきた。
彼女の言う通り、このビルに侵入して得することは何も無いだろう。外観だけでも廃れていることが明確に分かる上に、内部にも特に施設は無い。そもそも、占領される前にここが重要機関であった記録はなく、ただの住居であったとされている。
「ということは、この穴は大戦後に作られたんじゃないかな」
「え? 大戦中じゃないの?」
ステラの素朴な疑問に、エルミナはいとも簡単に返した。
「だって、そんなに大規模な戦闘だったら、周りのガラスだけ無事なのはおかしいでしょ。直したにしても、逆にこのガラスだけ直さないのも変だし」
「そうだね……それに、このガラスが割れたのも結構最近みたいだよ」
ステラはそう言いながら、一際大きなガラスの破片を広い上げている。破片の1つに、広告らしき紙の一部が付いている。内容はアンドロイドの商品紹介、昨日見掛けたメイドと同タイプの最新型だ。歪な形に破れているが、貼った後にガラスが割れたと考えれば違和感は無くなる。
「少なくとも、この最新型が発売された後に、ここで騒動みたいなことがあった、ってことか……」
「外周部の人達が割っちゃったのかな。なんか、二大勢力が争ってるらしいから」
「でも、人が割ったにしては大き過ぎる気がするんだけど……」
エルミナが険しい顔をして考え込むが、答えらしいものは見つからず。謎が増えるばかりで、境界についての疑問を解く手掛かりにもならない。
「とにかく、今日は1度帰ろうよ。時間を掛けても分からないものは分からないよ」
「境界の方はそれでいいんだけどさ、こっちのガラスの方が気になるの。なんでここだけ……」
「もう、エルは心配性だなぁ。考え過ぎだと思うよ」
「うん……」
納得しないままだが、仕方なく向きを変えて歩き出そうとした瞬間。
大きな音が響いた。爆発にも似た発生源からは距離があるが、振動が地面を通じて伝わってくる。
「何!? 何の音?」
「何かが壊されたような音……もしかして……!」
「あっ、エル!」
突然、エルミナが駆け出した。恐らくは、音のした方へ向かって。ステラが慌てて追いかけるが、振り返る様子はない。
小路から通りに出て、外周区へと疾走する。進むに連れて道中の瓦礫が多くなり、建物も段々と壊れ方が酷くなっている。その後も何度か破壊音が聞こえ、近づくに連れて鋭く響いた。
予想していたよりもその場所は近く、時間にして3分と経たずにその光景は現れた。
音を立てて崩れるのは、背の高い半壊したビル。壁が剥がれて骨組みが露出し、その内の1本が横に突き出している。今現在も壊され続けているため、いずれは全壊してしまうだろう。
そして、その柱の隙間から一瞬だけ見えた、銀色の光を放つ動体。人型をしてはいるが、その駆動は人間離れしている。
「あれは……アンドロイド……」
崩壊途中のビルの手前で急いて脚を止め、息を整えながら、エルミナは銀色の正体を突き止めていた。姿をはっきりと認識してはいないが、ほんの数秒間の反射光と、内から聞こえる音の様子で直感したのだ。
「エルー! 一体どうしたのー!」
長い髪を忙しなく揺らしながら、ステラが後ろから走り迫る。ここまで止まることなく移動した為、彼女の脚にも余裕はなかった。
ちょうど彼女がエルミナの横に並んだ時、かろうじて張り付いていた窓が破壊された。勢いよく突き出す白銀の拳と、弾かれるように飛び出す無色透明の破片。
今度こそ見間違えようがなかった。あの冷たい金属に覆われた機械の躯は、あの日──あの運命の日、彼女が戦場で目にしたものだった。
「まさか、こんなところに居るなんて……」
「嘘、あれって……機械兵器!?」
戦闘型アンドロイド。大戦前期に大量生産され、3年に渡る戦乱を闘い抜いた機械兵器。プレスティアを守る盾になり、異界の者を退ける剣になった、大戦の立役者の1つ。
同じアンドロイドでも、ステラのような人間型とは大きく異なる。先の通り外装は金属板で、関節部分は所々フレームが剥き出しになっている。この無骨な造りの胴体に加え、頭部はセンサーの集合体となっている。ステラのように人間の目を再現したものではなく、あくまで行動、索敵等に適した構造だ。
その機械人間は頭部を縦横に動かしている。顔を覆う黒鉄色の装甲の下から、時折赤い閃光が煌めく。幸い、こちらの姿はまだ感知されていないようだ。
「エル、どうする?」
「どうするって……あんなの、どうしようもないよ。早く逃げないと」
「そうだね、今は仕方ないのかな」
気づかれる前に逃げるのが得策、2人の意見はそれで一致した。放っておくと被害が増えるのは分かりきっているが、今はそれを止める手段すらない。ここは1度退いて、案内所やその他機関の協力を得るべきだ、と。
それが最善だと考えていた。逃げ惑う人影を捉えるまでは。
彼女達の視界を横切った少女は、通りの反対側に進む途中で立ち止まり、何度も息を着いた。ドレス状の服を纏っている小柄な彼女に、エルミナは見覚えがあるように思えた。
「──た、助けて!」
彼女はこちらに気づくなり、肩に掛かる長さの金髪をなびかせて駆け寄ってくる。立ち止まった後も、すぐにでも倒れ込みそうな姿勢をしていて、大分体力を使い果たしているのが分かる。
「そこに、変な、銀色の人がいて……」
「貴方は、転移者……こんな所にもいるなんて……」
「そんなことより、どうにかしないと! その人、あの機械に襲われているんじゃ──」
ステラがそう言う間にも、硬質な足音が近づく。1音毎に響きが大きくなり、確実にこちらに近づいてくる。
「ステラ……本当に出来るの? 相手は戦闘型アンドロイドだよ」
「もう迷ってる暇は無いよ。エルはその子を連れて都市部まで逃げて。せめてその人が逃げられるまで、時間を稼ぐから!」
案内所のアンドロイドとしての性能は、ガイドとしての仕事のサポートが務まる程度に限られている。情報管理や人との会話など、人間社会に対応する為の機能はある。運動能力も人間を遥かに凌ぐが、それでも戦闘型に適うことはない。
それにも関わらず、彼女は前に進んでゆく。壊れた建物の入口に立ち塞がり、出てくるはずの強敵を待ち構える。
「ステラ……」
微かに宙を舞った声に首だけ振り返るが、心細く不安な少女と、隣に経つ親友を目にするだけ。すぐに視線は前に戻った。
暗闇に一筋、赤く細長い線が光った。足音の感覚が短くなり、すぐに音の正体が暗闇から飛び出てくる。現れたのは全長2mを超える鋼の体躯。唖然とするステラの上から、鋭い拳が振り下ろされた。