#006 普段通りの早朝
辺りが紅く燃え盛る炎に包まれ、視界を濃い硝煙が覆う。僅かに煙が消えたと思えば、再び炎の塊が襲いかかる。
上空に見えるのは、何かを呟いて(恐らく詠唱して)いる翼を持った人型の生物。数人で放ち続ける戦火の合間に、下界を臨む瞳が怪しく光る。
彼女はひたすら走り続けていた。その表情はただ走る事だけに集中していて、恐怖や焦りといったものは読み取れない。隣にいる大人2人と手を繋ぎ、彼らに付いていくことで精一杯だった。
焦げた壁を過ぎ、荒地となった庭を横切り、上空からの襲撃を避けながら街を駆け抜けて行く。辿り着く場所も分からず、ひたすら救いを求め続けて。
焼け落ちた住居の屋根が、突如左方向に"発せられた"突風によって吹き飛ばされた。まだ分解されていない分厚い木の板が、一際背の低い彼女の頭部を目掛けて飛んでくる。不自然に強い風の動きを感じて彼女は左に顔を向けるが、既に3足分もない距離に迫っていた。
──避けろっ!──
隣にいた大柄の男性が彼女を右後へと引き寄せ、代わりに自身が木版の軌道に入る。その近くの女性は、引っ張られた彼女をさらに後へと追いやる。姿勢を崩して倒れ込み、2人から大きく引き離されたまま目の前のでき事を目にしていた。
そこへ、黄金に輝く光の軌道が押し寄せた。光は真っ直ぐに板を貫き──
「……っ!」
彼女の記憶はそこで途切れている。
額から1筋、2筋と汗を流し、少女が起き上がる。目を恐ろしいまでに開き、口を震わせている。十数秒の間、上半身を起こしたその姿勢のままでいた。
その後落ち着きを取り戻すと、不意に天井を見上げた。窓から差す朝日もまだ淡く、見上げた天井も薄暗い。それが、彼女の気分を一層鬱屈なものにした。
「ホント、嫌な夢……」
誰に対してでもなく毒づく。既にほとんど覚醒した意識を今日の仕事へと向け、小さく足音を鳴らして床に降りた。
ガイドの仕事内容は、転移者の案内のみに留まらない。大雑把にいえば、転移者や転移現象に関する仕事全般を、この案内所が受け持っていると言っていいだろう。
例えば、転移現象が発生した場所の調査。これまでの調査で分かっていることの1つとして、一度転移現象の発生した場所では、再度転移が起こりやすいことが挙げられる。
巡回自体は警察が行なうが、手当たり次第では転移者を見逃す可能性がある。かといって、均等に全ての地域を調査するのではキリがない。
そこで、今までの調査結果が役立ってくる。案内所は転移現象が発生した際、場所、時刻、また判明していれば転移者の種類を記録しておく。転移者の種類は当然、転移元となる世界との関わりが深い。同一の世界から異種の転移者が来た例は現在の所は無い為、転移者の種類が判別すれば、転移元となる世界もほぼ決定する。
しかし、彼の転移元である世界は未だに不明のまま。今日、エルミナ達の担当する調査の目的は、彼の転移元を明らかにすることだ。
「……眠い……」
その彼が、案内所のロビーにて机に伏していた。目を閉じ、静かに寝息を立てている。
昨日は結局ショッピングモールで別れ、案内所にいるダナクの元へ報告に行った。宿泊施設まで見送る提案をしたが、彼は1人で大丈夫と言って足速に去ってしまった。
「あれ、マサキ君? 大丈夫?」
「……ぁ、ステラさん……昨日は……どうも……ありがとう……ござ……い……」
半覚醒ながら話そうとするも、眠気に耐えられずに再び沈んでいった。彼女を目の前にして、彼が格好を付けようとしないのは珍しい。
「ほらマサキさん、起きて」
「……」
エルミナの呼びかけには目すら開かず、幸せそうな顔で眠りこけている。それから2、3度声を掛けるが、結果は同じ。
昨日の会話が原因で、不安に襲われて眠れなかったのだ、とエルミナは考えていた。この幸福に満ちた顔を見るまでは。
「ステラ、頼んだよ」
「そう言われても、何すればいいの? 私、人を起こすような特技とかないんだけど……」
「そんなの要らないって。もう一度、普通に話しかけるだけで良いんじゃない?」
自分では彼の意識に届く術もないと判断し、ステラに全てを任せることにした。押し付けたと言えなくもない。
「うーん……分かった。とにかくやってみるね」
わざわざ宣言するほどの事でもない、と考えつくと同時に、何か嫌な予感が走った。"やってみる"という言葉が引っ掛かっていたのだ。つい昨日の惨事──エルミナにとっては──に比べれば些細なものだが、彼女ならやりかねない。
隣で、大きく息を吸う音が聞こえた。その次の瞬間。
「ステラ、ちょっと何して──」
「マーサーキーくーーーん!!! 起きてええぇぇぇぇ!!」
「うわああああぁぁぁぁぁぁ!?」
システム限界まで拡張された大音響と、それに勝るとも劣らない悲鳴が案内所を揺るがした。
「あんた、絶対わざとやったでしょ!」
「だって、起こす為にならあれが1番良いと思ったんだもん。でも、音量MAXはやり過ぎちゃったかな」
エルミナが厳しい口調で問い詰めると、ステラは誤魔化し笑いで答えた。やや軽薄な気がしないでもないが、周囲に迷惑を掛けたことは十分承知しているはずだ。
加えて人の少ない早朝であることが幸いだった。さもなければ大勢の人が耳を痛め、ステラは役人やお客達へ際限なく謝り倒す羽目になっていただろう。
それでも被害者がいない訳はない。先の騒音を最も近くで受けた者が、耳を抑えてうずくまっていた。
「その、本当にごめんなさい。怪我とかしてない……よね?」
背後からステラが謝罪すると、マサキは跳ね上がるほどの勢いで瞬時に立ち上がった。見たところ彼の身体に異常はない。
「いえいえ、お陰ですっかり目が覚めましたぜ。感謝感謝!」
彼女の一言ですっかり調子を取り戻している所を見ると、見掛けによらずタフなのだろうか。頭をかく癖はいつも通りだ。
その微笑ましいとも可笑しいとも取れるやり取りを観察するのも楽しかったが、エルミナには他に疑問があった。寝不足の原因が不安ではないのなら、他に何があるというのか。
「さっきまで眠そうだったけど、何かあったの?」
「あぁーね、昨日はその……げ、ゲームをね」
「えっ、あのゲームもうやってたの!?」
「ゲーム? あ、そういえば買ってたっけ。まさか、文字も読めない内にプレイするなんてね」
ステラは驚きながらも興味津々といった様子で、一方のエルミナは少し遠目な視点から反応している。それも決して賞賛の言葉ではないのだが、彼は何故か自慢するように語り始めた。
「そうそう、辞書使いながらゲームするとか、人生初の経験だったっての。それで、最初は律儀に一言ずつ台詞を読んでたんだけど、なんか段々めんどくさくなってきてさ。結局──」
最早彼の饒舌にも慣れつつある。次から次へと流れてくる言葉を聞き流しつつ、エルミナは彼のことを「根っからのゲーマー」と評していた。彼を見下しているのではなく、激変した環境の中でも純粋に趣味を楽しむほどの熱意に感心していた。──そして、そんな彼の"純粋さ"が、彼女には羨ましかった。
「──っていうことで、とりあえず当分はステータス上げって所かな」
「いいなぁ、私も早くやりたいなぁ。ね、エルもそう思うでしょ?」
「うん、マサキさんもすごく楽しんでるみたいだね」
談笑が続く中、入口の方から2つの足音が同時に近付いてきた。
1人はエルミナよりも3つ程年上の女性で、美少女というよりは美女というのが近い。もう1人は背の低い少年で、線の細い顔立ちをしている。並んで歩いていたが、女性の方はこちらに気づくなり駆け寄ってきた。
「あら、エルちゃんにステラちゃん。おはよ」
短く挨拶した彼女はガイドの1人、言わばエルミナの先輩だ。彼女はガイドの仕事が制度化した3年前からこの仕事をしている為、この世界の状況について良く知っている。
「おはようございます、シェリーさん。早速なんですけど、この人の仕事探しを協力して欲しいんです」
そう言いいながらエルミナがマサキを指さすと、シェリーは意外そうな顔をした。今まで転移者といえばエルフや獣人、または魔物などで、人間が転移してきたという例は聞いていないのだ。
「えっと……貴方、マサキ君と言ったかしら? 私はシェリー・ベネット、ガイドやってます」
「はい、つ、ツカト・マサキです。どどどうぞよよよろしくお願いします!」
「ええ、よろしくね」
つっかえながらの返答に、彼女は優しく微笑む。
昨日の今日で、美人を目の前にしたときの対処法を身につけられてはいないらしい。緊張を全面に押し出した挨拶は、一周まわって清々しいとも言えるだろうか。
「ほら、アスちゃんもご挨拶」
「"ちゃん"は止めて! ……せめてくん付けにして下さい」
不満を零すが、すぐに顔を上げて言った。
「こんにちは、えっと、僕、アストって言います。その、シェリーさんのサポートをしてます。よ、よろしくお願いし──」
「おお! これは……」
アストの言葉を遮り、どこかで聞いたような反応を示すマサキ。相手は微妙な空気に戸惑うばかりだが、構わず喋り続ける。
「まさかこんなに幼い女の子が仕事をしているとは思わなかったぜ。それにしても、なんかボーイッシュって感じするな」
「あの、僕は男──」
「あれ、でも"僕"って言ってたから、もしかしてボクっ娘なのか!? すげぇ!」
「男だって言ってるじゃないですか! それに、なんですか"ボクっ娘"って?」
あまりにも一方的なトークに耐えられなくなり、アストが大声で反論した。確かに彼は、少女と間違われることもあるくらい可愛らしい顔立ちであり、本人は結構気にしている様子だ。
機嫌を損ねるアストと、誤解したことを謝るマサキ。表情から察するに、どうやら本気で間違えたらしい。
「アスちゃん喧嘩しないの。ごめんねマサキ君、うちのアスちゃんがこんなに"可愛くて"」
「は、はあ……そうですね?」
謝っているはずだが、申し訳なさが一切感じられない笑顔をしている。この調子で仕事を任せて大丈夫なのか、と不安にもなるが、エルミナ達には別の仕事がある。
「それじゃ、私たちはダナクさんの所へ行ってくるので、お願いしますね」
「オッケー。じゃあマサキ君、年齢と特技教えて」
「はい、……ハローワークってこんな感じなんか?」
笑顔で話を始める彼らを背に、エルミナとステラは奥のカウンターへと向かって歩き出した。と同時に、
2人を呼ぶ低い声がその先から聞こえた。前を向くと、役員であるダナクと目が合う。
「昨日はお疲れ様。それと、今日調査する場所のデータを送っておいたから、よく見ておいてね」
「それなら、昨日の内に確認しておきました」
「流石、しっかりしてるね。ステラさんは大丈夫かな?」
「はい、大丈夫です。……多分」
語尾を濁した台詞を聞いて余計に不安が高まる。AIならば情報くらい一瞬で認識できるはずで、メッセージ等の確認を忘れる、というのも考えづらい。
「ステラ、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫! ……だいじょうぶ」
「ハハハ、エルミナさんは用心深いんだね。そこまで心配しなくても平気だよ」
「そういう問題じゃ──いえ、何でもないです」
短い笑い声を含んだ彼の楽観的な態度は、2人への信頼を示すものだ。同時に、彼には語尾の"多分"が聞こえなかったことも示している。
「それじゃ、気をつけて。何もいないとは思うけどね」
冗談めかして再度笑い声を漏らすダナクを背に、2人は並んで案内所を出た。