#005 世界の現状
買い物を一通り済ませた後、3人は顔もまともに合わせないまま休憩所に来ていた。ショッピングモールの最上階である6階の中央にあり、飲食店が5、6軒ほど集まっている。
外壁はガラス張りで、駅周辺の街並みを見渡せる造りになっているため、景色を見ながらゆっくりと食事を摂ることもできる。しかし曇り空のせいか、何時もは満席のガラスに接したテーブルが空いている。3人が座った席はその外壁沿いの中央だ。
「あのー、エルミナさん? さっきはその……」
「……はぁ」
静かに本を読んでいるエルミナ。隣にはディスプレイを操作しているステラが並び、目の前には申し訳なさそうな表情のマサキが、身を潜めるように座っている。買い物が続いた為に疲れている様子で、このタイミングでの休みはありがたいのだろう。
しかし、これでは誰も気が休まらない。何とかして話かけようとしているが、先の出来事が彼女にはかなり堪えていた。
「すいません、本当にただ勘違いしただけなんです! いやそれでも俺が悪いけど! ……とにかくすいませんでした」
「……いいですよ別に。怒ってないですから」
彼女は本に向けていた目をマサキの方へ移すが、しっかり見ているかも怪しいくらい目が虚ろになっている。そして言い終わると、またすぐに紙上の文字を追い始める。
あまりにどんよりとした話し方に、ステラは心配して声を掛けた。
「エル、本当に大丈夫? さっきからずっと下向いてるけど」
「大丈夫……怒ってなーい」
「怒ってないっていうより、これはスゴく落ち込んてるね。ごめんなさいマサキさん、私が最初にしっかり説明しておけば──」
「いやいや、とんでもない! 俺が変なこと言っちまったせいですから、俺が悪いんです。2人ともすいません」
ステラの言葉を遮って、マサキが早口で捲し立てる。それを受けた彼女は、また自分が悪いのだと言い始める。
このように、あの事件から買い物中ずっと謝り倒していたのだが、エルミナの落ち込み具合は回復せず。見ていられなくなったステラは、自分の説明不足と判断して逆にマサキに対して謝り始めた。
彼にとって、「異世界での楽しいお買い物イベント」のつもりだった思い出は、すべて彼女等への謝罪で埋まってしまい、まさに出だし絶不調の状態にあった。こんな筈ではなかったのに、という気持ちが顔にハッキリと出ている。
「ホント、すいません」
「こっちこそ本当にごめんなさい。私の──」
「……もういいよステラ、マサキさんも。なんか私の方が悪い気持ちになってくるから、謝るのは止めね」
平行線な謝り合いが続く中で、エルミナがようやく自分から喋り出した。言い合っていた2人の方へ向いており、先ほどまでの落胆は薄れている。
それでもまだ居心地悪そうに座っているマサキに、エルミナから声をかける。
「マサキさん、どんな物を買ったんですか?」
「お、それ聞いちゃいます? なんとですね──」
すると彼は、前のでき事が無かったかのように、普段のノリの良さを発揮して話した。袋から購入した商品を手際よく、次々に取り出していく。
「まず服。上着はこの革のジャケットなんだけど、色合いで迷ったんだよね~。黒っぽいとズボンと被るから、結局茶色なんだけど。で、Tシャツは白地に……」
彼に服を語らせるとキリがないようだ。自信満々に話すのはいいが、早口になっているせいで内容が入ってこない。ステラはもはや彼の言葉を拾うことすら諦めて、窓の外を眺めている。
「あの……服以外には何か買いました?」
「んーと、取り敢えず食料3日分と、あとは本かな。俺、此処について何も知らないですし。辞書使いながらだけど、何となく読めるかな~って」
そう言いながら、袋から2、3冊の厚い本を取り出した。書店で買ったらしい資料集や図鑑などで、戦争や機械兵器に関する物だ。
大戦中は出回ることの無かった情報だが、復興が進んでからは紙媒体や電子書籍で販売されている。全てが載っている訳ではないが、機械兵器の桁違いな威力や戦争に使われたAIなどが解説されている。
「勉強熱心なんですね、マサキさんは。ここに来たばかりなのに」
「そんな真面目じゃあないっすよ。ほら……ちょっと興味が湧いたっていうか、好きな作品の設定資料を見たくなるアレっていうか……そんな感じの」
「……なるほど」
手振りを加えながら説明するが、反って分かりにくくしているようだ。内容はあまり理解しないまま、エルミナは更に気になることを尋ねた。
「でも、そんなに沢山買ったら重いんじゃ……。電子書籍も販売されているから、そっちで買っても良かったのに」
「まあそうなんだけど、俺は本の方が好きかなぁ。実際に手に取って読む方が実感あるし」
書籍の電子化が進んでいるが、紙の書籍が消えたのではない。モールの中だけでなく、本屋はこの都市のあちらこちらに存在する。マサキのように単純に好みで選ぶ場合もあるが、暇な時に直ぐに読める、端末で見るのでは目が疲れてしまう、という理由もある。
エルミナもまた、彼と似た理由で紙の書籍を読んでいたので、何処か親近感を覚えた。
マサキの購入した物はこれで終わりではなかった。もう1つ、左手に持っていた袋を机に置き、中から箱のパッケージを取り出した。
転移者用の宿も含めれば、生活必需品はほとんど揃っているはずだ。何か趣味の物でも買ったのかと思っていたが、そこにはエルミナの予想しない物が入っていた。
「それと、これこれ。この世界にもあったんっすね~」
彼は一層ニンマリとしながら、そのパッケージを開封した。そこには両手に収まる程の携帯型ゲーム機、それと充電用のコードやら取扱説明書やらが袋詰めされていた。
早速手に取って、実際にゲームをプレイする様に指を動かしている。その動作も実に手慣れていて、彼の手は自然とゲーム機に馴染んでいる。
「あ~懐かしいなぁこの感覚。まだ1日しか経っ
てないけど、"帰ってきた"って感じするなぁ~」
「ゲーム機……」
こんな状況でゲームのことを考える余裕があるのか、とエルミナは驚いていた。肯定的に見れば落ち着いているが、ただの酔狂な程のゲーマーかもしれない。
その様子を横から見たステラが、いきなり大声で会話に割り込んできた。
「あ! そのソフト、今週発売された新作"ソード・フロンティアIV"!」
「ステラ、これ知ってるの?」
「勿論。ずっとやってみたかったんだよねー」
その言葉を聞くなり、すかさずマサキが話しかけた。
「え、ステラさんこれ知ってるんすか!」
「まあ、一応、RPGってことと、リアルタイムバトル?っていうのは知ってますけど、私下手だから……」
「そ、そうなんすか……でも大丈夫ですよ、RPGはある程度攻略法が決まってるから、慣れればなんてことは──」
「教えて下さるんですか! 是非、お願いします!」
既に一緒にゲームをする気でいるのか、顔のみならず全身で喜びを表現している。食い気味に返したステラの方は、彼のことよりもゲームがしたい一心で盛り上がっている様子だ。
仕事のサポート用AIという真面目そうな肩書きに反し、彼女もゲーム好きだったりする。前々から続く金銭不足により手をつけることはできないが、「ゲームの為なら仕事も苦じゃない」と言っていた。目的が迷走している点が少し不安ではある。
RPGについての談笑は数分の内に終わり、エルミナは次にするべきことについて計画を立てていた。今日揃えた物があれば数日は持つが、その先もここに"住む"のならば、他にも必要なことがある。
その当の本人であるマサキが、ガラス越しの景色を見ながら不意に言った。
「にしても、この街ってホントに広いんだな。なんか、昔を思い出すっていうか。戦後とは思えないくらい便利なもんだし……」
何気ないこの言葉が、場の空気を一転させた。
この世界の事情などまるで知らない、異邦の少年の言葉だ。今、彼の頭の中は多くの情報で埋め尽くされていることだろう。ひとときの休息に景色を眺めながら、軽く一言を口にしたに過ぎない。
しかし、エルミナはこの言葉に共感し難いものを覚えた。彼の言葉が間違っている、のではない。彼の気楽そうな表情と口調から感じる、僅かな違和感だった。
「……ここは、そんなに快適な場所じゃないんですよ。」
そして、気付けばこんな言葉が出ていた。
彼に向けるべきではない、しかしそれ以外にはやり場のない言葉。彼女はそのまま続けた。
「確かにこの都市は、戦後から物凄い速さで復興が行われたと言われてますけど、まだ荒れたままの場所も沢山あるんです。手も付けられないような荒地も、機械の部品だらけの廃工場もあるくらい」
「エル……?」
ステラは彼女の突然の発言に驚くが、途中で止めるようなことはしない。
一方のマサキは、彼女の真面目な口調に圧倒されているかのようだった。何故このような発言をするのか、その理由を理解したのではない。しかし、文字通り何も知らない彼でさえ、彼女の言葉の重さを感じ取ることができた。
「多分ここからも、遠くに高い壁が見えるはずです」
「壁……ああ、あの城壁みたいなやつか。あれって一体何の為に?」
「あれは大戦中に建造された物です」
彼の疑問に答えたのはステラだった。
「敵軍の進行が勢いを増してきたので、都市を防衛する為に壁を築いたんです」
「そんなに大掛かりな軍隊が……想像もつかねぇ」
これで今日何度目か、悲惨な現実がマサキに突きつけられる。街を歩いている分には、大戦の痕跡など見つかりもしない。連立する建物や道路は整備されていて、街中は多くの人で賑わっている。
エルミナはさらに続けた。
「その壁の外が外周部です。そこには、戦後の急成長に付いていけなくなった人達や、戦争によって居場所がなくなった人達、それに──転移者も」
それまで大人しく彼女の言葉を聞いていたマサキだが、納得し得ない発言に声を上げた。
「えっ、でも転移者はちゃんと助けてくれるんじゃないのか? そんな、いきなり知らない場所に飛ばされて住所不定とか……洒落にならねぇよ」
「……っ、それは……」
ステラが宥めようと口を開きかけたが、発する台詞が見つからなかった。
彼の反論はもっともだった。
転移者にとっては、"境界大戦"も"転移現象"も知らぬ都合である。本来なら訪れるはずのない世界に前兆も無く転移し、文化に付いていけず、生活もままならなくなる。だとすれば、そこに彼らの抗う余地はない。
「じゃあ、この先の生活費とかはどうすれば?」
「自力で稼がなければ厳しいでしょうね。当然、私たちの方でもできる範囲での協力はしますけど……転移者全員への完全な支援は難しいと思います」
彼女にとっては、口にしたくない事実だった。転移者を案内、つまり導くことが自分の役割なのだから。
多くの面で不利な転移者には、都市側から一定の保護費が与えられる。が、この都市は元々人口が多く、さらに転移者も圧倒的に多い。戦後であることも加え、1人1人に十分な費用は与えられないのが現状だ。
その後も幾らか論争は続いたが、結論が出ることはなかった。
そもそも争う対象が違うのだ。マサキの不満は転移者に対する都市全体の扱いであり、ガイドであるエルミナはその一部に過ぎない。寧ろ、このような環境に置かれているにも関わらず、「協力する」と発言した彼女に対して怒りをぶつけるのは筋違いと言えるだろう。
言葉が絶えてから暫く、2人は見つめ合うでもなく、机と顔の間にある空間を眺めていた。その視線は交わらない。同じ場所に居ながら違う環境にある。異なる思考を巡らせながら同時に存在している。
「そうか……俺、ちょっと甘く見てたかもな」
息をつき、先に言葉を発したのはマサキだった。瞬きを繰り返しながらだが、語調はどこか落ち着いていた。
「異世界だ、転移した、なんて思っていたけど、そんな楽に生きていけるはずないよな。これが──ここが、現実の世界なんだな」
「マサキさん……」
エルミナには、彼の瞳の色が変わったように思えた。停滞した空気を突き破るような真剣な眼差し。
「すいません、勝手なこと言って。大変なのはエルミナさんも変わらないのに……」
「いえ、こちらこそいきなり変なことを……ごめんなさい」
マサキは出会った時のように勢いよく頭を下げ、エルミナはそれにつられて謝罪の意を示した。2人がほぼ同時に顔を上げると、彼は立て続けに決意を述べた。
「俺、明日にでも働けるように、仕事探してみるよ。そんな簡単じゃないと思うけど、こうなっちまった以上は仕方ない。あっでも、もし見つからなかったら、協力お願いします!」
「え、ええ。分かりました。協力しますよ、マサキさんの今後の為に」
「……」
「……」
勢いの良さに戸惑いながらも答え、話は収束しつつあった。しかし、まだ僅かに気まずい空気が流れていることは否めない。2人の沈黙がそれを物語っている。
出会ったその日に多くのでき事が起こり、収集を付けられずにいるのだろう。マサキはエルミナのことをアンドロイドと間違える失態を晒し、案内中も自由奔放に振舞っていた。エルミナは彼のあまりの気楽さに違和感を感じ、思わず劣悪な現状を言葉にして、彼に押し付けてしまった。
頭をかきながら、マサキが何かを言おうと口を動かした時。
「──さぁ、2人とも、仲直りしましょう!」
それまでほとんど口を挟まずにいたステラが、向かい合う2人の肩を叩きながら言った。燈赤色の瞳がガラス越しの夕陽を反射し、眩い光を放つ。そんな輝きを伴った笑顔を双方に向けている。
「ステラ……仲直りって、別に喧嘩とかじゃないし……」
「細かいことはいいの。このままじゃずっと気まずいままでしょ! ね、マサキさん」
「い、いやぁ……その~」
「そうだ! 私たちで友達になるのはどうかな?」
「えっ?!」
唐突な提案に、2つの驚嘆が重なった。一体何を言い出すのか、エルミナにはその真意が理解できなかった。こんな状況で一体──
いや、こんな状況だからこそ、そう言ったのかもしれない。
彼女は相変わらずニコニコしているが、そこに冗談めかした色は無い。2人が良い関係でいることを、彼女は"心から"願っているのだろう。やり方の多少の強引さはともかく。
「あ、友達だから堅苦しいのは無しだからね。よろしく、マサキ君!」
戸惑う彼に構わず、早速慣れたような、良くいえば友好的な態度を取り始める。
「は、ははははい!! よろしくお願いしますステラさんっ!」
「敬語も無くていいのにな~。ほら、エルも」
それまで下がり気味だった視線を上向きに変え、彼の瞳を捉える。人見知りなエルミナは若干緊張しながらも、努めて明るい表情で言った。
「うん……よろしく、マサキさん」
「こっちこそ、頼りにしてるぜ!」
数分間のぎこちなさは、ここにいる者達の笑顔で消えていた。表情は一人一人少しづつ異なるが、皆がこの先の良好な関係を望んでいるように思えた。