#001 案内人 *
ここ最近は曇りが続いている。
この都市は他と比べても特に機械化が進んでいるが、どれだけ科学技術が発達しようとも天候を操ることはできない。もっとも、自然現象に逆らうなどということがそう簡単にできるはずもない。
窓から覗く景色を眺めつつ、手元の本を読む少女。読書は彼女にとって数少ない趣味である。
「……そろそろ行かないと」
少女は読んでいた本に栞を挟み、鞄に入れてから立ち上がった。予報によれば、今日は初夏にしては肌寒く風の強い日らしい。長袖シャツに長ズボンという地味な服装の上に、薄手の上着を羽織る。帽子を被って鞄を持ち、忘れ物がない事を確認してから部屋の外に出る。
彼女の住んでいる集合住宅は内廊下であり、照明が薄暗く茶灰色の床を照らしている。突き当たりのエレベーターを使用して1階のロビーまで降り、入口へと向かう。この辺りの建物の構造は、昔からほとんど変わっていない。
自動ドアが開いた瞬間、急に強めの風が彼女の頬を刺激した。一瞬目を細めるがすぐに慣れ、紺色の短髪をなびかせながら歩いていった。
8年前、"境界大戦"と呼ばれる戦争があった。異なる世界の者たちが世界の境界を突破し、こちらの世界を支配しようと軍隊で攻撃を仕掛けてきたのだ。
これに対応するために、発達段階にあった機械兵器の技術を応用し、様々な兵器が作り出された。そして3年の時を経て、大都市プレスティアを拠点として結成された機械兵器軍隊"アルストラ"により、敵軍隊を退けることに成功した。
しかしこの戦争により、大きな弊害が生まれてしまった。"世界の境界"が歪み、その一部が弱化したのだ。
元々、世界同士が境界で隔たれていることは、約一世紀前にある人物によって証明されたことである。その人物は、長い年月をかけて空間の歪みから境界の仕組みを見出し、獣人が住むという異邦の地へとたどり着いた。
その後も同じような実験が繰り返され、遂には違う世界同士を行き来する手段が確立するまでになった。異界の人々同士の交流も盛んに行われ、移住する者も少なからずいた。
そんな時代に、境界が壊れてしまった。
世界の境界が弱まったということは、その行き来が非常に起こり易い状態になっているということだ。ある人が意図的でなく世界を転移してしまうことも有り得る。
この現象は"転移現象"と呼ばれ、それによってこの世界に迷い込んでしまった人たちは"転移者"と呼ばれる。その彼らを案内する案内人"ガイド"が、都市部を中心に活動している。
その1人、エルミナ・ネスト。ガイドの仕事を続けて1年になる、16歳の少女だ。
都市周辺にある家から10数分ほど歩くと、最寄り駅にたどり着く。通勤、通学の時間帯の為、多くの人影が視界を横切り、多くの足音が鳴り響いている。その騒がしい空気を感じながら、彼女は"サポーター"と待ち合わせていた。
「……来ない」
現在朝の7:00。相変わらず曇っている空を見つめながら、ため息混じりに呟く。
既にエルミナがここへ来てから10分は経っているが、一向に姿を表さない。少し不安になった彼女は携帯端末のプロジェクター型ディスプレイを起動し、昨日のやり取りを確認するが、待ち合わせる時刻に間違いはない。
暇つぶしに読書でもしようと、家で読んでいた本を取り出そうとしたその時、駅と反対側から聞き覚えのある甲高い声が響いた。
「エルー! ごめ~ん、遅れちゃった」
姿を表したのは、赤い長髪の一際目立つエルミナと同じくらいの背の少女。しかし服装は対称的で、半袖で裾はローブのように長い上着に、短めのプリーツスカートを身につけている。その少女は口頭では遅れたことを謝っているが、表情は笑顔なのであまり謝罪の意が感じられない。
「ステラ、あんた何回遅刻すれば気が済むのよ。このポンコツAIめっ」
「痛っ! 会ったばっかりで叩かないでよ」
「アンドロイドなんだから頑丈でしょ。平気平気」
「今日はエルが冷たいなぁ」
手刀を喰らったステラは、頭を抑えながら攻撃の主を上目で見ているが、エルミナはそんな視線にも構わずに駅の方へと走り始める。
「ほら、急がないと乗り遅れる」
「ちょと待って! まだ寝起きなのに……」
「寝起きって、起床時刻くらい自分で管理しなさいよ」
いかにも眠そうに目を擦る彼女の行動は、もはや人間のそれにしか見えない。
このステラという少女は、人工知能を搭載した人間型アンドロイドだ。外見はどこを取っても人間そのもので、顔のパーツや腕、脚なども人間と同じ形をしている。彼女はエルミナのパートナーであり、ガイドの仕事を共にこなす存在である。
急ぎ足の2人が駅のホームまで着いた時、ちょうどリニア車両がホームに停車した。速度を緩めずに車両に乗り込み隣同士の席を確保すると、2人はようやく落ち着いて話始めた。
「一応聞くけど、なんで遅れたの?」
「寝坊したからです!」
「正直でよろしい。でも、そろそろ寝坊はやめて欲しいなぁ。遅れるし」
「うっ……ゴメンなさい、気をつけます」
先ほどとは違い真面目に反省している様子が見て取れる。エルミナもこれ以上責めるつもりはなく、外の景色を見ながら話を切り替える。
「今日の依頼ってどんな人達だっけ」
その質問にステラは、左腕に装着した端末兼操作パネルを動かしながら答えた。その端末から、透明に浮かんだ画面が幾つか表示されていく。
「全部で3人いるよ。1人目は獣人の国の出身で、犬みたいな耳をしてるね。2人目は耳がとんがっているから、エルフかな? 3人目は普通の人みたいだね」
全てを聞き終える前に、彼女は控えめなため息を吐いていた。
「また今日も、結構変わった人達だね。スライムとか虫みたいなのよりはマシだけど」
「そんなこと言わないの。これが私たちの仕事なんだから」
実際、案内の仕事は想像以上に困難だ。
多種多様な人がこの世界へ迷い込むが、言葉が通じればマシな方だ。言語が違うどころか言葉すら喋らない場合がある。その場合、相手の僅かな仕草や反応から相手の要望を読み取らなければならない。
更に、相手が無茶な要求をしてくることも稀ではない。「科学技術が発展した大都市」と言えば何でもアリだという印象を受けるかもしれないが、それも産業の発展や生活の利便性向上に利用されているものだ。
人類そのものが進化している訳ではないので、「飛行したい」とか「超能力を使いたい」と言われても対応のしようがない。これの説明、或いは説得にも相当な気力が必要となる。
1年とはいえガイドの苦労を知っているからこそ、愚痴を言わずにはいられなかった。
「まあ、これで少しでも稼ぎになればいいんだけどね」
そう言った彼女の目は、少しの寂しさを含んでいた。
大都市プレスティア東地区、その中でも特に中心部に近い場所。高層ビルが連立し、その間を一般道路や線路が通っている様子が見える。街中を走る車はほとんどが電気自動車で、サイズも1~2人乗りのサイズが小さいものが多い。大きな建物の周りには、透明のスクリーンに蛍光色の目立つ文字が表示されていて、看板の役割を成している。
リニアを降りてまた10分ほど歩くと、2人が目的とする建物へとたどり着いた。都心部によく見かける高層ビルで、灰色の建物に看板等のシンプルな装飾が施されている。この建物全体が"転移者総合案内所"、東区に立地する案内所の1つだ。
内装も外見と変わらず質素な雰囲気だ。白い壁、床は橙の地に茶色のラインが入っている。
「おはよう2人とも」
声をかけてきたのは案内所の役員、アルバート・ダナク。見た目30代前半くらいの男性で、褐色の髪型をオールバックにしている。服装は濃い緑色のベストに黒の長ズボン。コンピュータを目の前にしていたが、2人の姿を見てカウンターまで来た。
「おっはようございまーす!」
「……おはようございます」
ステラは勢いよく、エルミナはそれに続き落ち着いた声で挨拶をし、ダナクはいつもの爽やかな笑顔で返す。2人が端末による認証を終えると、書類をこちらへ出して依頼者について説明を始めた。
「昨日も確認した通り、今日は3件の仕事をお願いするよ。8:30から1人目のヴァルド・オークスさん。11:45から2人目のアリア・ロト・クラヴィーアさん。2人とも時間までにはここへ来られるそうだよ」
2件目の仕事が11:45に入っているということは、昼食の時間は少し遅くなるだろう、とエルミナは考えていた。経験上、1人案内するのに大体2時間半はかかる。
「3人目なんだけど……」
「ん? どうかしましたか?」
ダナクの言葉が途切れたので、何か異常があるのかと思いエルミナが聞き返す。彼はディスプレイと書類の文字を交互に見て、困惑したような顔をしている。
「ツカト・マサキさんという人なんだけど、どうも出身地に見覚えがないんだ。"ニホン"という国から来たらしい……」
「ニホン? 確かに、見たことがないですね」
AIであるステラもそう答えるということは、少なくともこの案内所では初めて見る国である、ということだ。
同じ案内所にいる案内人たちは、転移者に関する情報をデータベースに記録している。そして個々のAIは、それにアクセスして直ちに情報を得られるようになっている。
「時間は16:00から。まあ、見たところは普通の人間のようだから大丈夫だとは思うけど、念のため慎重にね」
「承知しました!」
「エルミナさんは、その人の特徴をよく覚えておいてくれるかな」
「わかりました」
エルミナはメモ帳とペンをズボンのポケットから取り出し、案内する時刻と注意すべきことを手早く書き込んでいく。ここでは端末を使ってメモをする人が圧倒的に多いが、彼女にとっては紙のメモの方が使い勝手が良い。
挨拶と同じように正反対の返事をする2人を見て、ダナクが少し面白そうな顔をして言った。
「にしても、君たちは他のペアとは反対だね」
「どういうことです?」
不思議そうな表情でステラが聞き返す一方で、エルミナには彼の言わんとすることに心当たりがあった。今までに幾度と無く言われてきたことだ。
「性格というか、雰囲気かな? 大体のサポーターのAIは大人しいんだけどね」
「なるほど……そういえば他のサポーターからも『AIらしくない』って言われるかも」
「それ単にバ……いや、何でもない」
「え、そこで止めないでよ。気になるじゃん!」
エルミナの言葉を聞き逃さなかったのか、ステラは途中で切り上げたことに不満を示している。これも、流石にそこまで言うのは可哀想だ、という気遣いのようなものだ。その様子を見て、ダナクがフォローするように付け足す。
「あ、別に悪い意味じゃないんだ。君たちは本当に仲がいいからね。相性抜群だと思うよ」
「そうですかね?」
「もっちろん! 私にとってエルは一番のパートナーですから!」
先ほどの表情をコロッと変えて、自信ありげな表情で嬉しそうに言うステラ。ダナクの言うように、彼女の感情表現の豊かな様子が見て取れる。
何気ない会話をしている内に時間は過ぎ去り、1人目の依頼者が姿を見せた。