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マリーゴールド  作者: はち
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1.再会

 社会人一年目の冬になって、私は会社を退職した。別に職場環境や病気のせいではない。ただ、一つの場所に留まることに限界が来たというだけだった。

 そうして、最後の出勤日、最後の業務であるデスクの片づけを終わらせた私は、お世話になった先輩に形だけのあいさつを済ませると、すぐに会社を出た。


 私は一年間通ってきたきたビルを、見上げることもせず、ただ何事も無かったかのように帰路についた。

 

 明日からどうやって生きていこうかと悩みながら歩いていた時、駅前で私の体に緊張が走った。体中が強張り、固まってしまった。


 この世で一番会いたくない人間が、私の視界に入ってしまったからだ。

 心は無意識に内に防衛本能を働かせ、見間違えだと主張した。しかし、駅前で携帯電話を弄っている女性は、どこからどうみても先生だった。


 彼女は静喪先生と言い、生物の教師で私の所属するクラスの担任教師だった。数年ぶりの再会は私を不快な気持ちにさせた。

 なぜなら彼女は恩師というにはあまりにもふてぶてしく、厚かましく、およそ教師という職業には相応しくない人間だ。

 私にとって、彼女は恩師ではなく怨師とも言える存在だった。


「いやいや、それは言いすぎ」


 気づいていない振りをして立ち去ろうとしたとき、静喪先生はいつの間にか近づいてきてそう言い放った。予期していない事態に私は驚いて、大きく後ずさった。

 その時引いた右足が段差にぶつかり、私はバランスを崩して尻もちをついた。買ったばかりのダッフルコートが解けた雪にあたり、べちゃっという音を立てて台無しになった。

 痛みを感じながらも、体より先に服の心配をしてしまう自分の貧乏性に嫌気を覚えた。


「はは、大丈夫かな?」

 先生は冷めた目のまま微笑んで、私に手を差し伸べた。

 私は浅い溜息をついてから先生の手をとり、「お久しぶりですね、先生。会えて光栄ですよ」と、心にもないことを言った。


「私もさ」先生は微笑んだまま、本心なのかどうか分からない言葉を言った。

 私は立ち上がり、雪についたお尻を擦ってみた。幸い、それほど水は染みこんでいないようだ。これならクリーニングでなんとかなるだろう。


「しかし、久々の再会だというのに、私を見るやいなや心の中で毒づくとはどういうことだね?」

「毒づいてなどいませんよ」それは本当だった。さっきのは私の本心であり、毒づいたつもりなどない。


「まあいい。さて、せっかく会ったんだ、今夜食事でもどうかな?」

「お断りします」即答だった。自分でも驚くくらい、即座に断った。

「何か予定でもあるのかな?」

「そうですね。予定がみっちりでして」

 嘘だった。予定などない。けれど食事に行くなんてとんでもないことだった。


「私の前で嘘が通じないのは分かっているだろう?」

 また冷たい微笑みを見せると、不気味なことを言った。


 そうだ。この人に嘘は通用しない。鈍そうな顔をして、私の嘘を完璧に見抜いてしまう。そういうところも昔から大嫌いだった。


 私は頭の中でシミュレーションしてみた。様々な言葉で断ってみたが、結末はどれも同じだった。そもそも、嘘を封じられた時点でこの戦いは負け戦だ。まあ、普通はやんわりと断った時点でそれ以上誘ったりはしないけれど。そういった常識は先生を前にしては意味をなさない。


 私は観念して「じゃあどこに行きます?」と言った。

「この先に美味しいトマトチゲ鍋を出す居酒屋があるんだ。女子会にはぴったりな品だろう?」

 私は、「こんな不気味な女子会も他にないだろうな」と心の中で呟いた。


「あ、また毒づいただろう?」

 振り返り、そう言った先生を前に、私は深い溜息をついた。


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