青春の終わり
ただの妄想です。
その内ハッピーエンドっぽい方を書くかもしれません。
染まる。
赤く、炎のように
染まる。
紅く、燃えるように
染まる。
朱く、終わりを告げるように
「…終わった」
高校生活最後の日、1人教室に佇み僕は…
“3月5日”、まだ厚みのあるカレンダーが示す日付は、ただの日付という意味では一月の始まりを感じさせる。けれど同時に、高校生の僕には、実感のない終わりを突きつけている。
頭に靄がかかったような気分で、僕は1人教室に佇んでいた。
何もない僕をかき消すように、夕焼けは煌々と照らしてゆく。
窓も、カーテンも、壁も。
何もかもを一色に染め上げてゆく。
綺麗だとか、幻想的だとか、そんな風に、有り体な感想を述べれば良いのだろうけれど、今の僕はそれすらできない。
『C組33番、三沢太陽!』
「はい」
『-ここに、卒業証書を授与する』
「………」
『…三沢くん?」
1つの色に染まる光景が、何だか情けなく思えて、思考を切り替えるために、眼前のキャンバスを眺める。
「はぁ…」
嫌になる。どうしてこうも鬱々とするのだろうか…
思いを形にした。
想いを像にした。
なのに、今目の前にあるのはまだ僕だ
何も出来あがってなんかいない。
きっとこれじゃダメだ。
手に持った筆で、大きくバツをつける。
「ハハ…」
出来た絵には鬱々とするのに、バツをつけた時だけは快く思える。
ああ、このバッテンはまるで自分のようだ。
そう思ってしまう。
「クソっ!」
そんな小さな事も嫌になって、キャンバスを蹴倒し、教室を後にする。
放課後の校舎からは、3年間聞こえていた生徒たちの声はない。
式典が終われば、みんな一様に涙を流し、集合写真を撮ってから暫くして、学校を後にした。
なんて事はない。
輝かしい青春の1ページだ。
刻むべき思い出の1欠片だ。
それが普通で、そんなのが当たり前で、未練がましく学校に残る生徒なんて、そういない。
それが夕暮れ時ともなると、殊更だ。
だから、今学校には僕以外の生徒なんていない。
そう思っていたから、先客がいたことに驚いた。
屋上の真ん中、扉から数歩の所に1人の女子生徒がいる。
夕焼けに包まれながら、佇む姿は美しいと思えたけれど、どこか遠くを眺めている彼女の様子が、あの赤い空を悲しげに見させた。
ふと、気付けば僕は、教室で絵を描いていた。
先ほどの女子生徒が、キャンバスの中にいる。
「…これもダメ」
肖像権がどうとか、そういう事じゃない。
ただ、この絵には何も込められていない。
似せられただけの偽物。
基盤にさえ、なりはしない。
大きくバツを描く。
-いつからこうなってしまったのだろう?
現実から逃げて、逃げてきた道からも去って、そうして今、静寂という音になって僕に突き刺さる。
何もない
何もない
お前には何1つ無い
遠ざけてきたものが、避けようのない壁として建っている。遠ざけようのない時間として経っている。
夢や目標だなんて、そんな曖昧なものに突き刺さった音を溶かし込んで、偽の愛はいらないと豪語した。
ため息を吐きながら今朝もまた、鏡に映る自分を笑い飛ばした。
どこかの誰かが言うには、“好き”という言葉には“嘘”があるらしい。
きっとそれは、好きという言葉が嘘なのではなく、何かを好きだと言う人は、好きだと言う為に嘘をついているという事なのだと思う。
僕は、絵を描くのが好きだった。
でもそれは、ただ絵を描きたいだけじゃなかったんだ。
小さい頃、絵を描いて沢山の人に褒められた。
上手だと、天才だと持て囃された。
それが嬉しくて、何より喜ばしくて、絵を描くのが好きになった。
僕は、人に褒められるのが好きなだけだった。
-思えば昔からだったのだ
ストンと、腑に落ちた。
どうしようもなく認めたくない筈なのに、存外嫌悪感はなくて、“ああ、そういう事だったのか”なんて、他人事みたいに考えている。
ふと、顔を上げて黒板を見れば、クラスメイトが挙って書いた文言が、雑多に詰め込まれている。
真ん中にはお決まりのように“卒業おめでとう!”の文字。
どこも同じような事を書いていると分かっていながら、とても特別なもののように感じる。
明日には消されるこの落書きが、ひどく美しく思えてくる。
彼らはなぜこのようなものを残せるのかと、胸中に問いかけてみても、当然、応えは無い。
未完成の作品ばかりが、僕の手に残されている。
鼠の死骸を描いた。
血の匂いのする絵具は、僕が流した涙と混じって、鼠を朱く光らせた。
将来の夢は、昔から画家だった。
そんな自分を、何故か誇らしげに思いながら誰にでもなく将来を誓った。
何度も、限り無く、反省せずに…
そんな誓いは時間の流れに儚く散ったけれど。
それでも小さな頃は良かった。
たくさんの賞を獲った。
幾度となくも表彰された。
年を重ねる度に、賞が金から銀になり、銅になった。
過ぎた年の分だけ、獲った賞の数が、表彰される回数が減った。
上達はしていた。
だから気の所為だと、目を背けられた。
過去の僕は、いつも泣いていた。
過ぎ去った日々は思い出せない。
なのに確たる事実のように、僕の胸は乾いている
流した涙の分だけ、僕の心は渇いている。
そんな凍りついた毎日を送っていた。
「沈んだ気持ちじゃ生きていけない」
とか
「人生楽しまなきゃ損」
だとか、言葉にするまでもなく、僕はこの身を焦がして知っている。知る事がある。
あの悲しげに見えた空でさえ、朝焼けを灯すために、着飾った星屑を、ガラクタのように脱ぎ捨てるのだろう。
…星屑?
チラリと、外を見ればまだ夕焼けは続いており、煌々と空を染め上げている。
一色に染められた空はどんなに目を凝らして見ても、星の一粒だって見えはしない。
じゃあ、なんで僕は今、あの夕焼けの空が星屑を着飾っていると思ったのだろう…
“あの夕焼けの空”ってなんだ
さっき見た悲しげな空だ。
なんで悲しげだと思った
彼女を見ただろう。
-卒業証書を破り捨て、1人涙を零す彼女を…
……遠くからサイレンの音が近づいてくる。
この音は救急車だ。
遅れて、騒めきが増してくる。
キャンバスの中、大きく描かれたバツ字の下には、宙に身を乗り出す女性の姿があった。
行く先を見据えられず、嘆いていたのは僕だけに限った話ではない…