『対価をおくれ』
まず目に飛び込んできたのは、赤、黄、白、色とりどりに咲き乱れる草花だった。
細い、空に向かって一直線に生えた草々の隙間から、青い屋根が見える。
アリスは草の間を進んだ。
まるで人形のような歩幅だったが、それでもしばらくすると草が円状に刈り取られた場所に出た。
それほど広くないそこの中央には白い幹の木が立っている。
「こんなところで何をしているんだい?
小さなお嬢さん」
アリスは驚いて木を見上げた。
そして更に驚いた。
「きのこ……?」
木だとばかり思っていた白い幹はきのこの軸だった。
茶色い傘の端に、男がゆったりと腰かけている。
男はパイプをふかしながらアリスに挨拶した。
「ご機嫌よう、お嬢さん」
男の口から灰煙の輪っかがいくつも吐き出された。
アリスは何と返したらいいか分からず、じっと男を見やる。
白髪混じりの頭に緑の帽子。
同じように緑の洋服で全身を覆っている。
何より目を引くのが、その手だった。
胴体から8本も手が生えている。
アリスはできるだけ冷静な声音で訊ねた。
「あなたはだれ?」
男は緩慢な動作でパイプをくわえ、煙を吐いて、言った。
「芋虫さ」
アリスはなるほど、と思った。
芋虫だからこんなにたくさん手があるのか、と。
沈黙が流れ、今度は芋虫が訊ねた。
「お嬢さんは誰だね?」
アリスはすぐに答えた。
「アリス」
すると芋虫は体を小刻みに震わせて笑い出した。
「何だ、お嬢さんもアリスなのか。今回は随分と多いなぁ」
「え?」
アリスは聞き返そうとしたが、
「それで、アリス。君は何をお望みなんだい?」
芋虫に先を越されてしまった。
先手をとられたアリスは釈然としない様子で答える。
「元の大きさに戻りたいの」
簡単さ、と芋虫は続けた。
「このきのこの左側を食べれば大きく、右側を食べれば小さくなれるよ」
アリスは喜んで、早速きのこに手を伸ばした。
すると芋虫は、
「お待ち、アリス。これはわたしのきのこだ。勝手に食べてはいけないよ」
そう言って伸ばしかけたアリスの手を足で払った。
「分けてやらん事もないが……条件がある」
「条件?」
「なぁに、簡単な事さ」
芋虫は慣れた様子できのこから降りると、アリスの腕をとった。
「な、何?」
アリスは思わず身を引こうとしたが、絡み付いた8本の腕がそれを許さない。
芋虫が口元を醜く歪め媚びた笑いを浮かべる。
「この綺麗な腕をおくれ」
アリスは驚きに目を見開くと同時に、あることに気付いてしまった。
微かに漂う異臭。
見れば、絡み付く腕の何本かが腐りかけている。
「早く新しいのを着けないと……ほぅら」
ずるりと音をたて、腕のうちの一本が崩れ落ちた。
変色した肉片が地面に飛び散る。
腕を失った部分からは赤いコードのようなものが何本も垂れ下がっていた。
「早くウデをおクレ……」
残っている腕達が、アリスの身体と腕とを反対方向に引っ張る。
鋭い痛みが指の先まで走り、関節の軋む音が聞こえた。
――モガレテシマウ。
全身から冷や汗が吹き出し、心臓が狂ったように暴れだす。
アリスは悲鳴を上げることも出来ず、ただ恐怖に戦慄した。
亀よりも遅い更新ですみませんm(__)m