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第六話 被疑者マンドラ

珍しい仕事が入った。

裁判官をやれ、というのである。

滅多にある仕事ではないが、監査官はスピリチュアル関連の裁判を依託される事があるのだ。

特に、新しく加盟した団体が依頼してくる事が多い。

スピリチュアル関連の裁判では、多くの場合事実関係は曖昧で物的な証拠も無い。

それでも敢えて裁判を行おうというのだから、大概の場合その団体自身は結論をある程度決めてしまっているのだが、そうは言っても連邦がその判断を支持してくれるかどうかについては、自信が持てない事が多いのである。

そこで、連邦政府に依頼して裁判官を派遣してもらい、その判決を見て今後の方針を決めようというわけだ。

しかし、連邦の法務局としてはそんな曖昧な話に責任を持ちたくは無いので、スピリチュアル関係についての高度な専門性を口実に、SI局に丸投げしてくるのである。

どうせ一次裁判権は自治政府にあるのだから、派遣された人間は依頼元の自治政府の責任において臨時裁判官に任命されるので、その責任は派遣された監査官とそれを任命した自治政府の物であり、法務局は黙って見ていれば良いというわけだ。

ケイは、やれやれとぼやきつつボズウェルズビルに向けて、汽車に乗り込んだ。


暫くぼんやりと窓の景色を眺めていたが、やがて気を取り直すとバックパックから申請書類を取り出した。

現地に着くまでには、内容を把握して置かねばならない。

申請団体は、ボズウェルズビルに拠点を置く『主の誉れ』である。

キリスト教系の中でも融通の効かないプレスビテリアン派の団体だ。

プレスビテリアン派は、宗教改革の早い時期にカルヴァン派の影響を受けてスコットランドを中心に成立した。

その経緯から、同じプロテスタントの中でも万事において緩いイングランド国教会とは一線を画す峻厳な姿勢を取り続けていた。

その余りの峻厳な姿勢に、ピューリタン(清教徒)と揶揄された程厳しい派である。

流石に19世紀以降は、嘗ての様に信仰に対する厳しい姿勢に固執する事は無くなっていたが、大いなる再構築を期に再度信仰に対する締め付けを強化し、異端に対して不寛容な方針に戻った団体も多い。

特に今回の主の誉れは連邦内での後発団体であるため、既存団体との差異を際立たせるべきという(ある意味で経営的な)判断から、異端に対する極めて不寛容な姿勢を明確に打ち出している。

今回の件は、スピリチュアル技術を悪意を持って使用した、平たく言えば呪いを掛けたという物であり、要するに魔女裁判である。

これは良く依頼されるタイプの案件だが、一番難しい案件でもある。

ここで言う『魔女』とは、公認されないスピリチュアル技術を行使する(とされる)人間の事である。

つまり、『魔女』とは『異端』の別称と言って良い。

しかし、その公認/異端の識別を着けるのは各地方政府であり、ある地方政府の『公認』技術が隣の政府の『異端』技術である事も珍しく無い。

極端な例では、キリスト教系の団体と悪魔崇拝を標榜する団体が隣接している場合すらあるのだ。

結局の所、多くの宗教における悪魔とは、かつてその教団と対立した他宗教の神々に対する蔑称なのである。

例えば、キリスト教で悪魔と呼ばれ忌み嫌われる存在の一つに、ベゼルブブがあるが、これは、ローマ時代に原始キリスト教の有力なライバルの一つであったミトラ教の主神バアルに対する尊称ベゼル・バアルの転訛なのだ。

この辺りの事情はキリスト教に限った事ではない。

小乗仏教(彼等自身は勿論小乗ヒーナ・ヤーナ等とは呼ばず長老座仏教と呼ぶ)における神に比される存在である覚りに至った人間、すなわち解脱者は、大乗仏教的な視点では己一人の救済を持って良しとし衆生の救済に意を砕かない独覚と呼ばれ『外道』に分類される。

要するに、ごくありふれた現象なのである。

だから連邦では、構成団体間の無用な軋轢を避けるために、なるべく異端を理由とする迫害は避ける方針を取っている。

これは、特定の宗教に関心の無いケイにとっても好ましい考え方である。

まあ、できるだけその方向で押してみようと呟いた。


教団を訪ねると、僧服ではなくスーツにネクタイの老人が、中年のこれも同様の格好の男を従えて応対した。

プレスビテリアン(長老)派は、神父/牧師といった専任の神職を置かず信徒団の長老が儀式を主催するので、教団代表は俗人なのである。

「初めまして。主の誉れの代表を勤めます、オリバー・アダムスです。」

続けて、傍らの中年男を掌で示して言った。

「こちらは、検察官のダンカン・マクベイ君です。」

「初めまして。連邦SI局のケイ・アマギです。」

握手を交わすと、アダムスが言った。

「今回の告発内容については、マクベイ君から説明致します。」

ケイが頷くと、マクベイは説明を始めた。

「被疑者は、町外れの森に住む37歳の寡婦クラリッサ・マンドラです。」

取り合えず、『魔女』ではなく『被疑者』と呼ぶ程度には理性が働いている様である。

彼等に 、『魔女』ではなく『被疑者』として扱うだけの理性が働いていてくれれば良いがと願わずにはいられなかった。

「彼女が妖術を駆使して悪魔を召喚し、これと契約を結んだとの告発がありました。」

「その点に関して、物的な証拠、例えば契約書や契約に関する目撃者の証言はありますか?」

契約と言う以上何か証拠が必要であるが、過去の事例を見ても明確に例示された事はまず無い。

昔から、悪魔との契約書と称する物はかなりの枚数が残っている。

しかしその来歴を詳細に調べて見ると、尋問の際に検察官が被疑者の記憶を引き出し(その引き出し方はあまり想像したくない)て書かせたという物はまだ本人が書いているだけましな方で、大半は『被疑者の証言に基づいて』検察官が書いた物(要するに捏造)である。

恐ろしい事に、そんな代物が一旦法廷に提出されると、そのまま証拠として通用してしまうのだ。

「いえ、契約書はありません。」

取り合えず平気で証拠を捏造するほど理性を失っているわけでは無い様である。

「では、目撃証言は?」

「いいえ、それもありません。」

どうやら告発者は、嘘を吐く事を躊躇わない程に被疑者を憎んでいるわけでも無さそうだ。

「しかし、被疑者の体には契約の印がありました。」

「何処に?」

「右内腿の付け根です。」

これはまた、微妙な場所である。

恐らくは疣か何かだろうが、『契約の印』と言うからには契約以前には無かった筈だが、そんな場所を配偶者以外の誰が見知っているのか?

寡婦だと言うからには、配偶者はこの世には居ない筈である。

いずれにしても、異端の問題には深く首を突っ込みたくはないので、その点はこの辺りで流して話を進める。

「それで、具体的な告発容疑はどの様な物でしょうか?」

ケイの言葉に、二人は微妙な顔をした。

彼等から見れば、被疑者が魔女即ち異端である事が十分な告発容疑であり、その他は付け足しに過ぎない。

それが判っているからこそ、彼は敢えて『具体的な告発容疑』という言葉で、連邦は異端に関しては重要視していない事を示して見せたのだ。

一瞬間が空いて、気を取り直したマクベイが言った。

「え?ああ、彼女が憎しみを懐いている老人に呪いを掛けて病気にした事と、同じく彼女が憎んでいる男の牛を放牧中に呪いを掛けて殺したという2点です。」

「ふむ、まずは被害状況の確認から始めましょうか。」

マクベイは、カバンを開けて書類の束を取り出す。

ケイはその束を受け取ると、起訴状を読み始めた。

ーーー

容疑1:被害者ゴードン・ハレー64歳。

被疑者が街のドラッグストアにやって来た(被疑者は、主に森で採取し乾燥させた薬草をこの店に卸す事で生計を立てている)際に、店の隠居であった被害者が被疑者の身持ちについて強く諌めたところ、我が身の不行跡を省みる事無く強い反発を見せたため口論となり、被疑者が去り際に被害者に呪いの言葉を投げた。

その直後に、目眩を感じて踞った被害者はその後塞ぎ混みがちとなり、ついには床に着いたままとなって現在に至っている。

一ヶ月経過した現在も目眩は酷くまた全身に浮腫が出て衰弱しており、自力で立ち上がる事も困難になっている。

被害者とその家族は、被害者に呪いを掛けた容疑で被疑者を告発した。

---

この起訴状を読んだだけで、ケイにはその『呪い』のおおよその正体は想像がついたが、即断はできないのでもう少し調査をするまで結論は保留しておく事とし、更に読み進める。

---

容疑2:被害者アルマンゾ・ウォーラー52歳。

被害者は牧畜を行っており、その牛を良く森の近くで放牧している。

被害者の放牧地は被疑者の住居付近まで広がっており、「庭が牛に踏み荒らされる。」と主張する被疑者と「自分の牛は行儀が良いのでそんな事はしない。」と反論する被害者との間には常に争いが絶えない。

この問題の責任は、そもそも被疑者の家は森と野原の境目にあるのだから多少はそういう事があっても仕方がないにも関わらず、頑なに苦情を言い立てる被疑者の姿勢に帰せられるべき物である。

そして、約一月前に牛を放牧に来た被害者と被疑者がまた言い争った後、被害者が夕方に牛を集めに来たところ、その内の一頭が倒れて口から泡を吹きながら痙攣しており、やがてそのまま息絶えた。

被害者は、その牛を呪殺したとして被疑者を告発した。

---

こちらに関しても、原因については大体の想像がつく。

それはさておき、これらの起訴状の筆致から確実に窺えるのは、報告者は明らかに被疑者に対して好感を懐いていないという事である。

ケイは書類から顔を上げた。

「容疑1に関して、被害者と直接話をしたいのですが、可能でしょうか?」

この質問は予期していた様で、マクベイは即座に答えた。

「ええ、大丈夫です。」

「あと、被害者と被疑者双方のやり取りについて聞いていた第三者はいますか?」

「ドラッグストアの店主が聞いています。」

「店主というと、被害者の家族では?」

「ええ、長男ですな。」

「その他の、被害者/被疑者双方と利害関係の無い人間は聞いていないのですか?」

マクベイは軽く頸を傾げた。

「ええと、確か一般客が居た筈です。」

「それでは、その目撃者に直接話を聞く事はできますか?」

マクベイは、不同意のニュアンスを滲ませながら答えた。

「それは、その・・・どうしても必要という事であれば、手配できない事もありませんが・・・」

「連邦監査官として、必要と判断します。」

ケイが権威を威に着て押し切ると、マクベイは不承不承頷いた。

「次にケース2ですが、この牛が倒れていた現場を見る事はできますか?」

この質問は予期していなかった様で、マクベイは軽く狼狽した。

「ええと・・・大丈夫です。」

答える様子を見る限り、予想外の要求に驚いただけで、特に何かを隠そうとしているわけでは無さそうだ。

「では、一件目が片付いたらお願いします。」

「わかりました。」

「さて、あまり時間も無いので、今から一件目の聞き取りに掛かれますか?」

「あ、ああ、出来ますよ。ただし、被害者は寝た切りになっていますから、被害者の寝室まで行かなきゃなりませんが。」

「あちら側に不都合が無ければ、今すぐにでも伺いたいですね。」

「わかりました。参りましょう。」

そう言って二人が立ち上がった時、アダムスが声を掛けた。

「主の摂理が必ずや証明されると信じておりますよ。」


ハレーの体は報告書通りかなり弱っていた。

いや、むしろ『衰えている』という表現の方が適切であろう。

「これから貴方にお訊ねする事柄に対する回答は、法廷において証拠として扱われます。従って、故意に事実と異なる回答を行った事が後で判明した場合、偽証罪に問われる可能性があります。宜しいですね。」

彼は頷いた。

「まず最初に、どちらから話し掛けましたか?」

「儂からでさぁ。」

その返事は、声は小さかったが意外に明瞭であった。

意識には特に異常が無さそうだ。

「何を言ったんですか?」

「あの女の身持ちの悪さを注意しましたんで。」

「どういう風に言いました?」

ハレーは弱々しく頸を振った。

「正確な言葉は覚えちゃいませんけど、ただ・・・」

「何です?」

「あの女の不品行はどうにも腹に据えかねる物なんで、街の皆を代表して注意せにゃならんかったんです。」

何とも、曖昧な言い方ではある。

「それに対して、被疑者は何と言いましたか?」

「身に覚えがあるんで何も言い返せんかった様で、黙って睨み返していただけでさぁ。」

「それで、その後はどうなったんですか?」

「こっちを睨んだまんま黙って突っ立って戸口を塞いでたから、営業に差し支えるんで、押し出しました。」

その位置関係だと、入ってくるなり『注意』したわけだ。

「それで?」

「そうしたら、あの女が儂に向かって呪いの呪文を吐きゃあがって・・・」

「何故、その言葉が呪いの呪文だと判ったんです?」

「あの女がそいつを口にした途端に、酷い目眩がして膝の力が抜けてへたり込んだんでさぁ。」

「その呪文は、具体的にはどういう物でしたか?」

「何やら『死の災いが汝の上に降らん事を!』みたいな調子だったかと。」

何やらとかあやふやそうな言い方のわりに、随分と具体的な表現ではある。

「それからずっと寝込んでいるわけですか。」

「ええ、あのば・・・女が掛けた呪いのせいで目眩が止まらねぇし、すっかりと足腰が衰えてしまって、ご覧の通り浮腫も酷くなっていまさぁ。」

ば・・とは、何を言おうとしたのだろうか。

「足を見せて貰っても良いですか?」

「どうぞ、あの女のやった事を確認して下せぇ。」

布団を剥ぐと、寝間着のズボンを捲り上げて脛を見た。

不健康に膨らんだ脛は、筋肉が落ちて骨ばかりとなった上が全体的に浮腫んでいる。

指で軽く押すと、骨のすぐ上まで指が沈み込んだ。

かなり悪化しているようだ。

「何か習慣的に飲んでいる薬はありますか?」

「あの事件までは、ネトルとノコギリヤシを飲んでました。」

大体想像していた通りだ。

「と、言うと今は飲んでいない?」

「あのばい・・女の採ってきた薬草なんか、おっかなくて飲めるもんですかい!」

と吐き捨てる様な答が返ってきた。

どうやら、感情が昂ると『売女』と言いそうになる様だ。

「誰が採ってきたにせよ、薬は飲んだ方が良いですよ。」

ハレーはそっぽを向き、返事は無かった。


「これから貴方にお訊ねする事柄に対する回答は、法廷において証拠として扱われます。従って、故意に事実と異なる回答を行った事が後で判明した場合、偽証罪に問われる可能性があります。宜しいですね。」

ケイの言葉に、女は緊張しながら頷いた。

「そう、堅くならないで下さい。嘘を言わなければ良いだけの事です。仮に記憶違いがあったとしても、それで罪に問われるわけではありません。」

女は、その言葉で気が楽になった様子は伺えなかった。

「まず、被疑者と被害者のやり取りに関して、先に発言したのはどちらですか?」

女は頸を傾げたあと、気後れする様にマクベイに視線を投げ、彼が頷くのを確認してから言った。

「ハレーさんです。」

「そうですか。」

そう短く返事をした後、ケイはマクベイに向き直った。

「申し訳ありませんが、席を外して頂けませんか?」

彼は、心外そうな顔で訊ねた。

「何故です?私の何が気に入らないんですか?」

「審理記録に、『証言は検察官の立ち会いの元で行われた』という記載が残っても良いのであれば、強いて退席は求めませんが、それで宜しいですか?」

敢えてそう記録するからには、検察官の心理的圧力が疑われるであろう。

マクベイは不承不承席を立った。

「さて、質問に戻りましょう。最初に発言したのは被害者だとの事ですが、被害者は何と言ったのでしょうか?」

「ええと、その・・・」

女は口ごもるが、言いたくないという風でも無い。

「内容が公になった場合に差し障りがある様であれば、報告書を秘密扱いとする事も可能です。その場合は、連邦の記録には残りますが検察官の閲覧はできなくなります。」

女は暫く躊躇っていたが、やがて語り始めた。

「ハレーさんは、クリスの顔を見た途端に『出て行け、売女!』と罵りました。」

相手が女性であれば、性的に不品行である事を思わせる罵倒は効果的である。

そういう行動を取っていない事を証明するのは難しいし、また、この街はプレスビテリアン派が支配的な事もあり、性的な不行跡に対して極端に不寛容でもある。

それにしても、いきなりその発言はどうだろうか。

「何故その発言が出たか、ご存知でしょうか?」

「それは、その・・・」

再び口ごもる。

明らかに彼女は、その理由を知っているが、言って良いかどうか決心がつきかねている。

こういうときは催促しても仕方がない。

ケイはそのまま辛抱強く待った。

やがて彼女は、顔を上げた。

「その、つまり、ハレーさんの次男のエリックが若い頃にクリスと『仲が良かった』んです。でも、ハレーさんは、二人の仲を認めませんでした。」

街で唯一のドラッグストアの主人となれば、それなりの名士と見なされるであろうから、息子が魔女の噂のある女と結婚するのはとても認められまい。

「結局、二人はそれぞれ別の相手を見付けました、その後クリスは亭主と死別しましたが、最近になってエリックの奥さんも出て行きました。何でも中々子供が出来なくてハレーさんのいびりに堪えかねたんじゃないかという噂です。それで・・・」

なるほど、俗に言う焼け棒杭に火がついたというやつか。

若い頃ですら問題だったのだから、相手が中年の寡婦となれば、これはもう話にもなるまい。

「それで、被疑者はどう答えたんですか?」

「唇を噛んで、睨み返していただけです。」

「それで?」

「ハレーさんは、威に掛かって何か罵りながらそのままクリスを入口から押し出しました。それからハレーさんがクリスの鼻先でドアをピシャリと閉めようとした時に、クリスが『あんたなんか、死んじまえ!』と叫んだんです。」

「ほう。」

「そうしたら、ハレーさんの顔が真っ赤になって何かを叫ぼうとした途端に、そのままへたり込んでしまいました。」

これで、『呪い』の正体はほぼ確定した。

「ところで、貴女に一つお願いがあるんですが。」

女は僅かに警戒心を滲ませつつ訊ねた。

「はい、何でしょう?」

「被害者ハレーさんの次男のエリックさんと『内密に』話がしたいのですが、ご協力願えませんか?」

「何のためにです?」

その口調は、もう警戒心を隠す気もない事を示していた。

「少し確認したい事があります。マンドラさんに悪い様にはしません。それに、勿論貴女にも迷惑が掛からない様にしたいので内密でお願いしたいのです。」

女は、半信半疑ながら頷いた。


「大体ここら辺りです。」

マクベイは草むらの一角を指差した。

告発容疑の重大性(有罪ならば火刑なのだ)からすれば、随分とぞんざいな括り方ではある。

起訴状の精度も、概ねその程度なのであろう。

ケイは草原を見回した。

数百メートル向こうに土が剥き出しの小道があり、その道を目で辿ると先は鬱蒼とした森の中へ消えていた。

道沿いに目を凝らすと、丁度森と草原の境の辺りに灰色の滲みの様な物が見える。

「あれは何ですか?」

ケイの指す方に目を凝らしたマクベイは答えた。

「被疑者の家ですな。」

確かに報告書の通り、その家までに境界を示す柵の様な物は何も設けられていない。

「牛なら、あそこまで簡単に行けますね。」

彼は何も答えなかった。

ケイは、暫く辺りの草むらを掻き分けながら何かを探していたが、やがて探し物を見付けると、一本の草を抜いて根の土を丁寧に払い、折らない様に注意しながら袋にしまってからその家の方に向かって歩き出した。

マクベイは、慌てて後を追う。

草原と庭の境界は、一目で判った。

無秩序に生い茂る雑草は突然姿を消し、剥き出しの土になる。

その内側にも、草原とある程度共通する種類の草が生えているが、こちらは草原側のそれと異なり、綺麗に区切られた畑の中に整然と並んでいる。

そして、畑と草原を区切る剥き出しの地面には、明白な牛の蹄の跡が隙間なく記されていた。

畑に目をやると、薬草のうち柔らかそうな物は大半が地面の少し上で切れて無くなっている。

ケイは、畑に歩み寄るとその断面を子細に観察した。

どうみても刃物ではなくもっと鈍い物で挟み千切った跡であった、例えば歯の様な。

「この辺の牛は、あまり行儀が良いとは良い難い様ですね。」

マクベイは、そっぽを向いたまま聞こえない振りをしていた。


マクベイは燭台を手に、湿気に覆われて滑り易い石段を、ケイを先導しながら注意深く降りていった。

地下室全体を覆う石の壁はじめじめとして不快な様子だが、壁全体に拡がっているのは黴ばかりで、苔の類いは隅の方に僅かにあるだけだ。

つまり、この地下室自体がかなり新しい物である事を示している。

「何故、地下牢を作ったんです?」

ここは、市庁舎に間借りをしている警察署の(小さな街では良くある事だ)隅にある牢獄の更に地下なのである。

ここへ降りるための階段に向かうのに一階の留置場の檻の前を通り抜けたが、大半の牢は無人であった。

小さい街だから、犯罪も相応に少ないのであろう。

別に手狭になったから地下牢を増設したわけでも無さそうだ。

「何故って、魔女を入れるためですよ。」

マクベイは、ケイの質問の意図が理解できなかった様である。

逃亡されない様にするためだけなら、別に地下牢である必要はない。

上の牢は建物自体と同じくらい古そうなので、元々付いていた設備なのだろうが、この牢は明らかに最近(古くても2~3年といったところか)増設されている。

あまり水捌けが良いとは思えないこの土地で、態々地下牢を作り足す意味が判らない。

地下から立ち上る湿気を考えれば、建物自体にも好ましくない影響を与えるであろう。

要するに、入っているだけで苦痛になる様な牢獄を作りたかったわけだ。

その労力や費用を他の事に使うべきでは無かったのか、と思わずにはいられなかった。

ケイは、太い木の格子の前で立ち止まると、奥の暗がりに向かって声を掛けた。

「連邦SI局の監査官、ケイ・アマギです。貴女の審理を担当する事になりました。」

その声に、格子の向こうで何かが動いた。

「失礼します。」

そう言ってマクベイから奪い取った燭台をかざすと、女は牢の真ん中で踞っていた。

床も壁も湿気を帯びている上に冷えきっているので、寝転がるどころか壁にもたれ掛かっても、長時間となるとそれだけで体温を奪われて体力を消耗するのだろう。

どうやらこの地下牢は、効率良く目的を果たしている様である。

「貴女は魔術マジックに関する知識を、誰に習ったんですか?」

「母です。」

マンドラは消え入りそうな声で答えた。

「では、貴女の母上は誰に教わったんです?」

「ウチには、もう何代も前からずっと魔法ウィザードリィが伝わっているんです。」

「この女は、昔から呪法ウィッチクラフトを引き継いでいる呪われた家系なんですよ。」

マクベイが割り込んできた。

マジックとは、魔術師マジシャンが使用する魔法を指し、一般的に魔術全般を表す良くも悪くも『中立的』な用語である。

ウィザードリィは魔法使い(ウィザード)が使用する魔法であるが、ウィザードは賢者ワイズマンを語源とするとも言われる言葉であり、かなり肯定的な用語と言える。

ウィッチクラフトは 魔女ウィッチが使う魔法で、どうみても好意的とは良い難い用語である。

それでも、死霊使い(ネクロマンサー)の使う妖術ネクロマンシーと表現しなかっただけでもましであろうか。

「貴女はそれでどんな事が出来るんです?」

「苦しむ人々の病を癒し、干天に雨を呼び、悪い気が澱めば風を呼んで吹き飛ばして見せます。」

相変わらず弱々しい声だが、誇りを持って答えている事が伺える。

声がか細いのは、自信が無いからではなく主に体力が底をつきかけているからであろう。

「更にこの女は、人を病にし、長雨で作物を腐らせ、嵐を呼んで街を破壊する事も出来ます。おまけに、箒に跨がって空を飛びます。」

マクベイがまた割り込んでくる。

「そうなんですか?」

ケイが訊ねると、マンドラは答えた。

「そりゃあやり方は知ってますが、空を飛ぶ事以外はやった事がありません。」

ケイの表情が変わった。

「空は飛ぶんですか?」

「ええ。」

「それを誰かに目撃された事はありますか?」

「いいえ、飛ぶのは夜中だけなので・・・」

ケイは、軽くカマをかけてみた。

「夜となると前方を照らす灯りが必要でしょう。やはり箒の柄の先にカンテラか何かを吊るすんですか?」

「いいえ、カンテラは柄ではなくて穂先に下げます。」

「後ろ側に?」

女は、ようやく会話が噛み合わない原因を理解した。

「箒に跨がる時は、穂が前になります。」

通俗的な魔女のイメージでは、箒に跨がって空を飛ぶ時には柄を前にする事になっている。

しかし、中世から近世初頭の魔女に関する記録を見ると、ほとんどの場合、何故か箒は穂を前にして使われている。

ケイは、恐らくこの点については性的な幻想と関連があるのではないかと思っている。

いずれにしても、彼女の言う魔法は部外者がお伽噺で聞く様な通俗的な魔女観ではなく、それなりに古くから伝わる知識に基づいている様だ。

「では飛ぶ時は、身体中に軟膏を塗るんでしょうか?」

「え、ええ。」

何故それを知っているのかと言いたげな返事だ。

「その軟膏の成分は?」

マンドラは暫く躊躇っていたが、やがて製法を語り始めた。

「ヒヨスとベラドンナとマンドラゴラと蟇の油と猫の髭とイモリの黒焼きと月経の血と・・・」

その他にも様々な材料とその製法について語ったが、概ね想像通りであった。

とりあえず、これで大体必要な事実は確認できた。

「それでは、尋問はこれで終了しましょう。」

その言葉に、マクベイがあからさまにほっとした様子を示す。

灯りもなく薄暗くてじめじめとした地下牢は、短時間居ただけでかなり消耗するのだ。

「それから、被疑者は上の牢に移して下さい。」

「何故ですか?」

その声には、明らかに不満が見てとれた。

「このままここに留置していれば、被疑者の体力が持ちません。『勾留中に被疑者死亡』という裁判記録が残るのは、好ましくないと思われませんか?」

連邦として問題とするぞ、という含みを持たせて言ってみた。

マクベイは、不承不承ながら同意した。

「あと、寝具も新しい物を出して下さい。」

そう念押しして、ケイはそのまま階段を上がっていった。


翌朝、ケイは裁判所に向かった。

今頃、裁判所ではアダムスとマクベイが最後の打ち合わせをしているか、あるいは今夜の祝杯の予定を話し合っているのかもしれない。

実際に魔女を火刑に処する例は、あまり多くない。

連邦が加盟団体間の対立を恐れて、異端による処刑に消極的だからである。

つまり、ここで火刑を実行する事が出来れば、主の誉れは新規参入の弱小団体ながら一躍その名を轟かせる事が出来るのだ。

裁判所前の広場に入ると、中央に聳え立つ巨大な十字架とその足許に積み上げられた薪が嫌でも目に入る。

火刑、いや彼等の言葉で言うところのアウト・ダ・フェ(信仰深き行い)の準備は、もう完了している様だ。

それを見ながら、ケイは魔女狩りに使われた問答集に記されていた『何故、魔女は大半が女なのか?』という項目を思い出した。

ちなみにその答えは『女(Feminous)は信仰(Fe)がマイナス(Minous)だからである。』であった。

この説明に関して肯定的に評価した同時代の記録は、それを『豊かな学術的知識に基づく明瞭な証明であり・・・』云々という大仰な物ばかりだが、ケイが見付けた唯一の批判的意見は、ただ一言『眩学的阿呆!』であった。

ケイとしては、明らかに後者の方が説得力が高いと思っている。

いずれにしても、彼らは有罪判決が出たらすぐにその『信仰深き行い』を実行に移すつもりなのであろう。

その時、裁判所の玄関脇に大きな旅行鞄を左右に置いた中年の男が立っている事に気付いた。

男は怯える様な目で十字架を凝視していたが、ケイに気付くとすがるような眼差しを投げて来た。

ケイが軽く微笑んで見せると男は僅かに緊張を緩めて頷いたので、その表情を確めて、無言のまま裁判所に入った。

ケイに気付いた廷吏は立ち上がると、歩み寄って法服を差し出して言った。

「準備は調っております。こちらへどうぞ。」

ケイは法服を受け取ると、そのまま羽織って法廷に入った。

傍聴席の中央では、アダムスとマクベイが何やら打ち合わせの最中であった。

二人はケイに気付くと打ち合わせを終え、マクベイが立ち上がって検察官席に移動した。

判事席に着席して傍らに立つ廷吏を見ると、彼は頷いて準備が完了している事を示した。

「それでは、被告人クラリッサ・マンドラに対する呪術不正使用の告発に関する審議を始めます。」

ケイの宣言で、裁判が始まった。

アダムスは、さすがに教団の長として直接裁判に関わる事は外聞が悪いと考えたのか、法廷のメンバーには入らず傍聴席の中央に陣取って、腕組みをして監視するかの如く法廷を睥睨している。

「検察官、告発容疑を述べて下さい。」

ケイが促すとマクベイは起立してアダムスを一瞥し、彼が頷くのを見てから起訴状を読み上げた。

内容は先日ケイが読んだ通りだったので、特に意見を挟む必要は無かった。

ケイは被告人に声を掛けた。

「それでは、被告人は今の告発容疑について、意見を述べて下さい。」

本来なら罪状認否は弁護士の仕事の筈だが、この法廷には弁護士が居ないのだ。

この点について、マクベイは「魔女の弁護という事でみんな嫌がったので、引き受け手が見付からなかった」と弁解していたが、ケイはそもそも本当に引き受け手を探したかどうかも怪しいと思っていた。

被告人の権利が蔑ろにされているわけだから、これをもって裁判の無効を宣言しても良い状況なのだが、それでやり直した結果が公平な裁判になるとも思えないので、このまま行く事にしたのだ。

後ろ手に縛られてそのロープの端を廷吏に握られたまま、マンドラが証言台に立った。

夕べはまともに眠れた様で、昨日よりは大分ましな様子である。

「あたしは、そんな事してません!」

彼女は叫ぶ様に述べた。

体力が多少なりとも回復してきた事で、自分を取り巻く状況の理不尽さに対する怒りが蘇って来たのだろう。

アダムスはその背中を、まるで視線で人が殺せるなら今すぐそうするであろうと思われるような目付きで睨んでいた。

「被告人は告発容疑について否認する、という事で良いですか?」

ケイが穏やかに問い掛けると、少し冷静さを取り戻したマンドラは声を押さえて答えた。

「はい。」

「それでは、罪状の確認に入りましょう。まず告発容疑1について検察側から説明願います。」

「それでは、証人を呼びましょう。」

マクベイが合図すると、アダムスの前列に座っていた中年の男が傍聴席を出て証言台に立った。

「証人は被害者の長男です。現場となったドラッグストアの店主でもあります。」

マクベイの説明を承けて、男は頭を下げた。

「トマス・ハレーです。」

検察官は事件当日の様子を順に訊ねて行き、証人は淀みなく答えた。

その内容は、基本的に調書と変わるところが無かった。

事前に、念入りな打ち合わせが行われているのだろう。

問答が終わるとマクベイは再びアダムスに目をやり、彼が満足げに頷くのを確かめた。

「それで、押し出された被告人は、なんと言いましたか?」

ケイが訊ねると、証人は淀み無く答えた。

「大体『死の災いが汝の上に降らん事を!』みたいな感じの事を言いました。」

大体とか感じとか曖昧な風にぼかしている割に、その台詞は被害者と全く同じである。

「その後、被害者の様子はどうなりましたか?」

「その言葉を聞いた途端に、その場に膝をついてへたり込んでしまいました。」

続いて証人は検察官に促されて、被害者がそのまま床につき目眩と浮腫が悪化する一方である事や、どんどん衰弱している事を涙ながらに訴えた。

「以上で、検察側の証人尋問を終ります。」

そう言う検察官の表情は、有罪を確信している様であった。

アダムスも、その満足げな表情から、同じ感想を懐いている事が見てとれる。

「その被告人の言葉は、正確な物ですか?」

ケイが訊ねると、証人は自信なさげに視線を反らして答えた。

「いえ、その、大体そんな感じでした。」

「本当に、そんな呪文めいた言い方でしたか?もっと野卑な言い方だったという事はありませんか?」

証人はすがるような視線を検察官に向けたが、マクベイは気付かない振りをした。

やがて、証人は自信なさげに答えた。

「もしかすると、違ったかもしれません。」

ここでケイは方向を転じた。

「ところで、被害者はネトルとノコギリヤシを常用していた様ですが、この薬草の効能は何ですか?」

唐突な話題の転換にまごついた証人は、暫し言い澱んだ後に言った。

「それぞれ高血圧と排尿不全の緩和です。」

本職だけあって、良く判っている。

マクベイは何が言いたいのか判らず、黙って見ていた。

「つまり、被害者には少なくともそれらの持病があるわけですね。」

「え、ええ。」

「被害者は、事件後は薬を飲むのを止めたそうですね。」

「そのぅ、ウチで扱う薬草の中で特にその二つはあの女が持って来た物なので、父は不安がって飲まないんです。」

ようやくマクベイはケイの意図に気付き、声を上げた。

「異議あり!その話は本件とは関係ありません!」

弁護側の質問なら異議も通るかもしれないが、弁護人がいない以上ケイが訊ねるしか無いわけで、そのケイが自分の質問に対する異議を認める筈がない。

「異議を却下します。」

素っ気なくそう言って、質問を続ける。

「高血圧の主要な症状として目眩が、排尿不全の症状として浮腫がある事は知っていますね?」

仮にもドラッグストアの店主なのだから、否定する事は出来ない。

「・・・はい。」

「では、その二つの持病を持つ被害者が薬を飲むのを止めれば、その症状が出るのはある意味で当然と言えるのではありませんか?」

事態が把握できているとは言い難いがそれでも不利な状況である事が理解できたらしいアダムスが視線で促すと、マクベイは焦りながら言った。

「異議あり!その症状が持病による物である証拠はありません!」

ケイは、検察官の必死の抗議を軽くいなす。

「その点が問題となるなら、症状が呪いによる物である証拠もありません。」

マクベイはその指摘に一瞬たじろいだが、すぐに自信を通り戻して反論した。

「被告人が呪いの呪文を唱えた途端に被害者は激しい目眩に襲われ、そのまま倒れ込んでいます。これをみれば、その間に因果関係がある事は明白でしょう。」

「その二つの間に因果関係がない、とは言っていませんよ。」

ケイが事も無げな様子で言うと、その意味を掴みかねたマクベイは訊ねた。

「しかし、先程『症状が呪いによる物である証拠はない』と仰いましたが?」

「ええ、そう言いました。」

ケイの意図が全く理解できないマクベイは、当惑気味に訊ねた。

「では、呪いと症状の間に因果関係があるとはどういう意味ですか?」

「まずその前に事実を確認しておきますが、被告人の発言が『呪い』である事は、確認されていませんね。」

「い、いや、ですから、被告人がその『発言』をした途端に被害者は倒れたわけですから・・・」

「その点については、これから証人に確認しましょう。」

そう言って、ケイは証人に向き直った。

「被告人の発言は、かなり粗野な、例えば『あんたなんか、死んじまえ!』という様な物ではありませんでしたか?」

証人は、狼狽した。

「どうしました?違いますか?」

ケイに促されて、彼は渋々同意した。

「ええ、そんな感じだったかもしれません。」

「そうすると、元々高血圧の持病のあった被害者は、その発言に激昂して急激に血圧が上昇したという可能性はありませんか?」

その指摘に同意せざるを得ない証人は、無言で頷いた。

アダムスの苦虫を噛み潰した様な渋面を見て、マクベイは更に抗議した。

「それが原因だという証拠はありません!」

検察側の主張に、ケイはきっぱりと反論した。

「しかし、それが原因でないという証拠も無いし、第一、呪いが原因であるという検察側の証拠は、被告人の発言の直後に被害者が倒れたという事実だけですが、その事実はこの解釈でも十分に説明可能です。」

マクベイは、唇を噛んで黙り込んだが、やがて何かを思い付いた様子で、顔を上げると抗弁した。

「その後、被害者が衰弱して行く一方である事を見れば、呪いであると考えるべきでしょう。」

ようやく反撃の糸口を見出だした事で、その声に少し余裕が出てきている。

「被害者の年齢を考えれば、一月以上も床に着いたままでは衰弱するのも無理はないとも考えられますね。」

「それが正しいとする証拠は無いでしょう!」

当てが外れたマクベイは、再び興奮して言った。

しかし、ケイはこの反論を平然と斥けた。

「その通り。呪いが原因であるという証拠が無い事と同様ですね。」

検察官は、無言のままケイを睨み付けているだけだった。

「さて、この件に関しては検察側からの反論はこれ以上無い様ですので、次の告発容疑に移りましょう。」

その発言に、マクベイはアダムスとアイコンタクトを取り、この戦線では形勢不利である事を確認した上で、次の容疑に転進する方が得策であると判断して気を取り直した。

「それでは、次の証人を呼びます。」

合図と共に、初老の男が証言台に立った。

「容疑2の被害者です。牧畜業を営んでます。」

マクベイがそう言うと、男は名乗った。

「アルマンゾ・ウォーラーです。」

マクベイは先程と同様に証人に質問を重ね、調書通りのストーリーを並べて見せた。

質問を終えたマクベイは、アダムスの満足げな表情を確認してから今度こそ勝利を確信した様子で振り向いた。

「現場となった牧草地で牛の放牧を行っている人は、貴方の他に誰か居ますか?」

ケイの質問に、ウォーラーは軽く当惑しながら答えた。

「いいえ、あそこらへんはウチの専用放牧地です。」

「証人は、被告人の庭を荒らしたかどうかで何度も言い争っているそうですが、実際の所はどうなんですか?」

証人は、やれやれという表情になった。

「ええ。あの女は、何度もそうやって言い掛かりを付けて来ました。」

「言い掛かりという事は、荒らしたという事実はない、という事ですか?」

「はい。勿論です。」

証人は胸を張って答えたが、検察官が渋面を作っている事に気付かなかった。

「被告人の自宅の庭には、かなり牛の蹄の痕がありましたが、それについてはどう思われますか?」

ウォーラーは慌ててマクベイの方を見たが、マクベイはそのまま視線を反らした。

やがて、ウォーラーは渋々言った。

「少しは入る事もあるかもしれません、牛には足があるんで。でも荒らしたりはしませんや。」

「被告人の畑には、喰い千切った様な痕が多数見られましたが?」

ウォーラーはそのまま黙り込み、ややあって見かねたマクベイが割り込んできた。

「まあ牛ですから、言い聞かせるわけにもいかんので、多少の事は仕方がないでしょう。」

それが自分の庭でも同じ事が言えるかどうか聞いてみたい様な気がしたが、とりあえず、話を先に進める事にした。

「証人が牛を集めに行ってみたら、問題の牛は倒れたまま泡を吹いて痙攣していたんでしたね。」

「ええ、そうです。」

「証人は、その原因を何だと思いますか?」

ウォーラーは、きっぱりと答えた。

「あの女が呪いを掛けたんです。」

「もしかして他の原因かもしれないという可能性はありませんか?」

「いいえ、あり得ません。」

「そうですか。」

そう言いながら、ケイは足許の袋を取り上げ、中から萎れかかった植物を取り出した。

「これが何だかご存知ですか?」

ウォーラーとマクベイは、不審そうに顔を見合わせた。

ケイは傍聴席に目をやると、先程の証人ハレーに声を掛けた。

「ハレーさんは、これが何かご存知ですね。」

ハレーは無言で頷いた。

「説明願います。」

ケイの要請に、ハレーはすがるような視線を検察官に向けた。

マクベイは慌ててアダムスに視線を投げたが、事態が理解できないアダムスは黙って頸を振るのみである。

マクベイはどうしようもなく、ハレーに頷いて見せるしか無かった。

ハレーは検察側からの援護は得られないと判断して渋々答えた。

「それは・・・トリカブトです。」

「はい。ありがとうございます。」

そう言って、ケイは視線を証人に移した。

「トリカブトが猛毒である事は、ご存知ですね。」

「・・・はい。」

ケイは、更にマクベイに視線を移す。

「検察官は、本職がこれを採取する所を見ていましたね。」

「・・・」

「返答頂けない様なので話を進めますが、本職はこれを事件現場付近で採取しました。ハレーさん、牛がこれを食べたらどうなると思いますか?」

もうハレーはマクベイを当てにするのは諦めた様で、視線を游がせる事無く淡々と語った。

「えーと、その、食べた量にもよりますが、痙攣を起こして死ぬかもしれません。」

マクベイとウォーラーの噛みつきそうな視線は見えているし、恐らくそれ以上に剣呑なアダムスの視線を背中で感じているのだろうが、自分が偽証罪に問われるのは嫌なのだろう。

厳密に言えば、ハレーは証言台に立っているわけではないので偽証罪に問われる事は無いのだが、素人である彼にその違いは判らなかった。

ケイから見れば、この場で改めてハレーに教えてもらう必要は無いのだが、アダムスやマクベイ、ウォーラーらに理解させる為に態々説明させているだけなので、変な失言が出て責任を問われる様な事があると可哀想だから、故意に傍聴席から発言させたのだ。

「放牧するなら、こういう物は注意して除いておくべきですね。」

ケイが穏やかに指摘すると、アダムスの渋面に促されたマクベイが、噛みつく様に言った。

「被告人は、その畑でトリカブトも栽培している筈です!ですから、放牧地に生えているとしても、その種は被告人の畑から拡がった物に違いないので、その責めは被告人に帰せられるべきでしょう!」

「被害者の牛が被告人の畑を荒らしても被害者の責任を問わないのに、被告人の畑から種が拡がるのは被告人の責任になるとする検察側の主張は、公平の原則に悖ると言うべきでしょう。」

マクベイは、アダムスの視線を怖れる様に俯き、腕組みをして黙り込んだ。

「さて、改めて証人に訊ねますが、死因は本当に呪い以外にあり得ないと思いますか?」

ウォーラーは顔を真っ赤にして叫んだ。

「う・・・ウチの牛はみんな賢いから、そんな物は喰わねぇ!」

「被告人の家の庭を見れば、牛の知能に関する証人の発言は信憑性に欠けると言わざるを得ないでしょう。」

ケイの指摘に、ウォーラーの顔は頭から湯気を上げるのではないかと思う程に赤黒くなったが、結局何も言わなかった。

「検察側から、他に何かありますか?」

マクベイは、アダムスと視線を交わす事を怖れる様に俯いたまま、暫く抗弁を組み立てようと口の中で何かぶつぶつと呟いていたが、やがて、判事席に向かって顔を上げ不貞腐れた様に述べた。

「特にありません。」

ケイは、他に異議の申し立てが無いか法廷を見回してから宣言した。

「それでは、検察側からの抗弁も無い様なので判決に移ります。容疑1について、検察側は被疑者の容疑を裏付ける証拠を提示する事が出来ませんでした。また、容疑2についても、同様に容疑は立証されませんでした。この事実に鑑みて、当法廷はこの2点の告発容疑は退けられたと判断します。」

その言葉に続くのが無罪の言い渡しである事を理解しているマクベイは、逆転狙いの切り札を切った。

「しかし、被告人は空を飛んだのですぞ!」

その叫び声に力強く頷くアダムスを一瞥し、ケイは平然と答えた。

「そうですね。で、それがどうしましたか?」

切り札を軽くいなされたマクベイは、狼狽する。

「どうかって、そんな・・・」

呟く様に何かを言いかける彼を制して、ケイは言った。

「本職の知る限り、連邦には『空を飛ぶ事』を禁ずる法律はありません。それとも、当地ではそれを明示的に禁ずる法律があるのでしょうか?」

アダムスは蒼白になり、マクベイは絶句した。

本当のところケイは、マンドラが空を飛んだとは思っていない。

と言っても、本人が空を飛んだと認めている事について、嘘を吐いていると思っている訳でもない。

そもそもそんな嘘を吐いても、彼女には何のメリットもないのだ。

そのタネは、彼が確認した軟膏のレシピにある。

猫の髭やイモリの黒焼き、月経の血といった怪しげではあるがそれ自体には何の薬効もない物を除けば、残りはみんな幻覚作用や血管拡張作用のある薬品ばかりであり、それらは全て適切に処理すれば経皮吸収が可能な物なのだ。

血管拡張作用のある薬品はその吸収を促進し、幻覚作用を加速する。

つまり、その軟膏を全身に塗り込む事で、短時間のうちに深い幻覚に陥るのである。

とはいえ、この場でそれを説明して検察官達を納得させる必要があるとも思っていない。

彼等が誤解したままでも判決に影響は無いので、そこまで親切にしてやる事もない。

マンドラの『職業上の秘密』を全てばらすのは営業妨害になりかねないし、こんな茶番に付き合わされている身としては、アダムス達の呆けた様な表情を見て溜飲を下げるくらいの気晴らしがあっても良かろうと思ったからでもある。

「さて、これで被告人の犯罪容疑は、全て否定されました。」

検察側からの反論は無い。

「よって、本法廷は被告人の無罪を宣言します。被告人はこのまま帰宅して宜しい。被告人の拘束を解きなさい。」

廷吏は呆然としているアダムスとマクベイを交互に見比べていたが、やがて諦めてロープを解いた。

マンドラは手首のロープの痕をさすりながら暫く呆然と立ち竦んでいた。

「外に、旅行鞄を持って貴女を待っている人が居ますよ。さあ、お行きなさい。」

ケイの言葉を理解すると我に返り、女は涙を流しながら頭を下げ、そのまま小走りに退廷した。

どのみち、今の状況を見ればこのままここで暮らしていく事は危険であると言わざるを得ないので、エリックの意思を確認した上で駆け落ちを勧めていたのだ。

慌ててその後を追おうとしたマクベイを制止する様にケイは言った。

「検察官は、すぐに拘留期間に対する補償手続きを取って下さい。」

その言葉にマクベイは立ち止まった。

一連の裁判手続に基づく命令なので、従わないわけにはいかない。

勿論、手続きが終わる頃には、受取人はもうこの街には居ないだろう。

その時、アダムスは弾かれる様に立ち上がって言った。

「その売女を捕まえろ!」

その命令に飛び上がったマクベイが慌てて走り出そうとした時、ケイの叱責が飛んだ。

「待ちなさい!」

法廷全体が凍り付き、やがて全員の視線がケイに集まった。

「無罪が確定した被告人を、何の容疑で拘束するつもりですか?」

冷やかな調子で発せられたケイの質問に、マクベイは答えられない。

「あ、いや、その・・・」

「何をしておる!早く捕まえんか!」

アダムスは、重ねて命令する。

ケイは、躊躇するマクベイから興奮しているアダムスに視線を移して訊ねた。

「連邦の規定に基づいて行われた裁判の結果に対して、貴方は主の誉れの代表として執行を妨げるおつもりですか?そうであれば、正規の手続きを踏んで頂きたいですね。」

アダムスは座り込むと腕組みをして判事席を睨んだが、何も言わなかった。

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