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第五話 教主プロメター

また、再検証の仕事が入った。

今度の再検証対象となる教団は重力の使命、その根拠地であるクレメンズビルは、ケンジントンから鉄道で二日の距離にある。

まあ、この仕事としては近い方だ。

監査の主担当者は、サイモン・シンプルズだ。

監査官としての経験は浅く、ランドルフ局長はまだ十分に信頼できると思っていないので、自分の直弟子であるケイを派遣する事にしたのだ。

シンプルズは、そのままクレメンズビルで待機している。

通常であれば監査官は、自身の監査の再検証に立ち会う事はない。

監査官という仕事は、中々忙しいのである。

ウォンの場合は、偶々ケイが別件の監査で近くまで来ていたので、直ぐに再検証が可能であったからそのままウォンが待機していた(その後の推移からすれば、恐らくそれは口実に過ぎなかった様だが)が、今回の件では、ランドルフの指示でシンプルズを待機させている。

ランドルフの意図としては、シンプルズの研修を兼ねているのであろう。

だからケイは、クレメンズビルに関する簡単な下調べだけを行い、詳細は直接シンプルズから聞き取る事として汽車に乗った。


クレメンズビルへ到着すると、駅を出てヴィジフォン・ステーションへ向かった。

カウンターに着いていた管理人は、顔を上げた。

「いらっしゃい。」

穏やかな声で挨拶してきた。

「連邦SI局のケイ・アマギです。」

「クレメンズビルへようこそ。こちらは初めてですか?」

「ええ、監査で参りました。」

「そうですか。ここは良い街ですよ。」

その親切そうな話しぶりには、全く阿る様なニュアンスは感じられない。

卑屈さを身に纏っていないテクニは滅多に居ないが、ケイにとっては、それは嫌な記憶と結び付いている。

しばらく管理人と世間話をしながらさりげなく様子を窺っていると、奥から少年が出てきた。

見たところ7・8歳と思われる少年は、一歩引いた所で黙って立っている。

ヴィジフォン・ステーションの管理人の子供は、来客の邪魔をしない様に厳しく躾けられているのだ。

少年は特におどおどする様子でもなく、ただ辛抱強く待っている。

ケイが視線で促すと、管理人は少年に声を掛けた。

「どうした?」

「ジョージ達と約束があるんで、遊びに行ってくる。」

「晩飯までに帰ってくるんだぞ。」

そう言って、管理人はまた世間話に戻った。

しばらく他愛の無い話をしていたが、管理人には特に異常を窺わせる兆候は無さそうだった。

ケイはシンプルズの宿を尋ねて、ステーションを辞去した。


表に出ると、子供達が笑いながら走っている。

その先頭に立っているのは、先程の少年であった。


再検証依頼を出したサイモン・シンプルズは、ホテルでケイを待っていた。

申請内容は、重力天使とやらが様々な奇跡を起こして見せるという物だが、特にケイの注意を惹いたのは、祭壇上に置かれた複雑な機械が重力天使の力で動いていた、という下りである。

重力天使とやらの正体が何であるにせよ、それは動力に使えるという事だ。


翌朝ケイは、サイモンと共に『重力の使命』教団の中央教会を訪れた。

教会は、街の豊かさや公称10万人の信徒数を誇る教団の本部である事を考えれば、意外なほど簡素な建物だった。

教会の簡素だがそれなりに風格のある扉を開けると、右手に受付らしきカウンターがあり、その向こうに若い男が座っていた。

男の落ち着いた外見は老成した印象を与えているが、その皺とは無縁の顔を見る限り、かなり若そうである。

もしかすると、ケイと大差無いのかもしれない。

それでいてこれだけ老成した印象を与えるという事実は、その実務能力の高さを物語っている。

男はこちらを見て立ち上がると、作り笑いとは縁の無さそうな、実直な笑顔で挨拶した。

「シンプルズ様、いらっしゃいませ。そちらの方はどなたですか?」

「ウチの監査官ケイ・アマギです。本日の再検証の担当者です。」

シンプルズの紹介を受けて、ケイは身分証明書を男に示す。

「SI局のケイ・アマギです。シンプルズの申請で、再検証に伺いました。」

男は身分証明書を一瞥して答えた。

「『重力の使命』教団の事務長を勤めております、ダグラス・エピメターと申します。お待ちしておりました。こちらに教主がおります。」

そう言って、二人を先導した。

控えめな彫刻が施された大きなマホガニーの扉を開くと、中はかなりの広さの円形のホールだった。

奥の壁の上部には、落ち着いた色調のステンドグラスが嵌まっており、簡素なりに荘厳な印象を与えている。

ステンドグラスのモチーフは、踝まで届く長いチュニックをまとい、背中に羽根を生やした3人の人物が同じ格好のもう一人を見上げて、両手を差し上げている、という物であった。

恐らく四人とも天使なのであろう。

ホール中央には30センチほどの高さの祭壇めいた台がしつらえてあり、その中心に祭壇には不釣り合いなほど簡素な机が設置してある。

その上には、これまた祭壇には不釣り合いな複雑な機械が安置されていた。

ステンドグラスから差し込む様々な色の光が、机の上にある機械を浮かび上がらせている。

そこだけ見ると中々神秘的な光景である。


その壇の横に椅子があり、若い男が座っている。男は優雅に立ち上がると、穏やかな物腰で右手を差し出しながら言った。

「初めまして、エドワード・プロメターと申します 。宜しければネッドと呼んで下さい。」

ケイは差し出された手を握り返しながら答えた。

「初めまして、SI局の ケイ・アマギです。ケイと呼んで下さい。」

「さっそく見て頂きましょうか。」

プロメターはそう言うと、説明を始めた。

「かつての科学技術は強い核力天使グルーオニーネ、弱い核力天使ウィークボソニーネ電磁力天使フォトニーネの三位一体で支えられてきました。いわゆる小統一場理論と呼ばれるものです。しかしこれは、世界の根本原理である真の神格に仕える存在である重力天使グラビティーネの出現を待つ間の、人類に与えられた便法に過ぎないのです。我々人類は、それを乗り越えて重力天使への信頼を確立し心から帰依する事によってのみ、真の救済へ進む事ができるのです。 」

ケイは大演説が始まるかと身構えたが、プロメターは拍子抜けするくらいに気負いの無い口調で語った後、掌で指し示した。

「こちらをご覧ください。」

プロメターの指す方に目をやる。

先程の機械は、何をしているのか解らないが軽やかな音を立てながら動きはじめた。

その細かな部品はステンドグラスを透過した美しい光をきらきら反射しながら、ある部分は回転し、また別の部分は往復運動をし、リズミカルでありながら荘厳な印象を振りまきつつ、休む事無く動き続けている。 「今、重力天使が降臨しました。ご覧のとおり、 この装置には外部からの動力は一切供給されていません。」

テーブル自体は細い4本の足で床に接しているだけだ。

「下を覗いてみてもいいですか?」

「かまいませんよ。」

そう言ってプロメターは装置を掌で指し示した。

テーブルの下に潜り込んで、裏側を確かめる。

天板は普通の集成材の板で、特に何かが入るほどの厚みはない。

「テーブルを持ち上げてみてもよろしいですか?」

「それは難しいですね。重力天使はこの神聖な場所がお気に入りでしてね。大変に気難しいので、少しでもこの場所からずらすとすぐに機嫌を損ねます。ですからご覧のとおり、金具で床に固定してあるのです。」

ケイは、頸を振った。

「それは残念です。この足の太さなら、電線くらいなら仕込めそうに見えるものですから。」

「そういう事でしたら、その機械自体を持ち上げてみて下さい。ただし、グラヴィティーネの機嫌を損ねない様に、聖堂の中心からずらさない様に気を付けて、そっとお願いしますよ。」

言われた通り、シンプルズと二人がかりで慎重に持ち上げてみた。

相当に重い。

20kgくらいありそうだ。

5センチほど持ち上げたところで少々無理な姿勢で上体をひねり、機械の下を覗き込む。

テーブルから完全に離れてもまだ動きつづけている。

ケイが、どうしたものかとプロメターの方を振り返ると、その意を読んだプロメターはエピメターに声を掛けた。

「ダグ、代わりに支えてさしあげなさい。」

「畏まりました。」

エピメターは祭壇に上がり、ケイに代わって機械を支える。

「ありがとうございます。」

ケイは軽く会釈をすると、テーブルと機械の間に手を差し入れた。

エピメターは、慌てて機械を更に持ち上げた。

その時、少し機械の速度が低下した様に見えた。

思わず、機械を注視したが、少し遅くなっただけで、機械が止まる気配は無かった。

ケイはテーブル上を浚うように隅々まで腕を大きく動かしたが、何も引っ掛かる物は無かった。

腕を抜いた後、ケイは言った。

「もう結構です。」

その言葉に、二人が機械をそっと下ろすのを見たプロメターは、満足げに頷いて言った。

「今度は別の形でお見せしましょう。ええと、」

プロメターは部屋を見回すと、入口側の隅に無造作に置かれている粗末な木の茶箱を指して言った。

「あれで良いでしょう。ちょっと持ち上げて見て下さい。」

茶箱は拍子抜けするほど軽々と持ち上がり、そのあまりの軽さにケイは軽くたたらを踏んだ。

ケイが茶箱を下ろすと、プロメターが言った。

「重力天使は大変悪戯好きでしてね、もう一度持ち上げて見て下さい。」

今度は、まるで床に張り付いたように動かない。

二人がかりで顔が真っ赤なるほど力んだが、やはりびくともしない。

「中を検めて宜しいですか?」

ケイがそう尋ねると、プロメターは穏やかに微笑んで答えた。

「蓋は被せてあるだけですから、どうぞ、開けてみて下さい。」

蓋を持ち上げてみると、内側は湿気を防ぐためのブリキの内張がしてあるごく普通の茶箱であり、中には何も入っていなかった。

「裏を見る事は出来ますか?」

「ええ、勿論ですよ。」

箱は再び元の様に軽くなっており、片手で軽々と持ち上げられた。

ケイは、箱を裏返し、その底と置かれていた床を交互に見比べた。

床にも箱の底にも、固定するような仕掛けが何も無い事を確認する。


その後、プロメターは色々な物を動かして見せたが、それらは祭壇上の機械や茶箱と比べて特に変わった所はなく、まずは同工異曲といったところであった。


ホテルに帰るとケイは、シンプルズの監査意見に同意したと告げた。

初めての再監査に緊張していたシンプルズは、ほっと胸を撫で下ろした様であった。


翌朝、二人が駅に着いたところで、ケイは言った。

「教会に手帳を忘れた様だ。取りに行ってくるから先に出発しろ。」

再検証が無事に終わった事ですっかり肩の荷を下ろしたシンプルズは、早く帰って報告書を書かなければという気持ちで一杯だったので、特にその言葉を疑う事無く同意した。

そうして改札に消えるシンプルズを見送った後、ケイは再度教会を訪れた。

今日もエピメターがカウンターについていた。

ケイを見ると、意外そうな表情をして立ち上がり声を掛ける。

「アマギ様、今日はお一人でございますか?」

「ええ、シンプルズは用事があるので先に帰りました。もう少しお話を伺いたいのですが、教主様はおいでですか?」

「はい、只今呼んでまいります。」

エピメターは奥に入っていったが、すぐに戻ってきて告げた。

「教主は、執務室まで御足労お願いしたいと申しております。」

そして、ケイを廊下の奥へ先導した。

エピメターの後に着いて採光の良い長い廊下を歩きながら、ケイは何か違和感を感じていた。

ここには何かが足りない。

そう思いながら、その『足りない』物が何なのかと自問する。

エピメターは、他の扉と全く違いが無い簡素な扉の前で立ち止まると、丁寧に告げた。

「こちらでございます。」

その飾り気の無い簡素な扉を見た時、ケイはやっと足りない物が解った。

なるほど、この施設には『虚仮脅し』が無いのだ。

ここは、機能的な必要と快適さは充分に考慮されているが、宗教施設が普通に備えている筈のこれ見よがしの神聖さや荘重さといった演出が、全く考慮されていないのであった。

エピメターは特に勿体ぶる事もなく、穏やかにドアをノックする。

「 アマギ様がおいでになりました。」

「お入り頂いて下さい。」

やはり穏やかな声でプロメターが答える。

エピメターがドアを開けてケイを促し、ケイは入室した。

「お忙しいところ申し訳ありませんが、もう少しお話させて頂いて宜しいですか?」

プロメターは和やかな表情で返事を返した。

「勿論結構ですよ。ところでどの様なお話でしょうか?」

「検証確認手続きに移るに当って、もう少し『疑問点』を整理したいと考えております。」

プロメターはその言葉に言外の意味を読み取り、言った。

「ダグ。しばらくの間、誰もこちらに来ない様に言って下さい。」

それはエピメターにとっては、特に意外な発言では無かった様であった。

「畏まりました。」

そう短く答えると、ドアを閉めて出ていった。

窓際には質素な事務机とそれに似合った椅子が置いてあり、その前に低いテーブルを挟んで、ソファが並べられていた。

そして主人側のソファの壁際には、ぎっしりと本の詰まった書棚と酒瓶とグラスの並ぶサイドボード置かれている。

どれも機能的でありそれなりに快適そうだが、やはり荘重さは伺えない。

特に書棚の本の装丁は、不思議なほどにそっけない物であった。

今時は印刷自体もグーテンベルグ時代の物と大差ない所まで退化しており、そのため本自体が貴重品扱いされているので、所有者は自分で本の装丁を発注する事も多い。

だから、見栄も手伝ってどうしても蔵書の装丁は革張り箔押しで荘厳な書体のカリグラフィで…と豪華になり、本の値段の数倍の費用を装丁に掛ける事も珍しく無いのだが、プロメターの書棚に並んでいる本は、特に凝ったところの無い厚紙の装丁で、読みやすい普通の字体で書名と著者名が記されているだけだった。

更に部屋を見回すと、書棚と反対側の壁際に木箱が一つ置かれている。

外観からは用途は伺えないが、黒檀製で複雑な彫刻が施され、この部屋に似合わない程に重々しい印象である。

「どうぞ、お掛け下さい。」

促されてケイは、その箱を背にしてソファに掛けた。

「『この件』に関しては、お互いに腹蔵ないお話しができればと思っておりますので、少々時間が早いですがアルコールでもいかがですか?」

プロメターは、屈託の無い口調で問い掛けた。

「結構ですね。ただ、おっしゃる通り時間が早いので、あまり強くない物でお願いします。」

ケイは、取り合えず相手のペースに乗ってみる事にした。

「それでは、ワインで行きましょうか。」

そういってプロメターは、サイドボードから部屋の調度に似合いの、飾り気の無いデキャンターとグラスを取出した。

慣れた手つきで暗赤色の液体をグラスに注ぎケイの前に置くと、自分のグラスにも注いで、ソファに座った。

グラスを軽く持ち上げたので、ケイも合わせる。

プロメターが口に含んだワインが喉を通ったのをそれとなく確かめてから、ケイもワインを口に含んだ。

いい香りだ。

調度はそっけないが、揃えている物は悪くないようである。

「ところで、貴方のおっしゃる『疑問点』についてお伺いできますか? 」

プロメターの方から水を向けてきた。

ケイは、おもむろに上着のボタンを外すと、ベルトのバックルを見せて言った。

「どうです、いいデザインでしょう。ただし、あまり手入れをしていないので少し錆びていますが」

プロメターが何かを窺うような表情を見せた。

「私は、装身具は全て鉄のものを使う事にしているんですよ。鉄の飾り気の無さが好きでしてね。それに・・・」

そう言って一呼吸置くと、プロメターの表情を注視しながら続けた。

「今回のように重力天使の正体が、強力な電磁石であるような場合には、特に役立ちます。」

ステンレススティールを精製したり、鉄に安価で見栄えの良いクロムメッキを施す技術はとうの昔に失われてしまっているため、装身具と言えば貴金属か真鍮ばかりで、錆に弱い鉄を装身具に使う事はまず無くなっている。

そのため、磁力の存在に気づく機会は滅多にない。

だから、磁石を使った単純なトリックが横行する事になった。

何と言っても磁力は目にも見えず音もしない上に基本的に遠隔的に作用するため、 他の力に比べて色々と使いでが良いのだ。

そこでケイはそれを逆手にとって、わざわざ指輪やベルトのバックルと言った装身具を特注し鉄で誂えたのである。

いきなり核心を突く事で、プロメターの反応を引き出そうと言うケイの目論見は外れたようで、その表情は意外な程に落ち着き払っている。

「それで、どうなさるお積もりですか?」

相変わらず穏やかな声である 。

この余裕は何処から来るのか?まだ次の手があると言う事か、そう思ったケイは 、少々揺さぶりを掛けてみる事にした。

「報告書にありのままを記載しなければなりませんね。それに、信者の皆さんにも説明しないといかんでしょうな。」

「それは、誠に残念ですね。考え直していただく訳にはまいりませんか ?」

友好的な表情はそのままだが声の調子が少し変わった。

とはいえ、それは明らかにケイの期待していた変化とは違う。

この野郎、面白がっていやがる、とケイは心の中で舌打ちをした。

プロメターが余裕を見せている限り本音は引き出せそうにないと判断したケイは、もう一段強く出る事にした。

「そういうわけにはいきかねます。これが私の仕事ですからね。」

わざと硬い声で畳み掛ける。

プロメターは微笑みながら言った。

「失礼ながら、貴方がご覧になっている事だけが真実とは限りませんよ。」

その時、突然耳鳴と共に目眩がケイを襲った。

視野が歪み始める。

プロメターの穏やかな笑いが歪んで見える。

「この世界は、貴方が信じているような目に見える物だけで成り立っているとは限らないのですよ。」

プロメターの声が、洞窟の奥から反響しているように聞こえる。

どうなっているんだ!ワインに何かが入って…いや、それならプロメターの方が先に飲んだはずだ。

襲い来る頭痛や眩暈と戦いながら、ケイの頭は必死に原因を探ろうとする。

ケイは、背後の木箱に感じた違和感を思い出した。

あの箱か!しかし 、あの箱から何が出ていると言うんだ。

何かのガスなら、プロメターも平気ではいられない筈だ。

一気に立上がりざまに振り向いて箱を壊せば …しかしもし外れならもう反撃のチャンスはない。

「貴方はご存知無いでしょうが、この世界には、目にも見えず耳にも聞こえないけれども人を殺す事さえできる力が存在しているのです。」

一体何が言いたいんだ、超能力を信じろとでも…。

ケイの頭の中で、プロメターの言葉がグルグルと回転する。

『目にも見えず、耳にも聞こえないけれども人を殺す事のできる力』、目に見えない力なら音が…いや、音なら耳に聞こえているはずだ、目のピントが合わせられなくなり、プロメターの顔が霞んで来た。

必死にピントを合わせようと目を見張るが、頭が重くて挙げていられない。

思わず俯いてテーブルに視線を落とした時、テーブル上のグラスにピントが合った。

その時、ワインの表面に細かな波紋が広がっているのが見えた。

『目にも見えず、耳にも聞こえない力』、聞こえない『音』だ!

ケイは渾身の力を振り絞り、跳ねるように立ち上がると、一気に振り向いた。

壁際に置かれた椅子の背を掴むと、一気に振り上げながら大股で箱に歩み寄る。

このまま木箱に叩き付ければ、そう思った瞬間にプロメターが狼狽した様に叫んだ。

「待て!止めてくれ!それを壊されたらもう部品が無いんだ!」

ついに 、プロメターの声に焦りの色が現れた。

襲い来る頭痛と戦いながら、ケイは言った。

「壊されたくなければ、今すぐこれを止めろ!」

ドスを効かせて恫喝したつもりだったが、実際にはケイの声はかろうじて聞き取れる程度のかすれ声だった。

「わかりましたから、とにかくその椅子を降ろして下さい。」

両手を挙げて、宥める様にプロメターが言った。

「こいつを止めるのが先だ。」

ケイはようやく主導権を取り戻した事が確信できた事で、余裕を取り戻していた。

プロメターが、掌の中で何かを操作すると、あれほど激しかった耳鳴と眩暈が嘘のように治まった。

「この箱が怪しいという事にはお気づきになったようですね。」

ようやく椅子を下ろしたケイは、肩で息をしながらも必死に平静を装う。

「あれだけヒントが出れば判るさ 。」

冷静さを取り戻したプロメターは、元の穏やかな調子に戻って言いかけた。

「この木箱には、今ご覧になったように超自然の力が宿って・・・」

ケイは唇の端を歪めて笑い、プロメターの説明を遮る。

「もう、茶番は止めようぜ。『目にも見えず耳にも聞こえない』音が出るんだろう?」

プロメターは笑いながら言った。

「耳に聞こえなければ『音』ではないでしょう。」

「低周波くらいは知っているんだよ。」

ケイは、かつて禁書館で過去のオカルト関係の記録を漁っていた時に、面白い記録を見つけた。

山村の集落の広い範囲で、建物の中の物が何も振動していないのに窓枠だけがカタカタと揺れ、付近の住民に頭痛・眩暈・耳鳴といった体調異常が続発したという事件である。

当時のマスコミは、これをポルターガイスト事件として大々的に取り上げた。

山村という事で、落武者伝説と結び付けたり集落内の閉鎖的人間関係と結び付けた、面白おかしい報道が横行し大きな話題となった。

しかし事件が有名になると、健康被害が出ている事もあり環境行政の担当部署としても放置しておく事ができなくなったため、調査が入った。

ところがこの調査団の一人が、現象が発生する時間が毎日ほぼ同じ時刻であることに気づいた。

毎日同じ時刻に悪さをする幽霊とは?どう考えてもリアリティが無い。

むしろ、何らかの物理現象と考える方が説得力がある。

そこで、この現場の周囲で毎日該当する時刻に発生する大規模な物理現象を調べてみた。

すると、驚いた事に現場から約2km離れたダムが 、毎日この時刻に大規模な放水を行っている事が判明した。

この怪奇現象は、その放水の開始直後から始まり終了と同時に止んでいたのだ。

これでこの2つの事象に関係が無いなら、むしろその方が不思議である。

とはいえ、ダムは現場から2kmも離れているため、放水の音も現場では全く聞こえない(だからそれまでこれを結び付けて考える者は居なかった)事も事実であり、一旦は偶然の一致とされそうになった。

しかし地道な調査と実験によって、結局このポルターガイストの犯人は、ダムからの放水が激しく水面を叩く事によって発生する人間の可聴範囲を大きく下回る音、すなわち低周波が耳には聞こえない大きなエネルギーとなって空気を揺さぶり、現場まで届いていたと言う事実が明らかとなったのだ。

「ご存知でしたか。」

プロメターは、まるで悪戯を見つけられた子供のような表情を見せた。

「ご想像のとおり、これは低周波発生装置です。」

その声に何となく嬉しそうな響きが感じられたが、ケイには気づく余裕はなかった。

ケイは木箱の正面にある稠密な彫刻を確認した。

彫刻の細かい溝のなかに、無数の小穴が空いている事に気づいた。

「この穴を隠すために彫刻を入れたわけか。」

「ええ。」

悪びれた様子もなく、プロメターが答える。

木箱を開てみる。

中にはランプやスイッチが並ぶ金属製の箱が固定されており、その上面の中心から、ラッパが出ている。

ラッパは箱の中で曲り、開口部は先程確認した前面の小穴全体に広がっていた。

「これはどういう機械なんだ?」

「低周波削岩機のコア部分です。近くの廃坑の底で見つけました。」

長い年月地底の湿気に晒されていたためだろう、装置のカバーや金属がむき出しとなっているスイッチ類の表面は、白っぽい酸化皮膜が被っている。

ところが、スイッチやメーターの一部は、全く湿気に晒されていない様にぴかぴかしている。

「この新しい部品は、お前が見つけた時からこうだったのか?」

「いいえ、それらは腐食が進んでいたので、私が交換しました。」

プロメターは平然と答えた。

その答えに愕然としたケイは、勢い込んで訊ねる。

「では、最初に見せられたあの機械は、どうやって動いている?」

「中に小さなモーターが仕込んであるだけですよ。」

これもまた、事もなげな調子だ。

「それじゃ、電源はどうしているんだ?」

ケイが重ねて訊ねる。

「テーブルの天板の中にコイルが仕込んであります。で、そのコイルに交流電流を流して、あの機械の電源部にあるコイルに誘導電流を発生させています。 天板の中のコイルに流す電流は、御推察の通り、テーブルの足の中をくり抜いてケーブルを通しているんですよ。」

「その元々の電気は何処から手に入れているんだ!」

ケイの声は興奮のあまり上ずっていた。

「太陽電池の中でまだ生き残っている物を集めて、ここの屋根瓦に仕込んであります。」

ここには、高度な科学がまだ生きている!ケイは努めて興奮を表さない様に、押し殺した声で告げた。

「なるほど。今回の件は信者には黙っておこう。それに申請書に添付する報告書には、裁可を勧める意見をつけておく。」

プロメターは、おやという表情で尋ねた。

「それはまた、どういう風の吹き回しですか?」

ケイは、喜びを表情に現さない様に注意しながら、素っ気なく言った。

「今回の件は、貸しにしておいてやるよ。」

プロメターはそらとぼけた様な表情で、肩を竦めて言った。

「何が借りなのか分かりませんが、 まぁご好意には感謝する事に致しましょう。」


ケイの再検証意見が認められ、重力の使命は大賢人会議に議席を持つ事が認められた。

当然の事ながら、重力の使命は大賢者としてプロメターを選出した。

プロメターはケンジントンにオフィスを構え、クレメンズビルの重力の使命本部は、エピメターが教主代理として管理する事になったと聞いた。

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