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第四話 通信管理者アラマン

ウォンの死は、強盗に襲われたという事で片づけられた。

ケイは暫定報告のために、局長のランドルフをヴィジフォンで呼び出した。

信頼していたいた弟子が死に、しかもその原因が(直接手を下したわけではないにせよ)もう一人の弟子にあるという事実は大きなショックだった筈だが、ランドルフはそれを面に表す様な男ではなかった。

ケイは報告書に書けないであろう子細を口頭で報告したが、ウォンが『大きな意志』と語った下りに、ランドルフは大きな興味を示した。

その反応を見る限り、その件についてはランドルフは全く預かり知らぬ事の様であった。

さすがに信頼していた弟子の全く知らなかった側面を知らされた事は衝撃的過ぎた様で、一通りの説明を聞き終えると難しい顔で沈黙した。

いずれにしても、この問題については当面二人の心の中に止めておく他は無い、という事で意見が一致した。

話が一段落すると、切換の早いランドルフはもう(少なくとも表面上は)平静に返って言った。

「それから、話は変わるがな。」

「何です?」

ケイは嫌な予感がした。

「ゴンクールが、お前さんと話がしたいそうだ。」

ジュリアン・ゴンクールは、SI局のヨーロッパ支局長である。

SI局は連邦の首都であるケンジントンに本局があり、監査官の大半を占める30人程がこれに属している。

それ以外に、ブリュッセルにヨーロッパ支局、南京にアジア支局があり、それぞれ10人程度の監査官を抱えている。

後は本局・支局共に監査官と同程度の人数の事務官を擁しているが、事務官は監査の権限を持たないため、監査が行えるのは世界中で50人程しか居ない監査官だけである。

これは別に監査官の定員がこれだけだという事ではなく、特別な教育機関無しに師匠・弟子という徒弟制で養成するというシステム上の制約と、監査官という職務自体の難しさによる物である。

実はこれ以外にもう一つ、100人を越える監査官を擁しているケンジントン支局が存在しているが、特殊な事情により彼等の監査官という資格は肩書上の物に過ぎないので監査を行う事はできないし、支局といいながら事実上局長のコントロールを受ける事は無い。

いずれにしても、本局に属するケイはヨーロッパ支局長のゴンクールに指示を受ける事は無いのだが、支局長から『話がしたい』と言われては無下にも出来ない。

とはいえ、その用件は荒々想像がつくので気は進まない。

具体的な件はともかく、取り合えず『手伝ってくれ』なのは間違いあるまい。

ヨーロッパとアジアの両支局は、人数が少なすぎて慢性的な人手不足なのである。

だから、こうしてケイが本局から遙々海を渡って来ているのだが、どちらの支局でもやって来た監査官をそのまま素直に返す事はまず無い。

この機会に溜まっている懸案を一つでも減らそうと、躍起になって押し付けてくるのである。

「まあ、話だけでも聞いてやってくれ。」

何とも気が進まない話だが、取り合えず話を聞く他は無さそうである。

ケイはヴィジフォンの接続を切り、ヨーロッパ支局をコールした。


「やあケイ。久し振りだな。元気そうで何よりだ。」

ゴンクールは、快活に笑って見せた。

本局で平の監査官だった頃から彼の面倒見の良さは定評があり、ケイ自身も何度も世話になっている。

「お久しぶりです。そちらもお元気そうですね、ジュリィ。」

これが、とびきり有能だが偏屈そのものと言って良い性格のアジア支局長アーノルド・ハップスの仏頂面なら、何とでも支障を言い立てて断ろうという気にもなるのだが、ゴンクールの屈託の無い笑顔を見ると、とても断れそうにない。

まあ彼には色々と借りがあるのだから、少々の無理は聞くべきであろうと、既に半ば諦めていた。

「お陰様で何とかやってはいるんだが、なにぶんにも忙しくてな。」

そら来た。

その伺う様な眼差しを見て、これ以上気を使わせても仕方がないと考えたので、単刀直入に尋ねた。

「で。何をさせたいんです?」

明け透けだが悪意のないケイの言い方に、ゴンクールは苦笑した。

「あー、そこから100km程西に、マーレブールという街がある、というかあったんだが…」

「なんで過去形なんですか?」

「先月初めに、何の前触れもなく、突然三台あるはずのヴィジフォンの通信が完全に途絶したんだよ。」

予想していた監査の依頼ではない様だ。

「それで?」

「その後1ヶ月以上経過したが、通信が回復する兆しが全く無い。」

三台共に通信不能で、1か月経過しても情況に改善なしとなると、普通の故障では無いだろう。

「広範囲な通信網障害ではないんですか?」

「ヴィジフォン網では、完全に通信が途絶するほどの大規模障害は、滅多に起こらない。それに、今のところマーレブール以外で、完全な通信途絶は発見されていない。」

殆どの街には複数台のヴィジフォンが設置されており、それらが同時に故障する事は、滅多にない。

また、ヴィジフォン網は中央制御機構を持たないWeb構成であるため、何処かが故障しても、データ伝送は自動的にそこを迂回して行われるので、通信が完全に途絶する事はない。

「しかし、過去に全く例が無い訳でも無いでしょう?」

ケイは、一応抗弁してみた。

「もしそうなら、近くの街まで助けを求めに行くのが自然なんじゃないか?」

ゴンクールは指摘した。

「救援要請はないんですか。」

「そうだ。」

なるほど、確かに何か異常事態が起こっている事は、間違い無さそうである。

「で、何が起こったのか確認して来い、という事ですか。」

「まあ、そういう事だ。」

ゴンクールは、済まなそうに言った。

本来なら、出発前にケンジントンで十分な下調べをしてから乗り込むべきなのだが、出先ではそうも行かないので、そうなると一旦ブリュッセルまで行く必要がある。

その時ゴンクールは、手にしている紙の束を拡げて見せた。

「取り合えず、マーレブールに関する予備調査結果を読み上げるから、メモを取ってくれ。」

マーレブールに直行出来るだけでも、いくらかましではある。


翌朝、夜明けと同時に駅へ向かう。

マーレブールは、最寄りの鉄道駅から更に30kmもある。

そこからは、馬車を探すしかない。

朝一番の列車に乗っても、今日中に着けるかどうか分からない。

蒸気機関車が、大きく溜息を吐いて、ホームに入ってきた。

ボイラーのあちこちから、白い蒸気が漏れている。

蒸気機関車を生産する技術はとうの昔に失われており、ケイが知る限りでは蒸気機関車が最後に新造されてから、もう30年以上になる。

蒸気機関車はどこでも修理に修理を重ねて、つぎはぎだらけの状態で辛うじて動いているのだ。

この修理技術もいつまで持つか怪しいもんだ、とケイは思った。

席に着くと、バックパックから手帳を取り出し、昨日のメモを確認する。

マーレブールは、人口1万ちょっとの街である。

政府を構成している団体はソロモンの騎士、これはカトリック系の団体だ。

大いなる再構築に際してバチカンは、過去の幾多の苦い経験から、積極的に政治に関与する事を自制した。

それは、同時に配下の各団体がスピリチュアリズムに傾倒していく事を阻止できなかった事で、それらに対して暴走を抑制しようという働き掛けが反発を生み、自分達との訣別を選択される事を恐れたからでもある。

その結果、各団体は精神的にはバチカンに対して緩やかな結合を保ったまま、より先鋭的なスピリチュアリズムに基づく独自路線を取り、半自立状態に移行して行った。

今やバチカンは、カトリック系の各団体から精神的な総本山としての崇敬を受けるだけの弱小団体となっており、各団体は共にバチカンを理念的に戴くライバル同士となっている。

この事でバチカンは、現世に対する直接的な影響力、特に中世以来の重要な(勿論、近代以降その割合は目に見えて低下していたが)財源である十分の一税を始めとする現世的利益の大半を失ったが、その代わりにカトリック信者の最大の巡礼地という大きな財源は守る事ができた。

そしてバチカン自体は、現在でも大賢人会議に議席は保有していない(老舗中の老舗としては、ぽっと出の有象無象と対等に話し合う必要は認めないのだ)が、これから行く先のソロモンの騎士の様なカトリック系の教団が競って代弁者を務める(何しろバチカンを蔑ろにすれば、信者に対してその正統性を示す根拠が失われてしまうのである)ので、特に不都合は感じていない様だ。

ケイは、更にメモを読み進める。

マーレブールの主要産業は広大な森林を背景とした木工で、小は食卓に並べる調味料入れの様な工芸品から、大はその食卓自体やその他の家具に至る幅広い木工品の生産を行い、その品質には定評がある。

その結果、街の財政は、単一の産業に大きく依存してはいるが、かなり豊かであり、その上がりから納められる十分の一税により、ソロモンの騎士の内証も相当温かい様である。

それはつまり、教団自体が俗人である一部の有力者に頭が上がらない事を意味している。


ようやく街の入り口に辿り着いたときには、すっかり日が暮れていた。

意外な事に、入口のゲートから見える街並みは、特に異常さを窺わせるような物ではなかった。

通りに面した商店には、ごく当たり前にランプが灯され、普通に人々が行き交っている。

まずは宿を確保しないとな、とケイは歩き出した。

通常であれば、ヴィジフォン・ステーションに向かうところなのだが、今回は、そのステーション自体が問題なので、まず情報の収集が先であると判断した。

取り合えず通りを歩き、最初に目に留まったホテルに飛び込んだ。

「いらっしゃい。」

人の良さそうな女将がカウンターの向こうから、声を掛けてきた。

「部屋は空いていますか?」

「ええ、食事は?」

「お願いします。」

女将は鍵を差し出しながら、言った。

「部屋は2階奥の突き当たり 。荷物を置いたら、そっちの食堂まで来てね。」

そう言って、入り口の反対側を指した。

ケイは、部屋に荷物を置くと階段を降りて食堂に入った。

ここは街のパブも兼ねているようで、あちらこちらのテーブルでは乾杯の声が上がっている。

席につくとすぐに、女将が料理を載せたトレイを持ってやって来た。

「景気はどうですか?」

ケイが愛想良く尋ねると、

「まあまあね。」

女将も愛想良く答える。

ケイは少しカマを掛けてみる事にした。

「噂では最近随分大きな事件があったようですが、ここは大丈夫だったんですか?」

食堂全体にハッと息を呑む気配が広がった。

女将はどうした物かという表情で、目を泳がせている。

その視線の先では身なりの良い初老の男たちがビールジョッキを囲んでいた。

そのうちの一人がケイの方を向いて、わざとらしい程に快活な調子で話し掛けて来た。

「わっはっはは。そりゃ、何かの勘違いだろう。ここいらは至って平和なもんさ。何にも変わりはない。なぁ、そうだろう?」

同席していた男達は一斉に同意を表明する。

これは何かを隠そうとしているな、そう思ったケイは、とりあえずこの場でこれ以上追求するのは止めておく事にした。


翌朝、ヴィジフォン・ステーションの場所を女将に尋ねた。

女将は何か言いたげな様子ではあったが、結局ステーションの場所を説明しただけで、他は何も言わなかった。

ステーションに入るとカウンターに着いている男が立ち上がった。

「 いらっしゃいませ。通信でございますか?」

ケイは男の口ぶりに微妙な違和感を感じたが、それが何による物かとなると、全くわからなかった。

バックバッグを降ろすと、中を掻き回して連邦政府発行の身分証明書を探す。

身分証明書はパーチメント(羊皮紙)に羽根ペンで大仰な書体でしたためられた物で、便箋程のサイズがある。

そのため、そのままではポケットに入らないが、折り畳むとすぐに折り目が擦り切れてしまうので、巻いて皮紐で留めて荷物の中に入れておくしかないのだ。

数年前に禁書館で、大量のプラスティックカードとエンボス機が見つかった事があり、ケイ達は、これを監査官の身分証明書に利用する事を提案した。

カードサイズならポケットに入れておける上に、エンボスされた文字は雨に濡れても滲まないし、第一プラスティックカードを作る技術はとうの昔に失われてしまったので、偽造される心配が無い。

ところがこの提案は、大賢人会議によって即座に却下された。

「科学技術の産物であるプラスティックカードには、心霊的な力である『念』を込める事ができない」というのがその回答であった。

ようやく身分証明書を見つけ出し、皮紐を解いて男に示す。

「SI局の ケイ・アマギです。こちらの機器に問題が発生したとの連絡を受けて調査に参りました。」

男は連邦政府の公式見解によれば荘厳なオーラ(尤もケイ自身はそんなものはついぞ見た事が無い)が立ち上っているはずの身分証明書を一瞥し、答えた。

「それは、遠路はるばるようこそいらっしゃいました。当ステーション管理主任のギョーム・アラマンです。しかし、『問題』とはどういった事でしょうか?」

昨日の男達と違い、その口調からはとぼけている様子は全く感じなかった。

「何も問題は起こっていないのですか?」

ケイが水を向けると、男は当惑した風で答える。

「ええ。私の存じておる範囲では何も問題は起こっておりませんな。」

「しかし、こちらとの通信が途絶したまま、繋がらなくなっていると言われて来たんですがね。」

ケイは更に追究したが、男は益々当惑するばかりで、後ろ暗そうな様子は全く見えない。

「何の事なのか見当もつきません。こちらの機器はすべて全く問題なく動作しておりますよ。むしろ『今だかつて無かったほどに』調子がよい位です。」

自身たっぷりに男が断言する。

ケイは、ようやく違和感の原因に気づいた。

この男の態度には、 卑屈さが全く窺えないのである。

ここまで自身たっぷりに話すテクニは見たことが無い。

「判りました。とりあえず念の為に機器の状態を見せていただいても良いですか?」

ケイの問い掛けに、ギョームは嬉しそうに答えた。

「勿論宜しいですよ。是非とも、私の画期的な改良の成果をご覧いただきたいですね。」

「改良?」

「ええ。私は、ヴィジフォン機器に独自の改良を加えました。これにより、ヴィジフォンは今まで以上に素晴らしい物になりました。」

そう言いながらギョームは、ケイを先導してヴィジフォンブースの列の向こうに回り込んだ。

ヴィジフォンブースは、その後ろ半分を壁に埋め込まれる形で据え付けられており、その壁の向こう側が小部屋になっている。

ブースの背面はメンテナンス用の扉となっており、これを全て隔離された小部屋の中に納める事で、不用意に開けて中を触られる様な事が無いようにされている。

ごく普通の構造である。

こういう構造をとる場合、大抵その小部屋の中ではメンテナンス用の扉は開け放たれている。

機器の監視とメンテナンスを容易にするためと、機器の発する熱を効率的に発散するためである。

アラマンが鍵を開けて扉を開いた。

中に一歩足を踏み入れたケイは、その有様を見て絶句した。

電子基盤を半透明のカバーが覆うモジュールパックの中で、様々な色の素子が点滅しながら微かな唸りをたてて動作している見慣れた光景はそこには無く、全てのモジュールパックの表面には金属製とおぼしき銀色の円盤がびっしりと突き刺さって鈍い光を反射していた。

手直のモジュールパックに顔を近づけて凝視する。

銀色の円盤は恐らくピューター(錫合金)らしい3cm程の直径で、片面には複雑な模様が刻まれていた。

六芒星をモチーフに、バラのようなトゲのある蔓が絡み付いた絵が図案化されているようだ。

「これは、タリスマン(護符)ですか?」

「ええそうです。『ソロモンの騎士』教会によって聖別された神聖なタリスマンです。」

そのタリスマンの縁は、みんな軽く潰れている。

恐らくはハンマーのようなもので、一枚一枚打ち込んだのだろう。

「呪われた技術は、神聖なソロモン王のご加護で、 至高の存在と一体化した神聖なる技術に昇華したのです。素晴らしいでしょう。」

自身たっぷりにそう言うギョームの眼は、瞳孔が大きく開いたままで、全く瞬きをしていなかった。

モジュールパックを予備の物と交換すれば修復は・・・だめだ、主基盤にまで打ち込んである、とケイはギョームに見えない様に眉をしかめた。

「この素晴らしい発想を、大賢人会議に伝えなければなりません。詳細に見させていただいてよろしいですか ?」

「勿論ですとも。納得がいくまでご覧下さい。」

報告書に書かなければならないので、バックパックからメジャーを取り出して確認する。

タリスマンは技術者的几帳面さで、正確に10cm間隔で打ち込まれていた。

いくら『無故障技術』をベースとしたヴィジフォンとはいえ、完全に無故障というわけにはいかない。

だからヴィジフォンブース本体と一体化している主基盤以外は全てある程度の機能単位毎に密封されたモジュールパックとなっており、モジュールパックが故障したらそれをパック単位に交換する事が出来る。

大いなる再構築以前に必要なモジュールパックは大量に生産され、各ステーションに備蓄されているので、稀に故障が起こった場合でも、モジュールパックの交換で復旧する事が出来るようになっていた。

ただし、モジュールパックを生産する技術が失われてからもう100年もそのまま運営してきているため、そろそろ交換パックが尽きて、修理不能 となったステーションも出てはいる。

だが、全体を制御する主基盤には交換部品なぞ存在しないし、勿論製造する事も出来ない。

ケイは念の為に全基盤を確認したが、タリスマンが打ち込まれていない個所はどこにも無かった。

どう考えてもハンマーが振るえる筈の無い個所にまで打ち込んであるところを見ると、わざわざ基盤を一旦抜いて打ち込んでから戻したのだろう。 ギョームの様子をそっとうかがって見る。

その態度には、悪びれた様子は微塵も無い。

こりゃあ本気で信じてるな、そう思うと、ケイは目の前が真っ暗になるような気がした。

明らかに、修理不能としか言い様が無かった。


ケイは両肩にのし掛かる徒労感と闘いながら、蹌踉とした足取りでホテルに戻った。

ドアをくぐると女将が、威勢のよい声で「いらっしゃい・・・」と言いかけたが、入ってきたのがケイだと気づくと控え目な声で「おかえりなさい。」と言い直した。

「ステーションに行って来ましたよ。」

「そうですか・・・ご苦労様でした。夕食はどうなさいますか?」

ヴィジフォン・ステーションの事には触れたくない様子だ。

やはりこの女将に話を聞くのが早そうだ、と思ったケイが身分証明書を取出して見せると、女将ははっと息を呑んだ。

「今回の件について何かご存知でしたら、教えて頂けませんか?」

彼女は明らかに逡巡している。

「ご存知でしょうが、監査官には厳重な守秘義務が課せられています。それは、単に我々が調査結果を公表しないと言うだけではなく、監査官に対して、調査上の秘密を公開せよと要求する事は許されないという事でもあります。ですからこの街の人達は、貴方が言った事を知る事はありません。」

女将は、無言で立ち竦んでいる。

「すぐに決心できる事では無いでしょうから、一旦部屋に戻ります。決心がついたら声を掛けて下さい。」

そう言って部屋へ戻ろうとした時 、彼女がケイを引き止めた。

「あのぅ…」

ケイはニッコリと笑って、言った。

「大丈夫です。貴方が説明して下さる事は、誰にも言いません。」

すると女将は意を決した表情で、きっぱりと言い切った。

「いいえ。あたしが告げ口した、とおっしゃって頂いて構いません。あの子に何もしてあげられなかったという点では、あたしも同罪です!」

「あの子?」

「ええ。ジャンヌ、ギョームさんとこのお嬢ちゃんだった子です。」

「『だった』、ですか。」

いやな話になりそうだな、とケイは思わず心中で身構えた。

「7歳でした。そりゃあ可愛い子でね。マリアが産後の肥立ちが悪くて残念な事になってしまった後は、ギョームさんは町中の女達に貰い乳をして回って、一生懸命に育ててました。」

乳児に与える人工栄養が殆ど存在しない今、母の居ない嬰児を育てるためには、離乳食が食べられる様になるまでは貰い乳をするしかない。

ただし、乳を与えてくれる女性を見つける事自体は、それほど困難な訳ではない。

授乳可能な女は、常に新生児より多いのだ。

食糧が豊かとは言い難い現代では、母親達は出来るだけ授乳期間を延ばそうとする。

何と言っても、現状では幼児の食糧としては安全性や利便性に関して、母乳に勝る栄養は無い。

そして母体側に特に問題がなければ、乳腺は授乳による刺激が与えられている限り、かなり長期間に渡って母乳を分泌する。

また母乳を分泌している間は、ホルモンバランスの関係で排卵が抑制される事が多いので、授乳は避妊の手段ともなる(ただしその信頼性は低い)。

人口過剰という人類全体の宿痾が全世界を覆っている今、どこでも離乳期は3・4歳まで延びているのだ。

とは言えいくら気前の良い母でも、まず自家消費分を充足させてからの話であるから、一人で十分に与えてくれる訳ではない。

従って日々懸命に頼んで回る事になるだろう。

「あたし達はいつも可愛がっていましたよ。 飴なんかあげるとホントに天使のような笑顔ってやつでした。」

7歳まで何とか育てられたのなら、恐らくは町中の乳児をもつ母親全員が協力したのであろう。

「ただ・・・その、男どもは・・・ね。」

と、口ごもった。

「テクニの子が一般にどういう扱いを受けるのかについては、存じています。」

ケイは続きを促した。

「子供は、大人の真似をしますからねぇ。」

女将は軽い溜め息と共に、吐き出す様に言った。

「いじめですか。」

「ええ、 そうです。最初の内はちょっとした意地悪だったんですが段々エスカレートしていって、その、誰も止めないものですから・・・」

そこまで言って、再び口ごもる。

彼女の中では、告発を決意させた怒りと告発の対象となる何者かに対する恐れが戦っているのだろう。

やがて、彼女は再び口を開いた。

「池に突き落として、水面でもがいているところに石を投げつけたそうですわ。」

とても無邪気な子供の遊びではないな、とケイは心の中で呟く。

「一人で水遊びをしていて、溺死した事にされてしまいました。」

「検死の手続は取られなかったんですか?」

女将は暗い目をして俯いた。

「あの子の顔には、尖った石が当たった傷がいっぱいついていたんだけど、お医者さんも保安官にもそんな傷は見えなかったらしいんです。」

概ね話が見えてきた。

「そこまであからさまに誤魔化したという事は、やった子供の側に特別の事情があったという事でしょうか?」

女将は食堂の方を指して言った。

「 ゆうべ、あそこで呑んでいた人達を覚えてますか?」

「ええ。何も問題はないと力説していた人達ですね。」

「あのとき力説していた人は、ドビルパンさんといってソロモンの騎士教会の信徒会長老なんですよ。それに、木工業組合の会長でこの街一番の木工場の社長でもあります。」

「教会の事実上のオーナーと言ったところですか。」

「ええ、みんなに尊敬される立場の人なんですが、孫のジャックには甘くて…」

信徒会の長老となると、恐らく教会の主要な財源である10分の1税は全てその手を通して納められるので、財布を握られている教会としてはその意に反する行動は取りたくないだろう。

「だから、こんな事になるまで誰もジャックを止めなかったし、こういう結果になっても誰もジャックを注意できる大人がいないんです。」

「それで、アラマンさんが追いつめられた結果がこれですか。」

「ええ」

女将は打ち明けてしまった事で、開き直ったようにさばさばした表情を見せて言った。

「ギョームさんは、ジャンヌの亡骸を抱き上げた時からおかしくなってしまったんですよ。」

ある意味、これ程効果的な反撃は無いと言って良いだろう。

『神に見放された』テクニの子だから、こんなひどい真似がまかり通るわけで、聖別された護符という神聖な力を使って破壊したのなら、誰も止める事はできない。

アラマンは、自分一人で小さな『大いなる再構築』を実行したわけだ。

「ところで、貴方はこの後どうしたいですか?」

女将は顔を上げる。

「 どう、と言いますと?」

「連邦資産を破壊した廉でアラマン氏を告発すれば、アラマン氏は逮捕されます。」

そうなればアラマンに待っているのは絞首刑だろう、という点については敢えて説明しなかった。

「そうすれば連邦としても、ヴィジフォン・ステーションを復旧するべく、他所から余っているブースを持ってくるといった手を打つでしょう。」

女将は、決然とした表情で顔を上げた。

「あたしなんぞがどうこう言う事じゃ御座いませんが、『あたし達』はこのままが良いと思ってます。」

彼女は、きっぱりと言い切った。

「なぜです?」

「どうせ、ステーションが今のままで困るのは、街と教会のお偉いさんだけです。それに、結局あの幼い子供を見捨てた報いは、みんなで受けるのが筋ってもんでしょう。」

彼女の背後には、ジャンヌにその乳房を含ませた事のある町中の女達が立っている様に思えた。

「おっしゃる事は良く解りました。ご協力ありがとうございました。」

ケイは頭を下げると、自室に向かった。


一晩考えた末に、ケイはドビルパンを訪ねる事にした。

街で最大の木工場であるその工場の場所は直ぐに判った。

受付で身分証明書を見せ面会を要請すると、応接室に通された。

しばらくすると、見覚えのある快活そうな老人が入ってきた。

向こうもケイの顔を覚えていた様で、ケイの顔を見た途端に頬を引き攣らせたが、すぐに作り笑いを浮かべて挨拶した。

「リシャール・ドビルパンです。」

「連邦SI局のケイ・アマギです。」

ドビルパンは、ぎこちない笑顔を張り付けたままで、愛想良く訊ねた。

「本日は、どの様なご用向きで?」

表情は何とかなったが、その声までは誤魔化せず僅かに震えていた。

「最近この辺りで何か問題が起こったのではないか、という噂がありまして、賢人府から様子を見てくる様に言われたんです。」

「何か、と言いますと?」

ドビルパンは、探る様な表情になる。

「さあ、それがどうも良く判らんのです。私自身も何を調べたら良いのか、途方に暮れているんですよ。」

要領を得ない表情のドビルパンに、更に話し掛ける。

「ですから、この街で一番の名望家と伺っておりますドビルパンさんに『ご相談』申し上げたい、と存じまして。」

ケイの口ぶりから何か含むところがあると判断したドビルパンは、身構えつつ言った。

「なるほど。それは難儀をしておられますな。」

「ええ、そうなんですよ。一部に妙な噂も無いでもなさそうですが、そういう根拠の無い噂を報告して、この街の名誉に傷が付くのもどうかと思いますし、特に、街の名誉は名望家である貴方の名誉でもありますしね。だから、まずこうやってご意見を伺いに参った訳です。」

ニュアンスは伝わった様で、ドビルパンは狡そうな表情に変わった。

「ほう。それでは、報告に当たっては私の意見を『考慮』して頂けるという事でしょうか?」

「その点は、そちらの『対応』次第という事になるでしょう。」

ドビルパンは無言で頷いた。

ケイは、相手がしっかりと食い付いてきた事を確めた上で、本題に入った。

「この街で何か異常な事、例えばヴィジフォンの通信が途絶するといった事は起こっていませんか?」

ドビルパンの頬が一瞬引き攣ったが、直ぐに笑顔を作り直して答えた。

「勿論そんな事はありませんよ。」

「やはりそうですか。所で誠にお手数で申し訳ありませんが、その点について一筆頂けませんか。何しろ、『何も起こっていない』事を証明するのは大変難しいので、ちょっと他に良い手段が思い付かないんですよ。」

ドビルパンは、躊躇う様な表情を見せた。

「そう言えば、アラマンさんのお嬢さんは、大変不幸な『事故』でしたね。」

ケイのさりげない言い方に、ドビルパンは不自然なほど動揺した。

「え・・・、ああ、そうでしたね。」

上の空で曖昧に返事をしながら、ドビルパンは慌ててペンを取った。

後は、ケイの言う通りに上申書をしたため、サインを入れた。

勿論その中にはアラマンの行った『改良』の結果には深い満足をおぼえている旨を明記させた。

「ところでお孫さんのジャック君でしたか、大層利発なお子さんだそうで。自慢のお孫さんですね。」

そう言ったケイの微笑みは、邪悪さを感じさせる物であった。

「え、ええ。それはそうと、今『お土産』を用意させますので・・・」

そう言いかけるドビルパンを制して、上申書をしまいながらケイは立ち上がった。

もう目的は果たしたので、これ以上ここにいる必要は無い。

袖の下を要求する様に見せ掛ける事で、自分に有利に取り計らって貰えると思い込ませて、上申書を書かせたかっただけなのだ。

「ご協力感謝します。それでは、これで失礼します。」

呆気にとられているドビルパンを残して、ケイは足早に立ち去った。


ケイはその足で再びヴィジフォン・ステーションを訪ねると、ドビルパンが今回の『改良』に満足している事を告げた。

相変わらずアラマンは自身たっぷりに話しており、瞬きもしなかったが、ケイが上申書を見せると、その瞳孔が急に収縮し鋭い眼差しに変わった。

頻りに瞬きを繰り返す様になったその眼は、明らかにケイの意図を理解している。

もし、今回の件でアラマンが訴追される様な事があれば、ドビルパンも只では済まない。

だから今後賢人府がこの件に介入しようとすれば、それはソロモンの騎士の面子を潰す事になる。

とは言え、完全に通信が途絶している現状では、この街の経済的基盤である木工業の先行きも暗い。

従ってドビルパンの権威がいつまで続くかは、甚だ疑問である。

「アラマンさん。お嬢さんを亡くしてしまった今、このままここで仕事を続けるのはお辛いでしょう。何処か他所に転属の希望を出す気はありませんか?」

アラマンは先程とはうって変わって穏やかな調子で、しかしきっぱりと答えた。

「いいえ、私は妻と娘が眠るこの地を離れる気はありません。」

そう言って、一呼吸置いて続けた。

「例え、それがどんな結果になったとしても、ね。」

ケイは、アラマンを説得するのは不可能である事を悟らざるを得なかった。


ホテルに戻ったケイは、手帳を見ながら報告書の草案を一気に書き上げた。

その中ではジャックとジャンヌの話には一切触れず、目に見える現象のみを詳細に記述した。

そして、詳細は『街で最も人望のある』信徒会長老ドビルパン氏の上申書を参照願いたい、と結んだ。

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