間奏曲(インターリュード)
近代以降のオカルトに対する社会的流行は、ハイズビル事件と呼ばれる19世紀のアメリカのフォックス姉妹が始めた交霊術が起源だといわれている。
その主役となったのは、フォックス家の三姉妹の内、次女と三女であった。
暗闇で2人の少女が虚空に向かって呼びかけると、何かを叩くような音がイエスならば1回、ノーならば2回響き、質問に答えたという。
姉妹の起こす怪奇現象は大変な反響を引き起こし 、二人はいたるところで(有料の)交霊術を実演し、この(主に経済的な)成功が多数の亜流の交霊術師を産んだ。
後発の降霊術師達はフォックス姉妹の退屈な降霊術を見て、より人目を惹く洗練されたトリックを考案し実演した。
二人は成人した後、良心の呵責か或いは他の亜流の霊媒達に人気をさらわれた嫉妬からか、自らそのトリックを暴露した。
彼女らは一種の特異体質で、普通の人間が指の関節を鳴らすように、足首の間接を曲げるだけで好きな時に鳴らす事ができたのだ。
しかし、世間は二人の告白を受け入れなかった。
二人は、むしろその告白自体が嘘であると糾弾され、爪弾きにあい貧困の内にその生涯を閉じる事になった。
余談ながらこの二人の妹達のマネージャーを勤めた長女は、この交霊会の上がりを溜め込んでいた事で、裕福に人生を終えている。
フォックス姉妹の茶番の後も、その後継者達は着々と新たなオカルト信奉者を作り出していった。
政治家、科学者、文学者等々社会的地位の高い信奉者が次々と現れ、その事が更に次の信奉者を生み出していった。
特に、この時代を代表する科学者ウィリアム・クルックスや作家コナン・ ドイル、更にはもう少し時代が下って、大発明家トーマス・エジソンが熱心なオカルト信奉者となった事は、オカルトが科学の世界に市民権を得る原動力となったと言って良いだろう。
人はとかく権威と言うものに弱い。
特定の分野で偉大な業績を上げた事が、他の分野での優れた能力を保証する訳では無い、という明白な事実を認識する事は、中々難しいのだ。
特にシャーロック・ホームズの素晴らしい推理を読んで感銘を受けた後に、その作者が平均以上に思い込みが激しく騙され易い人物であるという事実を受け入れる事は難しいのである。
この風潮は、20世紀に入っても変わる事はなかった。
科学の社会への浸透と共に、『霊』という事葉のプリミティヴな響きが避けられ、『超能力』というより衒学的な言葉に置き換えられていったが、その実体としては大差はなく只のオカルト用語の流行の変遷があったに過ぎない。
20世紀後半に入り、マスコミの発達がこの傾向に拍車を掛けた。
情報社会の発展の流れの中で大量情報の送り手は、こういった流行に無批判に乗ずることが販売部数や視聴率といった自分達の利益に直結している事に、すぐに気づいたのだ。
大衆はきちんとした根拠に基づいた科学的な報道には大して興味を示さない(あるいは、きちんとした根拠に基づく科学的な報道で大衆の興味を引き付ける事は地道で大変な努力を必要とする)が、事実に基づかないオカルト的な報道なら簡単に大衆の財布の紐を緩めさせる事ができるのだ。
これにより、オカルト情報の洪水の中で一般市民はオカルトに対する心理的な抵抗を失っていった。
さらに、20世紀末、にわかに問題視され始めた地球温暖化(これ自体は間違いなく喫緊の対応を要する重大問題ではあった)に関する扇情的で無責任な報道が、科学技術に対する不信感をより煽った。
そのころにはオカルト世界の流行は、スピリチュアリズム(古臭い『心霊主義』ではなく、堅苦しく手垢が着いているように感じられる『物質的・科学的』な物の考え方と対置される『精神主義』)に移っていた。
バランスの取れた報道をその使命と信じる一部を除くマスコミはこうして科学不信を煽る一方で、そのカウンターパートとしてのスピリチュアリズムの正当性を叫びつづけた(その『証拠』たるや 、ほぼ、捏造と誤解で出来上がっていたが)。
とは言え、それを全てマスコミの利益至上主義的な姿勢のせいと断じるのは、些か公平さを欠いた判断といえるかもしれない。
少なくとも、大衆の求める情報を供給する事がマスコミの重要な使命である事も事実ではある。
いずれにせよ、これが奇妙な果実を生む事となった。
スピリチュアリズムが唱える『友愛』や『調和』といったお題目が広く社会に受け入れられた結果として、世界連邦結成への機運が高まっていったのだ。
21世紀も半ばを過ぎた頃、ウィリアム・ケルブという男が現れた。
彼は、スピリチュアリズムの高まりの中で友愛と調和に基づく自然回帰を提唱する団体『炎の剣』を設立した。
ケルブ自身は積極的に科学不信を煽る事は無かったが、一方で科学不信による一般大衆の不安を肯定し、その教団は科学不信に対する最大の受け皿となった 。
また、科学不信を唱える多くの団体に対し大規模な財政的援助を行い、それらを『友好団体』という名目で自らの下部団体としていった。
これにより、社会的影響(乃至は体面)を考慮して科学不信とそれに伴う社会的な不安に乗ずる事を躊躇した既存の宗教団体は、次々とその基盤となる一般信者を奪われていった。
それら既存の団体が危機感を覚えて対策に乗り出そうとした時には、既に炎の剣とその友好団体のネットワークが世界を被っていた。
そうして、21世紀は『科学不信の世紀』と呼ばれるようになった。
反科学陣営の執拗な非難の中で、科学陣営側は地道に解放的・啓蒙的な手段で状況の改善を目指す事を諦め(どうせ、地道で啓蒙的な情報公開は、何よりも扇情的であることを求めるマスコミの報道には載らない)、閉鎖的かつ先鋭的な体制でより大きな成果の達成を目指すようになった。
この方針を21世紀半ばのある科学者は、
「奴等は『何故そうなるのか』なんて、いくら説明しても理解する気がないんだから聞きはしない。それよりは、『何が出来るのか』だけ見せて黙っていて貰う方がお互いのためだ。」
と表現した。
こうして科学者と一般大衆の潜在的な対立構造は、マスコミの無責任な扇動を受けてますます深刻の度を深めて行き、相互不信が世界を覆った。
こういう空気の中で先進各国の共同プロジェクトとして高エネルギー研究所に史上最大の粒子加速器が完成したとき、科学者達は基礎研究にじっくりと時間をかける事を望まず、一日でも早く大きな成果を挙げようとした。
具体的には、基礎研究の多くの段階を省略してマイクロブラックホールを人工的に生成しようとしたのだ。
これによって、現在世界を覆っているエネルギー関連の諸問題は全て一気に解決し、無知な大衆(無意識のうちに科学者自身がこう考えてしまうほど、両者の間の溝は深まってしまっていた)はその成果の大きさに納得するであろう、 と科学者達は信じた。
そうして、鳴り物入りでマイクロブラックホールの生成実験が行なわれ た。
結論から言えば、この実験は失敗に終わった。
といってもマイクロブラックホールが生成できなかったわけではない。
もし、生成自体に失敗していたのなら、あれほど悲惨な結果にはならなかっただろう。
マイクロブラックホールの生成には成功したのだが、生成したブラックホールは、科学者達の指の間をすり抜けてそのまま地核に向かって落下してしまったのだ。
捕まえ損ねたマイクロブラックホールは、今でも地核の中で軌道を描いているはずだ。
科学者達は肩を竦めて、こう言った。
「このまま20億年もすれば、地球はブラックホールに呑み込まれてしまうだろう。だがそれがどうしたと言うんだ 。どうせ20億年後には誰も生きては居ないじゃないか。」
しかし、彼らはマスコミの脅威を甘く見ていた。
マスコミは連日『科学者の暴走で地球が消滅する』事の危険性を声高に報道しつづけた。
その際に『消滅までには20億年ある事』や『そもそも20億年後には地球は赤色巨星化した太陽に飲み込まれているので、消滅してもしなくても人類にとっては大した違いはない』事など、センセーショナルな報道に水を差すような事実をその良心に基づいて流すメディアも存在してはいた。
しかし、彼等は主流にはなり得なかった。
こうして更に煽り立てられた対立の構造の中で、一般民衆を愚民視するに至っていた科学者達は、大衆の求める『説明責任』を御座なりで済まして再度ブラックホール実験を強行しようとした。
とはいえ実際にはある程度の『説明』はされたし、その説明を虚心に聞けば少なくとも当面は人類滅亡の危険性は無い事は判ったはずなのだが、マスコミの主流となる勢力にとっては、そういうセンセーショナルでない情報は報道する価値がなかった。
むしろ、人類滅亡の危機を派手に煽り立てるほうが自分達の利益に適うと判断し、客観的な事実を伏せて科学者達に好きにさせれば明日にも人類は滅亡するという危機感のみを煽り立てた。
互いに顔を背け合う化学者と一般大衆の間で、その橋渡しを務める筈のマスコミという三局構造の中で、どの陣営においても冷静な話し合いを求める勢力は主流となる事が出来なかった。
その結果、マスコミの報道する『いい加減なブラックホール実験で人類滅 亡の危機を引き起こそうとする』科学者の虚像に激怒した市民達は、ついに高エネルギー研究所を襲撃するに至った。
この頃には、各国の機を見るに敏な大衆政治家達は科学不信は票になると気付き、これをマスコミと共に積極的に煽り始めた。
その一方で科学推進派の政治家達は、世界を覆うスピリチュアリズムのうねりの中で逼塞を余儀なくされ、冷静な行動を訴える彼らの声は政府内部においてすら賛同者を得る事が出来なくなっていた。
それに対して、この事態を得票数増加のチャンスとしか考えていなかった機会主義者達は、大衆の同情が暴徒寄りである事を見て取り、即座に暴徒側の免罪を実現すべく暗躍し始めた。
その結果、恐るべき事に関係各国はこの暴挙に対して、消極的支持を表明 してしまったのだ。
しかし、事態はすぐに機会主義者達の浅薄な思惑を乗り越えて、ジャガーノートさながらの勢いで暴走し始めた。
反科学を呼号する暴徒達は、世界中至るところで造反有理とばかりに蜂起し、その主張を暴力によって展開し始めた 。
一度走り出したジャガーノートは、なけなしの勇気を振り絞ってその前に立ちはだかろうとした各陣営の理性派を、その陣営に関係なく無慈悲に轢き潰し、反科学の神々への供物としていった。
この大混乱の中で各国政府は、一旦打ち出した暴力的手段の肯定という方針に足を取られてなすすべを持たず、ただ大破壊を見守るほかは無かった。
最早、この流れを塞き止めようとする事は素手で濁流に立ちはだかるも同然の愚行であり、命が惜しければ傍観する以外に手はない事は明らかだったのだ。
社会を支えるべきインフラは至るところで破壊され寸断されたために、これに頼って構築されていた先進国社会は、その政府と共に倒壊した。
文明は破壊され、餓えが世界中を覆った。
食糧生産に対する打撃も決して小さいものではなかったが、危機のきっかけとなったのは輸送手段の機能不全であった。
始めの内は(世界全体で均してみれば)食糧は危機的と言えるほど不足してはいなかった。
しかし、生産地で消費しきれない食糧を、不足する地域へ運ぶ方法が正しく機能しなくなったのである。
徒歩で往復可能な近郊に大規模な農業地帯を持たない都市は、忽ち深刻な食糧不足に陥り、その住民達は都市を棄ててさまよい出て行った。
しかし消費量を越える農業生産を得ていた地域も、都市からの大量の難民を受け入れると直ぐに食糧が不足し始めた。
更に、その余剰を含む農業生産自体を可能にしていたのが科学技術であったことが、誰の目にも明らかとなった。
大規模な農業生産を可能とする農業機械の動力源となる石油が入らなくなった事で、まず収穫しきれない農産物は腐るに任され、次に人力だけでは耕作が不能となった広大過ぎる農地が放棄された。
続いて手持ちの化学肥料を使いきってしまうと、単位面積当たりの収量が激減した。
世界中が、深刻な飢餓に覆われた。
その結果として人口は減少の一途をたどり、現時点では30億人程度と見積もられている。
その時、ウィリアム・ケルブはその教団『炎の剣』を率いて、事態の鎮圧に乗り出した。
ケルブの指示により『炎の剣』の各地方支部は備蓄されていた食料を放出して、当座の事態の鎮静化に努めた。
また彼は、友好団体の枠を越えて他の宗教/スピリチュアル団体に連帯と協力を呼びかけた。
そして、その呼び掛けに応じた各団体を糾合して緊急調整会議と称する議会を立ち上げた。
その議場では当面の危機を乗り切るための手段として、余裕のある団体は同様に各所在地への援助行動に出る事および困窮している団体はその地域に対する援助を受ける窓口となる事が取り決められた。
この事を通じて、各団体はその地域への影響力を強めて行き、ついにはそれらの団体が各地域における政府の役割を臨時代行するに至った。
更にケルブは、危機を乗り切るための便法と称してこの緊急調整会議を常設の物とし、ハドソン川中流にあって郊外に大きな農業生産地帯を抱える小地方都市であるケンジントンにその拠点を設けた。
そこでは、各団体がそれぞれ送り出した代表者を『賢者』と呼び、彼等を代表とする地方単位の『賢人会議』を組織した。
そして彼等は、この体制が当座の危機を収拾する目処が立った時点で、世界連邦政府の樹立を宣言した。
各地方の賢人会議は、それぞれが代表者としての『大賢者』を選出し、新しい世界の中心であるケンジントンに送り出した。
この大賢者達で構成される『大賢人会議』は、旧ケンジントン市庁舎に陣取って新生世界連邦の最高決議機関となった。
市庁舎は賢人府と改称され、さらに大賢人会議は少数の崇高賢者を選出して彼らが政府の執行機関を構成し、その代表とされた最高賢者が国家元首の座についた。
ウィリアム・ケルブは満場一致で初代最高賢者に選出され、世界連邦のドクトリンを『自然との調和と友愛』と定め、『呪われた科学技術からの脱却』と『実り豊かな中世への回帰』こそが、人類救済への道であると宣言した。
それにより、科学技術に携わる者はテクニ(技術奴隷)と呼ばれ、穢れた存在と見なされた。
新しいパリア(不可触賤民)の誕生であった。
最早文明を支えていたインフラの崩壊を食い止める手段は無くなったが、それなくして70億の人間を養う事も不可能であった。
大賢人会議はこの危機を救う方法について激しく議論したが、科学文明に基づくインフラを再構築することは世界連邦の正統性を否定するも同然の行為であるため(そもそも科学技術に精通した人間を大規模に『処分』しその残余をテクニとして社会階層の最底辺に置いた事で、最早再構築する術その物が無くなっている)不可能であり、全く新しい手段をもって社会インフラを再構築するほかはない、という結論に達した。
具体的な目標は、スピリチュアルな技術の確立と、それによるインフラの再構築である。
そして、スピリチュアルテクノロジーを基礎としたインフラの全面的再構築を行なうために、世界を救う事のできるスピリチュアルテクノロジーを探し出す必要に迫られた。
そのために最高賢者の直属組織として賢人府内に組織されたのがSI( スピリチュアル・インヴェスティゲーション)局であり、そこにスピリチュアルテクノロジーの真偽を監査する監査官が配属された。
これを見た連邦の立ち上げには間に合わなかった各種スピリチュアル団体は、自分達も大賢人会議に加わる権利があると主張した。
それに対し、既に大賢者を送り出している各団体は『創設者の権利』を盾にこの要求を退けたが、現実問題としてその一点で権力を独占する事は、少なくとも倫理的な観点からすれば難しいと言えた。
特に、スピリチュアル的価値観の中では、倫理は重要な徳目として第1に挙げられるものであるため、これが世界を覆っている現状の中で、倫理的に妥当性のある要求を突っぱね続ける事は、政治的自殺に等しいといえた。
しかし、無制限に加入要求を受け入れる事は問題外であり、どうしても何らかの(新規参入を大きく制限する程度には厳しい)基準に基づく判定システムが必要となった。
そこで、大賢人会議は『本当に霊的に高次なステージに到達している』 団体に限り、大賢者を輩出できるという規定を作った。
これは『神聖盟約制』と名付けられ、世界連邦の基本ルールとなった。
勿論、その時点で彼等自身の『霊的ステージ』は 『世界を改革した』という実績によって証明済みとされた。
その判定には、先に規定されたSI局の監査が利用される事となった。
具体的には、申請者が起こす『奇跡』と称する物がトリックに依らない物あるかどうかを監査し、その報告を受けた大賢人会議がこれを『真性の奇跡』であるかどうかを判断する事で、『高次なステージ』に到達しているかどうかを判定する事となったわけだ。
そして100年以上が経過し、今や人類は30億人程度まで減少しているが、未だに世界連邦は新しいインフラを構築する事の可能なスピリチュアル技術の発見には至っていない。