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第二話 崇高賢者ケルブ

マージェリーの館を辞去してホテルに帰ったケイは、食堂へ入った。

激しい緊張の後で、気が緩むと同時に猛烈な空腹を覚えていた。

この仕事に着いた時、師匠や先輩達は「じきに馴れるさ。」と笑って言ったが、ケイは未だに馴れる事が出来ない。

恐らく彼らも馴れていた訳ではなく、何も判らない新人を少しでもリラックスさせようと気を遣って言ったのだろう。

程なく湯気のたつ料理が運ばれてきた。

ケイが食べ始めたときに、一人の少年が視野に入った。

10歳になるかならないかといった所だが、粗末な服装は最早擦り切れに当て布をする事すら放棄している様子で、少年の家庭の貧しさを雄弁に物語っている。

こちらを見ている少年の視線は、ケイにではなくテーブルの上で湯気を立 てているシチューに真っ直ぐ向いていた。

しかし、悲しい事にその視線は空腹を訴えているわけではなく、空腹を諦め無くてはならない事を理解している諦観を示していた。

それは、こんな歳頃の子供が示すべき表情ではなかった。

そのとき、ケイは少年が手にしている二つ折りの携帯黒板に気づいた。

彼はヴィジフォン・ステーションのメッセンジャーボーイなのだ。

メッセンジャーボーイは、客の邪魔をしてはいけないと厳しく(無論体罰を含めて)躾られているため、ケイの食事が終わるのを黙って待っているのだ。

ケイは慌ててテーブルの上のものを腹に押し込んだ。

「何か用かい?」

少年はおずおずと尋ねた。

「あの、アマギ様ですか?」

「そうだけど、何か?」

「ランドルフ様からご伝言です。」

SI局長が何の用だろう?

少年は携帯黒板を開き、伝言を読み上げる。

「明朝9時キ・キン・・・」

見慣れない単語を読み上げるのに一苦労しているようだ。

「禁書館?」

「は、はい、そうです。そのキンショカンまで連絡されたし。だそうです。」

役目を果たし終えて安堵した様子だ。

逆にケイは考え込んでしまった。

『偉大なる再構築』のあと、大賢人会議は科学技術に関する書籍や記録 ・資料の大半を『呪われし物』として焼却・破壊し、個人で『呪われし物』を蔵匿する者は火刑に処すると定めた。

そのためには、『呪われし物』が明確に定義されていなければならないため、『呪われし物』を一覧化した禁書目録インデックスが整備された。

禁書館とは、この禁書目録にリストアップされた、あるいはこれからリストアップする予定の資料(必ずしも本の形を取っているわけではない )を集積した施設の事である。

賢人府からは歩いて5分程度の建物だ。

かつては大きな図書館と博物館の集合体だったのだが、『呪われし物』が収められているだけに、大賢人会議は、この呪われた施設を純粋無垢な一般市民から隔離するべきであると考え、その敷地全体を高い隔壁(その厳めしい外観は、寧ろ城壁と呼ぶ方が相応しい)で囲い、外界と隔離した。

ただし、その門は大抵開かれており、いくらでも出入りは可能である。

隔壁の目的は、禁書館を物理的に隔離する事ではなく、その収蔵物が『呪われ』ている事を、視覚的に表現する事なので、それで十分なのだ。

もっとも、そんな『呪われた』場所に用があるのは、禁書目録の編纂に携わる禁書館職員を除けばケイ達監査官くらいのものだが。

局長のオフィスは、当然ながら賢人府内にあり、賢人府のヴィジフォン ・ブースからそう離れては居ない。

大して遠くないとはいえ、わざわざ禁書館に出向いて連絡する理由が、良くわからない。

どうやら、ケイに連絡を取る事を他人に知られたくない用件らしい。

立ち上がったとき、少年が何か言いたげにしているのに気づいた。

「ああ、チップをあげないとね。」

少年の様子からすれば、このわずかなチップも少年の手には残らず、家計に入れられてしまうのだろう。

札入れを取り出し1ドル紙幣を少年に渡したとき、ケイはさっきの少年の視線を思い出した。

もう一枚の1ドル紙幣を取り出すと、少年に話し掛ける。

「お家の人には、1ドル貰ったと言いなさい。そしてこれで何か好きな ものを食べるんだ。」

予想に反して、少年はますます悲しそうな表情になった。

「どうしたのかな?何か言いたい事があるんだろう。ここには私とキミしか居ないから、何を言っても大丈夫だよ」

少年は、ますます言いづらそうな様子であったが、意を決したか、ようやく蚊の鳴くような声で言った。

「ボクには、妹と弟が居るんです。」

これにはケイも苦笑するしかなかった。

もう2枚の1ドル札を引っ張り出すと、少年の掌に押し込んだ。

ようやく、少年は破顔一笑した。

まぁ良いだろう、この監査官という糞の様な仕事は、少なくとも給料だけは良いのだ。



翌朝、ヴィジフォン・ステーションへ向かう。

ヴィジフォンとは、21世紀半ばに完成され世界を覆った映像通話ネットワークシステムだ。

ヴィジフォン・ブースに入って椅子に座り、指定したブースと接続すると、ディスプレイ越しに会話が出来る。

発想自体は、20世紀初頭には既に存在していたし、20世紀半ばには形になっていた。

しかし、世界規模で普及することはなかった。

グラハム・ベルの電話の発明以来、通信技術は常にそれまでのインフラを利用し、拡張される形で進歩してきた。

21世紀の通信技術も、あちこちに20世紀のインフラを含んだ形で複雑化を進めてきたわけだ。

21世紀になっても、所によっては19世紀末の電話回線がそのまま使用されている個所すら存在した。

ところが、ヴィジフォンは、それまでの通信インフラでは応じられないほどの大量かつ高速のデータ転送を要求するものであった。

そのため、以前のヴィジフォンの利用は、比較的高性能のインフラが整備されている地域でのみ、限定的に利用されるに留まっていた。

しかし、既存の通信インフラを利用する事無く、また集中管理を行うセンター機能を設けず、すべてのブースが無線による高速通信で接続され、全自動で等価なノード同士の接続によるウェブ型の中継網を構成するシステムが構築されたことで、事情が大きく変わった。

それは、適切な間隔でブースを設置しさえすれば、 ヴィジフォン網が無限に広がるという実に手軽な構成であった。

幸運な事に、ちょうどその直前に、半導体技術に関する地味ではあるが大変な重要性を持った技術的ブレイクスルーが達成されていた。

それは、半導体素子とそれを繋ぐ光通信バスの信頼性と耐久性を、一気に引き上げて事実上の無故障とするという技術であった。

この無故障半導体技術が、新規の通信インフラに全面的に投入された。

さらに、太陽電池に関する大きな技術的ブレイクスルーが達成され、太陽エネルギーが100パーセントに近い効率で電力に変換されて、しかも経年劣化とは殆ど無縁という、夢のようなエネルギー源が得られたのである。

その結果、世界的なネットワークの構築に関して、国ごとのインフラの差も考慮する必要がなくなるように、極端な話が電気のない国でも稼動するように、各ノードが全て太陽電池で動くシステムとして設計された。

そして、『偉大なる再構築』以降交換部品の生産自体が不可能となったにもかかわらず、従来の全ての通信網が殆どただのガラクタと化してしまった現在でも、特定の個所の障害が全体に影響を及ぼさないようにウェブ型構成となっているヴィジフォン網だけは、立派に稼動しているのだ。

勿論、『偉大なる再構築』で破壊されてしまった部分を除けばの話だが。



ステーションに入ると、カウンターに向かった。

「これはこれは、アマギ様」

ステーション管理者が立ち上がり、卑屈な愛想笑いで迎える。

ケイ達監査官は、常に旅先で連絡がつかなければならないため、街に入ると最初にヴィジフォン・ステーションを尋ねて、到来と滞在予定を告げ、その旨を登録する。

そして、ヴィジフォン・ステーション管理者は、現代の不可触賎民であるテクニ(技術奴隷)の代表的存在であり、その職業的有用性によって辛うじて生存を許されている存在であるだけに、一度登録された客は絶対に忘れない、という特殊能力を身に付けざるを得ないのである。

「ブースは空いていますか?」

ケイが尋ねると、管理者は大げさに両手を広げて

「勿論ですとも。連邦の公務が待たされるような事があってはなりませんからね。3番のブースにお入りください。」

あからさまなおべっかを使いながら、両手でブースのキーを差し出す。

「有難う。」

ケイは受け取ったキーでブースに入り、ドアを閉める。

自動的にブースの明かりが灯り、コンソールパネルに明かりが灯る。

ケイは馴れた手つきで禁書館の呼出番号を入力すると、目の前のスクリーンに『ヨビダシチュウ 』メッセージが点滅した。

30秒ほどでスクリーン全体が明るくなると、 局長のランドルフの姿が映った。

「どうしたんですか?局長。」

ランドルフは、困ったような表情で

「大賢人会議が、お前に喚問のための出頭命令を出した。」

と言った。

「喚問?」

「そうだ。お前が先月出した報告書の件で、ケルブ師が激怒している。」

「ケルブ師のお気に召しませんでしたか。でも、あの程度の手品では、 拍手はできませんね。ケルブ師に、拍手が欲しければせめてハンカチから鳩を出すくらいのトリックは覚えさせろ、と伝えて置いてください 。」

ランドルフは、やや鼻白んだ様子で言った。

「今は冗談を言っている場合じゃないんだ。査問委員会は、本日10時に小会議室に出頭せよ、と言っている。ケルブ師は本気でお前を吊るし上げる気だぞ、物の例えじゃなく、本物のロープを使ってな。」

「それは大変ですね。」

と、ケイは全く大変だとは思っていない口調で言った。

「で、どうすればいいんですか?」

「とにかく、査問委員会に出たら、『あれは判断の誤りだった。あの報告書は取り消す。』と言って謝罪しろ。」

「そんなわけにはいかんでしょう。あれはどこから見ても安いトリック以外の何物でもありません。報告書に書いたとおりですよ。」

そうケイが答えると、ランドルフはまるで悪戯っ子を窘めるような口調で言った。

「それは判っているが、ここは聞き分けてくれ。ケルブ師に逆らえば只では済まない。こんな事でお前を失うわけにはいかないんだ。」

ケイは、慰めるように言った。

「別に問題児が一人居なくなったところで、困りはしないでしょう。」

「これは局長として言っている訳じゃない。お前の師匠として言っているんだ。」

その声には、ケイを本気で気遣う気持ちが滲み出ている。

「しかし、あんな安いトリックを通してしまえば、最早SI局の存在意義はありませんよ。」

ケイは、真剣に応じた。

「その点は心配しなくてもいい。俺が局長権限で却下してやる。」

その言葉には、ケイの方が慌てた。

「ばかな。それじゃあ貴方の方が危ないじゃないですか。」

ランドルフは皮肉な笑みを浮かべた。

「年は取りたくないもんだ。弟子に我が身を案じられるとはな。 」

「そういう話ではなくて・・・」

そう言い掛けるケイを制して、ランドルフが言葉を続ける。

「判ってるよ、心配するな。スペンサー師はこっちを支持している。いくらケルブ師が恐いもの無しだと言っても、最高賢者に逆らう訳にはいかんさ。」

ケイにはランドルフの気遣いは痛いほど判るが、この件は自分で片を付けなくてはならない事だと信じていた。

「私も貴方の部下ではなく弟子として言いますが、これは私の監査官としての問題です。この件で誰かに迷惑をかけるべき事ではありません。」

ケイがきっぱりと言い切ると、局長はさらに説得するべき言葉を捜していたが、この弟子が言い出したら聞かない頑固者である事は、良く理解していた。

しばらくすると諦めた表情で言った。

「わかった。だが、無茶はするなよ。」


一旦接続を切った後、座ったまま考えをまとめていると、指定された時間が来た。

ヴィジフォンを、今度は賢人府の小会議場に接続する。

査問委員会に属する大賢者達が、厳しい顔つきでこちらを見ている。

「SI局監査官ケイ・アマギ。、お召しにより出頭いたしました。」

委員長を務める大賢者が、声を掛けた。

「君が先日提出した『真理究明会』に関する報告書について、崇高賢者アンソニー・ケルブ師が、君を虚偽報告で告発なされた。」

「はい、そう伺っております。」

「査問委員会が始まる前に報告書を取り消すなら、ケルブ師は告発を取り下げても良いと仰っているが、どうするかね?」

委員長が穏やかに言った。

反対者は力で捩じ伏せなくてはいられないケルブの性格からして、そんな穏やかな提案を自発的にする筈がないので、この妥協案の出元は恐らく委員長自身であろう。

ケルブに承諾させるためには、かなり説得に苦労したと想像される。

もし虚偽報告が認められれば、監査官を馘になる可能性が有るし、それが回避できてもケイの経歴には大きな傷が付く。

その心遣いは有り難いのではあるが、これを受けるにはケイの信念を枉げなくてはならない。

ケイは姿勢を正して応えた。

「せっかくのお言葉ではございますが、あれは本職が監査官としての良心に従って誠実に評価した報告書でありますから、お薦めには応じかねます。」

委員長は、事を荒立てずに収めようとした提案が蹴られた事で恐らく感情を害したであろうが、それでも表情を変えることなく厳かに宣言した。

「これより、崇高賢者アンソニー・ケルブ師の告発により、連邦SI局監査官ケイ・アマギの虚偽報告に関する査問委員会を開催する。」

その声にあわせて、小会議場に並ぶ査問委員担当の大賢者達は、一斉に居住まいを正した。

ケイも、背筋をぴんと伸ばし姿勢をあらためた。

「告発者ケルブ師、告発内容について説明をお願い致します。」

委員長が促すと、頑固そうな顔つきの老人が、紙束を手にして立ち上がった。

「ここに、この罰当たりな男のでっち上げた報告書があります。この男は我等と共に手を携えて世界を救済するに相応しい同士である『真理究明会』の審査を担当致しました。今からおよそ3ヶ月前のことであります。」

ここで、ケルブは一旦言葉を切った。

「そして、この男は『真理究明会』本部において、不遜にも霊的に高いステージにある賢者達を散々愚弄した挙句に、その奇跡を全て『トリックである』と決め付ける悪意に満ちた報告を提出したのであります。 」

委員長は、ケイの方に向き直った。

「アマギ監査官、今の告発に対して、反論はあるかね?」

「はい。査問委員の皆様は既に本職の報告をお読みかと存じますが、彼らが行なって見せた『奇跡と称するもの』が全てトリックによるものであり、小職の指摘に対して彼らの側から何ら有効な反論がなかった事は明白な事実であります。例えば、資料中程の『ボールの浮遊』に関する記載をご覧下さい。誰も手を触れないのに机の上のボールが浮かび上がったという『奇跡』ですが、記載に続く図にある通り、極めて細い糸で横から釣られていた事が確認されています。その際に証拠として押収した糸の一部もサンプルとして添えてあります。また、このとき申請者達は、ボールが上から釣られていない事を確認すると称して、杖でボールの『上下』を左右になぎ払って見せています 。つまり、上下を確認してトリックがないように見せかけるために、わざと横から釣っておいたと言う事ですから、間違いなく故意に仕掛けられたトリックです。」

委員長は言った。

「ケルブ師、この件について反論はありますか?」

顔面を朱に染めて、ケルブが立ち上がった。

「その貴様の態度が不遜だと言っているんだ!」

ケイを指差して怒鳴りつけるその指先は、怒りで小刻みに震えている様に見える。

とはいえ、本気で怒っている訳ではない。

最初に鼻面を一撃して、主導権を握ろうというテクニックである。

委員長は無言で振り向き、ケイに目で促した。

ここからは直接対決させるつもりらしい。

「しかし、報告書をご覧になればお分かりのように、これは明らかにトリックであります。」

ケイは、いささかも怯む様子を見せる事なく、平然と答えた。

「そ、それは貴様のせいだ!本来なら、彼等はトリックなぞ使わずとも簡単に奇跡を起こして見せるのだぞ!」

最初の恫喝が軽く流された事で、 ケルブはやや冷静さを失っていた。

「恐れ入りますが、おっしゃる事の意味がわかりかねます。私はトリックを使ってくれと頼んだ覚えはございません。」

とあえて丁寧に答える。

「超能力と言う物は、貴様のような不信者が近くに居るとその働きが妨害されるのだ!そんな事も判らんのか!!」

ケルブは、恫喝するような口調で責任をケイに圧し付ける事で優位に立とうと試みた。

「彼らもそのように言い訳をしました。しかし、彼らがトリックではない超能力を示す事が出来なかったのは客観的な事実ですから、報告書にはそう書く他はありません。」

ケイは、ケルブの恫喝的な態度をいささかも意に介する事も無く、丁重に答えた。

「貴様が妨害しておきながら、その言い草は何だ!」

声を荒げれば相手が折れてくる事に慣れている老人は、まだケイが勝手の違う相手である事に気がつかず、再度責任を圧し付けようとした。

「妨害とおっしゃられましても、私はトリックを確認するまではボールに手も触れておりません。」

ケイの冷静な反論に、ケルブは計算を忘れて本気でヒートアップし始めた。

「だから、貴様がそうやって不信という形で妨害をばら撒いているではないか!貴様さえ居なければ超能力は正しく働くのだ!これは本物の奇跡なのだ。そうでないというのなら証拠を出してみよ!」

頭に血が登り始めているとは言え、論証不可能な命題を持ち出してその挙証責任を相手に押し付ける詐術のテクニックは、長年にわたる闘争の中でその身に染み着いており、今回もごく自然に発揮された。

「なるほど、そういう事でしたら、確かに私が居ないときに超能力が作用しないことは証明できませんね。」

漸くケイから望む答を引き出す事に成功したケルブは、心の中で快哉を挙げた。

これで後は、一気に畳み掛けて、相手が言葉に詰まった一瞬を衝いて勝利宣言を挙げるのみである。

「やっと判ったか、さあ、今すぐ この報告書を取り消せ!」

ところが、ケイは平然と言い返した。

「いえ、閣下の仰る事が正しいとしても、やはり判定に変更はありません。」

「何だと?」

一旦確信した勝利に肩透かしを喰わされた事で、ケルブは益々ヒートアップする。

「閣下は勘違いをしておられるようです。我々監査官は、その奇跡が本物かどうかを判定しているわけではありません。」

予想外のケイの言い分に虚を突かれて、戦術を忘れて聞き返した。

「それでは、一体何を探しておるのだ?」

ケイは、講義をするかのような口調で話し始めた。

「最早、科学技術は我々の手から失われて久しい状況ですが、今のところ我々は科学技術に代わって30億人を養う事の可能な技術を手に入れておりません。今我々が手にしている物で30億人を食わせて行く事は出来ないのです。」

ケルブは突然の話題の転換について行けず、困惑した事を覚られない様に虚勢を張った。

「だからどうしたと言うのだ!」

老人の困惑をよそに、ケイはあくまで冷静に続ける。

「我々は、手遅れにならないうちに科学技術に換わって30億人を養って行く事の出来る技術を入手し、社会的インフラを再構築しなければなりません。それが間に合わなければ人類は滅亡します。」

まだ話について行けないケルブは、ケイの手の内に載せられている事に気付かず先を促す。

「だから、それが今の話と一体何の関係があるのだ!」

ケルブは叱咤しても恐れ入らない相手と話す事に慣れていなかったので、平然と反論を続けるケイの姿に冷静さを失い、更に議論の主題が変わった事によって着地点を推測出来なくなっていた。

「もし、不信者が居たらたちまち働かなくなるような技術で社会的インフラを再構築したら、一体どうなりますか?」

漸くケイの言いたい事を理解した時、ケルブは反論の余地が無い事に気付いた。

「旅客機の飛行中に、乗客の一人が『本当にこの飛行機はちゃんと飛べるのか?』と疑問を抱いたら、そのまま真逆様に墜落するのですよ。」

「そ、それは・・・」

狼狽するケルブに、ケイは更に畳み掛ける。

「建設中のビルを見上げて、『なんでこの鉄骨をあのように積み上げる事が出来るのか』と首をひねった途端に、ビルは崩落するわけです。閣下は、本当にそんな技術で社会的インフラを構築すべきだとお思いですか?」

ケルブは、必死に反論の緒を探す。

「不信者が居なくなればそんな事にはならぬわ!第一、実際に飛んでいる飛行機や建設されるビルを見てもなお、そのように考える愚か者がどこに居ろうか!」

ケイは事も無げに、その逃げ道を絶った。

「人の心は難しいものです。大いなる再構築以前の『科学技術に基づいた』飛行機が空を飛ぶところを見ても、『あんな鉄の塊が空を飛ぶわけがない』といって信じない事を公言したような例はいくらでもあります。その頃の科学技術に基づいて飛ぶ飛行機なら、それで何か問題が起こる事は有りませんでしたから、その頑迷さを笑って済ませば良かったわけです。しかし、スピリチュアル技術に基づく飛行機ではそういうわけにはいかない事は、先程閣下ご自身がお認めになった通りです。それを無視してインフラを構築して、大惨事が起こった時に閣下は責任が取れるのですか?それとも、ふとそんな疑問を抱いた人間は即座にその場で撃ち殺すのですか?」

ケルブは、完全に立往生した。

「どちらも全く現実的でない事は、閣下も良くおわかりのことと存じます。ですから、今回のような例を認めるわけには行かないのです。」

ケイが諭すように付け加えると、ケルブは、黙ってケイを睨み付けるだけであった。

もはや誰の目にも勝敗は明らかであった。

その時、委員長が割り込んできた。

「双方の言い分は良く判った。ここで各委員の表決を取る。ケルブ師の告発を正当と認める委員は挙手してくれたまえ。」

誰も手が上がらない。

「それでは、失当と認める委員は挙手を。」

11人中8人の手が上がった。

「それでは、賛成0、反対8、棄権3、よって本件は棄却された。」

と議長が宣言した。


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