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第十一話 テレパス リスキン

椅子に座って一息つくと、ケイはピストルを取り出してティーテーブルの上で分解しはじめた。

ケイは銃が得意ではなく好きでもないので、手入れも余り好まなかったが、この世界で銃の手入れをなおざりにする事は緩慢な自殺に等しい事は理解している。

ケイの銃は黒色火薬で球型の鉛弾を発射するパーカッションリボルバーと呼ばれる物で、この時代では最もありふれた代物であった。

この銃の中心部には、シリンダーと呼ばれる円筒形の部品が嵌め込まれている。

シリンダーを前方から見ると、回転軸を通す中心の軸孔の周りに蓮根を思わせる様な6個の穴が等間隔に空いており、その穴の一つ一つに火薬と弾丸を装填する。

つまり、この銃は6連発である。

その穴はシリンダーの前から後ろに向けて一応貫通してはいるが、前方から見た穴の大きさのままで素通しとなっているわけではない。

前方から開けられている穴は、その直径を保ったままシリンダー後端の少し手前で平らな底で塞がれており、実質的には縦に深い窪みを形成している。

このシリンダー前方に向けて開いている大きな孔を装填孔と呼び、それに続く窪みを薬室と呼ぶが、その薬室の底に対して後端側から導火孔と呼ばれる小さな穴が開けられている。

この装填孔から薬室に黒色火薬を流し込みその上に鉛球を強く押し込んでから、シリンダー後端の小さな穴である導火孔に銅製の小さなキャップに撃発薬を充填した雷管を被せると、装填完了となる。

ただし、ホルスターに入れてベルトに吊った状態では装填孔が下を向くので、装填状態で持ち歩くためには弾丸を押し込んだ上からグリスで蓋をする必要がある。

また、撃った時に弾丸に続いて装填孔から盛大に吹き出した火花が、他の装填孔に入り込んで中の火薬を発火させてしまうチェイン・ファイアという事故を避けるためにも、蓋はしておくべきである。

その状態で撃鉄を起こして引き金を引くと、撃鉄が雷管を叩き雷管の撃発薬が発火して炎を導火孔を通して薬室に吹き込み、薬室の中の火薬に点火する事で弾丸が発射される。

シリンダーを外して発射済みの導火孔に被さっている雷管の撃ち殻を抜き、導火口の中に溜まった火薬の滓を棒でつつき出す。

ここをきれいにしておかないと、次に撃つ時に導火孔が詰まって火が薬室に入れず不発となる恐れがあるのだ。

ケイの作業を見ていたサーリムは、以前からの疑問を尋ねてみる事にした。

「ねぇ、ケイ。ちょっと良いですか?」

「なんだ?」

特に話題があるわけでもない場面で質問が出てくる様であれば、良い傾向と言える。

それだけケイとの生活に慣れてきた証拠である。

「そのピストルは、6連発ですよね。」

「そうだよ。」

ケイは、この弟子が何を言い出すのか、興味を覚えた。

「なんで、ピストルには連発式のがあるのに、ライフルはみんな単発なんです?」

「いや、連発式のライフルも有るにはあるぞ。」

そう言ってケイはシリンダーの抜かれたピストルを取り上げた。

「この銃身を長く伸ばして、こっちのグリップに肩まで届くストックを付ければライフルになる。」

「そうなるのは分かるけど、そんなの見たことないですよ。」

簡単に納得しないのは、それだけ物事を深く考えている証拠である。

監査官としては、好ましい性質と言える。

「そりゃ、滅多にないからな。」

「なんで?」

ケイはピストルを顔の前に持ち上げて、架空のストックを肩に当てて構えて見せた。

「こうやって構えるとシリンダーが鼻先にくる。で、シリンダーの前端と銃身の後端の間には少し隙間が開いている。そうでないと、シリンダーがスムーズに回転しないからな。その隙間から、盛大に火の粉と硝煙が横向きに吹き出るんだ。火の粉が目に入るのは危険だし、硝煙は腐食性があるんで気管を痛める原因になる。そのデメリットを甘受して得られる装弾数はシリンダーの容量分、つまりせいぜい6発だ。勿論単発よりはましだが、それを撃ち尽くしたらまた時間の掛かる装填を、それも6発分やらなきゃならん。撃ち相いの最中にそんな事をしている暇は無いから、一発装填しては撃つの繰り返しになる。結局、連発できるのは最初の6発だけで、後は単発銃と変わらない。ピストルなら顔から離して構えるから、今言った火の粉や硝煙によるデメリットがごく小さいんで、最初の6連発だけでも十分なメリットになるが、ライフルの場合はその程度のメリットでは、そのデメリットに引き合わないのさ。」

サーリムは、その説明では納得しない。

「でも昔は、何十連発って銃が有ったって聞いた事がありますけど?。」

ますます良いぞ。

説明を自分の知識に照らし合わせる事が自然に出来ている、とケイは内心嬉しくなった。

「大いなる再構築以前には、何十どころか何千連発の銃だってあった。当時は、弾丸と火薬と雷管を一つの金属製の筒にパッケージしたメタルカートリッジが有ったからな。これによって素早く再装填ができたし、バネ仕掛けの弾倉やカートリッジを連ねた給弾ベルトから自動的に弾丸を送り出す機構も作れた。それに、銃身の後ろ側から装填するために銃の後ろが開く構造を採用しても、カートリッジの薬莢がシールの役割を果たす事で、発射する時に隙間から燃焼ガスが吹き出さないようにできた。だから、弾丸に食い込んで横回転を与える事で弾道を安定させる螺旋状の溝を、銃身の内側に切る事ができた。この回転によって、当時のライフルは、今のライフルの10倍近い射程距離を実現していた。この溝をライフリングと言うんで、本当はこれが切ってある銃をライフルと呼ぶ。つまり長いだけでライフリングの無い今の銃をライフルと呼ぶのは、厳密に言えば正しくない。」

「前から装填する銃にはライフリングは切れないんですか?」

説明が即座に次の疑問に結び付くのは、自分の中で消化できている証拠である。

「ライフリングは、弾丸に食い込んではじめて意味がある。だから前方から装填する銃にライフリングがあると、弾丸を装填する時に引っ掛かって入らないのさ。それに、大いなる再構築以前の技術なら、適度な抵抗値の範囲でライフリングが食い込んで弾丸に有効な回転を与えつつスムーズに送り出せる丁度良い大きさの弾丸を大量に生産する事が出来ていたが、鉛を一個ずつ手作業で鋳型に流し込んで冷えたら鑢でバリを削り取るという今のやり方では、弾丸の直径のバラツキが大きすぎる。小さすぎて有効な回転を与えられずにすっぽ抜けるならまだましだが、大きすぎてライフリングに食い込みすぎると、銃身の中で詰まったまま固着して銃がお釈迦になるし、運悪く圧力に耐えかねた銃身が破裂すれば、撃った人間は只では済まない。」

「ふーん。で、そのメタルカートリッジを作る技術は、喪われてしまった?」

納得すると直ぐに次の疑問に移る探究心は、極めて好ましい傾向である。

今やケイは、はっきりと微笑みを浮かべて、この幼い弟子の態度に満足を示していた。

「 いや、作ろうとすれば今でも作れない事はない。雷管は有るから、真鍮か何かで薬莢を作って、火薬と弾丸を入れて雷管を付ければカートリッジになる。ただし、薬莢を作るのは大変だ。雷管程度の小さくて浅いカップなら、焼き鈍した銅板を小さく切って雌型に乗せて、雄型をハンマーで叩き込む事で一発プレスできるが、薬莢ほど大きくて深い物をプレスするのは今の技術ではできない。大いなる再構築以前ならば自動機械で1日何万個というペースで生産できたが、今は真鍮の棒を適当な長さに切って中をくりぬくか、真鍮板をハンマーと鏨で根気よく叩いて整形するか、いずれにしても、一人で1日2・3個できるかどうかだから、弾丸2~30発程でピストルと同じ値段になってしまう。それに、全部手作業だから、寸法にもばらつきが出るんで、カートリッジの大きさによっては、入らなかったり燃焼ガスが十分にシールできずに吹き出したりで、使い物にならないだろう。」

「大きさの問題なら、きちんと計れば良いだけじゃないんです?」

実に適切な指摘である。

この理解力なら、先程の説明の中ではさらりと流した更に高度な説明に移っても大丈夫そうだ。

「大いなる再構築で喪われた技術の中で、最も影響が大きくかつ再現が困難なのが工業規格だ。これは『正確に同じ物を作る』ための技術じゃなく、『その時点の技術の範囲内で互換性のある物を作る』技術だ。例えば、禁書館のどこかには連発銃の設計図があるだろうから、それを見ながら作っていけば、連発銃の部品一揃えを作る事は可能だろう。ただし、本来はプレスや動力旋盤でやるべき事を金鋸と鑢と人力の旋盤でやるから、恐ろしく時間が掛かるがな。で、大いなる再構築以前なら部品が揃えば後は組み立てるだけだが、今はそうはいかない。出来上がった部品を組み合わせながら、一つ一つ鑢とハンマーでスムーズに連動する様に調整しなければいけない。これは部品を作るより大変な作業だし、出来上がった部品は同じ型の銃でも全く互換性がなくなる。どれ程技術が発達しようと完全に同じサイズの部品を作る事はできないんで、互換性を持たせるためには、各部品毎の寸法と同時に許容できる誤差の範囲を定める必要がある。この範囲を公差というんだが、これを部品毎に適切に定めた上で、全ての部品の誤差をこの範囲に収めて初めて互換性が得られる。この公差を適切に定め実際に運用するための技術の集積が工業規格だ。勿論、メタルカートリッジに要求される公差の水準は、銃の内部の部品程高くはないが、それでもまともに機能するためにはそれなりに適切な規格が必要になる。そして、そんな技術は遥か昔に喪われてしまった。」

ケイは、一旦言葉を切って、幼い弟子がついて来れているかどうかを、表情で確かめた。

「これは別に銃に限った事じゃない。大量生産とは詰まるところ、複雑な機械を1から大量に作り上げる困難さを回避するために、比較的生産が容易な段階である部品を大量に作って置いてから一気に組み立てるという事だ。だから、組み立てに部品生産以上の手間や費用が掛かるなら、大量生産自体が成立しない。大いなる再構築以降で大量に生産されている機械は銃や時計くらいのものだが、結局全て手作業による一品物だから、恐ろしく高くついている。それでも、今の世界では自分だけが銃を持たないでいる事は命に関わるし、時計は社会的地位の象徴だからどれだけ高くても買わざるを得ないんで、それらを作る技術は辛うじて保持されている訳だ。しかし今言った様な特段の事情のない機械類は、費用対効果が引き合わないから作っても誰も買わない。従って誰も作らないので、どんどんと生産技術が喪われて行く。生産ができなくなれば、今ある物を修理しながら使うしかなくなる。例えば蒸気機関は、生産はできなくても手作りの部品で修理する事はまだ可能だから、修理技術は残っているが、手作りできない箇所が壊れたら廃棄するしかなくなる。そして全てが廃棄されたら、修理技術も喪われる事になる。」

少々難しい所まで入り込み過ぎた様で、少年は考え込んでしまった。

後は、今の説明を自分なりに咀嚼して理解する他は無いので、この辺で説明を切り上げる事にした。

「さあ、明日も早いからそろそろ寝なさい。」


「現在の連邦政府は、『神聖盟約制』を基礎に構築されている。」

翌朝ケイは、市庁舎に向かう道すがらサーリムに説明していた。

「これはお前も知っている通り、科学技術を否定して奇跡を起こしたと認められた教団、これを盟約教団と呼ぶわけだが、だけが人々を指導する資格があるとするもので、上は大賢人会議に議席を持つ大賢者を輩出する事から、下は地方政府を組織して自治を獲得する事まで、全て大賢人会議によって奇跡を起こしたと公認されなければ許されない。」

今日は日差しが強く、ケイは汗を拭って続けた。

「その調査の為に監査官が送られるわけだ。そしてこの街は、現時点で独自の盟約教団を持たないので、地方政府を構成する事ができない。だから連邦政府としての扱いは、隣の街の盟約教団の管理下で地方政府業務の委託を受けた団体が業務代行する『準地方政府』という形になる。勿論実態は独立した政府なんだが、この『準』ってやつがが曲者でな。様々な局面で制約を受ける上に、喩え名目上とは言え委託元である盟約教団が何か、例えば金銭や労役を要求すればそれを拒絶することは出来ない。」

サーリムは何処まで理解しているかわからないが、とにかく頷いた。

「だから、こういう街は、何とかして自前の盟約教団を獲得したいと、常に考えている。」

サーリムは真剣な表情で聞いているが、どの程度理解しているのかケイには心許なかった。

今まで観察してきた中でこの少年の基本的な理解力はかなり高いのではないかと思ってはいたが、夕べの会話でこの少年の理解力は本物であろうと感じた。

とは言え、政治向きのテーマとなるとまた話は別である。

何しろそれは科学技術と違って、必ずしも合理的な基盤を持っているわけではない。

不合理な(あるいは不条理な)規定や慣習がそこここに横たわっており、筋道を立てた理解を進める上での大きな阻害要因となるし、『柔軟な解釈』とやらによって単一の事実に対する正反対の解釈が罷り通る事も珍しくない。

それらを理解しまた適切に活用できる能力は、明確な事実を対象とする単純な理解力とはステージが異なるのである。

「その一方で、基盤となる都市を持たず、既存の教団との軋轢を避けるために放浪している小教団も多い。それらが盟約教団になるためには、監査を受けて奇跡を起こして見せなきゃならんが、その監査を申請するには、基盤となる都市を持っている事が必須要件になる。盟約教団の権利は大賢人会議の議席と自治権でワンセットだからな。」

「そうすると、その二つはいつでも互いに結び付くチャンスを、探しているんでしょうね。」

サーリムが先回りして尋ねると、ケイは軽い驚きを感じた。

「そういう事だ。で、その出会いの一つに、これから立ち会う訳だ。」

そう答えるケイの声は嬉しそうだった。


市庁舎のロビーで、ケイが訊ねる。

「連邦政府SI局から参りました。市長閣下にお目に掛かりたいのですが。」

窓口の女性は、すぐに立ち上がり答えた。

「お待ちしておりました。どうぞこちらへ。」

市長室に入ると、初老の男が二人を迎える。

銀髪をオールバックに撫で付け、がっしりとした体格で表情は穏やかだが、その細い目には強い信念の光りが宿っている。

「遠路遥々お運び頂き、誠にありがとうございます。市長のハロルド・ウェストウッドです。ハリーと呼んでください。」

そう言いながら右手を差し出す。

「お忙しい中お時間を割いて頂き、ありがとうございます。SI局の監査官ケイ・アマギです。ケイと呼んでください。こちらは助手のサーリム・マンスールです。」

挨拶を返し、手を握る。

市長は続いてサーリムの手を握る。

市長の掌は、少年の手をすっぽりと包み込む程大きく温かかった。

「早速ですが、申請の内容についてご説明願えますか?」

市長は説明を始めた。

「今回申請させて頂いたのは、全米を移動しながらテレパシーの研究を続けて来た団体『魂の子ら』の監査をお願いするためです。彼等は、当地に参りまして約一年間に亘り研究を続けた結果、ついにその証明に成功致しました。そこで、当地での公認団体と成るべく監査をお願いするために、遥々ご足労願った訳です。」

「なるほど、しかし、こちらに参られてから一年間とは、また随分長い間研究されたんですな。」

そのニュアンスを読み取った市長は、手を振って答える。

「あ、いやいや、結果が出るまでに一年掛かった訳ではありません。我々市当局が理解し納得するまで、慎重に検討を重ねたためです。」

確かに目の前の男は、軽騒とは縁の無さそうな重厚さを窺わせる人物であった。

「魂の子らの代表はキンバリー・リスキン氏といいまして、彼自身が大変優れたテレパスである事を何度も証明した人物です。」

「そうですか。ところで、検証はどのような形で行いますか?」

市長は窓の向こうに建つ大きな建物を指した。

「あちらの公会堂の小ホールで、公開実験という形で実施したいと思います。もう準備はできておりますので、我々市当局幹部は勿論、一般市民も参加して明日にでも実施したいのですが、いかがですか?」

公開監査というのは、監査対象者にとってはかなりの賭けである。

成功したときの効果は大きいが、失敗を隠蔽する事は極めて難しい。

勿論、万全を期する為にサクラを並べる積もりであろうが、『公開』実験と銘打つ以上協力者以外の人間を排除するのは不可能に近い。

ケイは、かつて全席がサクラで埋められた『公開』監査をした事があるが、あのときはそれこそ街全体がぐるであった。

市長の言う通りなら、僅か一年で街全体を詐欺の片棒を担がせる程にしっかりと取り込むのは難しいだろう。

むしろ、街の人間達に強い感銘を与えて、彼等を取り込む総仕上げとしようとしているのではないかと思われた。

「その公開実験という案は、貴方が出されたのでしょうか?」

「いや、リスキン氏の発案です。」

リスキンという男は、よほど自信があるらしい。

勿論立会人にはサクラを混ぜて来るだろうが、どのみち隠れた協力者を排除する方法は無い。

ケイ自身も証人は多い方が良いので、否やは無かった。


翌朝、約束の時間にケイとサーリムが公会堂に着くと、市長は波打つ金髪ですらりと伸びた長身に程よく筋肉がついた、快活な様子の男と二人で玄関前で待っていた。

「おはようございます。今日は宜しくお願いします。」

ケイが頭を下げると、市長は挨拶を返し、男を紹介した。

「こちらは、魂の子ら代表のリスキンさんです。」

「はじめまして、キンバリー・リスキンです。キムと呼んでください。」

リスキンは、白い歯を見せて右手を差し出す。

「SI局のケイ・アマギです。今日は宜しくお願いします。」

ロビーに向かいながら、市長が説明する。

「この街では、暴力沙汰は決して認められません。公の場所では護身用の武器を携帯してはならない事になっておりますので、御協力お願いします。」

監査官の武装権を盾に拒絶する事も可能だが、市長の顔を立て無用な軋轢を避けるためにケイは拳銃をフロントに預けた。

しかし、護教剣についてはあえて黙っていた。


小ホールに入ると、既に何十人もの男女が客席にいた。

市長はリスキンと、ケイ、サーリムと共に舞台に上がり、公開実験の説明を始めた。

一通りの説明を終えると、彼は舞台を降りて客席の先頭に座った。

その時リスキンが言った。

「申し訳ありませんが、精神集中のために、壇上は私一人にしてもらえませんか。」

ケイは、取り合えず要求に従う事にして、サーリムと共に舞台を降りると、客席最前列に陣取った。

リスキンは、自信たっぷりに話し始めた。

「先ずは簡単に、複数の項目の中から一つを選択する行為で検証してみましょう。これから8つの項目を挙げて、その中の一つをテレパシーで送ります。皆さんはこれだと感じた項目を選んで下さい。といっても、単に8つから一つを選ぶだけでは簡単過ぎるので、少しハードルを上げましょう。最初に8つ挙げて選んで頂いたら、更に8つの項目を挙げて、その中から先に選んだ項目に関係があると感じられる項目を選んで下さい。」

そう言って少し間をおいて、聴衆が理解しているのを見てから続ける。

「それを繰り返してこの8択を都合四回繰り返します。そしてその後で私が最終的に皆さんにお伝えしようとした答を発表します。8項目から一つを選ぶ場合、一回の試行では偶然に当たる確率は1/8ですが、こうして四回の試行を重ねる事で、偶然に当たる確率は8の4乗分の1、つまり1/4096になります。これで、難易度がどれほど高くなるかご理解頂けると思います。では、始めます。皆さん意識を集中してください。」

そう言いながらリスキンは、右手の人差し指を額に当て考え込む様に俯いた。

聴衆が期待に満ちた眼差しで壇上のリスキンを見つめ、咳一つ聞こえない静寂の中、リスキンは良く通る落ち着いた声で項目を並べて行った。

「小川、ドア、巣穴、ノート、ガラス、栞、キリギリス、水草。」

サーリムがケイの様子を窺うと、今の項目を手帳に書き留めている所であった。

リスキンは項目を並べた後、一呼吸置いてから客席に話し掛ける。

「さて、それでは次に移ります。先程選んだ項目と関係があると感じられる物を選んで下さい。」

そう言って、再び俯くとまた項目を並べて行く。

「本、靴、窓、蟻、ライオン、ベンチ、メダカ、クジラ。」

ケイは、これも順に書き留めて行った。

「次はちょっと趣向を変えて、形容詞にしてみましょう。」

そう言ってリスキンは、また精神集中のポーズを取りつつ並べて行く。

「四角い、青い、丸い、大きい、早い、小さい、高い、重い。」

少し間を置いて、また客席に話し掛ける。

「次で最後になります。帽子、煙草、上衣、サイコロ、バット、カンテラ、ピストル、屋根。」

リスキンは、しばらく俯いたままでいたが、やがて顔を挙げると言った。

「さて、私が伝えようとした選択ですが、答はサイコロでした。」

その言葉と共に、客席のあちこちから感嘆の声が上がる。

「静粛に願います!」

リスキンの張りのある声に、客席は静まり返る。

「当たった方は、挙手願います。」

その呼び掛けに、客席のほぼ全員が一斉に手を挙げた。

一瞬の間があり、周りが皆自分同様に手を挙げているのに気付いた観客達は、再び感嘆の声を上げた。

その声はホール内に反響し、客席全体の興奮を否応なく高めて行った。

「素晴らしい!」

「こいつは凄い!」

観客達は拳を振り上げ、口々に称賛をリスキンに浴びせる。

リスキンは笑やかにその称賛を受けていたが、やがて掌を軽く伏せる仕種をしながら言った。

「静粛に願います。これで、テレパシーの伝達が成功した事はご理解頂けたかと思います。」

そして、ケイに向かって言った。

「いかがですか?」

ケイは、興奮とは無縁の表情で尋ねた。

「もう一度同じ事が出来ますか?」

ケイの素っ気ない言い方にリスキンはやや鼻白んだ様子であったが、すぐに気を取り直して答えた。

「勿論ですとも。」

そして、再び客席全体に呼び掛けた。

「監査官殿は一度ではご不満の様ですので、皆さんお手数ですが再度お付き合い願います。」

その言葉に、客席の数か所から声が上がる。

「ああ。構わねぇぜ!」

「その石頭にちゃんと判る様に、もう一度見せてやろうじゃねぇか!」

リスキンは、声援に余裕の笑みを返して、再び精神集中のポーズを取った。

それを見た観客数人が、周りを静かにさせる。

静まり返った客席を前に、リスキンは再び項目を並べた。

「ボール、空、ペンギン、車輪、牧場、カーテン、畑、傘。」

ケイは前回同様にメモを取っていたが、取り終わった所で急に顔を挙げた。

「それでは、次に移り・・・」

「はい!そこでストップしてください。」

突然遮られたリスキンは、不快そうな表情になる。

「実験を妨害するのは、ご勘弁願いたい物ですな。」

ケイはその声の非難する様な調子を意にも留めずに立ち上がると、客席全体に向かって言った。

「皆さん、今選択した物を良く覚えておいて下さい。」

次にステージに向き直ると、話し掛ける。

「さて、リスキンさん。貴方は何を選びましたか?」

その問い掛けに、リスキンはぐっと言葉に詰まった。

「どうしました?何を選んだか言えないんですか?」

ケイの挑発的な物言いに、リスキンはこれ以上黙っているのは不利だと判断した様で、不快さを顕にして言った。

「だから、実験の妨害は止めて頂きたいですな。」

ケイは、あくまで問題をすり替えて答えない方針であると見て取ったので、もう一度念を押した。

「何を選んだかは、言えないわけですね。」

リスキンは激昂した風に叫ぶ様に言った。

「そんな事は関係無い!実験の妨害を止めろと言っているんです!」

ケイは、その激昂を装う姿勢から答えられない事が確定し、また、その事実が観客にも確認されたと判断したので、話を進めるために相手の手に乗る事にした。

「私は特に妨害をしてはおりません。」

「あんたは今、実験の最中に割り込んで継続を妨害しているじゃないか!」

リスキンはケイの発言に被せる様に叫んだ。

ケイの方針転換は、怒りを装って圧力を掛けた結果だと思ったので、この方向でより大きな効果を挙げようと考えたのだ。

「私は、この実験を監査する立場です。ですから、実験をどこまで行うかは、私が判断するべき事象です。」

リスキンの激昂よそに、ケイは冷ややかに言った。

「そんな中途半端な実験で何が判る!」

リスキンは、嘲る様に言う事でケイの感情を昂らせ、同じ土俵に引き込もうとした。

勿論ケイはそんな手には乗らず、平静な口調で答えた。

「貴方は始めに一回の試行では簡単過ぎると仰ったので、それがどれくらい簡単かを確認する必要があると考えています。」

「それなら、最初からそう言えば良いじゃないか!」

怒鳴り付ける事で、再度ケイを挑発しようとした。

「最初から言うと、何か変わるんですか?」

予想もしなかった返しに、リスキンは返答に窮した。

「貴方がテレパシーで選択すべき項目を伝え、客席の皆さんがそれを受け止めるという点に関しては、一回目でも四回目でも差は無いでしょう。それとも、一回だけの試行の時は『違うやり方』をする必要があるんですか?」

「い、いや、そんな事はありませんが・・・」

途端に歯切れが悪くなる。

ここで違うやり方が必要だと言えば、トリックがある事を認めたも同然だからである。

「では、問題ありませんね。何を選んだかを発表して下さい。」

「だからといって、こんなやり方はおかしいでしょう!」

あくまで、検証を回避したい様である。

ケイはそろそろ押し問答に飽きてきたので、その抗議に答える代わりに傍らの市長に言った。

「監査に関する検証作業に不同意という事で宜しいですか?」

監査の申請者である市長としては、『検証作業に不同意』等という報告が上がるのはとんでもない話なので、不快な感情を抑えつつ言った。

「リスキンさん。検証に協力願います。」

リスキンは進退極まった様に黙り込んでいたが、やがて吐き出す様に言った。

「傘です。」

その言葉に対する客席の反応は、前回とは比べ物にならない程に控え目だった。

ケイは客席の方に向き直ると、手帳を見ながら呼び掛けた。

「ボールを選んだ方は、挙手願います。」

パラパラと手が上がる。

「サーリム、数えろ。」

サーリムは慌てて手帳を取り出すと、挙がった手を数えて記録した。

「では空を選んだ方、挙手願います。」

そうして最後の『傘』まで人数を確認した後、サーリムに手を出した。

サーリムは人数を記した頁を開いたまま、手帳を渡す。

それをケイは読み上げた。

「ボール、12名。空、9名。ペンギン、5名。車輪、3名。牧場、2名。カーテン、8名。畑、11名。傘、18名。」

それを聞いたリスキンがほっとした表情を見せると共に、観客の一人が勝ち誇る様に言った。

「どうでぇ!ちゃんと伝わってるじゃねえか!」

リスキンの表情は、同感である事を示していた。

「68名中の18名ですから、1/4強ですね。」

ケイの冷静な指摘に対し、リスキンは威に懸かる様に言い募る。

「だからどうだと言うんですか?傘の得票数が一番多かったし、確率的には1/8になる筈の所が、実にその2倍を大きく上回る数字になっています。これを見れば、テレパシーが有効に作用した事は明らかでしょう!」

勿論そんな事でペースを崩される程、ケイはナイーブではない。

「先程の4段階の試行では、殆どの方が正しい解答に辿り着いたという事実を考えると、遥かに簡単な筈の1段階の試行の成績としては、少々控え目に過ぎる数字ではありませんか?」

ケイの指摘に僅かにたじろぎを見せたが、すぐに反論する。

「テレパシーとは、大変高度な技術です。どうしたって、結果に多少の波があるのは止むを得んでしょう!それとも、傘の得票数が一番多かった事について、何か他の説明が出来ると言うんですか?」

客席のあちこちから、そうだそうだ!と野次が飛ぶのに力付けられる様にリスキンは勢いで押し切ろうとして、却って罠に嵌まってしまった事に気付かなかった。

「貴方の言う『正しい解答』は選択肢の最後であり、この項目は確かに一番高い得票数を得ました。しかし、2番目に得票数が高かった解答が先頭の選択肢であった事を考えれば、『最後の項目が一番強く印象に残り、その次は最初の項目である』というごくありきたりの経験則でも十分に説明が着きますね。特に真ん中に近い項目ほど得票数が下がっているという事実を見れば、その可能性はより高くなるでしょう。そして、その疑いを排除するには、1/4強という得票率は十分高いとは言えないでしょうね。」

説明を要求してしまった以上、この話をこれ以上続けたければ、ケイの指摘に反論するしかないが、それはリスキンにも客席の抗議者にも出来なかった。

抗議者が黙り込んでしまったのを見たリスキンが提案する。

「どうも調子が悪い様なので、別の方法で実験してみましょう。」

旗色が悪くなってきたので、転進を図ろうという訳だ。

「結構です。どのような方法ですか?」

リスキンは、舞台中央のテーブルに置いてあった封筒の束を取り上げると、ケイに渡した。

「この中には白紙が入っています。中が透けないかどうか、確かめてください。」

ケイは、束の中程から封筒を抜き出すと。中を確認した。

三つ折りの白紙が一枚入っているだけで、何も仕掛けがなく、また封筒自体も透けない事を確めると、束の一番下に戻してリスキンに返した。

「我々は、また舞台から降りた方が良いですか?」

リスキンは、重々しく頷く。

「勿論です。」

リスキンは、封筒の束をそのまま先頭列右端の観客に渡す。

「一通取って、残りを次の方に廻して下さい。」

やがて全員に封筒が渡った事を確めると、リスキンは言った。

「先程は一対多のテレパシーを実験しましたが、今度は多対一の実験をしましょう。その中の紙に今思っている事を何でもいいから書いて、封筒に戻してください。」

しばらくして、リスキンは最後列を指さして言った。

「一番後ろの貴方、集めてきてもらえますか?」

指示された青年が立ち上がり、客席を通り抜けながら封筒を回収してゆく。

リスキンは封筒の束を受け取ると、重ねたまま卓上に置いた。

「さて、それでは始めましょうか。この封筒に残留する思念を読み取って行きます。」

そう言うと一番上の封筒を取り上げ、目をつぶって額に当てる。

観客が固唾を呑んで見守る中、厳かな調子で呟く様に言った。

「本当に超能力が存在するんだろうか?」

とたんに、先程封筒を回収した青年が驚きの声を上げる。

「当たった!」

それに釣られて、感嘆のどよめきが起こる。

リスキンは封筒を開けて中身を確認すると、再び封筒に戻して横に置き、次の封筒を取り上げて同様に額に当てる。

「今年は小麦が豊作でありますように」

客席から再び驚愕の声が上がる。

そうしてリスキンは次々と読み上げては中身を確認した。

その都度驚愕の声が上がり、客席の興奮が高まった。

最早、最初の失敗は観衆の頭からすっかりぬぐい去られていた。

最後の封筒を額に当てたリスキンは、自信たっぷりに言った。

「はやくピストルが持てるようになりたい。」

驚愕するサーリムに向かって、リスキンは微笑みを浮かべて言った。

「サーリム君だったね。急ぐ事は無いよ。いずれ大きくなれば持てるようになる。」

サーリムは真っ赤になって俯いた。

最後の封筒を確認し終えて、リスキンが自信たっぷりの笑みを浮かべ、封筒の束を片付けようしたその時、

「今の読み終わった封筒を触らないように!」

そう言いながら、ケイが壇上に上がる。

「 皆さん、最初に読み上げられたのは最後尾の方でしたね。内容は何でし たか?」

ケイが呼び掛けると、客席中程の観客が答えた。

「『超能力は存在するんだろうか?』だったはずだ。」

「そうですね、より正確には『本当に超能力が存在するんだろうか?』だったかと思いますが、いずれにしても、リスキン氏は読み上げた順に封筒を重ねて行きましたから、この山の一番下の封筒にはそう書いてあるはずです。それと、最後に読み上げた内容は、皆さん覚えておられますね。」

そう言って、ケイは客席を見る。

「私が触ると、何か操作されたと疑われるかもしれませんので、市長閣下、お手数ですがこの山の一番上の封筒を取ってください。」

市長が舞台に上がり、指示に従う。

「それは、最後に読み上げた物の筈ですね。中には何と書いてありますか?」

市長は封筒から取り出した紙を開いて、愕然とする。

「『本当に超能力が存在するんだろうか』だ。」

「では次の封筒も確認お願いします。」

促されて、次の封筒を開く。

「『はやくピストルが持てるようになりたい。』と書いてある。」

ケイは、納得した様に頷くと言った。

「私が封筒の順番を操作していないのは、皆さん確認されましたね。」

状況が理解できない市長は、目を白黒させながら訊ねた。

「どうなっているんだ?」

ケイは、穏やかに説明した。

「そんなに難しいトリックではありません。 一番後ろの方はあらかじめ何を書くか打ち合わせ済みであり、封筒を回収し終ったところで自分の封筒を一番下に置いたんですよ。」

まだ聴衆の大半は、理解できないでいる。

「そして、重ねた一番上の封筒を取り上げて、 あらかじめ打ち合わせておいた内容、すなわち一番下の封筒に書かれている文章を読み上げる。それからいかにも今読み上げた内容を確認するような振りをして、次に読み上げるべき内容を読み取ったわけです。」

ワン・アヘッド(順送り)と呼ばれる、ごく基本的なトリックである。

聴衆が一斉に最後列を見ると、男は視線を怖れる様に俯いたまま黙っていた。

「どうですかリスキンさん。何か反論はありますか?」

リスキンは、非難の視線にたじろぐ事無く言った。

「それでは、不正の余地が無い方法で証明して見せましょう。」

反論せずに話題をすり替えた事で不正を認めるたも同然となったが、リスキンはさらりと流す事で、これが観衆に強い印象を残す事を避ける方が良いと判断した様だ。

弱味を見せないために、あくまでも強気の姿勢を崩さない様に、自信たっぷりな仕種でポケットからカードを取り出すと、演壇の上に伏せたまま開いて見せる。

そして、舞台から降りるタイミングを失い、所在なげに立っていた市長に呼び掛けた。

「どれでも良いから一枚抜いて、私を含め皆さんに見せて下さい。」

市長は不審そうな表情を隠さなかったが、それでも促されるままカードを抜き、指示通りに見せた。

カードはスペードの3だ。

「それでは、念を送りましょう。」

そう言って額に親指を当てる、集中している様なポーズをとる。

一頻り集中したあと顔を上げると、サーリムに声を掛けた。

「えーと、サーリム君だったね。君すまないが、このホールを出てそこの廊下をずっと右に行った突き当たりに控室があるんで、そこのチャールズ君に「カードは何だったか?」と聞いてきてくれないか? 」

ケイが無言で頷いたので、サーリムは言われた通り廊下に出て控え室に向かった。

小ホールの右隣には大ホールがあり、控室はその更に先にあった。

大ホールの幅は小ホールの3倍程もあり、控室で聞き耳を立てていても小ホールの声を聞く事はできそうもない。

控室のドアをノックすると、声が帰って来た。

「どうぞ、鍵は開いています。」

中では10人程の男女が談笑している。

「あの・・・チャールズさんはいらっしゃいますか?」

サーリムがおずおずと訊ねると、中央の男が微笑みながら答えた。

「スペードの3だね。」

驚いたサーリムは、チャールズ達に頭を下げて控室を出ると、小ホールに走って行った。

ホールのドアを開けると、全員の視線がサーリムに集まった。

興奮も露にサーリムは報告する。

「スペードの3だと言われました! 」

ホール全体が大きくどよめく。

「どうです、私は念を送る以外の動作は何もしていないし、第一廊下の一番向こうの控え室に情報を伝える手段がありませんよ。」

失点を取り返したリスキンは、余裕の笑みを浮かべる。

その時、ケイは平然と言った。

「それでは、今度はハートの9でお願いします。」

「わかりました。」

リスキンが、再び集中のポーズを取ろうとした時、ケイが付け加えた。

「送る相手は、今回もチャールズさんでお願いします。」

その言葉に、リスキンが傍目にも判る程の動揺を見せる。

掌を額に当てて呻く様に言った。

「いけない、目眩がする。一度に力を使いすぎたようだ。」

ケイは、穏やかに指摘する。

「本日の実験で、貴方が力を使った効果が出たと解釈する事が可能な結果が出たのは、最初に選択肢としてサイコロを送った際と先程のスペードの3を送った二回だけなわけですが、それで使いすぎになるわけですね。この点は報告書に明記する必要があると考えますが、それで宜しいですね。」

リスキンは、狼狽しつつ反論する。

「そ、それはそういう見方も出来るかもしれんが、そうだとしても、少なくとも二回は超能力が確認できた訳でしょう。」

ケイは、更に畳み掛ける。

「あくまでも、そういう解釈も可能な事象があった、というだけであり、超能力以外の解釈も可能ですし、そもそも、成功例の一回目は事象の再現に十分に成功したとは言えないし、二回目は一旦事象の再現実験に同意しながら、トリックの可能性を否定するための統制条件を提示された途端に実験を拒否した、という事実が確認できた訳です。」

リスキンは進退窮まって、感情的に叫んだ。

「何と言われようと、出来ないものは出来ない!」

「わかりました。おいサーリム、もう一度控え室に行って、今度は『デビッド』さんに何のカードだったか訊ねて来い。」

突然新しい名前が出たので、サーリムは事情が呑み込めずに立ち尽くしている。

「大丈夫だ。多分あの部屋には『デビッド』さんもいるはずだ。念のために、どなたか証人として同行願えませんか?」

咄嗟に先程の最後列の若者が立ち上がったが、ケイは無視してほぼ中央の観客を指さした。

「お手数ですが、お願いします。」

「おい、勝手な事を・・・」

リスキンの抗議を遮って、ケイが指摘した。

「監査官には、申請された事象に関して自由に、貴方の言い方に従えば『勝手な』検証をすることが認められています。これに従う事が出来ないのであれば、報告書に『検証作業に対して非協力的』と記載せざるを得ません。」

その言葉を聞いた市長はリスキンを睨み付け、リスキンは黙らざるを得なかった。

監査官は大賢人会議の調査権を代行しているので、これに対して『非協力的』とされる事は、大賢人会議の権威を否定したと見なされる。

市長としては、それは絶対に避けたい事である。

二人が要領を得ない顔のまま出ていくのを見送った後、ドアが閉まって足音が消えたのを確認してからケイは言った。

「私の想像が正しければ、二人の持ち帰る答は『ダイヤの4』のはずです。」


サーリムが再び入って来たのを見て、控室に不穏な空気が流れた。

それを肌で感じたサーリムは、それが何であれ今は深入りするべきではないと判断し、あえて気付かない振りをしてごく普通の調子を装って尋ねた。

「デビッドさん、カードは何でしたか?」

そこにいた男女は暫く無言で顔を見合せていたが、やがて先程とは別の男が先程のチャールズとはうって変わって自信無さげに答えた。

「・・・ダイヤの4です。」

同行した男は意外そうな表情(彼はハートの9と言われると思っていた様だ)となり何か言いかけたが、サーリムは素早くその上衣の背中側の裾を引っ張って、彼等に異常を気付かれない様に制止した。

「ありがとうございます。」

表情を変えない様に注意しながらそれだけを言って頭を下げると、そのまま男を追い立てる様に控室を後にした。


ホールのドアが開き、観客の視線が集中する。

固唾を呑んで注視する痛いほどの視線を感じながら客席を通り抜け、壇上に立つとサーリムは言った。

「ダイヤの4と言われました。」

ホール全体に大きなどよめきが起こる。

サーリムの後を追って壇上に上がった同行者にケイが視線で確認を促すと、男は無言で頷いた。

「一体どういう仕掛けなんだ?」

観客席から疑問の声が上がる。

「そんなに難しいトリックではありません。」

そう言うと、サーリムを指した。

「答は、この子が伝えていたんです。」

その言葉に、サーリムは全身の血が逆流する思いがした。

「待って下さい!僕がイカサマを・・・」

思わず冷静さを失ったサーリムが叫ぶ様に抗議の声を挙げ掛けるのを宥める様に、ケイが穏やかな調子で言った。

「まあ、落ち着け。」

わけが判らないまま、サーリムは言いかけた抗議を引っ込めた。

「お前が伝えていたとは言ったが、イカサマに手を貸していたとは言って無いぞ。」

サーリムには意味が判らず、目を白黒させていると市長が叫んだ。

「そうか!名前だ!」

そう言って、サーリムの顔を覗き込む。

「カードの種類毎に質問する相手の名前が決まっていて、君の呼び掛けで、カードを知ったんだよ。」

サーリムはその言葉に安堵すると、力が抜けてへたり込みそうになった。

その時、ケイは市長の推理を訂正する。

「良い推理ですが、話はもう少し簡単でしょう。カードの種類と52通りの名前のペアを暗記するのは大変だし、間違えが起こり易いですからね。」

市長は、興味深そうに訊ねた。

「じゃあどうするんです?」

「スペードの3は『チャールズ』でした。チャールズのスペルは、Cで始まりSで終わります。つまり、『アルファベットの三番目』で始まり『スペードの頭文字』で終わる訳です。」

おお、と感嘆のどよめきが起こった。

ややあって、客席で別の男が立ち上がった。

「ちょっと待ってくれ。スペードとダイヤはそれで問題ないだろうし、クラブも、『名前の末尾がCかK』だとすれば、それらしくなるだろうが、ハートはどうなる?『末尾がHで頭文字がAからMまでの名前』を全て揃えるのは難しいんじゃないか?」

そのいかにももっともな指摘に、ほぼ全ての観客が無言で頷いた。

この人物は、事実を客観的に評価した上で疑問を投げ掛けて来ている。

こういう姿勢を持った人物が一般人のなかに居るのなら、この街は期待が持てそうである。

「大変良い指摘ですね。確かに末尾がHとなる名前はそれほど多くありません。無理に作っても不自然な響きの物ができますから、疑いを招く事になるでしょう。しかし、不自然に見えない様に伝える方法はありますよ。」

「どうやるんだ?」

リスキンと恐らくは数人のサクラ以外の全ての観客は、身を乗り出してケイの答を待つ。

「ハートの時のルールを、『末尾がC/D/K/S以外』つまりマークの種類を伝えない事、とすれば良いんです。」

客席全体から納得の声が上がった。

聴衆が納得したのを確認すると、ケイはリスキンに話し掛けた。

「以上が私の監査官としての見解ですが、反論はありますか?」

リスキンは不貞腐れた様に言った。

「全部あんたの想像じゃないか。証拠は無いぞ!」

ケイは首を捻る。

「封筒の順番が貴方が読み上げた順番とずれていた事と、テレパシーを送らなかったのに『デビッド』さんが『ダイヤの4』と答えた事は確認済の事実だと思いますが、これが証拠にならないのであればこれらの事実をどう説明しますか?」

リスキンは、そのまま黙り込んだ。

ホール全体が静まり返り、全員がリスキンの返事を固唾を呑んで待っていたが、彼は石像の様に沈黙したまま身動ぎもしない。

重苦しい沈黙に耐え難くなった観衆がざわつき始めた時、市長が立ち上がった。

「さて、これで結論は出た様だな。」

そう言って、市長は掌を打ち合わせた。

その音に、リスキンは怯えた様に軽く飛び上がる。

「リスキンさん、貴方には失望しました。」

そう宣告すると、そのままホールを後にした。

市の幹部と思しき男達が慌ててその後を追い、続いて一般の観客も口々に失望を示す会話をしながら出ていった。

ざわめきと共に最後の一団がホールを後にして、ドアが閉まった。

客席には、無言のまま壇上のケイを睨み付ける三人の男達が残るのみである。

それまで石のように黙っていたリスキンが、唇の端を吊り上げて言った。

「やれやれ、苦労してやっと信用を勝ち取ったと言うのに、全てぶち壊してくれたな。」

ケイは穏やかに言った。

「申告内容が証明できなければ、仕方が無い事ですね。」

「これで、また別の街に行って一からやり直しだ。」

ケイは皮肉な笑みを浮かべる。

「ここでもう一度、地道に研究をやり直して、超能力を証明するという選択肢は無いんですか?」

リスキンの笑みは、邪悪といって良い表情になっている。

「そんな事が可能かどうかは、あんたが一番良く知っているだろう。」

ケイは何も答えなかった。

「さて、これから荷物をまとめて、ここを出て行く用意をしなきゃならんが・・・その前に一つやる事がある。あんた方に礼をしなきゃな。」

そう言いながら、右手を上衣の中に差し込む。

ケイとしては、無用なトラブルは避けたかったので、軽口を叩いてそのやる気を削ごうとした。

「いやぁ、別にお礼をして頂く程の事じゃありませんよ。」

リスキンの唇の端は更に吊り上がった。

「まあ、遠慮するなよ。」

そう言って、上着の内ポケットから引っ張り出したとおぼしき右手には、小さなピストルが握られていた。

銃身四本を束ねた、ペッパーボックスと言われるタイプの小型拳銃だ。

それは隠し持つのに適しており、しかも四連発という厄介な代物である。

無論小さいだけに威力も低いが、至近距離ならそれは大した問題ではない。

「大した礼じゃ無いが、受け取ってくれ。」

ケイがピストルをロビーに預けている所を見ているので、リスキンは余裕たっぷりに振る舞う。

ケイはやむを得ず、護教剣を抜いた。

「ピストルの弾はナイフより速いんだぜ。覚えておいた方が良い。」

自分の圧倒的な優位を確信しているリスキンは、嘲笑う様に言った。

ケイは、もう無駄なやり取りをしている場合ではないと判断した。

「監査官は、危害の恐れに対処する場合には対抗手段に制限を受けない。君が銃を向けた時点で射殺する充分な理由になる。今すぐにそれを引っ込めるなら今回だけは不問に付してやっても良い。考え直すんだ。」

ケイは、極めて強い調子で警告を発した。

「ハッ、何の冗談だ。」

リスキンは、その言葉を笑い飛ばした。

「俺は警告したぞ。」

リスキンはその言葉に耳を貸す事無く、サーリムに銃口を向けた。

「まずは、その生意気なガキから片付けてやろう。」

サーリムは脚が竦んだまま何もできず、思わず目を瞑った。

奇妙な銃声が響き、硬直したままサーリムは、激しく体を震わせた。

そうしてしばらく目を瞑っていたが、いつまでたっても予想していた衝撃は訪れなかった。

不審に思ったサーリムが恐る恐る目を開くと、リスキンは棒立ちになったまま、驚愕の表情で自分の胸を見つめている。

そこには、護教剣の刃が深々と突き立てられていた。

ケイの手には剣のグリップだけが残り、その先から微かに硝煙が立ち上っていた。

「このナイフは、少々変わっていてね。刃を撃ち出す仕掛があるんだよ。」

ケイの言葉は、リスキンの耳には入っていないようであった。

リスキンは驚愕の表情を凍り付かせたまま、ゆっくりと倒れて行った。

ケイはリスキンに駆け寄ると、その痙攣している手からピストルを奪い取り客席に残った男達に向けた。

「全員動くな!おいサーリム、市長達を呼び戻すんだ。」


市長の命令で、魂の子らの男女は全て逮捕された。

市長は恐縮し何度も二人に頭を下げたが、ケイは今回の一件は基本的にリスキン一党の仕業であり、市当局は寧ろ被害者である事を報告書に明記すると約束した。


ホテルに戻ったサーリムは、気を抜くと恐怖が蘇り不意に膝が震え出す事に当惑していたが、ケイが先程の修羅場の事などすっかり忘れたかの様に寛いでいるのを見ている内に、ようやく落ち着きを取り戻して来た。

多少冷静になった事で、ずっと引っ掛かっていた疑問を思い出したサーリムが訊ねた。

「最初のトリックは何だったんですか?」

ケイは、笑いながら答える。

「あれは大したトリックじゃない。マジシャンズ・チョイス(手品師の選択)というごくありふれたテクニックさ。」

その軽い調子にサーリムは驚いた。

「でも、殆どの人が正解してましたよね。」

「高い効果を挙げるために、必ず高度な技術が必要になるわけじゃない。要はやり方次第なのさ。」

サーリムは納得出来ない表情である。

「あの時リスキンは、最初にミスディレクションを行っている。『偶然に当たる確率は8の4乗分の1』というやつだ。」

「それは嘘だって事ですか?」

「まあ、そういう事だな。何が間違っているか判るか?」

サーリムは頸を捻る。

「あの時、リスキンは何回答を言った?」

サーリムは俯いて、頭の中でリスキンの行動を反芻していたが、やがて短く声を上げた。

ケイは、二つ目のヒントで気付けば合格だと思っていたので、最初のヒントで理解したなら上出来だと内心喜んだが、表情には出さなかった。

サーリムはその考えをしばらく頭の中で検証していたようだが、やがてケイが待っているのに気付き、説明した。

「試行は4回やってるけど、リスキンさんが答を言ったのは最後の一回だけだから、偶然に当たる確率はやっぱり1/8なんですね。」

ケイは満足げに頷いた。

「そういう事だ。さて、何のためにそのミスディレクションを行ったと思う?」

「そりゃあ、実際より難しく見せたかったからでしょ。」

間違ってはいないが、その答では浅い。

「そうする事で何の得があるんだ?」

ケイの問いで、サーリムは自分の考察が足りていない事を理解した。

「うーん。難しく見える事で、それだけ効果が大きくなるからでしょうか?」

流石にこの先は知らなければ答が出せないので、説明する事にした。

「リスキンは、ただ難しく見せかけるために4回も試行して見せたわけじゃない。あのトリックは『4回やらなければ成立しない』んだ。」

サーリムは要領を得ない表情になる。

「あのトリックの正体は、前から見ると気付きにくいが、後ろから見ればすぐに判る。最後の答は何だった?」

サーリムは、自分のバッグを持ってくると手帳を取り出した。

ケイがそれを覗き込むと、選択肢が全て書き込まれている。

メモは取っていなかった筈なので、後で記憶を頼りに書き留めた様だ。

中々大した記憶力である。

「サイコロでしたね。」

「その前の選択肢は?」

「四角い、青い、丸い、大きい、早い、小さい、高い、重い、ですね。」

「その内で、サイコロに関係がありそうなのはどれとどれだ?」

サーリムは頸を捻る。

「うーん、一つは『四角い』ですけど、もう一つというと『小さい』かなあ?」

ケイは頷く。

「まあ、そんな所だ。で、その前は?」

「本、靴、窓、蟻、ライオン、ベンチ、メダカ、クジラ。」

サーリムが読み上げると、ケイが尋ねた。

「その内で、『四角い』のはどれとどれで、『小さい』のはどれとどれだ?」

サーリムは何かに気付いた様で、面白そうな表情になった。

「四角いのは『本』と『窓』で、小さいのは『蟻』と『メダカ』ですね。」

どうやら、おおよそ見当がついた様だ。

「最初に言ったのは、小川、ドア、巣穴、ノート、ガラス、栞、キリギリス、水草だから、本と関係があるのが『ノート』と『栞』で、窓と関係があるのが『ドア』と『ガラス』、蟻と関係があるのが『巣穴』と『キリギリス』、メダカと関係があるのが『小川』と『水草』ですね!」

ケイは笑みを浮かべて頷く事で、サーリムの想像が正しい事を教えた。

「つまり、最初にどれを選んでも、必ず最後はサイコロになるんですか。」

「そうだ。」

サーリムは、ようやく納得がいったという表情で言った。

「じゃあ、最初のミスディレクションは、この4段階の試行を不自然に思わせないための物って事ですね。」

ケイは、少年の理解力が予想以上である事に満足した。

一呼吸おいて、サーリムは尋ねた。

「このやり方だと、必ず4段階でやらないと駄目なんですよね。だから二回目のチャレンジの時に最初の試行でストップを掛けられたリスキンさんは怒ったんでしょう?」

「まあ、そういう事だな。ただし、実際にはリスキンは怒ったわけじゃなくて、怒っているふりをする事で検証をうやむやにしようとしたんだ。これも良くある手さ。」

「その時にリスキンさんは、1回でやるなら最初からそう言えば良いと言いましたよね。」

ケイはこの少年が何を考えているのか興味を覚えたので、黙って聞いていた。

「あれはつまり、一回でやる方法が他にあるという事ですか?」

中々良い着眼点である。

「そういう事だ。複数回の試行による誘導に比べると確実性は下がるが、色々と手はある。取り合えずお前も何か自分で考えてみろ。」

そう言って、一呼吸おいてから続けた。

「一つヒントをやる。2回目のチャレンジで、何故リスキンは傘を選んだんだ?」

その言葉にサーリムが考え込むのを見て、ケイは言った。

「今日はもう遅いから、続きは明日にしよう。」


翌朝、朝食を終えた二人は、部屋に戻り出発の支度をしていた。

といっても持ち物の少ないサーリムは、それらを手当たり次第にバックパックに放り込むだけなのですぐに終わり、後はケイの荷造りを所在なく眺めているだけであった。

やがて一通り荷物を纏め終わったケイは、顔を挙げると尋ねた。

「昨日の宿題はどうなった?」

そろそろ来る頃だと思っていたサーリムは、答えた。

「ええと、2回目のチャレンジでリスキンさんが傘を選んだ理由は、『最後の項目が一番強く印象に残る』からです。つまり好きに選んで良いと言われると、強く印象に残る項目を選ぶ人が多いという事です。だから、一回の試行で実験するんなら、最後の選択肢に特に強く印象に残る物を挙げれば良いんじゃないでしょうか?」

「ほう。例えば?」

具体的な項目までは考えていなかったサーリムは、頸を捻った。

「・・・おっぱいとか・・・」

唐突に出てきたその単語はケイのツボに嵌まった様で、ケイは腹を抱えて笑いだした。

サーリムは、それを面白く無さそうに見ていたが何も言わなかった。

やがて笑いの波が引いたケイは、サーリムの様子に気付いて言った。

「いや、済まん。確かにそれなら思わず選んでしまうくらい、インパクトがあるな。方向性は間違って無いぞ。」

そう言った後、真顔で付け加えた。

「ただし、物事には限度って物がある。この場合、余りにインパクトが強過ぎたり一つの項目だけが突出して異質だったりすると、悪目立ちするからその違和感がトリックを見破るヒントになる恐れがある。誘導したい答を目立たせるというのがこのトリックの主眼だが、どんなトリックの場合でも『トリック自体が目立ってはいけない』んだ。その辺の匙加減は、経験を積んで行くしかないな。」

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