53 見えない敵
「な……なんだこれ!?」
さすがの俺も困惑した声を出すしかない。
俺たちの目の前で、歩哨の首が勝手にぱっくりと割れ、そこからは真っ赤な血液がドボドボと噴き出し――歩哨はその場に崩れ落ちるように倒れると、数秒間ピクピクと痙攣したのち、それっきり動かなくなった。
「……は? なんだよ、これ、ヴェル!」
ヴェルの顔を見る。
彼女の顔は月明かりでも分かるほど真っ青になっていた。
そして、はっと何かに気づいたかのように、
「……ミーシア!!」
と叫んだ。
ヴェルは引きずっていたリンダの腕を離し、腰の剣を抜いて岩の陰に向かってダッシュする。
だけど次の瞬間、そのヴェルの身体が、吹っ飛んだ。
なんだこれ、まじ意味わかんねえぞ!
「くっ……まさか……暗黒部隊まで……?」
剣を杖にして、ヴェルが立ち上がりながら呟く。
と、またもやヴェルの身体が中に舞う。
というより、横殴りにされたかのように吹っ飛ばされたのだ。
見えない何かに。
グシャ、といういやな音とともに、ヴェルはかなりやばい角度で頭から地面に落ちる。
「やられたわ、く、くそ……」
と呟いたきり、ヴェルはそのまま動かなくなってしまった。
ちょっと待て、まじかこれ、まじか?
あのヴェルがこんなに簡単にやられちまったってのか!?
気絶したのか、それとも――いやまさか。ヴェルがこんなに簡単に殺されるわけがない。
俺の脳みそはフル回転して、状況を判断しようとする。
と、そこにはなにもいないはずなのに、地面の小さな石ころが転がるのに気づいた。
――いる。
なにか、誰かが、ここにいる。
だが、見えない。
集中して耳をすませば、かすかな足音もわかる。
おそらく一番の強敵だと思っていたヴェルを戦闘不能にできたからだろう、油断しきっている足取りだ。
ちくしょう、舐められてるぞ、俺。
すぐそこに、確かに誰かがいるのに。
その姿がまったく見えないのだ。
「キッサァ!」
俺は叫んだ。
十メートルほど離れたところにいたキッサが、
「はい? なにかありましたか?」
キョトンとした声を出した。
レーダー役のキッサにも気づかれず、こんなところまで侵入してきたってことか、こいつ。
おそらく、姿を消すことができる法術なのだろう。
その能力は、遠視や暗視だけじゃなく、透視までできるキッサの索敵網にもひっかからず、ミーシアのいるこの岩場まで入り込めるものなのだ。
異変にやっと気づいたのか、キッサが小走りにこちらへやってくる。
「待て、キッサ、見えないがなにかいるぞ! 気をつけろ!」
俺の声に、ぴたりと足を止め、法術で周辺をさぐるキッサ。
だが、やはりなにも見えないらしく、
「どういうことですか……? え、あれ、騎士様……!? いったいなにが……」
戸惑ったようすでキッサが呟く。
「騎士様!」
そう言って倒れているヴェルへ駆け寄ろうとするキッサに、俺は、
「ストップ! 動くな! ……なにか、誰かがいるんだ、そいつにヴェルがやられた」
と言った。
どうする、まだこの辺にいるのか、それとも……?
「……陛下!」
そうだ、奴らの狙いはロリ女帝なのだ。
ミーシアが隠れているはずの岩陰に目をやる。
と、ちょうどその時、まさにその女帝陛下がおかっぱの髪の毛を揺らして、岩からひょこっと顔だけ出した。
「ヴェルとエージの声がしたけど……」
次の瞬間、ミーシアの身体は、見えない何者かに後ろから抱きすくめられたかのように宙に浮いた。
「きゃあっ!」
悲鳴をあげるミーシア。
「やだやだやだ、なにこれなにこれ! ヴェル! エージ!」
「おい、その子を離せ!」
見えない刺客にむかって怒鳴る。
すると。
「ははは。離すわけがないっしょ」
屈託のない笑い声。
声は聞こえるが、姿は見えない。
小さなミーシアの身体は、今や完全に宙に浮き、その細い足をバタバタと暴れさせている。
くっそ、こんな奴までいるのか、この世界には。
姿を消す能力。
「いままでさー」
見えないそいつが続ける。
「暗殺の仕事ばっかやってたけど。たまには、いいね、こういうのも。私の仕事はこの『前』皇帝陛下を人質……いや違った、身柄をお預かりして、本体の騎兵旅団が来るまでこの場をキープすること……。あんたにはみえないだろうけど、今私のナイフが『前』皇帝陛下の喉元につきつけられている……。意味、わかるよね? さあ、武器を捨てるんだ」
騒ぎを聞きつけた何人かの山賊が集まってきていたが、
「言うとおりにするんだ」
と俺がいうと、みな剣を地面に投げ捨てる。
その俺は武器なんてひとつももっていない。
戦意がないことを示すために両手をあげる。
「わかった、わかったから陛下を地面におろせ。骨でも折れたらどうするんだ、生きてヘンナマリに引き渡したいんだろ?」
俺がそういうと、そいつは、
「ま、そうだね。平和裏に帝位禅譲の儀式を行いたいみたいだし」
やっと、ミーシアの足が地面につく。
見えないが、後ろから抱きすくめられて口も塞がれているようで、その大きな瞳で俺を不安そうに見ている。
「あーあ。参った参った、降参だよ、ヴェルもやられちまったしな」
俺はため息まじりにそう言う。
倒れたヴェルはまだぴくりとも動かない。
「んー! んー! んんー!」
ミーシアが涙をあふれさせて何かを言おうとしているようだが、口を抑えられていて、声にはならない。
「ははは。戦争ならともかく、暗殺なら私のが上だしね」
そいつは快活に笑う。
「俺だってさっきのこいつとの戦闘で、」
俺はここまでひきずってきた気絶しているリンダの頭をこつん、と蹴って、
「法力も使い果たしちゃったしな。参った参った」
「そうみたいだね、ははは。じゃ、そこの異世界戦士さん、両手をあげたまま地面に伏せてくれないかな? 念の為にね」
ああ、あれか、よくアメリカの警察が犯人にやらせているようなあの格好ね。
はいはい、そういたしますよっと。
俺はその場で膝をつき、気絶しているリンダの横に、うつ伏せになろうとして――そのままリンダへと顔を寄せた。
いやあ、このリンダってのも、こうして見ると美人だよなあ、悪いなあ、寝ている間に勝手にこんなことしてさ。
そして、そのリンダにくちづけした。




