49 包囲網
「痛っ! え? なに? なになに?」
地面に頭をぶつけたミーシアが飛び起きた。
「陛下、敵襲かもしれません……頭、大丈夫ですか?」
「え、頭は大丈夫だけど。それより敵って……?」
不安そうな顔で俺とヴェルの顔を交互に見る少女帝。
「そうかもしれません……キッサ!」
俺はキッサに叫ぶ。
「キッサ、もっと詳しく見れるか!?」
「はい、やってみます! 我を加護するキラヴィ、我と契約せしレパコの神よ、我に闇の向こうを見せしめよ!」
夜の闇の中、キッサがその方向に向けて二本の指を差し、詠唱する。
彼女は遠視・透視・暗視の法術を使えるのだ。
「北東から……騎馬兵……三〇〇ほど……距離五カルマルト!」
つまり、五キロ先ってことか。
「旗の紋章とかは見えるか?」
「羽の生えた犬? のようなものが描かれてる紋章です……」
それを聞いて、ヴェルがちっ、と舌打ちをして、
「ジュリー・ア・ケイビー・ギャルビン! ギャルビン騎士団か……なるほど、あいつはヘンナマリとは遠い親戚ね……敵襲! 皆戦闘態勢に入れ!」
と山賊たちに大声で叫ぶ。
「生き残れたらアルゼリオンの爵位と旧領の復帰を約束するわ! 一生山賊で終わるか、誇りある騎士として貴族に復帰するか、今ここで決めなさい! ……いいわよね、ミーシア」
「え、うん、いいよ、まかせる」
あっさりと答えるロリ女帝陛下、まあ当然だ、下手すりゃすべてが終わるかもしれないのだ。爵位や領地の一つや二つ、どうってことない。
山賊たちは慌ただしく武装を整える。
しかし、三〇〇か、ヴェルと俺がいれば、なんとかなる……かな?
いや、楽観視は禁物だ。
「キッサ、それだけか? 他にはいないか?」
「見てみます!」
キッサは目を見開き、ぶつぶつと口の中で呪文を唱える。
かすかに残る炭火、その明かりで、キッサの白くて長い髪が、汗で額にはりついているのが見えた。
キッサはしばらくいろいろな方向を探索し続けていたが、突然、ピタリと動きを止め、声をあげる。
「……いましたっ! 西北西、騎馬二百! 距離……五・五カルマルト、蛙の紋章!」
「カロル・ア・ミルテ・ヘイジ! あいつはヨキ殿下の子飼いだわ……北東と西北西ね、じゃあ南に向かう、そっちにはいないわね!?」
腰に剣を佩き、髪の毛を縛りながらヴェルが叫ぶ。
くるりと南方向に指先を向けるキッサ、その口から出た言葉は絶望的なものだった。
「南の方向、五カルマルト、騎馬四〇〇、星と花の紋章! 南西、距離四・五カルマルト、騎馬二〇〇、槍と竜の紋章!……」
険しい表情をして、ヴェルはいう。
「この辺――帝国の西側にはヘンナマリに従う騎士や貴族は少ないと思って油断してたわ。……その少ない騎士総動員じゃない……」
くそ、どうなってるんだ、もしかして俺たちは囲まれてんのか?
「おい、ヴェル、どうする、ぐるりと敵がいるみたいだが、東に向かって街道を戻るか? ……キッサ、東の方向、深いところまで探ってくれ」
「わかりました」
キッサが東を向く。
短時間の間に法術を使いまくっているせいなのか、少し肩で息をしている。
「……キッサ、そっちはどうだ?」
「これは……かなり……まずい状況です……」
「結論だけ頼む」
「はい、すみません……騎馬二〇〇〇……王冠に二羽の鳥が止まっている紋章……十カルマルトほど先です」
聞き間違えかと思った。
だが間違いなく、キッサは二〇〇〇、といったのだ。
「二〇〇〇!? まじかよ、それに王冠に二羽の鳥、ってそれって……」
ヴェルが頷く。
「そうね、第二軍の紋章よ。数からして、第二軍から騎兵旅団を引っこ抜いてこっちに向かわせたんだと思う。となると旅団長はヘルヴィ・テ・イルタか、やっかいよ。ヘンナマリのやつ、機動力のある騎士団と騎兵、動かせるものは全部動かしてまっすぐこっちに差し向けるなんてこれは……」
くっそ、なんだこれ。
「完全包囲じゃねえか……俺たちの場所、知られてるっぽいな」
「そうね、そう思うわ……こうなったらどこか一つを突破するしかないけど……ここの場所が悪すぎるわ、こんな隠れるところもない草原の真ん中で二十人もいないこの人数。千人単位の軍を相手にするには厳しいわね」
「でももう悩んでる暇はないだろ? どうする、馬車は捨てていくか?」
ヴェルは俺の顔をじっと見て訊く。
「あんた、馬に乗れる?」
「……いや、乗れない」
乗れるわけねえじゃねえか、現代日本人で乗馬経験あるやつなんてそうそういねえぞ!
「ミーシアも、遊び用のポニーならともかく、こんな暗闇の中、軍馬をのりこなすなんてとても無理だと思う。馬車を捨てて騎馬で逃亡するのは難しいわ」
俺とミーシアをそれぞれヴェルと夜伽三十五番が二人乗りで……いや無理だな、戦闘能力のある二人が、どっちも二人乗りだなんて安定性にかける。
ヴェル以外の人間に、皇帝陛下を二人乗りさせるなんて、ヴェルが許さないだろうし。
「なら、俺は三十五番と一緒に御者席に座る。二人分の座席はあるみたいだしな。陛下とキッサとシュシュ、あと人質は馬車の中、キッサは見えたものがあったら逐一俺に報告してくれ。ヴェルとあいつら――そういや、名前なんだっけ」
「プネル・ロジェ、とかいってたわ」
それが柔道部員そっくりな山賊の首領の名前か。
ああくそ、名前が次から次へと出てきてわけわからなくなってきたな。
人の名前を覚えるのはもともと苦手だっつーのに、それが横文字ともなるとなおさらだ。
そろそろ人物一覧表がほしいぜ。
「じゃあヴェルはその、えーと、プネルと一緒に騎馬で馬車の護衛だな」
「そうね、そうするしかないわ。――ふん、どの敵からやっつけてやろうかしらね」
ペロリと唇をなめるヴェル。
ついさっきまでの、『女の子』なヴェルはいなくなり、戦いの中を生き抜いてきた『騎士』の顔になっている。
さて、どうするか。
囲まれてるこの状況、最も弱い部分から各個撃破していきつつ、逃亡するしかない。
とはいえ、馬車を使うなら、街道から外れるわけもいかない。
とにかく街道を西に行くしかないわけだが、それでは結局、騎馬の集団に南北から挟み撃ちにあうだけだ。
「なにか、策はあるのか?」
とヴェルに訊くと、
「策もなにも。あたしたちは走る、目の前に敵がくる、やっつける、さらに走る。それだけよ」
あ、駄目だ、こいつ脳筋だ。
対人ネトゲで鍛えた俺の勘が告げている、その通りにしたら囲まれた上に消耗戦になって、ヴェルと俺の法力が尽きた頃に第二軍の騎兵旅団とやらに蹂躙されて終わりだ。
「何を考えこんでるのよ、数十の戦争を勝ち抜いてきたあたしの勘がいってるのよ、この地理状況、この人数、策を弄する隙なんかないって! 時間がない、行くわよ!」
いや。
それでも。
何かはできるはずだ。
帝国随一の実力を持つヴェルといえど、数百の騎馬を引き連れる騎士団、その四つの集団に囲まれたら……。しかも、東から二千人の大兵力も迫ってきている。
待て、そういや、ヴェルは自分でもいっていたが有名人だったな。
「ヴェル、追ってきている騎士団の騎士と面識はあるのか?」
「そりゃもちろん、少しはね。ジュリーやカロル、それにヘルヴィとは共同で敵と戦闘したこともあるわ」
なるほど、ヴェルのことをきちんと知っているやつがいるならやりようはある。
「本気じゃなくてもいい、あの火球……火山弾とやらを、空に放てないか?」
「はあ? なんのために? わざわざあたしたちの居場所を知らせる必要があるの?」
馬に鞍を乗せながらヴェルがいう。
「――ある。そのジュリーやカロルってやつ、馬鹿で勇猛か?」
「ジュリーはクレバーな印象があるわね、カロルはどっちかというと臆病かも。あとの二人の騎士はよく知らないけど」
「それだけ聞ければ十分だ、頼む、法力を消耗しない程度にヴェルの火山弾を見せつけてやってくれ」
「――あ、なるほど、ね。ピンときたわ」
この帝国は、完全な中央集権ではない。
キッサに聞いたところによると、皇帝の直轄地は領土の半分程度で、あとの半分は上級貴族の荘園、それにヴェルみたいな地方領主の領地だ。
地方領主――というか、封建領主、といっていいと思う。
封建領主ってのは、その領地内のほぼ完全な支配権を持っている。
日本の大名みたいなもんで、もちろん各自、領地に応じた軍事力を保持していて、君主の命令があればそれを動員して馳せ参じる義務がある。
古い日本の言葉でいえば、『いざ鎌倉』ってやつだな。
でだ。
第二軍の騎兵旅団はともかく、他の四つの集団はひとつの意志の元に動いているわけじゃない。
それぞれが騎士という地方領主に飼われた、独立した集団だ。
ジュリーもカロルも、自らの領地で自らの軍事力を養っているわけで、それぞれがそれぞれの意志で動いている。
何がいいたいかというと、つまり。
「我を加護せしプルカオスの神よ! 我に怒れる大地の力を分け与えよ!」
ヴェルの詠唱とともに、バレーボールほどの溶岩でできた火山弾が浮き上がり、
「行け!」
という、ヴェルの号令に従って、その火山弾は爆音とともに闇夜の中、燃え盛りながら飛んで行く。
うん、これなら遠くからでも見えたはずだ。
「キッサ、どうだ?」
「…………騎士団の動きが、止まりました! 西北西、カロルの騎士団は方向転換して退がるみたいです……これは……?」
思った通りだ。
自他ともに認める、帝国最高の実力を持つ騎士、ヴェルがここにいるのだ。
とはいえ、今このときにおいては、ヴェルは自分の騎士団を率いているわけじゃない、一人だ。
数にまかせて同時に襲いかかれば、そうそう負けることはない。
だが、ヴェル一人といえども、その実力を知っている者なら、彼女と戦えば兵の損耗は避けられないことくらいはわかるだろう。
火山弾を見せつけることで、『ヴェルがいるかもしれない』程度の情報はあったかもしれない四人の騎士は、『ヴェルがいる』ことを確信した。
クレバーだったり臆病だったりするやつなら、次にこう思うだろう。
『自分が一番にぶつかって損害を被る必要はない。別のやつにその役をやらせて、自分はおいしいところだけ奪えば良い』
なにしろ、率いている兵隊は国から支給されたものではなく、自分自身の財産だからな。
情報の錯乱している反乱の最中、ヘンナマリのいうとおりにはしてみたが、その行為にどこまでの正当性があるのか疑っている、という可能性もある。
多大な損耗や犠牲を被るリスクと、俺たちを捕縛、もしくは殺す利益とを秤にかければ、及び腰になるのも当然だ。
できれば軍使でも出してこちらに寝返らせるのがベストなんだが。
なにしろ、ヘンナマリ派とはいえ、独立した領主だからな、利害を説けばそれができる可能性もある。
せめて一日程度の猶予があれば、それを試してみる価値はあっただろう。
だが、帝国の第二軍は、将軍たるリューシアこそ俺が殺したが、現在はヘンナマリの直接の命令で動いているはずで、つまり俺たちを確実に『殺し』にきている。
その第二軍の騎兵旅団がわずか十キロまで迫ってきているのだ、残念ながら寝返り工作をする時間的余裕がない。
「キッサ、どうだ、騎士団の動きは?」
「南西の、槍と竜の紋章の騎士団だけ、こちらに向かって再び動き出しました」
悪くない展開だ、各個撃破にはもってこいだな。
「よし、じゃあ行くわよ!」
ヴェルがひらりと馬に跨る。
俺と三十五番は馬車の御者席へ、ミーシアとキッサ、それにシュシュが馬車に乗り込む。
おっと忘れちゃいけない、プネルの妹、つまり山賊の首領の妹だ、そいつも馬車に押し込む。
うーむ、人質をとって敵と戦わせるとか、戦国の世ではよくあることではあるが、ものすごく悪人っぽいよな。
ま、戦争においては正義も悪もない、勝った方が正義をつくるのだ。
「よし、出せ!」
俺の声とともに、夜伽三十五番が馬にムチを振るう。
馬の嘶きとともに、馬車が動き出した。




