27 雷炎
わずか半径一メートル、キッサの作った法術障壁に守られていなかったら、俺たちはとっくに丸焦げになっていただろう。
飛竜の火炎が俺たちの周りを包み込んでいる。
「く……! 炎の勢いが強すぎます……! このままでは……!」
事前にキッサが言っていた通り、彼女の障壁は飛竜の攻撃を完全に防ぐことが難しいみたいだった。
じりじりと皮膚が焼かれる感覚。
俺はニカリュウの聖石を握りしめた拳を振り上げ、燃え盛る火炎を光のムチで切り散らす。
ヴェルはさすが帝国第一の騎士、その身体を覆っている法術のオーラは飛竜の火炎を寄せ付けない。
とはいえ、彼女はそもそも飛竜など眼中にないようだ。
「リューシア! よくもヴァネッサを……! 殺してやる!」
金髪女騎士の碧い目は、従姉妹の仇であるリューシアを睨みつけ、剣先を振るって火山弾を打ち出している。
「ああ……ヴェル……綺麗だよ、ボクは君の闘う姿が大好きなんだ」
ヴェルの攻撃をサソリの尾で振り払いながらリューシアが言う。
いまやリューシアの臀部からは巨大なサソリの尾が、さながらヤマタノオロチのごとく何本も生えている。
あまりにおぞましい姿。
毒々しい色をしたサソリの尾は、薄紅の髪色をしたボーイッシュな少女には全然似合わない。
リューシアは、そいつをブンブンと振り回しながらゆっくりとこちらに歩いてくる。
グレーの瞳からは何の感情も読みとれない、まるで人形だ。
だけど口角はわずかにあがっている。笑っているようにみえなくない。
その言葉通り、リューシアはヴェルとの戦闘を楽しんでいるのだろう。
俺は俺で飛竜の火炎を振り払うので精一杯だ。
キッサにぴったりと身体をくっつけ、半径一メートルしかないキッサの障壁から出ないようにしながら、俺は二匹の飛竜が交互に吐き出す炎を光のムチで必死に切り裂き続ける。
と、突然。
俺の身体に抱きついて震えていたシュシュが、どこかを見てぼそっと呟いた。
「え? シュシュ、お前なにか言ったか?」
「お兄ちゃんの、武器……」
シュシュの視線の先をちらりと見ると、そこには焼け焦げた黒い何か。
……俺の、営業カバンだ。
まああんなもの、放っとけばいい。
この世界で役に立つものは何も入っていない。
財布も入ってるけど、日本円を渡して飛竜やリューシアが攻撃をやめてくれるわけもない。
まあそもそも、金で解決できる状況じゃないしな。
「シュシュ、いいから俺に……ってか、キッサにくっついてろ!」
「……うん……わかった……」
じっと営業カバンに視線を向けつつも、シュシュはそう返事した。
俺とキッサは飛竜の火炎に焼かれぬように死に物狂いで抵抗する。
飛竜の火炎攻撃が、一瞬だけやんだ。
リューシアと闘いながらもヴェルはこちらのことを完全に忘れていたわけではないらしい。二匹の飛竜に向かって牽制の火山弾を発射したのだ。
「グガァ!」
飛竜たちは慌てたような声を出して空中で身をよじり、それをかわす。
そのようすを見る限り、ヴェルの攻撃が当たりさえすればダメージを与えられそうだ。
つかの間の……といっても本当に数秒のことだろうが、俺とキッサはかろうじて一息つくことができた。
「ジリ貧ってやつだな……」
俺が言うと、キッサは、
「ええ。私達だけで飛竜を倒すのは難しそうです……。もう、騎士様頼りかもしれません」
そうかもしれない。
ヴェルがリューシアを仕留めてこんどは飛竜に狙いを定めてくれれば、こちらの方が有利になりそうだ。
くそ、情けない。
俺は男だっていうのに、戦闘で女の子の力に頼らなければ何もできない。
そもそも、キッサの作る障壁がなければとっくに炭になっていただろう。
「ちくしょう、決め手がねえ……飛竜に攻撃が届かねえぜ」
不用意な一言だったかもしれない。
だけどまさか、それを聞いた九歳の女の子が、こんな突飛な行動に出るとは。
「お兄ちゃん、私、あの武器とってくる!」
「はぁっ!?」
一瞬、シュシュが何を言っているのか、俺にはわからなかった。
だから、シュシュが俺の身体から離れて、黒焦げの営業カバンにむかって走りだすのを止めることができなかった。
「よせっ!」
シュシュの服をつかもうとした俺の左手はむなしく空を切る。
失敗した。
もっとはやく誤解を解いておくべきだった。
あれは武器じゃない、本当にただのカバンなのだ。
キッサと闘った時、たまたま振り回したカバンがキッサの頭部にクリーンヒットしただけであって、飛竜や帝国の将軍であるリューシアと闘うにあたってなんの役にもたたないものだ。
だけど、後悔してももう遅い。
銀髪を揺らし、シュシュは一直線にカバンにむかって走って行く。
「バカ、シュシュ!」
「シュシュ、戻りなさい!」
俺とキッサが同時に叫び、そしてシュシュを追って走りだす。
くそ、シュシュめ、わりと足が早い!
しかも。
法術の使用は、俺の想像以上に俺から体力を奪っていた。
俺の足が、思うように前にでない。
それはキッサも同じようで、わずか九歳の女の子に追い付くことができない。
それどころか、俺とキッサは足がもつれてその場にへたりこんでしまった。
くっそ、法力を使うと、こんなにも体力を消耗するとは。
夢の中で何かに追いかけられて逃げたいんだけど、どうしても足が動かない、そんな感じとそっくりだ。
ちくしょう!
「うおおおおお!」
キッサの手をとり、大きく叫んで俺は立ち上がる。
俺たちがいた場所から十メートルほど先に営業カバンはあった。
シュシュがその焦げたカバンにとびつくように抱きつく。
その目の前には、生き残っていたステンベルギ――火を吐くプテラノドン――がいた。
「グギャァッ!」
ステンベルギが大きく口を開き、至近距離からシュシュにむかって火の玉を吐く。
くそ、間に合わない!
「ゴガァァッ!」
さらには飛竜がシュシュに向かって強力な火炎を吐いた。
駄目だっ!
くそ!
カバンを抱いたまま、ガタガタと震えるシュシュ。
その彼女に方向から火の玉と火炎が襲いかかる。
「シュシュー! 逃げてえぇぇぇ!!」
キッサの悲鳴。
次の瞬間、バチバチと稲妻のような光がシュシュを包んだ。
空気が爆ぜる音とともに、俺の視界は白い光で覆われる。
目が眩んで何も見えなくなる。
「いやあぁぁぁぁぁ!」
キッサが叫ぶ。
だがその光は、敵によるものではなかった。
稲妻はシュシュの身体を包みこみ、飛竜とステンベルギの攻撃を跳ね返していたのだ。
「バカあんた、何やってんのよ!」
いつの間にかシュシュのそばにいた紅い鎧の女騎士が、ゴツンと拳でシュシュの脳天をぶっ叩いた。
「いたーい! ……ごめんなさい」
素直に謝るシュシュ。
ああくそ、もう、かっこよすぎるぜ騎士様!
ヴェルはリューシアと闘っている最中でも、こちらの状況を冷静に見極めていたのだ。
さすが、俺たちとは戦闘の経験が違う。
飛竜が二匹同時に、ヴェルとシュシュに向かって火炎を吐く。
「我と契約せしプロテシイの神よ! 我の身体は雷雲なり! 我の生命と法力を糧に雷の刃を我に与えよ! 我を加護せしプルカオスの神よ! 我に怒れる大地の力を分け与えよ! 燃ゆる岩に雷の力を!」
ヴェルが叫ぶ。
同時に、彼女の周りに赤色のオーラが発生し、渦を巻くようにヴェルの身体を包み込む。
空気が震える。
リューシアが素早くサソリの尾のすべてを使って自らの身を守る体勢をとる。
飛竜も何かを感じ取ったのか、距離を取った。
ヴェルが剣を振りかぶる。
「わが剣の刃をなすカイラルの聖石よ! 我が法力にさらなる力を! ……いくぞ、我が生命の咆哮!」
帝国最強の女騎士は、一匹の飛竜に向けて狙いを定め、剣を打ち下ろしながら叫んだ。
「――雷炎火山弾!!」
数メートルは離れた俺の身体をもふっとばすほどの爆炎が巻き起こり、ヴェルの剣から直径十メートルはあろうかという巨大な火山弾が、帯電しバチバチと火花を爆ぜながらものすごいスピードで発射された。
「グガッ!」
狙われた飛竜は空中で進路を変え、避けようとする。その動きは機敏だった。
ヴェルの攻撃は命中しない、と思ったその時。
「行けわが生命!」
ヴェルの叫びとともに、火山弾が見えない空中の壁に当たって跳ね返ったかのようなありえない挙動で鋭角に進行方向を変えた。
その先には、もう一匹の飛竜。
最初からそちらが狙いだったのだ。
「グガァゥッ!?」
――下等生物ごときに……!
飛竜の叫び、だけどその言葉を最後まで聞くことはなかった。
渾身の火山弾は飛竜の巨大な身体に直撃する。
直後、飛竜の全身は強い電流に打たれて空中で大きく痙攣し、同時に激しく燃え盛った。
翼をばたつかせて苦しそうにもがいたのも一瞬、やがて飛竜の身体は灰になるまで焼きつくされた。
その灰はぱっと当たりに散らばって太陽の光を遮り、いっときのあいだ、周りが少し暗くなったほどだ。
そしてそのあとには何も残らない。
獣の民の国で、一匹倒すのに千人の討伐隊を要し、その半分の生命を奪ったという飛竜。
そいつを、ヴェルはたった一人で殺すことに成功したのだ。
「すげえ……」
感嘆して思わず呟いてしまった。
キッサも、
「まさかあれほどまでの力があるとは……でも、今のは法力を使いすぎたかもしれません……」
「ピンチのままってことか」
俺はキッサの手をとってなんとか立ち上がり、ヴェルとその足元でうずくまって震えているシュシュのもとへと走る。
ヴェルが俺たちの方を見て、
「あんたたち、このガキから目をはな……」
そこまで言った時。
ガキョン、と大きな金属音のようなものが響き――
ヴェルの口から、血が吹き出した。
「おいっ!? どうした?」
なんだ、なにが起こったんだ。
すぐにわかった。
俺たちの方を向いているヴェルの脇腹から、何かが生えていた。
毒サソリの尾の先。
背中を突き刺し、内蔵を切り裂き、そして腹部を貫通したそれが、ヴェルの脇腹から見えていたのだ。
ヴェルはゆっくりと振り向く。
「リューシ……」
「ヴェル、お見事だね。ボクだって一人で飛竜を倒せる自信がないよ。それをこんなに簡単にやっつけちゃうとは、さすがボクが惚れた女性だよ。でもね、さすがに法力を使いすぎたね。ボクのこんな攻撃にも気づかない、防げないだなんて」
冷たく無機質なハスキーボイス。
リューシアはグレーの瞳でヴェルの顔をじっと見つめる。
「この感触……ああ、ヴェル、君のお腹の中は、とってもあったかくて、気持ちいいよ……。残念だけど致命傷だね、君はもう助からない。せめてボクに、君が死にゆく表情をたっぷりと見せておくれよ」
ヴェルがガクン、と膝をつく。
大量の血液がヴェルの腹部から溢れだし、地面を濡らした。
ヴェルは黙って傍らのシュシュを抱き寄せ、
「エージたちが来るまで動くんじゃないわよ……あと数十秒くらいまでならあたしの法力であんたを守れる」と言った。
なんだこれ、くそ、こんな展開があっていいのかよ!
「……奴隷を守ろうとするなんて、ヴェルって結構博愛主義者なんだね」
この場にそぐわないほど冷徹な声でリューシアがそう言い、ヴェルの身体を刺し貫いていたサソリの尾をずるり、と引き抜く。
「てめええええええ!」
俺は大きく叫び、キッサを置いて走りだす。
ヴェルやシュシュのそばまでくると、リューシアに向かって光のムチをふるおうとしたその時――
「エージ様、私から離れては……!」
キッサの声が俺の耳に届いた時には、もう遅かった。
気配を感じて振り向いた時、俺の目の前にはステンベルギ――火を吐くプテラノドンがいた。
そいつが俺の背後から一直線に体当たり攻撃をしかけてきていたのだ。
もう、どうしようもない。
ステンベルギのくちばしは、俺の顔の前ほんの数十センチにあった。
反射的に腕で顔をガードし、光のムチで身を守る。
だけどそれもほとんど間に合わなくて、気がつくと俺は地面に叩きつけられていた。
ゴキッ、とどこかの骨が折れた音が身体を伝わってくる。
わけがわからないうちに、俺の身体は地べたにはいつくばることになった。
すぐとなりに、もはや力尽きて膝立ちの体勢も保てなくなってしまったのか、俺と同じく地面に横たわり、口から血を流すヴェルの顔。
その呼吸は絶え絶えで、もはや意識も残っていなそうだった。
そのヴェルの身体、そして俺の身体両方にすがりつくようにして、
「騎士しゃま! お兄ちゃん!」
シュシュの泣き叫ぶ声。
だがその声も遠い。
くそ。
腕に力が入らない。
あれ?
握りしめていたはずのニカリュウの聖石は……どこだ?
まさか、さっきの一撃でどこかに落とした!?
自分の右手を見る。
ない。
そこにあるのは、見慣れた自分の手のひら。
ニカリュウの聖石は……?
あんな、わずか直径数ミリしかないような小さな石を、こんな小麦畑で落としてしまったってのか。
「エージ様!」
遅れてきたキッサが、妹の身体を抱き、俺にすがりつく。
キッサに力を借りてなんとか上体を起こす。
リューシアと目があった。
くいっと首をかしげるリューシア。
上空には仲間を殺された飛竜が、怒りの咆号をあげて飛んでいる。
頼みの綱だったヴェルはもはや瀕死。
俺の法力を増幅してくれるニカリュウの聖石も失った。
あとは偵察能力に特化したキッサと、まだ九歳の幼女に過ぎないシュシュ。
「ヴェルと違って君の顔は醜いね、タナカ・エージ。でも、気が変わったよ。よく考えたら、男の標本なんてボクは持っていないからね。ヴェルは死んじゃうだろうから諦めたけど、君のことは生きたままボクの寝室に飾ろうかな」
俺の第二の人生は、一日もたたぬうちに、女の子たちを守れもせずに終わることになりそうだった。
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