24 甘噛み
俺たちはヘルッタの家から飛び出す。
空を飛ぶ魔物の群れはすぐそこまで来ていた。
ヴェルとリューシアが戦闘しているのは少し離れた場所だ。
ヴェルの剣が炎を上げ、リューシアの尾がムチのようにしなる。
はっきりいって、近づける雰囲気ではない。
それよりも、俺たちが相手にすべきは魔物どもだ。
ミーシアはヘルッタの家に隠れている。
そこからなるべく離れ、魔物を俺たちの方へと誘導する。
集落の人々はもう逃げ出し始めていた。
でも万が一にでも被害を出したくなかったので、流れ弾――ヴェルの火球が当たって防壁が崩れたところから外へと出た。
広々とした小麦畑。
鮮やかな緑色の小麦は、ひざ下のあたりの高さだ。
うーん、これは広すぎるかもな。
ここまで遮蔽物がないと、いい的にしかならないような気がする。
しかしある程度目立つところにいないとミーシアを匿うためのおとりにならないしな。
ん?
「おいシュシュ、お前それ……」
「うん、お兄ちゃん、お兄ちゃんはこれで闘うんでしょ? 私、持ってきてあげたんだ!」
褒めて褒めて、と言わんばかりの妹奴隷のシュシュ。
彼女が持っているのは、俺の営業カバンだった。
いやだからそれ武器じゃないから!
「ああそうよねシュシュ、私忘れてたわ。よくやったわね。その武器はこの私を一撃で昏倒に至らしめるほどの接近戦用武具なのよ」
そして妹を褒める姉奴隷キッサ。
だ、か、ら、武器じゃねーって!
キッサと闘った時は、振り回したらほんとにたまたまヒットしただけだっていうの!
あーもうめんどくせえな、まあいい、書類が入っている分厚いカバンだから、盾の代わりにはなるかもしれん。
などと思ってると、突然、キッサが俺に抱きついてきた。
「おわっ、なんだよ!?」
むにゅう、とIカップの柔らかなバストが俺に押し当てられる。
うはっ。
顎の力が抜けるほど気持ちいい!
キッサが俺に顔を近づけてくる。
まるでキスしようとしているかのようだ。
真剣な顔で、赤い瞳をじっと俺に向けている。
白髪の少女の甘い吐息を感じた。
「……エージ様、私から離れないで下さい。法術障壁を展開しました……が、本来私の得意とする法術ではありません。というかかなり不得意です。無理してやっています。……私の半径一マルトだけが障壁の有効範囲なんです。エージ様、それにシュシュ、常に私の身体に触れる距離にいてください」
「それは、どのくらいの攻撃を防げるんだ?」
「ステンベルギの攻撃程度なら何度かは防げるかもしれませんが、飛竜の吐く炎は……直撃なら絶対に防げないと思います」
なるほどね。
キッサは本来遠視や透視の能力者だけど、不得意な法術も使えないことはないってことか。
しかし不得意なだけあって、障壁の範囲はわずか半径一メートル。
得意としているなら宮廷法術士がマゼグロンタワーから展開してたという、帝都を覆うほどの障壁も作れるんだろうけど。
まあ、仕方がない、今持っている武器だけで闘わなきゃいけないのだ。
俺たちの真上で、魔物どもが旋回しつつ飛び回っている。
始祖鳥に似た魔獣、ゾルンバードと、そしてステンベルギ。
さらに、二匹の飛竜。
飛竜は、少し離れたところを飛び回っている。
様子見をしているんだろうか?
それにしても飛竜ってやつはでかすぎる、翼の端から端までで数十メートルはありそうだ。
遠くにいるはずなのに、そのあまりの大きさのせいで遠近感が狂いそうだ。
「飛竜は人間並みの知能を持つといいます……。ひとまず配下の魔物に攻撃させて、私達の力を見ようとしているのかもしれません」
「まじか、あいつ頭いいのかよ……」
ま、でも、一匹倒すのに千人の討伐隊が必要だったという飛竜が、今はまだ俺たちに攻撃してくるつもりがないというのには少し安心した。
とりあえず相手すべきなのはゾルンバードとステンベルギだ。
ステンベルギってやつは初めて見たけど、うん、恐竜図鑑でそっくりなやつを見たことがある。
猫型ロボットの大長編映画にも出てたなあ。
でかい頭にとがったとさか、大きなくちばし。
空飛ぶ恐竜、プテラノドンだ。
ただ、恐竜と違うのは――
「来ます!」
キッサが叫ぶ。
「ギシャア!」
不快な鳴き声とともに、ステンベルギが小さな火の玉を吐いたのだ。
西の塔で見た、流れ星。
その正体がこれか。
そのスピードからして、人間の動きではよけきれないだろう。
俺はキッサの身体にしがみつく。
シュシュも同じように姉に抱きつき、
「こわいい!」
と叫んだ。
うん、やべえ、まじこええ!
火の玉がぐんぐんこちらへと近づいてくる。
ああ、これと同じ光景、テレビで見たなあ、と思った。
スポーツニュースで、野球選手の放った打球がテレビカメラを直撃するビデオ。
あんな感じ。
ただ違うのは、今俺たちめがけて飛んでくるのは、ボールじゃなく火の玉だということだ。
どんどん俺たちに火の玉が迫ってきて――そして目の前数十センチ、死の予感で全身が震えたその瞬間。
――バチィィン!
激しい音が鳴り響いた。
キッサの作った障壁に、火の玉が弾き返されたのだ。
「キッサ、すごいじゃないか」
「ふふ、まあこのくらい……と言いたいところですが、かなりギリギリですね。このままではジリ貧です。こちらから反撃しないと……」
その通りだ。
でも、そうはいっても、俺の能力――攻撃的精神感応ってやつは、どのくらいの射程があるのだろうか?
精神感応の能力を底上げしてくれるというニカリュウの聖石を握りしめ、俺の数十メートル上空を飛ぶステンベルギを睨む。
やらなきゃ、殺されるだけだ。
しかも、俺だけじゃない。
キッサとシュシュの命もかかっている。
俺が死ねば、キッサとシュシュも死ぬ。
姉妹二人分の命。
落ちこぼれ営業マンだった頃の俺の命とは、価値が桁違いだ。
俺の命は俺だけのものじゃない。
そう思ったら不思議と全身に力がみなぎってきた。
「よし、俺がやる」
「エージ様、お願いします。守りは私がやります!」
キッサが俺に背中から抱きつく。
「エージ様、ごめんなさい、でもこうしておかないと障壁の外に出てしまったら大変ですから」
「ああ、ありがとな」
そこに、妹幼女奴隷シュシュが前から俺に抱きついてきた。
「お兄ちゃんこわいよお!」
「シュシュ、大丈夫だ、俺が――お兄ちゃんが、全部やっつけるからな」
ヴェルからきいた法術のコツを思い出す。
『感情を爆発させる』
ああ、爆発しそうだぜ。
だって今まさに俺の背中にさ、乙女のIカップが押し付けられているんだぜ?
ムニュムニュモニュモニュ。
あふぅっ、超気持ちいい。
おそらくこの世に存在する中で最も素晴らしい感触を今俺は味わっているのだ。
ついでに言うと、俺のみぞおちのあたりにシュシュが顔を埋めるように抱きついてきていて、九歳幼女の体温と心臓の音がダイレクトに伝わってくる。
あー幼女の身体ってぷにぷにしてるぅ……。
俺、今、美少女姉妹にサンドイッチされてるぜ!
これで感情が爆発しない男なんて、この世に存在し得ない。
まあ、感情というよりむしろ、劣情だけどな!
まあなんでもいい、やるだけだ!
ニカリュウの聖石を握りこんだ拳を上空のステンベルギに向け、俺は叫んだ。
「死ね!」
拳の先からなにかが放出される感覚があった。
俺の力が届いた――感触はあったが、ステンベルギはゆうゆうと飛行を続けている。
「くそ! 駄目か?」
と、背中から抱きついてきているキッサが俺の耳許で囁いた。
「大丈夫です、届いてます。少し外れただけです」
耳にキッサの吐息がかかってこそばゆい。
「そうなのか? くそ、自分でもわからねえ……」
「エージ様はまだ法術の訓練を積んでいませんから見えないだけです。かなり強い法力がきちんとエージ様の手から放出されてます」
「見えなきゃ狙いがつかん……どうすりゃ見えるようになるんだ?」
「一週間ほど集中して訓練すれば見えるようになると思いますが」
「はは、じゃあ今からあの魔物たちに言ってこようぜ、有給休暇とるから一週間だけここでそのまま待っていてくれって」
「ふふふ、生き伸びられたら私が手とり足取り教えて差し上げますよ。さしあたって今は、直接エージ様に私の法力を注ぎ込みます。いっときの間だけですが、それでエージ様にも見えるようになると思います。エージ様、少しだけ身をかがめていただけますか?」
「ああ、わかった、こうか?」
次の瞬間、ぬめっとした何かが、俺の耳に触れた。
「うわおい、なんだよ!」
俺の耳たぶに、キッサが吸い付いてきたのだ。
あったかくてぬるっとしたキッサの粘膜。
十七歳の少女の、柔らかい唇の感触、舌の先が耳のふちをそっとなぞる。
ゾクゾクっと背筋に震えが走る。
そしてキッサの歯の感触。
キッサの吐息が熱い。
え、俺いきなりなにされてんの?
美少女に耳をかじられてるんですけど!?
かじられてるっていうか、なんていうか歯で撫でられてるみたいな……。
あっ、これかっ。
これが噂に聞く、甘噛みってやつか!
俺今、かわいい女の子に後ろから抱きつかれて耳を甘噛みされてる!?
やっべ、生死をかけた戦闘の最中だってのに、いやだからこそ?
なんつーかこう……。
くそ、変なところがムズムズしちゃうだろうが!
まずいまずい、まだ九歳のシュシュが真正面から俺に抱きついているんだぜ、幼女が俺の身体の異変に気づいちゃったら教育上まことによろしくねえぞ!
などと馬鹿なことを考えていたら、突然、俺の心臓がバクバクし始めた。
いや、もともと恐怖と興奮でドキドキはしていたけど、それとはまた違う、外部の力で動かされてる感じ。
だんだんと全身が不思議な力に満たされてくるような気がした。
そして。
「おわ、なんだこれ?」
思わず声が出た。
特に視力が悪いわけじゃなかったのに、急に視界がクリアになったのだ。
離れた場所で剣を振るうヴェルの額の汗まで鮮明に見える。
こりゃすげえ……!
俺の耳から口を離したキッサが答える。
「私の能力のごく一部を分け与えたのです。ほんの数十分ですが、これでエージ様にも法力の軌跡が見えると思います。もう一度攻撃してみてください」
「ああ、わかった」
俺たちがそんなことをしているのを、魔物たちはじっと待っていた……わけがない。
漫画の悪役じゃあるまいし、敵はこっちがパワーアップするのを普通は待たない。
だけど。
敵に俺たちを攻撃させないようにしているのは、紅い鎧の女騎士、ヴェルだった。
自分に襲いかかってくるリューシアのサソリの尾をかわしつつも、ヴェルは剣先から火球を放出していた。
リューシアに向けて、ではない。
俺たちを狙う魔物に向けて、だ。
ヴェルと俺達の距離はおおよそ百メートルほど、リューシアと闘いながらだから狙いは正確ではないものの、牽制としては十分だった。
空飛ぶ魔物どもからヴェルが俺たちを守っていてくれたのだ。
実際、ステンベルギの放つ火の玉が何発か直撃コースで俺たちに向かってきていたが、ヴェルの巨大な火球がそれを吹き飛ばしていたし、始祖鳥の化け物、ゾルンバードが俺たちに近づこうとするたびにやはりヴェルの火球が邪魔をしていてくれた。
いやあ、騎士って、かっけーな。
「ヴェル! サンキューな! もういいぞ!」
大声で叫ぶと、ヴェルは俺たちの方を見もせずに軽く左手をあげた。
うん、まじかっけーな。
ちょっと感動した。
ヴェルの相手は帝国の第二軍将軍・リューシアなのだ。
自分だって戦闘で精一杯のはずなのに。
賭けてもいいけどあいつ、女しかいないこの世界でめっちゃモテてると思う。
まあ、ヴェルはそれが理由で自分を追いかけてきたリューシアと今闘っているんだけどな。
ともかく、俺は目の前の敵を倒さなきゃいけない。
キッサの法力が俺に流れ込み、ヴェルやリューシアが身にまとっている法力のオーラのようなものも目に見えるようになっていた。
魔物どもは俺たちをなめているのか、散発的にしか攻撃してこない。
ふと、思いついた。
あいつら、もしかして本気じゃないんじゃないか?
飛竜の知能は高いという。
なら、戦力を集中させ、一気に俺たちに攻めてくるのが普通だ。
だけど、そうしてこない。
それはつまり、本気じゃないということだ。
どういうふうにコミュニケーションをとっているのかは知らんが、きっとリューシアはヴェルと闘うにあたって、念のためくらいの気持ちで援軍を魔物たちに依頼したのだろう。
飛竜はそれを受けたものの、あくまで自分たちに被害が及ばない程度の攻撃しかしないつもりなんじゃないか。
だから、こうして上空から遠巻きにしてるんじゃないか?
特に、ヴェルには近づかず、ヴェルの取り巻きである(というふうに奴らには見えているだろう)俺たちだけに、単発の攻撃をしてきている。
ヴェルの戦闘能力を考えれば、ヴェルに対して本気で攻撃すれば魔物たちにも被害が出るだろう。
希望的観測にすぎるかもしれないけど、飛竜たちは本気じゃないんだと思う。
もしそうなら、勝機がある。
二匹の飛竜、それにプテラノドンそっくりなステンベルギが十、始祖鳥の化け物みたいなゾルンバードが二十。
一気にこられたらやばいが、一匹ずつならなんとかできなくはないはずだ。
ちょうど一匹のステンベルギが俺たちに近づいてきた。
そこに向かって拳を突き出す。
「いけっ!」
ステンベルギに向かって法力を放出する。
鮮やかなグリーンの光が見えた。
これが俺の法力か。
それは俺の拳から直径五センチほどの光の束となってステンベルギへと向かっていく。
その動きはレーザーというよりも、ムチそっくりだ。
曲線を描いてしなり、ステンベルギの羽をかすめる。
なるほど、こうなってたのか。
でもこれならかなりの範囲まで射程距離におさめられそうだ。
とりあえず、数十メートルの距離なら問題ない。
ステンベルギが大きく口を開け、火の玉を吐き出そうとする。
俺達に向かって一直線に向かってくるので、照準はつけやすい。
そいつに狙いを定め、もう一度。
「オルァッ!」
気合をこめてグリーンのムチを放つ。
光のムチの先端が、ステンベルギの頭部を直撃した。
「グギャ!」
断末魔の声をあげてステンベルギは失速し、そのまま小麦畑の中へと墜落した。
おそらく殺せただろうと思う。
「よし、次だ!」
今度は始祖鳥の化け物、ゾルンバードに狙いを定める。
ステンベルギは火の玉を吐くが、ゾルンバードにはそういう能力はないらしく、肉弾戦をしかけてくる。
つまり、体当たりを狙って急降下してくるのだ。
「オラッ! 死ねぇ!」
光のムチをそいつに向かって振るう。
今度は先端じゃなかったが、緑色の光の束がゾルンバードの身体を貫通する。
「ギャウッ」
その瞬間にはもう飛行体勢を保てなくなったらしく、ゾルンバードはきりもみ状態で地面に激突した。
うむ、コツを掴んだ。
やってみると案外簡単だ。
「よし、やれる! 戦えるぞ!」
「エージ様、すごいです! 精神感応の法術でこれだけの戦闘能力があるなんて……。初めて見ました! 私も負けてられません! エージ様はステンベルギを中心に狙って下さい! ゾルンバードは私が引き受けます!」
「ああ、頼んだ……って、どうやるんだ?」
「私達ハイラの民は、十歳になると魔物が魔界からこの世界に持ち込んだ魔石を飲み込みます……。一月にほんの一粒ずつ。それは体内に蓄積され、そして魔獣を操る力を得るのです。まあ、見ていてください」
ちょうど一匹のゾルンバードがまたもや俺たちめがけて急降下してくる。
キッサが叫ぶ。
「ダリュシイの魔石よ! 我の体内にて我の血肉を喰え! 魔に魅入られた獣よ、我は魔なり!」
だがゾルンバードの動きは止まらない。
そのまま俺達に向かって急降下し――だが直前で一度羽ばたきをして速度をゆるめた。
そのままゆったりとした動きで俺たちの足元に着地する。
「ギャウギャウ……」
甘えたような声を出してキッサの足に顔をすりつけるゾルンバード。
なるほど、こうして魔獣を操るわけか。
っていうか、ゾルンバード、まるで猫のようなかわいげな仕草でキッサにじゃれついてるが、その姿は始祖鳥なわけで、正直気持ち悪い。
あんまり近くによらないでくれ。
まあいい、この調子ならなんとかなりそうだ。
俺は光のムチをステンベルギに振るう。
何度もやっているうちに法力の使い方を身体が覚えたのか、だんだんと射程が長くなっていき、ついには俺たちを攻撃してくる個体ばかりでなく、上空を旋回する群れにまで届くようになっていった。
「ギュフウ!」
「ギョワッ」
一匹、二匹、三匹。
あっという間に仕留めていき、小麦畑に転がるステンベルギの死骸を増やしていく。
キッサの方も順調にゾルンバードを支配下においていって、いまやゾルンバードが五匹ほど、俺たちを守るかのように俺たち三人の周りをぐるぐると飛び回っている。
「エージ様、疲れてませんか?」
「いや、全然。キッサは?」
「私も、このくらいは。ハイラの民は魔獣を使った牧畜が生活の糧ですからね、慣れてます」
空飛ぶ魔物たちを見た時はどうなることかと思ったが、これならなんとかなりそうか?
いや、そんなはずはない。
今からが、本番なのだ。
「キッサ、そろそろあいつが来るか?」
「来ますね、二匹ともこっちをガン見してますよ」
そう、一匹討伐するのに千人を必要としたという上位の魔物、飛竜。
黒みがかった翼を広げ、確かにその目は俺たちをギロリと睨んでいる。
太陽はいつの間にか随分と高く昇っていた。
その陽光を背景にして飛び回る飛竜のシルエットはまさに破滅の象徴。
そして。
「ゴワアァァァァァっ!!」
空気が震動するほどの大きな雄叫びが、小麦畑を覆った。




