三話―現実は非常―
時刻は正午を少し過ぎた頃。
教室では仲の良いグループ同士で席を近づけ合い、和気藹々と弁当箱を広げて談笑していたり、または高校を入学して未だ一月を迎えるか否かといった僅かな期間でありながらも、極々少数の割合で存在するカップルが席を隣合わせ、または外のベンチで座り合って弁当箱を広げ合い、周りから羨望や嫉妬を多分に含む視線を浴びながらも桃色空間を生み出している、そんな時間。
つまりはお昼休み。
当然ながら教室には翔の姿はない。
別館校舎の裏手には壊れていたり、錆びていてもう使えなくなってしまった机と椅子が無造作に置かれている廃置き場が存在する。
危険だからとこの場所は、生徒の立ち入りは禁止となっているのだが、そんな場所に置いてある、まだわりかし綺麗な机の上に弁当箱を広げている一人の少年、翔の姿がそこにあった。
翔は入学した当初から、直ぐに生まれた紗結の取り巻き連中―男のみだが―にあからさまに煙たがられていた。
それは紗結と隣の席になったことが大きな理由だが、ただ理由はそれだけでない。
翔の性格上極度の人見知りとあがり症も合わさり、女子はもちろんのこと男子とも上手く会話をすることが出来ないでいた。
そうして時が過ぎていく中、翔以外のほとんどのクラスメイトは各々気の合った者同士集まり、友達となり、次第にグループが形成されていく。
その結果、取り残されてしまった翔は、紗結と隣の席という羨望や嫉妬心からクラスの男子達からはまず声を掛けられることもなく、そんな幸運過ぎる翔の事をまるで存在自体を否定しているかのように翔を避けるように関わろうともせず、そのまま時は過ぎ去り、翔はクラスに友達の一人も出来ぬまま現在に至っていた。
そんな状態で休み時間に教室に居続けるという。そんなこと、当然翔には無理な話だった。
なんせその取り巻き連中は翔の隣の席――綾瀬紗結の周りに集まるのだから。
必然的にその取り巻き連中から避けるために、休み時間は事ある毎にトイレで時間を潰したり、無駄に廊下を歩き回ったりして時間を潰してきた。
しかし、昼休みも他の休み時間と同じように過ごす......いかに翔であってもそれはさすがに無理な話だった。
昼休みは普通の休み時間の三倍の時間がある。それはもちろん昼食を摂るということがその時間内に第一前提として組み込まれているわけで、昼食を摂らないという行為は後の授業を受けるに耐えること叶わず、すぐに断念。
また、昼食をトイレで摂るという行為も、大学生には便所飯という呼称が付けられる程にトイレで食事を摂る人達が結構いるみたいだと知ってはいた翔ではあるが、高校生の内に便所飯デビューするのには些か翔でも気が引けた。
そんな中、昼食を摂るのにいい場所がないかと校内を探し回っていた時、見つけたのがこの別館校舎裏の廃置き場だった。
環境としては、立ち入り禁止なだけあって壊れた机や椅子があって正直危ない。また、少し埃っぽく、古びた木の臭いも鼻に障る。
だが、それでもこの場所は翔にとっては願ってもない場所だった。
別館ということで授業の時しか使わない校舎で更にはその裏の立ち入り禁止の場所。昼休みにここに来る人なんてまずいなかった。
ただ一人の人物を除いては......
「よっ、おやじ~」
にやにやと悪い笑顔をしながら、そう翔に声を掛ける一人の美少年が現れた。
翔の唯一の親友、亮だ。
「おやじじゃないわ! ってかいつの間にかおじさんからおやじになってるし......むしろお前のその表情の方がおやじ臭いかんな!」
「ありゃ、こりゃ一本取られた」
なんて笑い合いながら冗談を言い合う二人。
何故ここに亮が来たかというと普段から翔と亮はここで一緒に昼休みを過ごしているからだ。
翔がこの場所を見つけた日、放課後に翔が亮をこの場所に案内していた。
「おおー! なんか秘密基地みてー!!」
すると、この場所を確認するや否や、亮は子供みたいに大興奮し、その日を境に翔と亮の二人はこの場所で共に昼休みを過ごすようになったというわけだ。
お互いに弁当のご飯を食べながら、話題は今朝の事になっていた。
「――そういやさ、朝茶化して聞き忘れてたけん、なんで朝っぱらからあんなにやけてただ?」
「そうそう、結局おまえ理由聞かなかったもんなぁ。まぁ、なんていうか......こんな俺にも春が来たってことよ」
「......え? もしかして綾瀬さんとなんか進展あったの?」
「おっ! 亮の割にはなかなか鋭いじゃないか! 褒めて進ぜよう!」
「翔おまえ、舐め過ぎやー!」
そう言いながら弁当箱を横に置くと、翔に擽り(くすぐり)の刑を処す亮。
「ひゃっひゃ、やめ、やめて......おぅ、俺が、悪かったから......ゆっゆっ、許してっ......」
翔は擽りが大の苦手らしく、必死に抵抗はするも、されどおかまいなしに続ける亮。
そんな楽しそうにじゃれ合う二人は、やはりどこかの腐の付く女生徒達には見せられない関係なのかもしれない。
閑話休題。
何故亮が、翔が紗結に恋心を抱いている事を知っているかというと、話は簡単で、翔は始業式の日に紗結に一目惚れをしたという事を紗結と雅也が幼なじみであると知ったその日に亮に明かしたからである。
そして、今でも翔が紗結に恋心を持っている事も当然亮は知っているのだ。
「んでー、どんな進展があったんだい?」
「はぁ、はぁ......ちょ、ちょっと待ってよ。笑い過ぎて、腹筋が......やばい」
亮は十分発散したのか飽きたのか、擽りを止めて翔へと話題を戻し、振られた翔は息絶え絶えに呼吸を荒くしながらも、なんとか昨夜の夢に関して、妙に現実実のある夢だった事、紗結がいつも通り隣の席にいた事、そして、初めて紗結と喋れた事等を詳しく語った。
亮は翔が話終わるまで何も口出しはしなかった。
しかし、翔が話し終え、それを確認し、うんうんと頷きながら一呼吸するために一拍置く。そして、
「うん、何かと思えば夢の話かーい!!!」
辺り一面に響くが如く、盛大に突っ込んだのだった。
その声量に面食らった翔だったが、しかし、これには堪らず翔も反論する。
「......いやいやいや! だから言ったでしょ! 普段見ている夢とは全然違ったんだって! もう......現実の綾瀬さんと瓜二つだったんだってば! しかも......最後に見せてくれた顔なんて......」
「あ~はいはい。すっごい可愛かったんでしょ? そりゃ大変よかったな。でもな、翔......現実を見ろ。それは所詮夢、なんだぞ?」
まるで失恋した相手を見るが如く、どこか憐そうな人を見る目で翔に言葉を送りつつ、亮は翔の肩に手を置いた。
「あ゛ーーもう!! なんでわかってくんないかなぁ! 普通の夢と一緒にすんなってば! そりゃ見てない亮にはわかんないかもしんないけどさぁ! ......いいよもう、わかってくんなくてもさ。また同じような夢見ても教えてやんないから!」
「あーあーはいはい、悪かった悪かった。言い過ぎたよ、うん。夢でもいいから......まぁ、また聞かせてくれよ、な?」
亮は手を擦り合わせながら片目を閉じつつ嘆願し、そんな態度に翔は小さく「......わかったよ」と、不承不承ながらに答えた。
そこでふと、そういえば朝方紗結に突然謝られた事を亮にまだ言ってなかった事を思いだす。
「そういやさぁ、朝HR始まる前に綾瀬さ......『キーンコーンカーンコーン』」
「やっべ、翔! 俺、次体育だから早く着替えんとだわ!」
翔は再びタイミング良過ぎる予鈴に言葉を邪魔され、亮はそそくさと弁当箱を片付けると、「ごめん先行く」と翔に謝罪しつつ、急いで走り去ってしまった。
「......んだよもう」
本日二回目となる上手い事邪魔してくる予鈴に悪態を吐きつつ、翔も残りのご飯をお茶で喉に流し込むと、弁当箱と机と椅子を片付け、この場を後にしたのだった。
◇◇◇
昼休みが終わるギリギリの時間に翔は教室に戻ってきていた。
そして、案の定というべきか、翔はちらちらと隣の方から視線を感じていた。
隣......というのはもちろん紗結である。
朝のHRの直前での事。
突然紗結から謝られた翔であったが、HR後もその後の休み時間も、もちろん翔はいつも通り席を外していた。
突然の謝罪から始まったわけだが、せっかく紗結から話し掛けられ、更には先程同様、ちらちらと紗結から視線を送られていた事に翔は気付いていた。
しかし、何故翔は紗結に反応しないかというと、朝のHR前に翔の鼻孔を襲った、髪の毛から仄かに香るシャンプーやら紗結の体臭やらの混じった脳髄をも刺激しそうな女の子特融の甘い香り。
そんな香りにやられてしまったことはもちろん、いつも以上に紗結の取り巻き連中から送られてくる今にも射殺しそうな鋭い視線の数々。
そんな視線の中で普段......いや、むしろ一度も紗結と会話したことのない翔が、いきなり紗結と会話なんて始めでもしたら、もしかしたら紗結の取り巻き連中に本当に殺されかねない。
......実際には殺されるなんてことはまずないだろうと思う翔だが、もし殺されなくてもこれからこの学校で生きていく事は叶わいだろうと思われる程の悲惨な目に遭う事など容易に想像できた。
翔はそう思うと背筋に怖気が走り、ひしひしと送られてくる視線に恐怖を感じていたのだった。
そんな恐怖があるために、翔は心中では紗結と話したい。それに、無視していて悪いな、とは思いつつも、それでも横から送られてくる視線に気付かないフリをし続けることに専念するしかなかったのだった。
◇◇◇
時刻は夕刻。背後を夕日に照らされながら歩く一人の影。
もちろん翔である。
翔は、紗結からの視線を昼休み後もちょくちょく感じていたが、結局最後までそれには応えられず、そのまま下校していた。
そんな翔の背には夕日が影を差し、どこか憂いが帯びていた。
翔としても、朝方紗結と話すと意気込んでいたのだ。
それに紗結からの視線に応えたかったし、何より突然の謎の謝罪の理由も知りたかった。
しかし、ただでさえ極度のあがり症である翔が紗結と話す事さえままならないというのに、更に何故かわからないが取り巻き連中の普段以上にまるで眼力だけで人を射殺すような鬼気迫る鋭い視線。そんな視線を背後に浴びながら紗結と喋るなんて勇気......当然翔に持てるわけがなかった。
その結果、紗結との会話は諦め、現在肩と視線を落としつつ、一人とぼとぼと歩く......そんな状態になっているわけだ。
また、何故登校時に普段一緒にいる親友の亮がこの場にいないかというと、亮はサッカー部に所属しており、もちろん放課後は部活である。翔は帰宅部であるため帰りはいつもバラバラなのだ。
「おーい雨音ー、ちょっと待てやー」
肩を落としながら歩く事十分程。家まで残り五分程の距離に差し掛かかり、近道となる公園をいつも通り抜けようとしたそんな時、後ろからそんな声が聞こえてきた。
翔は訝む表情を浮かべながら背後を振り返ると、そこには翔と同じ制服を着た男四人組がいた。
悲しいかな、亮以外に友達と呼べる友達が同じ高校にいない翔であるため、自分に声を掛けてくる人物など想像出来ず、一瞬誰だと疑問に思いながらも立ち止まる。
翔に近付いてきた四人組から送られる鋭い視線と、その姿形から、クラスメイトなのに未だ名前自体知らない翔。それでも紗結の取り巻き連中の中の四人であることは理解出来た。
翔に声を掛けてきたのはこの四人グループのリーダー的存在でもある堂島淳史。翔の頭一つ分は抜きんでている程の長身で、尚且つガタイがしっかりとしている、短髪で顔のごつごつとした少し強面の男。
淳史に続き、翔へと歩を進めるのは久保田健、郷田太郎、上島貴志だ。
健の身長も淳史並の長身だが、痩せぎすなため見た目ひょろっとした感じの体躯。その顔は眉毛をこれでもかと細くし、茶髪で無駄に襟足を伸ばしている、如何にもチャラ男です風の男。
太郎は翔の頭半個分程高い身長か。しかし、ふくよかな体躯からだいぶ大きく見える。坊主頭で淳史に負けないくらい強面に見えなくもないが、普段から眉間に皺を寄せて頑張って粋がっている、実にこの年頃の男の子に多い性格の持ち主。内心は小心者だということは内緒だ。
貴志は逆に翔より頭半個分程低い、小柄な体躯。それでも怖いもの知らずで負けん気が強い。少し出歯で小さい事からそのまんま『ねずみ』と呼ばれている。
そんな四人から鋭い視線を浴びせられ、翔は額から頬にかけて、つー、と嫌な汗が流れるのを感じた。
今日一日送られ続けていた、殺気の籠った鋭い視線を思いだし、まず間違いなく今からよくない事が起きるだろうと翔は察した。
そして、今から起きるだろう状況を想像してまず耐えられるわけがないと判断した翔は、反射神経なのか、危機管理が警鐘を鳴らしたのか、くいっと百八十度身体を回転し、その場から逃げだしたのだった。
「......おい! 待てやこらー!!」
淳史がそんな翔に一瞬唖然とするも直ぐに我を取り戻し、怒声を張りながら走りだす。それに続き三人も翔を追いかけ始めた。
(なんでこんなことになってんだよー! 意味わかんねー!!)
翔は現在自分が置かれている状況が全く理解出来ず、心の中でそう叫びながら恐怖に震える足をひたすら動かし、必死に逃げるしかなかった。
翔は家路への近道の公園の中へと駆け抜ける。
しかし、運動神経が別段いいわけではない翔が四人から逃げるきる事は叶わず、小さくて素早いねずみこと上島貴志からの飛び蹴りで顔から思いっきり地面にダイビング。そのまま地面を滑り、顎や掌、膝とあちこちに擦り傷をつけつつ、翔は敢え無く四人に捕まってしまったのだった。
「はぁはぁ......手間取らせやがって」
「はぁ......全くだ、雨音のくせしやがって」
「ふぅ......とりあえずここだと目立つし、あっちの便所の裏とかに連れて行こうよ」
「だな。ほら、立てや。向こう行くぞ」
四人は少し息を荒げながら悪態を吐きつつ翔を起こし、両腕を健と太郎の二人ががっしりと掴まえると、翔の抵抗虚しく、公園のトイレの方へと連れていかれるのだった。
翔と亮は本当はそっちの関係じゃなのか......?
そんな風に思っちゃいますね。
そしてなんだか嫌な雰囲気が迫ってますね......