二十二話―その夢は終わりを迎えようとしていた―
すみません。これで一章終わりにします。
--目の前に映るはチョークの跡がうっすら残る黒板
--端の少し欠けた木の板と軽く錆び付いた鉄で出来ている机と椅子
--後ろの方では聞き慣れたクラスメイトの楽しそうな笑い声
--そして......隣には......
--翔が恋する紗結の姿......
「雨音くん、こんばんは」
(うおっ!? びっくりした!!)
頬を朱色に染めながらも優雅に挨拶する紗結のお出迎えに、翔は目を見開き驚愕の表情を浮かべる。
それでも、ここ最近この夢を通して毎日紗結と共に過ごしてきた経験や、今日一日紗結と共に楓とも関わってきたという実績からか、翔はその挨拶に顔を伏せることなく、視線を明後日の方向にするだけで抑えられたのは翔が日々成長しているという表れであろう。
◇◇◇
HRで班決めが終わった後のこと、翔は紗結と班が二分の一の確率で別になってしまったことに落ち込みつつも、帰路へと向かっていた。
ここで幸運だったのは、翔は紗結のことで頭がいっぱいで完全に淳史のことを忘れたまま帰宅していたのだが、この日は結局淳史に絡まれることは無かったことだろう。
そして、少し落ち込みながら肩を落とし、とぼとぼと帰宅した翔。どこか上の空で食事・テレビ・風呂を済ませ、そして日課である妄想をしながらそのまま眠りに着いたのだった。
◇◇◇
「今日はなんだかいろいろあったね~」
翔からの返事もないまま、紗結は何が楽しいのか翔にはわからなかったが、にこにこと微笑みながら翔へと語り掛けていた。
寝る前のうなだれていたお前はどこに行ったんだと誰かから突っ込みが入りそうな程に翔は気分が好転し、紗結が隣にいると興奮しながらその表情をちらちらと横目で捉え、その子供っぽい可愛さに胸がぎゅーっと締め付けられるような感覚を覚えていた。
(なんだよもう.......いつにも増して、可愛すぎるよ.......)
それが翔の正直な感想だった。
そんな翔の内心など、まるで気付いていない様子の紗結。
小学校六年生の頃から長年この夢の中で何も答えない翔に対し、永遠と話し掛けるという偉業を成してきた紗結である。もう返答のない翔の姿など慣れたものなのだろう。相変わらずにこにことしながら、うんともすんとも返事のない翔へと更に言葉を続けていた。
「この夢を雨音くんが一緒に過ごしているんだもんね......ふふっ」
顔を紅潮させながらもじもじとし始めた紗結。ちらちらと見ていたはずの翔だったが、更に可愛らしい行動をし始めた紗結に、どうやら限界を迎えてしまったのだろう。まるでプシューという音が聞こえてきそうな、熱を帯びたヤカンのように顔を火照らせた翔は、到頭顔を机に伏せさせてしまった。
「あっ!......そういえば......」
『やばいやばい可愛い可愛い』と、顔を伏せながら心の中で叫んでいた翔だったが、ふと思い出したかのように呟いた紗結のその言葉に自分の世界から脱出し、直ぐにその言葉に耳を傾ける。
しかし、暫くしても言葉の続きが始まらない。訝しんだ翔は、横目で紗結の表情を覗き見る。
先程まで子供のように楽しそうな表情を浮かべていた紗結だったが、今はその表情を複雑な表情に変えていた。
聞きたい.......けど、聞きづらい......。でも、知りたいし........迷惑かもしれない......。
でも、協力出来るのならば.......したい。そんな風に口を開きかけては止め、開きかけては止めを繰り返し、紗結も翔の顔をちょこちょことちら見しては様子を窺っていた。
どんな仕草でも可愛くすることが出来る紗結のことを尊敬し、また、そんな紗結をまるで恋人のように間近で、しかも二人だけの空間で見られることを本当に自分は幸せだなと感じながらも、しかし、いつまでも黙って顔を伏せているのは失礼だよなと今更になって思った翔はその顔を上げる。その際、少しでも紗結を見ようと表情を覗き込むと偶々紗結と視線が交わり、お互いに顔を背けてしまう。
顔を赤くしながら背け合って沈黙する二人。
(.......顔を上げたのだから自分が喋らないとだよな......)
(あぁ......どうしよう......、絶対私が途中まで話し掛けた続きを待ってるよぉ......)
お互いがお互いに、自分が喋らなければと思いながらも中々その一歩が踏み出せない。
そんな二人の状況を読んだのか、はたまた偶然なのか、二人の後ろ席の方から奇声が上がる。
「さー、ゆーーー!!」
そして、その声と共にどたばたと走りながら、そのままの勢いで紗結へと抱き着く楓。
「えっ!? かっ、楓ちゃん!? 今日も!?」
突然の来訪者に驚きの表情を隠せない紗結。まさか楓がまたこの夢に現れるとは思わなかったのだろう。
そんな紗結の言葉にじと目を向ける楓。楓としては、またこんなファンタジーのような体験が親友の紗結と出来たことに珍しく大興奮している。それなのに、紗結から返ってきた言葉から察するに、どうやら紗結の方はそうでもないらしいことが伝わってきたのだ。思わずじと目も向けてしまうのもしょうがないことだろう。
「.......何よ、紗結。私.......お邪魔だった?」
「そ、そ、そ、そんなことは......ない......よ?」
「なーによ、その間はー!? しっかりこっち見て言いなさーい!!」
楓は意趣返しのつもりで意地悪く紗結にそう尋ねたのだったが、紗結は楓と目を合わせない用に視線を彷徨わせ、言葉を詰まらせながら怪しい否定をする。その様子に楓の怒りのボルテーシは上がり、紗結へと言葉を投げ掛けながら自然と翔を睨みつけていた。
(......えっ!? なんで俺、睨まれたの!?)
突然自分へと矛先が向かってきたことに、自分の非が全く認められない翔は、その理不尽な飛び火に困惑する。
(いや、そんなことよりもだ。
また、桐崎さんが出てきたのは本当......驚きだ。
......なんでなんだろう?
それに、いったい.......さっきからなんなんだ!? 綾瀬さんが.......あまりにも可愛すぎる! .......なんだよあれ!? いつもあそこまでヤバかったか!? いや、やばい可愛さなのは始めからなんだけどさ......
それに......、あんな態度取られると、馬鹿な俺は自分に気があるのかも......とか、まぁそんなことはありえないのは理解してるけど.......、思わず勘違いしちゃいそうになっちゃうよ......はぁ.......)
楓がこの夢にまた現れたことへの驚きや、紗結の今までにないくらいの可愛さ。そして、まるで自分に気があるのではないかという素振りに翔は一瞬興奮するも、自分という人間をしっかりと認識しているため、まずそれはありえないだろうと内心で深い溜息を吐くのだった。
「はぁはぁ.......、か、楓ちゃん.......もぅ.......無理.......」
そうして翔が意識を二人から外している間、紗結と楓の二人の間に何があったのかは翔には全くわからなかったのだが、紗結の息絶え絶えに言葉を漏らすその姿に、翔は何を想像したのか、翔の血が.......遺伝子が.......踊り狂い始めた。
しかし、さすがにそんな興奮状態で二人の前に居るのはヤバいだろうと翔にも理解出来た。翔は何としても今にも鼻血が噴き出てしまいそうなこの興奮状態を止ませようと、深い深呼吸を始める。
しかし、やはり翔も男の子である。深呼吸をしながらも紗結の表情からは一切視線を逸らすことはなかった。鼓動が落ち着くまでその幸福な時間を楽しんだのだった。
紗結と翔、二人が別々の興奮を落ち着かせた頃、楓は紗結を十分に可愛がったのか、その顔に『余は満足だ』といったような表情を浮かべながら、言葉を紡ぎ始めていた。
「それにしても.......ほんと、なんでわたしがここにいるんだろうね?」
楓は紗結と翔の二人を眺め、本当に何でなんだろうといった不思議そうな顔をしながら、首を傾げていた。
「んー.......なんでだろうね.......? わたしもなんでこの夢を見るようになったのかわからないし.......」
「いやいや、それは紗結とか.......ううん、なんでもない.......」
翔は首を傾げる。
紗結はどうやら本当に思っているのか不思議そうに小首を傾げ、唇を尖らせながら紡ぐ言葉に、楓は否定の言葉を述べようとするも、ふと翔へと視線を向けたかと思うと、その言葉を途中で止めていた。
「んー? 楓ちゃん、何かあるの?」
「ううん、大丈夫大丈夫」
「でも.......、なにかあるんじゃ.......」
.......ないの? と、返したかった紗結だったが、突如紗結の頬を楓が両手で挟み、紗結はタコの口のような顔にされ、言葉を強制終了させられていた。
(うぉー! 何それ!? 何それ!? 綾瀬さん可愛すぎるよ!! く、く、く.......くーちびるーー!!)
紗結の艶やかな口元を見てしまった翔は、その唇に吸い込まれそうな程の勢いで興奮し、そのまま顔を俯かせた。小さな声で「くち.......くち.......くち.......」と呟き、完全に危ない人の完成である。
そんな危ない人は置いといて、紗結と楓の話は続く。
「まぁ、それはまた話そうね」
紗結の頬を抑えながらも優しく語り掛ける楓に、紗結はそのままの状態で頭を上下させる。
そして、楓は翔を気にしてなのか、紗結の耳元に自身の顔を近づけると、何事か紗結へと囁き、紗結は一瞬顔を赤くし、そして、表情を強張らせる。
紗結へと何事か告げた楓は、この後はわたしは見守るよとでも言うかのように腕をクロスさせ、一歩後ろへと歩を下げた。
そんな二人のやり取りに気付いていなかった翔だったが、やっとのことで現実へと復帰し、そして二人が自分に視線を送っていることに気付く。
自分の壊れた姿を見られていたのかもと焦り、冷や汗を頬が伝う。恐る恐る二人に視線を送ると楓は普段学校で見るような凛とした姿でこちらを眺めていた。
一方で紗結はというと、どこか真剣な表情で何事かを考えながらこちらを見つめており、もしかしたら自分に何か大事なことを言うのかもしれないと翔は悟った。そうであるのならば、普段のように無視という名の顔を背ける行為をしないようにと心に誓い、先程の自分なんて直ぐに頭の片隅に追いやり、深く息を吐く。
紗結もまるで翔の準備を待っていたかのように、意を決した表情を浮かべると、翔へと言葉を紡ぎ始めた。
「あ.......まね.......くん、あのね.......、今朝も聞いたんだけど.......ね? その.......、雨音くんは覚えているのかなぁ.......って.......」
翔は言葉を返そうと決意していたものの、その話の内容に思わず首を傾げる。
今朝もそうだったのだが、覚えている、覚えていないと言われても、紗結と会ったのは始業式の時が初めてである。もし昔会っていたとしても、紗結のような美少女を忘れるわけがない。ならば紗結は何を言っているのか本当にわからない翔は首を傾げていたのだ。
その姿に紗結は悲しそうな表情を浮かべるがそれも一瞬。再び意を決したかのような表情をし、言葉を紡ぎ始めた。
「その.......小学六年生の頃なんだけどね.......? 日雪町の辺りでなんだけど.......覚えてない.......?」
自身なさげに発する紗結の言葉に、やはり見覚えの無い翔は申し訳なさそうに首を横に振る。その翔の様子に、紗結は堪えきれなかったのか、目に涙を浮かべ始めていた。
「雨音くん.......あんた.......それ本当なの?」
親友の辛そうな姿に黙っていられなかったのか、傍観者を決めていた楓は少し眉根を寄せると、きつい口調になりながら翔へと言葉を投げ掛けていた。
翔自身、紗結を悲しませるなんてことしたいわけがない。そんなことをする奴がいたらぶっ倒してやるとも心の中だけでなら啖呵がきれる。それが今、何故かはわからないがどうやら自分が紗結を悲しませているのは状況的に明白だった。
それでも身の覚えのない事を覚えているという嘘を付くことはどうしても憚られた。やはり、好きな女の子には正直でいたい。それが翔の気持ちだったからだ。
翔は女の子、しかも好きな人を悲しませてしまう状況なんて初めてであり、どう対応すればいいかわからず、困惑の表情を浮かべたまま固まる。
そんな翔の姿に楓は「はぁ~」と、深い溜息を吐き、再び翔へと鋭い視線を送りながら言葉を投げ掛ける。
「路地裏、おっさん、少女、雅也.......、それで何か思い出せないの?」
楓のその関連性のない言葉を必死に頭の中で繰り返すも、やはり記憶にはない。そのため、言葉を返せず、やはり首を振るだけだった。
翔が申し訳なさそうな表情で視線を上げると、楓は呆れてものもいえないといった表情。
そして、紗結は本気で泣き崩れてしまっていた。
こんな状態になっても、やはり、どうしていいかわからない翔。ただただ狼狽する事しかできない。
そんな翔のことなど、もういないものとでも思うことにしたのか、楓は翔に見向きもせずに紗結の頭を胸に抱き、母親のような表情で優しく背中を擦り始める。
ただただ耳に「うぅ.......うぅ.......ぐすんっ.......」と、嗚咽を漏らす声と、鼻を啜る音が妙に響き、翔は何ともやるせない気持ちを胸に抱く。
それでも、このままではいけないだろうとさすがに理解したのか、先程の話とは関係ないだろうが、ある夢では似たような体験をしたことがあると口を開こうとした、その瞬間......
『ぱりんっ』と、何かが割れるような音が響き渡り、目の前の景色が色褪せ始める。
これは、この世界の終りの合図だ。
翔はこのまま終わってしまってはと焦った表情を浮かべるも、紗結の顔は楓の背中で隠れてしまっていて見えない。
何か伝えなければ......と口を開きかけたがパクパクと動かすだけ......、また明日の夢で伝えればいいだろう......そう判断した翔だったが、どこか落ち着かない心と一抹の不安......そんな気持ちを抱きながらも、そのまま夢が終わるのを待つのだった。
後になって、この判断を後悔することになるとも知らずに.......
紗結、翔、楓......この夢の共有者は二章でどうなるのでしょうか......
そして、鳴りを潜めている淳史。
ライバルのはずなのに姿を見せない雅也。
その辺りが二章のメインとなると思います。




