十二話―変わりゆく夢―(前編)
今回短めです。前後編となります。
――目の前に映るはチョークの跡がうっすら残る黒板
――端の少し欠けた木の板と軽く錆び付いた鉄で出来ている机と椅子
――後ろの方では聞き慣れたクラスメイトの楽しそうな笑い声
――そして......隣には......
――翔が恋する紗結の姿......
(来たーーー!!!)
この世界に訪れる事、早三回目。
もう慣れたものなのか、周りを見渡しながらゆっくりと深呼吸をし、そして紗結の姿を見て一々慌てふためくこともなく、しかし、その美しさに“ありがとう”の意味を込めて涙する。
翔は帰宅後、母裕子に窘められて手洗いを済ました後、夕飯が用意される暫くの間自室へと籠り、もしかしたら学外研修で紗結と共に行動できるかもという想いを馳せていた。
そしてその後、早めに用意させてもらった夕飯と風呂を素早く済ませ、そそくさと寝床に着いたのだった。
そうしてまた暫くの間、傍から見たら嫌悪感を抱かせるような厭らしい笑顔を張り付けつつ、紗結の事で想いを巡らせていた。
そして、今日もあの夢が見られたらなと淡い期待を抱きつつ、襲わってきた眠気に逆らうことなくそのまま眠りに着いたのだった。
そして気が付くと、嘆願していた翔曰く、“願望を叶えてくれる世界”の夢を見ることが出来たのだった。
時間にして十秒程だろうか、翔が呆けた顔で紗結を眺めていると、今日は反応が早く、紗結が翔へと振り向いた。
この夢の中の紗結はまるで現実の紗結のように表情豊かに接し、話し掛けてくる。
そのことを翔は何度も経験し、理解し、心の準備もしてきた。
そのため、振り向いた瞬間は驚いたものの、その後は慌てることなく、昂ぶった気持ちを落ち着かせるために手を胸に当て、彼女とは目を合わせないように視線は横に、されど彼女の方に向き直って言葉を紡ぎ出す。
「こっ、こっ、こんばんはっ......、あ、やせ、さん......」
頑張って翔が紡ぎ出した言葉は、この夢を見るようになって初めての挨拶の言葉だった。
今更何を言ってんだかなと内心で思いながらも、いきなり話題を振るということが翔にはハードルが高過ぎて出来ず、とりあえずは挨拶だろうということでこの言葉に行き着いたのだった。
「ふふっ、はい。こんばんは、雨音くんっ」
案の定、紗結は今更挨拶されたことに自然と笑いが込み上げてきたのか、含み笑いをしながら翔へ微笑み、楽しそうに挨拶を返すのだった。
「......」
「......」
紗結に笑われてしまったことで顔を朱色に染めてしまった翔だったが、さて、何て言葉を続ければいいのかと悩んだ末、翔はそのまま言葉を詰まらせてしまった。
それは仕方がないだろう。なんせ翔は碌に女性と会話をしたことがないのだ。そんな翔に話題振りをするなんて芸当出来る訳がない。
そんな翔の心境には全く気付いていないのか、紗結は何故か相変わらず嬉しそうに、にこにことしているだけだった。
「......」
「......?」
(やばいやばいやばい!
なんて言葉を続けりゃいいんだよ!?
学外研修のこと話したかったけど......
一向に言葉が浮かばない......!!)
言葉を交わしてから一分程。
翔は緊張し過ぎてまるで言葉が浮かんでこない。
時々ちらちらと紗結の顔を覗いて見るも、楽しそうににこにこし、時々小首を傾げるだけでどうやら彼女から話を振ってくれる様子は見当たらない。
更にテンパってしまう翔。
(何か打開策はないか......)
翔が視線を彷徨わせ、辺りを見渡した。
するとある一点。いつもの景色に違いが見受けられた。
いや......、もしかしたら話題探しのために周りを見渡していた今日だからこそ気付いただけで、過去二回ともそうだったのかもしれない。
しかし、気付いた瞬間から翔はその姿が気になって気になって仕方がなくなってきていた。
そうして翔がある一点。
その一点を紗結へと話も振らず、否、言葉を探していた事さえ頭の片隅に追いやってしまう程翔が凝視していると、紗結も翔が何かに目を奪われていることに気が付いたのか、翔の視線の先へと目を移し、そして、それを視界に入れると目を大きく見開き、そして、思わずといった感じに言葉を漏らしていた。
「なっ......んで......楓ちゃんが......此処に......?」
その言葉に我を取り戻した翔は紗結を見やる。
そこには唖然とした表情を浮かべている彼女の姿があり、翔の頭の中で疑問符が大量に生まれ出す。
(ん゛......ん? なんで綾瀬さんがあんな驚いた顔をしてるんだ......?
此処は俺の願望が作り出している世界なはず......
それって......俺の願望の中に綾瀬さんの驚愕の表情を見たいとかでもあった......のか?
ん゛ー............、さっぱりわからんな......
それに......
綾瀬さんが言った通り......
何で桐崎さんは、他の人と違って......靄がかかってないんだ......?)
そう。
紗結が驚愕し、翔が疑問に思ったもの。
それは......
実体のある、桐崎楓の姿があったからだった。
周りの景色は翔が見渡す限りでは普段見慣れている、翔の記憶と遜色のないクラスの光景だ。
しかし、違う所はしっかりと存在する。
教室を覆うように靄がかかっていて、壁や窓は薄くぼやけている。
そして、それ以外にも翔と紗結以外の生徒もぼやけた存在だったのだ。
それが、翔が二回この世界で経験した中での常識だった。
しかし現在、翔のその常識にイレギュラーが発生していた。
桐崎楓の存在である。
今までは翔の記憶の中では彼女も他のクラスメイト同様に靄がかかったように蒼然としていた。
まるで存在はしていないんだよ、気にしなくていいんだよと言うが如く。
しかしながら、今はその存在感をアピールするかのように、靄がかかることもなく、彼女は外の景色を眺めながらもどこか見惚れてしまいそうな品のあるオーラを発しつつ、しっかりとした普段通りの姿のまま、その席に腰を付けていたのだった。
そうして暫く。
唖然とした表情で楓を見つめる紗結。
翔もそんな二人の姿に頭が混乱していた。
そんな中で、翔はふと、そういえば楓が班分けをくじ引きにすべきと進言してくれた人だったと思い出し、これはちょうどいい話のきっかけになったと紗結に向き直って話を振るのだった。
「そっ、そそっ......そういえばっ......、がっ、がっ、学外研修で......き、桐崎、さ、んは......、な、んで、くっ、くじ引きを.......、てっ、提案......したん、だろうね......?」
女性に話を振るという事はこんなに大変だったのかと戦慄する翔。
翔は今まで女性に自分から話題を振れたことがない。
出来たのは質問に対する答えを返すことか、率直に思った疑問を述べる程度。
それも手の指で数えられるくらいの極僅かの回数だ。
今回、人生初? と言っていい話題振りを経験した翔は、話を振るのがここまで大変だとは気付かず、戦慄したのだった。
そして、楓の存在に唖然としていた紗結は、急に翔から言葉を発せられために、楓の存在で翔の事を忘れていたのか身体を一瞬びくっ、と震わせた。
しかし、直ぐに気持ちを切り替えて翔を見やり、その稚拙な言葉をしっかりと耳を傾けて聞くのだった。
翔の言葉を咀嚼した紗結は、上手く言葉に出来ずに恥ずかしいのか、もしくは落ち込んでいるのか、顔を伏せてしまっている翔へと言葉を返す。
「ねっ! いきなり楓ちゃんがあんなことを言い出したもんだから、あたしビックリしちゃったもん!! それでね! 気になってその後楓ちゃんになんでくじ引きを薦めたのかって聞いたんだけど......ね......」
言っている内に言葉尻が小さくなっていく紗結。
訝しんだ翔は伏せていた顔を上げ紗結の表情を窺う。
すると、困ったような顔で紗結が翔を見ていたものだから、今日初めて視線を交じり合わせた翔は目を見開き、また顔を伏せてしまった。
「......」
「......」
再び二人の間に沈黙が訪れる。
翔は目を合わせたことに焦りはしたものの、これ自体もかなりの経験をしてきた。(翔の中では)
なので、見つめ合った時に早くなった鼓動も今ではかなり落ち着きをみせていた。
紗結は翔と目を合わせられたことを嬉しく思いながらも、嘘を付けれない紗結は、さて、翔本人に本当の事を告げていいのかどうか、頭を悩ませるのだった。
沈黙が訪れてから一分程が経過した頃だろうか。
『ガタッ......』
突然、後ろの席の方からそんな音が聞こえた。
訝しんだ翔と紗結の二人は背後へと視線を移す。
すると、その音を出したであろう人物が席を立った状態で、普段凛としている姿からは想像できないような驚愕の表情を浮かべていた。
そして、口をパクパクさせながら......
「......えっ? さ、ゆ......? なに......これ......?」
その人物、桐崎楓が途切れ途切れに言葉を発しつつ、ただただ唖然とした表情で紗結を見つめていたのだった。
さぁ、夢の世界に新たな仲間(?)、桐崎楓ちゃんが登場!
波乱の幕開けが開始するのか否か......!?




