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ペンを執る

作者: ニイチ

 目が良いと言うのはよく聞くが、耳が良いとはなかなか聞かないような気がする。しかし私は目よりも耳が良い。つまりは音に聡い。良く聞こえるというよりも、良く音を拾うという方が正しいのかもしれない。こうやって自宅の自室でごろごろしながらも、外の音が煩わしく聞こえることを言うのだ。

 そんな私の耳に、ちょうど家の前で車が止まった音が聞こえる。父親が帰ってきたのだとわかった。絶対音感があればこの低い音がシャープのドだとか何とかわかるらしい。凄いものだと思う。そんな才能があれば日常が面白くなり、就職なんかも才能を活かしたところに行けるのかな、なんて考えてみるが自分にはそんな才能あるはずもないし、必要も無い。

 何故なら私は語学研究を専攻している日本語好きだからだ。今こうして開いている本も日本語の面白さを書き表したものだ。だが、帰ってきた父親は酔っているらしい。玄関の大きな音と父親の倒れる音がうるさい。例え耳が良くなかったとしても、全体的に薄い壁の造りになっている我が家の二階の部屋にいる私にそれはよく聞こえるのだ。さらに父親は日本語には思えない奇声も発している。静かに本を読めない。

父親を止めて寝かしつけるなんて誰もしない。面倒だからだ。つまり父親がそこらへんで眠るまで、読書は中断というわけだ。かわりにコンポの電源を入れて音量をあげる。部屋の隅々にまで響き、他の音が入る余地のない空間にする。四畳間を懐メロと言われるような音楽が占領した。

 さて、何をしようか、と漫画棚や作りかけのパズルを見比べて行く。そして気付くのは部屋の片付けが最優先だと言う部屋の不満だ。特に雑然とした紙類のタワーが危うく忠告する。「崩れようが破れようが行方不明になろうが、お前には関係ないのか?」と。それにもう大掃除の時期だ。今の内に整理整頓くらいしておかないと、掃除せずに年を越すことになるだろう。とりあえずタワーを半分に分けて、中身の確認にいそしむことにした。音楽が終わり、次の曲へと移行する黒い数秒間に、父親の変な歌が割り込む。それに私は舌打ちをして対抗した。

 私の舌打ちが父親の歌を一瞬小さくさせ、次の曲の頭がスピーカーから流れ出る時。黒い物体が紙類の間から床に飛び降りた。

 最初は見間違いか、と。

 次に蜘蛛または名も知らぬ虫かな、と。

 次にもう一度見間違い。いや、夢か、と。

 しかしそれらが頭の中を一秒未満で過ぎたあとに残ったのは懇願に似た期待と驚きだった。

 現実であってくれ。消えてくれるな。私は狂ってもないし、麻薬みたいなものもやってない正常な人間だから、これは本物だ夢じゃない。そんな興奮が私の目を見開き、思考を止め、全神経をそれに集中させた。


 猫がいた。


 文字通りの猫だ。親指ほどの大きさの黒い「猫」がもぞもぞと動いていた。「猫」と言う文字が字体を曲げて、獣偏で草冠を掻いているのだ。

 おかしな世界に迷い込んだ。まるでアリスや指輪物語だ。これが夢ならば、そんな考えが浮かんで乾いた唇をなめた。唇は湿り、舌先が冷たさを感じた。ほら、夢じゃない。

 ありえないこの光景を現実に繋ぎ止めるためにどうすれば良いのか分からなかったが、とりあえずコンポの電源を切ることにする。リモコンの調子が悪くてやきもきしたが、静かになった部屋で猫はぴたりと動きを止めた。一見、ただの猫という文字が床に書かれているだけのように見えてしまう。しかしこの文字が動いていた、そうとしか見えなかったのだ。

 もしかして音楽に反応していたのか。もう一度コンポの電源を入れるべきか。

「にゃあ」

 耳の性能が良くて、静かだったから聞こえた小さな音だった。

 食いしばっていた歯が弛んで口が開いた。驚きのあまり閉まらないような開き方だ。文字が、鳴いた。ありえないを通り越してしまった。だって誰が文字が鳴くなどと想像しただろう? まず、文字のどこに口があり発声器官があるのか教えて欲しい。思考が巡り過ぎてハードワークを起こしている間に、猫はするすると移動してベッドの上へ。そして布団の下に潜り込んでしまった。

 ゆっくりと思考を溶かす。目は布団に釘付けだ。

「あれは、猫。文字で、猫で、動くし、鳴く、猫…」

 言葉に出す事で落ち着くと同時に、やっぱりここは現実世界だ、と震える喉で知る。これで布団をめくって猫がいなければ、父親に苛々していた思いが現実逃避となった幻だったのだと言えるだろう。

 そっとめくった布団の中に猫の文字はいなかった。

 布団を全部めくる。枕とクッションをどかし、ベッドと壁の隙間をのぞく。それでもいない。

 やっぱり幻だよな、と溜め息。期待外れ感と安堵感が苦笑いを形作る。

 しかしやっぱり、猫はいた。

 布団をなおそうと広げた時、左手に痛みを感じた。そこには布団に貼りついた「猫」がいて、形を曲げていた。多分威嚇のポーズなのだろう。私の掌にはひっかき傷。私はちょうど猫を掌で(文字なので潰すような体積もないのだが)潰して猫のご機嫌を損ねたらしかった。

「………にゃあ」

 思わず私は、謝罪の気持ちを込めて呟いた。



 猫を見つけて二日経った。私はどうにか猫に懐いてもらうことに成功した。ベッドに胡坐をかいて座る私の膝の先で、猫が草冠のツノの部分をぴっと立てて、あらぬ方向を向いている。視線を追おうとしても大体の方角しか分からない私には、猫が何を見ているのか狙っているのか分からない。だが、とにかくこの猫が面白くて仕方ない。最初は掌で潰してしまったせいか、距離を取られてしまったが、そこは私のなかなかの機転が功を奏した。

何をしたかというと、またたびを買ってきたのだ。逃げるなよ猫、と一言残して大急ぎで近くのスーパーへ私は走り込んだ。帰ってきた時、猫はベッドの主のように真ん中で丸まって眠っていた。走り損のような気がしないでもなかった。呼吸が収まるまでの間の八つ当たりしたい思いを留めるのはなかなか大変なものだったが、今でも猫が目の前にいるから良しと言える。しかし文字にまたたびが効くのか分からなかった。が、七百円の投資は無駄にならなかった。これで無駄になっていたなら八つ当たりしていただろうと思い返される。

 そしてこの二日で文字の特性がだいぶわかった。

 まず文字は紙を嫌う。文字だから文字は通じるだろうと、文字を書いて近付けたのだが、威嚇されてしまった。ただの紙を近付けると尚威嚇された。理由は分からない。

 動き方も特徴的だった。基本的に地や壁にくっついたまま動く。ジャンプなどはまだ見た事がない。このことから文字は空中には浮けないのかもしれない。言うなれば影のような物だ。平面の世界で生きている。懐いてくれた今では私の掌でうろちょろすることもある。実はすごく奇妙で気持ち悪い感覚もあるのだが、振り落として嫌われて逃げられてはいけないので我慢するほかない。

 猫は食事もした。私が鼠を見つけて猫にやったのだ。もちろん鼠とは文字の「鼠」だ。外を歩いている時に偶然見つけた。人が行き交う街の中、細い道に置かれた飲食店の大きな鉄か何かのゴミ箱に、黒い文字がちょろちょろと動いていたのだ。むしろ今まで何故気付かなかったのかと今では思う。そして他の人々は気付いていないのか、気付いていても知らない振りをしているのだろうかと思った。それほどまでに文字はあちこちに存在した。補足すると、先日買ったまたたびにもうっすらとした文字を見つけた。猫はまたたびそのものではなく文字のまたたびに酔っていたのかもしれない。

 鼠の文字を捕まえるのは簡単だった。その鼠を隅へと追い詰めて指先で摘む。すると逃げられないのか、摘み損ねた払いの部分を必死で振るのだ。そんな鼠を持ち帰り猫の側に放すと、トムとジェリーが文字になっての追いかけっこになる。たいてい猫が鼠を食べてしまうのだが、その食べ方とはただ重なるだけだった。すると鼠の文字の重なったところが猫のものになるらしい。食べ終えた猫は伸びをしてその辺りを散歩するか、丸まって眠るのだ。成長するかどうかはまだわからない。とりあえずここ二日で変化は見られなかった。

 この二日間は私にとっては観察と葛藤の日々だった。文字と猫を知り尽くすにはまだまだ足りないが、何か新しい動きをしないかと暇を作ってずっと猫と一緒にいた。大学も今まで真面目に行っていたおかげで少しくらいさぼっても評価や単位が落ちる心配がない。そして同時に、この猫を発表するべきかどうか、に悩んだ。

 文字が生きているなんて大発見だ。今、世間にそんな話は都市伝説や噂や小説でも見たこと聞いたことがない。私は発見者として有名になるだろう。金も手に入るだろうし、この文字を研究する「文字研究家」としての将来が拓けるかもしれない。富と名声。どこかの悪役の台詞のようだが、現実にそれが目の前に転がると眩いその宝を得るために、ちょっとくらいズルをしてもいいだろうという気になる。悪役の気持ちが沁みるほどよく分かる。

 しかし目論みが外れる可能性もあると、なかなか優秀な理性が働いた。まず、実は世間に公表されていないだけで文字は既に知られているのかもしれない。もしくは発見者として認められても、猫はお偉方に取り上げられてしまうかもしれない。一番悪いのは、この文字たちが私にしか見えなくて私が異常者扱いされてしまうことだ。

 ならばインターネット上の動画サイトに投稿して反応を見ようかとも思ったが、誹謗中傷は予想できたし、合成やCGと言われてしまえば私に成す術もないだろう。携帯電話のムービーで撮れば、猫は画像の粗い中で細切れ動画のように動いた。

 私は決めた。しばらくは私一人でこの文字を研究すると。

 猫は今、枕に爪を立てていた。あの猫の爪はたかが小さな鍵爪なのにするどい。獣偏がどうやら前足の役割を果たすらしく、せっせと枕均しをしている。既に枕は僅かにほつれているので、どうにもならない、諦めてしまった。顔を寄せて観察すると、たまにこちらに振り向いているようだった。平面の世界の動きから行動や思惑を量るのは少し難しいが、こちらが読み解くしかない。とりあえず機嫌がいい時と悪い時の区別は付くようになった。田の部分が斜めになればなるほど、機嫌が悪くなるらしく、そんな時はなるべく離れて観察する方がいいのだ。うっかり顔を寄せてしまうと、顔に上ってきて髪の森の中で暴れまわるのだ。痛い上に猫がどこに行くか分かったもんじゃなかった。

 猫は引っ掻くだけ引っ掻いて枕の上を降りた。ほつれた部分に指先で触れるとざらざらとする。よくもこれだけ引っ掻いてくれたものだと猫をねめつけるが、猫にそんな視線は効かない。そんな猫は床の上で丸まった。冷たくないのだろうか、と思ったが、同時に自分の部屋の状況に気付いた。暖房で息苦しいのだ。火事の恐れがある、というが寒さには勝てずに電気ストーブが点けられていたからだ。窓も開けずに篭っていたのだから、暑くなるのも仕方ない。

 猫は文字といえども空気の重さや暑さを感じるのかもしれない。そう考える。電気ストーブを消してしまうと、また暖かくするのに時間がかかる。プラス、空気の入れ替えもしないといけない。そう思って窓を少しだけ開けた。ガラスと網戸を隔てた向こうの空は大人しい灰色で、寒々しそうだったので、少し覚悟をして、だ。

 思っていた通りの冷たい、さらには強い風が吹いて、ルーズリーフが落ちた。結局、猫の発見で中断されてしまっていた片付けが、風と協力して暴動を起こそうとしたらしい。二、三枚のルーズリーフが床に散らばったが、他の紙は私による鎮圧を恐れてか、おとなしくしていた。その紙たちにティッシュ箱で重しをして、ゆっくり五秒我慢してから窓を閉めた。部屋の温度は下がらなかったが、十分換気は出来たと思い込んで、落ちたルーズリーフを集め、その内容をチェックした。

 そしてやっと文字が紙を嫌う理由が分かった。

 拾ったルーズリーフの一枚に、猫の文字が反転した状態で紙に写っていた。指でその文字をなぞれども、潰そうとも、猫は動かなかった。

紙を振ってみた。猫は動かないし、紙から出てこない。風の吹き込まない暖かい部屋で、冷たいものが私の脳の熱を奪っていく。

猫を呼ぶ。傍から見たらちょっとおかしい人間だろう。でもかまってなどいられなかった。何度呼んでも、何度引っ掻こうと、反転してしまった猫はもう二度と動かなかった。私の必死な声に嫌がる素振りも見せず、私の耳は猫の小さな声も聞き取れず、私の手は髪の端をくしゃくしゃにした。風が外で笑っている。気付けば、鼻の奥に涙の味を感じていた。



 猫がいなくなって、私は気力をなくした。と同時に他の文字も見つけにくくなってしまった。足下をうろつく蟻という文字がただのコンクリートの黒い斑点にしか見えないのだ。壁を自在に動き回る蝶の文字は何かの影で、素早い蝿という文字はただの見間違い。鼠を見つけたあのゴミ箱のある細い道に行っても、鼠なんて何処にもいやしなかった。暗い道でうごめくのは、本物のねずみくらいだった。

 私はあの猫に愛着を持っていた。金と名声の欲に紛れてしまっていた愛情。いなくなってから気付くなんて馬鹿だと自分を皮肉って笑うしかない。そして私は一番大事なことを忘れていたことに気付いた。私は猫に名前を付けていなかった。

 だから思う。もし今、また猫が動き出すなら「良次郎」と付けてやろうと。

 猫は、獣偏の二つ目の払いが短く、跳ねが大きい特徴的な形をしていた。それは父親である良一郎の文字だ。あの猫は父親の書いた猫だったのだと、私は思う。それがどうやって命を持って動き回ったのかはしれない。「文字研究家」になれなかった私には、それは永遠の謎である。

 あぁ、でもどうして名前を付けなかったのだろう。こんなに明確な名前候補があったというのに。だから私はペンを執った。ボールペンの黒い線は角の丸い自分の文字になる。私は切り取って貼ってある、反転した猫の字の隣にその名前を書いていった。並んだ猫と名前は、ずいぶんとアンバランスだった。それを整える術が分からなくて、私はどこかに息を潜める違和感の文字が動き出しているような気がした。


+++


 就職活動を終えて帰宅したら、家族が夕飯を終えるころだった。温かだったろう料理は家族の腹の中で、空の皿は冷えていく。母が自分の為に鍋に残していた肉じゃがを温めてくれるというので、私はスーツを脱ぎながら階段を上がり、自室に着替えに行く。

一日一社から三社の企業へ出向き、入りたい企業ではなく入れる企業を探す日々。不景気というバックグラウンドがなかったらもう少し楽に、そして出来れば企業を選ぶ余裕があったのかもしれない。だが急に変わらない景気に嘆く暇があるなら、そう思って私は階段を駆け下りた。腹が減っては戦も出来ないし眠ることもできない。疲れたのだから尚のことゆっくりと眠りたい。明日も授業があるのだ。

食卓には既に湯気を立てた肉じゃがと焼きサバと白飯。橙の電球が降る食卓が暖かい。

「おかえり」

 椅子に座るとそんな言葉をかけられたので生返事を返し、いただきますと呟いた。食卓の向かいで父親がいつまでたっても懲りない酒を飲んでいた。

 一度、急性アルコール中毒かなにかで倒れたほど酒には弱いくせに、まだ酒をやめるつもりもないらしいその姿が嫌いだ。ソーダ割りの焼酎が氷を溶かしていっている様は綺麗だが、その酒の匂いも、グラスを握る皺とこぶのある指も、私を不快にさせる。

 つまらないバラエティを垂れ流すテレビを見るのも面倒で、夕飯へと目を向ければ、そこが私にとっての幸せを体言していた。さっそく箸をつける。

「今日はどうだった?」

「いつもどおり」

 父親の言葉に何度目になるかわからない短い言葉を返す。ほぼ毎日のこの応酬。サバの骨をむしりながら思う。昔はこの父親に遊んでもらったこともあっただろうし、好きだったのかもしれない。でも今では身近な他人のようにしか思えない。サバの濃い味と白飯を噛み締めながら思い出す良い記憶なんて、ほとんどない。

 いつも、酒で酔って周囲に迷惑をかけるか、痴呆にでもなったかのような要領の得ない会話、あとはテレビを付けっぱなしにして眠る、そんな父親しか浮かんでこないのだから情けないにもほどがある。

 そんな私の面倒な内心を知ってか知らずか、いつもなら私の生返事で途切れる会話を、父親は続けた。

「お前ちゃんと就職する気あるんか、いっつもいっつもいつもどおりなんて言いおってからに」

 見下したような渋面。荒い語尾。早く切り上げたい会話を続ける父親に、舌打ちをなんとか心の中でだけに留める。就職活動で疲れて帰ってきて、もう今日はそんなこと聞きたくもないし考えたくもないのに、そう思っていたら留めた舌打ちの代わりに小さな声が漏れてしまった。

「うるさいなぁ……」

 ぼそりと呟いた言葉は老朽化した耳と頭にも届いたらしい。酒が回っているのか、怒鳴り声が私へ向けられる。父親を何だと思っているのだとか、目上に対してその言葉遣いはとか、そんなことだから就職活動がはかどらないとか、危うい呂律で張り上げる。台所で洗い物をしている母親が

バラエティ番組の音なんて隅に追いやられたように聞こえない。だけど父親を制止しようとすればまた話がこじれることが目に見えているので、美味しいはずの食事をさっさと口の中へとかき込む。そして言い返してやりたい言葉も奥へ奥へと押し込んで、私は皿を下げた。母親は台所の向こうで父親に煩わしそうな視線をやりながら、皿を受け取ってスポンジを取った。誰も止めない父親は空回りを続ける。私の不快感をあらわにした相槌にまた声を荒げていく。

「もういいよ、勝手にやってんだからほっといてほしいんですけど」

そう言って私はリビングを後にした。母が父親をたしなめる声が聞こえたが、それ以上に父親の声が響いた。

「三年の恩を三日で忘れやがって!」

 父親は耳障りな大声でそんな言葉を投げ捨てていた。

 階段を上がる間にも、どたどたと足音で怒りを表している父親が目に見えるようで、自分の中に苛々がつのる。だが反面わかったこともある。上手くいかないわけなのだ。『猫は三年の恩を三日で忘れる』の言葉の如く、あっちは私のことを猫でも飼っているように一緒にいるのだろう。既に父親と子供の関係は壊れてしまっているのだ。

 自室の白い蛍光灯の下、私はベッドに身を横たえ、コンポのリモコンを取った。階下の音を一つも入れたくなくて大きな音で部屋を埋める。音が私の動きさえ封じるように鳴り響く部屋で、私は頭を空にすべく部屋を見回した。机、プリント、スーツ、椅子、脱ぎ散らかした服、カーテン、漫画に小説、シャーペン、写真、ベルト、ポスター。部屋には私のカケラが鎮座し、放り投げられている。私の城は私を甘やかすように私を受け入れている。

 ふと視線を動かした先に猫がいた。今では夢だったとしか思えない、反転した猫の文字。その隣には私が書いた猫の名前。いつまで経ってもアンバランスのまま、壁の一部を飾る文字だ。

「……動けばいいのになぁ」

 テンポの速い私のお気に入りの曲がそんな言葉をさらっていった。


同人のフリーペーパー用です。稚拙ですが、ご一読いただきましてありがとうございます。

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