俺はぬこですがなにか 3
「ぴぃぃぃ!」
……うざったい。
俺は頭を床に打ち付けて羽根をばたつかせ始めた馬鹿ツムリに、翼の神経をいじくって大人しくさせた。ついでにパイナップルで殴られたような衝撃を与えてやる。刺さる上鈍痛付きというあれだ。
見回りから帰って家についてみると、さっそく馬鹿は玄関にへたり込んだ。あの後、何事もなかったように馬鹿に体の主導権を渡した。だが……狩りに関する記憶は一切消したものの、少々衝撃が強かったらしい。勝手に意識を手放してくれた。ので、嘉月と久貴と一緒に久方ぶりにじゃれてみた。俺も少し機嫌がよかった。いつもより余計にしゃべった。
そしてそのうち意識を取り戻した馬鹿を三人で少しからかった。するとヤキモチと相まって馬鹿が暴れ出した。なのでお灸をすえてやった。それが現在。
家具が壊れる、この万年馬鹿が。ぺろぺろ~っと舌を出してやると、馬鹿は恨めしげに睨みつけてきた。
― お、おのれオッポぉぉ! ―
ぴぃぴぃと鳥の鳴き声で泣き言を言う馬鹿を無視していると、不意に前足が目にとまる。
足の内側にまだ真新しい朱色が散っていた。
……狩りの時の血を落としきれてなかったか。
気づかれないよう俺はちょろりと舌を出すと微弱な妖力でそれを消し去った。誰にも気づかないほど何気なく。
「とりあえず、ご飯できてんだから食べようぜ」
腹減ったと呟く久貴の言葉に馬鹿はぱっと顔を上げた。
俺は満腹だからご飯はいらない。だから微妙だ。本来馬鹿頭もいらないが、あいつの妖怪を喰らった記憶を消したので食べてないと思っている。嬉々としていた。
とっとと眠りにでもつくか。
「今日の夜ご飯はね」
そう思って目を瞑った。
今夜の得物はなかなか美味しかったからいい夢が見れそうだ。けれど。
……? なぜか目が冴える。
目をつむればすぐに訪れる眠りがなかなか来なかった。もしかしたら狩りからそう時間が経っていないからかもしれない。まだ興奮が冷めないのか?
しかしそれにしては妙だった。
それは俺というより、俺じゃない誰か――ツムリが興奮しているような……。
妙に胸がざわついて目を開ける。
「鳥の照り焼き~」
ドクン
嘉月の声と共に久貴が肉汁の滴る肉を目の前に出した。
開く瞳孔。
白に黒の雫を落とされたように過敏に脳が刺激される。
鼻孔をくすぐるような甘くて魅惑的な匂い。本能的に湧き立つような、残虐な暴食を誘う血色。
狩りの時に喰らった鳥の妖怪の姿と感触が蘇る。
「……ツムリ」
名前を呼んでやった。しかしあいつは聞こえていない。見るとゆっくりとあいつの瞳の色が鈍く、金色から血の色に変わり始めていた。半開きになった口の中でわずかに舌が物欲しげに動く。
「……」
思い出しかけている、狩りの記憶を。
俺はすうっと目を細めた。そして。
「び、びよおおおおおおおおお!?」
― な、なにをするオッポ!? ―
馬鹿ツムリの耳に思いっきり噛み付いてやった、抉る勢いで。涙目でこちらに振り返る馬鹿。その瞳は普段の黄色の瞳に戻っていた。
「この馬鹿が」
もう一度きつく噛みついてから、上から見下してやるとそう吐き捨てた。
ツムリが羨ましくなる時がある。
なんの杞憂もなく過ごす、いちいちムカつく馬鹿な半身に。
奴の鵺の鳴き声を聞くたびに、一度絞め殺したくなる。馬鹿は念話の仕方がわかっていない。それは確かだ。しかし馬鹿頭が鳥の鳴き声のままである理由はそれだけではない。
鵺の本能故、鳴く。
危険や死の気配を察知して警笛を鳴らすため。
逆にそれらを呼び寄せるために。
前者は自らの身を危険から回避するもの。
後者は死を呼び寄せることにより、餌食を捕えるためのもの。
これが鵺の性。
この条件以外で鵺は鳴かない。
だというのに常に馬鹿頭が念話ではなく鳥の声で鳴くことが意味するのは――慢性的な飢餓状態。
「鵺」としてはまだ今は成長期とも言える。その状態であの馬鹿は妖怪を食べない。なおかつ目の前に極上の獲物(人間)がいるのにもかかわらず食べない。
普通「鵺」は他の妖怪を喰らうことによって妖力を得て生きる。「化け猫」の場合は主の魂を元に存在を保っているか、他の人間を喰らうか、自ら妖力を高めるか。俺達「ぬこ」はそのどちらともやっていない。強いて言えば化け猫方式の自前で妖力を高めること。だがそれでは足りない。このままでは妖怪として保てなくなる。
つまりそれが飢餓状態を起こしているんだ。
だから俺は「見回り」の時はある程度妖怪を喰らうことにしている。小物は喰らっても仕方がない。中物くらいからを目安にしている。そして毎回必ずツムリの中から妖怪を喰らう時の記憶を消している。
馬鹿は優しい。
だから本能に任せてすべてを破壊的に喰らうとどうなるか。結果は見えている。
血に酔った俺達は――
――嘉月と久貴、そして恩人の綺子を喰らうだろう。
もし本能が理性を掻き消したままなら、まだ救われるだろう。しかしいつかは理性を取り戻して己のしでかしたことを悟る。その時はもはや俺達は生きていけないだろう。特に、ツムリは。
悲しみに狂って殺戮を繰り返し、己を喰らって死ぬ。
化け猫の主を殺したと言う罪悪感に苛まれるゆえに。
鵺の怖れる「死」にまみれた恐怖ゆえに。
それは俺達「ぬこ」が「化け猫」にも「鵺」にもなりきれないことから発生した矛盾。
それだけはご免だ。
俺はまだ生きたい。
それに……いつの間にか、この人間達を気に入ってしまった。
一番妖怪らしからぬ愚かで馬鹿なのは俺かもな。
だのにそれを知らずのうのうとしている馬鹿。
腹が立つ。
それでも俺達は二人で「ぬこ」だ。
切っても切れない縁。
だから、俺はツムリが大嫌いだ。
***
「オッポさん、怒ってる? ツムリが先にご飯食べようとしたから」
「……そうだな。猫の丸焼きでも見れば気が済むかも知れん」
「うおおお!? オッポさんめっさ怒ってんじゃねぇか!」
「あーもう疲れた。どうでもいい、寝る」
― 寝るんかい ―
即刻白い目蓋を閉じて寝るオッポに、嘉月と久貴は同時に内心つっこんだ。彼らにしたら、彼が食事を取るのが面倒くさくなってきた。だから寝たのだというふうに見えただろう。
だが事実は違う。
彼らは知らない。
オッポがツムリの妖怪としての性が目覚め、暴れないように制御するため眠りについたことを。