俺はぬこですがなにか
前作「我輩はぬこである」の別視点バージョンです。
前作を読んでからの方が楽しめると思います。と言うより読まないと分かりにくいかもしれません。
俺はぬこですがなにか? まどろっこしい自己紹介はカット。めんどくさいこと甚だしい。あれだ、もう適当でいい。主? 俺の主人は自分だ。勘違いしてもらっては困るが、影の支配者は俺。あー、色々と説明しないとあとでとんだ誤解をされても俺が気分悪くなるだけだから……まぁこれはひと肌脱いでやるか。めんどくさいがな。あー、脱皮した。準備完了。さて、何から言おうか。うん、家は一軒家、居候の久貴と嘉月という人間と住んでいる。嘉月は居候で久貴は下宿。
久貴は大学生で東洋史学専攻だったか、家にいる時はゲームするか資料を読んでいるかだ。だが見た目と違って案外真面目な子で、妹のために頑張っているらしい。部屋に塔となって積み上げられた本はその証。
なぜ妹のためかというと、久貴の読んでいる資料が全部妖怪関連だからだ。妹……名前は綺子、は並みはずれて妖怪に狙われやすい体質だ。正岡という人外寄せの一族の血を引いた上、運悪く化け物の類を桁違いに惹き付ける力が現われてしまった。初めて綺子に会った時、俺も一瞬喰ってやろうかと思った。美味しそうな匂いがしていたよ。正岡の中でも極上の精気だしなぁ。……まぁ、気が変わって止めたが。
で話を戻すが、そんな妹を護るために色々と久貴は読み漁っているらしい。しかしここでふと疑問に思わないか? なぜ東洋史学専攻かと。まぁ日本にいるのなら日本史でよかったはずだがな。この坊主はもしもという時のために、日本以外の東洋圏怪獣、妖魔なども調べているそうだ。相当なシスコンだな、久貴は。しかし主にいじめっ子体質の方な。ん? 話が反れたか。まぁ閑話休題ということで。
つまり部屋に塔のように立ちそびえる本の山は兄心の象徴。なのにあの馬鹿は遊びにそれらの上に飛び乗ったりした。本当に馬鹿だ、あいつは。あれが俺の片われと思……思いませんよ失敬な。むしろ一遍死ぬがいい。ということでお灸をすえてやった。雪崩のような本の襲撃を馬鹿にくれてやった。実のところ、部屋でそんなことは起きていない。俺が馬鹿の脳内の視覚聴覚触覚等神経細胞をいじくって幻覚を見せてやっただけ。ふっあの馬鹿め苦しめ。俺にこんな手間をかけさせやがってついで糖分を体内から吸収してやったぞうん、お肌つやつや。俺は悪くない。臆病な馬鹿はそれ以来、本の塔で遊ぶことはなくなった。しかし「久貴が悪いのだ」とまだ反省してないようだったので、反芻細胞を操作して悪夢を見せてやった。そしてついでにまた糖分を吸ってやった。おいしかった。
しかしまぁ久貴は今頃の餓鬼だな。躾がなってないのは馬鹿に賛成する。俺と関係のないことだが。寝転びながら菓子をつまんでは本を読んだり、所構わず行き倒れたように玄関先で眠りこけたり。所構わず行き倒れるのはいかんな。まぁ俺もそうだけど。口調も荒っぽいな。まぁしゃべり方なんぞどうでもいい。素直な性格という美点があるからな。それに護ると決めたらとことんやる、根性のある坊主だ。
まぁ肝心の見鬼の才能は中くらいだがな。久貴は他人から名指しされるかつ、妖力の強い妖怪しか見えない。言うなれば見えない者に対峙する場合が多い。だがそれを補うために知識を増やしている。大した奴だ。雪見大福くらい喰わせてやれ馬鹿頭。あれは久貴のだ。お前のぶんは俺が喰ってやった。
そういえばもう一人――嘉月を紹介してなかったな。あれはなかなかの曲者だ。こちらも大学生なのだが……馬鹿を猫扱いして着せ替えなどしている――に見せかけて毛を採取している。ちなみに獣医学の大学に行っているらしい。だが、裏では妖怪獣医学もしている。つまり、馬鹿はサンプルとして見られている。逐一馬鹿が食べるものとそれがどう影響しているか、嘉月は調べているんだ。
まぁそれなりに敬意を俺に示しているので許すが……礼儀正しいしな。それに坊主も綺子のためにやっているようなものだ。面白いことにこいつも若干シスコン気質らしい。まぁ半分妖怪獣医学は趣味のようだが……あと着せ替えも趣味か。まぁなかなか家事は得意みたいだし放置している。あの馬鹿に着せているフリル付の猫用服とか悪魔や天使服はどうやらお手製らしい。俺に害が被らないならそれでいい。むしろ衣服の直しや料理までちゃんとこなす嘉月は重宝すべき存在。なにより、俺の好みが分かっている。歯ごたえのあるこりこりとした塩控えめの肉。なかなかやってくれる。
それを計算して「また実験対象としてちょっとばかし毛とか血とか採取させてね♪」という企みを込めているのは、少し気に入らない。が……まぁ被験者が危ない状態になるようなことはしないので容認している。されているのは大したことじゃないし、主にあの馬鹿だしな。それにあの馬鹿にお灸をすえる手伝いなら大歓迎だ、俺が許可する。
ただ一つ気にくわないのは「ぬこちゃん」と呼ぶことだ。あの馬鹿のことをさしているのは知ってんだけどな、「ぬこ」は俺も込みだ。それだけは今度言わないとな。それにあの馬鹿ならともかく俺はお前らよりも年上だ。
「おまえ、何ガンたれてんだよ」
ふと半分寝た状態で馬鹿に体を動かせてやっていると、久貴がこちらに白けた視線を送ってきていた。あぁ、すまんなうちの馬鹿が馬鹿の癖にガンたれてたんだな。
背伸びをすると頭を少し上げて様子を見た。いつもの仕事は今日休みなので文字通り伸ばしていた、体を。縁側の温かい陽だまりのあたる床に寝そべっていたんだ。ちなみに体は馬鹿が動かしているからまったく疲れていない。まぁめんどくせぇ馬鹿相手に精神的には疲れているかもしれないがな。
あー……馬鹿が家の地代やローンのことぐだぐだと言っているな。ローンのシステムよく知りもしないでよく言うな。しかも年配の癖にいちいち餓鬼の為すことに構い過ぎ。そんな気力あるお前はすごいよ。あー……眠い。寝ようか、うん。太陽暖かい。しばらく馬鹿に体動かせておこう。そう思いながら聴覚と触覚以外の感覚を遮断してゆったりと身を任せた。
「ヒサキー、目つき悪いよー」
そばにいた嘉月がへらへらと笑いながら言った。たぶん林檎ジュース(自家製)を持ってきたな、見えないがいつものことだ。また馬鹿の唾液を調べるつもりらしい。
あー……あの馬鹿、嘉月の企みを知らねぇでまんまと騙されてる。久貴の方がまだいい奴だぞこの馬鹿頭。特に企みを持っているわけでない久貴とは違って、嘉月は妙に実験をしたがる。今回もこうしてひそかに採取するし。しかし馬鹿は気がつかない。哀れ。
「……今こいつぜってぇ失礼なこと考えたな」
「ぬこちゃんって、しゃべれないんだよなー。でも人の言ってることはわかってるみたいだけど」
久貴の言葉の後嘉月は馬鹿の頭を撫で、ちらりとこちら、特に羽やらを見た。鱗で視線が分かる、ものすごく羽根を採取したがっている。俺の鱗も採取してみたいらしいが、脱皮した皮で我慢しろ。ちなみに着せ替え人形も馬鹿限定な。
少し嘉月と距離を置き、馬鹿が飲んだジュースを体内で横取りした。
ん? ああ、すまないな。さっきから自己紹介らしいものもなしにしゃべってたな。そもそも「ぬこ」ってなんだ? って思っただろう? 俺――ぬこは妖怪だ。鵺と化け猫の間の子ということで名付けられた。だから言っておくが、ちまたの2ちゃん用語じゃない。ちなみに厳密に言うと俺は「ぬこ」という妖怪の一部だ。詳しくは後ほど。で、姿はまぁ……ほぼ鵺と一緒。尻尾は俺蛇、背中に鷲の翼、足は虎、体は獅子、そして顔はさっきから話題のあの「馬鹿」――つまり猫。だから俺はオッポ(尾)、馬鹿はツムリ(頭)という名で呼ばれている。
あの馬鹿頭は俺のていの良い下僕みたいなものだ。馬鹿も馬鹿なりに役に立つ。俺は体を動かすのが面倒だ。だが馬鹿がいてくれるので、こちらが体力使わずに勝手に動いてくれるというわけだ。
あー……だるぅ、水分補給しよう(馬鹿の体内から横どり)。ん? 馬鹿に俺の考えが伝わっているんじゃないかって? まぁな、俺が横流しにしている部分は。考えたことがすべて伝わってるわけじゃない。確かに一心……ちっ、同体だが思考が全部読めているのは俺の方。馬鹿は知らない。面倒だしくだらんからほとんどの思考はスルーだがな。俺に突っ込みを求めないことだ。だりぃ。これでもサービスしているくらいだ。普段なら即寝る。
あの馬鹿頭とっとと見回りに行けよ。あー? 見回りっていうのは妖怪の見回り、あふぁぁ、見回……あぁあふぁ……ちくしょう眠い。
…………。
…………。
…………こくっ。
あー……? すまんな、寝てた。
あー……でなんの話だっけか? ああ見回りかぁ。一応嘉月と久貴も妖怪を惹きつける体質なんだよ。綺子とは比べものにはならんがな。四分の一くらいか? 若干久貴の方が体質が顕著だな。だから馬鹿は餓鬼どもが妖怪に襲われないように見回ってるわけだが。
ぬん……
んあ? あの馬鹿また変な足音たててるのか。折角聴覚も切断しようと思ってたのに。というかあいつ、妖気の調節がうまくできてねぇな、ぷ。で、あんな変な音出してるわけだ。馬鹿め。
「……あのさぁ、ぬこちゃん」
あぁ、嘉月が笑ってる。
もう俺知らん、眠たい。あぁ……おやすみ。
聴覚オヨビ触覚、シャッダ―ン。
…………。
…………。
…………。
…………。
…………こくっ。
― 綺子ぉぉぉぉぉ!! ―
……なんだこの鱗にくるびりびりした思念。
突然の衝撃波に俺は目をひそめた。
一瞬警戒したが、それが哀願するような気配だと瞬時にわかり、そのまま霊感だけ繋いでいる状態でいた。
そして念のため、馬鹿の脳の視覚・聴覚・触覚分野から映像を見た。
その間2秒。
体を抱きかかえられた猫頭。
久貴が携帯電話のボタンを巧みな早業で押し、電話口に向かって苦悶に満ちた叫びを上げる姿。
後方から聞こえる嘉月の笑い声。
なるほど、馬鹿の妖気と合わさった足音が笑いを誘ったと。「ぬん」だしな、確かに有り得ない。いや、原理はあるんだけどな。実は馬鹿が体を動かすたびに、少し妖気が体から滲み出る。翼や体の他部位を動かす時も普通に妖気は出ている。それが特に歩く時顕著に現れる。あの馬鹿は妖気の貯蓄の仕方がわかっていない。随時水を滴らせている状態だ。更に悪いことにそれを気づいていない。
しかも笑われている意味もわからないらしい猫頭。
なにが一番可笑しいって? それはお前の頭だ、馬鹿が。
『はいはいー、どしたのひさ兄?』
久貴の電話の相手は綺子らしい。若い血肉の美味しそうな……コホン、中学2年の可愛い人間の友だ。
「てめぇこのヌンコをどうにかしろよっ!」
懇願するように言う久貴に俺は同情した。
すまんな、久貴。うちの馬鹿が迷惑をかけた。この馬鹿をどうにかしてやっていいぞ。俺が許可する。っていうか眠りの邪魔しやがった馬鹿を極刑にしてもいい。そして馬鹿の意識を抹殺した暁には……俺が支配してやる。
と、思っていると電話口の言葉を聞いて吹いた。
『ソレ、ウンコだよ、響き的に』
「むしろウンコよりタチわりぃし、こいつ」
綺子、グッジョブ。馬鹿はウンコだ。そして久貴そのとおりだ。奴はウンコより始末に困る……ぷ。ウンコって言われてるぞお前。
内心電話口に向かってそう話す久貴と電話の向こうにいる綺子に親指を立てながら馬鹿を嗤ってやった。そして餓鬼に怒るお前も哀れだな猫頭……ぷぷ、ウンコ。
『……ウンコって言っちゃダメだよ。結構デリケートなんだから』
「つか、ウンコ並みのねちっこさと厚かましさだぞこいつ」
兄の愚痴にムッときた綺子の言葉に、はんっと鼻で笑いながら馬鹿を見る久貴。
それに悪態をつきながらも途中で馬鹿頭は馬鹿らしくなってきたようだ。大人だねぇ、一応子どもじゃないと言う意味では。
そしてイアホンで音楽を聴き始めた嘉月……唾液の検査の待ち時間を潰しているようだ。
そうしているうちに溜め息をつくと、馬鹿頭はするりと久貴の腕から抜け出し、庭先に出た。
「あ、おいぬこ! どこ行くんだ!」
やっと見回りに行くらしい。近辺を警護して回ってくるんだってさ、久貴。しゃべらない馬鹿の代わりに言ってやる……脳内でな。しゃべるの面倒。
正岡のお前らは綺子ほどじゃないにしろ、割にたくさん妖怪化生の類を惹き寄せる。「呑気な同居人を持つと苦労する」と「警護してやってる」と馬鹿は言う。けれど俺は餓鬼どものために見回りをしているわけじゃない。
バサァ……
空へと、翼を広げて舞い上がる馬鹿と俺。
餓鬼どもが襲われようと俺には関係ない。
むしろ喰いたいと思ったことがあるほどだ。
しかし餓鬼どもは喰えない。
なら餓鬼どもに群がる他の妖怪どもを喰えばいい。
それだけだ。
……ただ俺が喰えない餓鬼どもを他の者が喰うのは……許せない。
一度空高く飛び上がると、嘉月と久貴の家から直径九十八メートル付近に二・三匹ほど少し、歯応えのありそうな化生がうろついていた。あとそこかしこに群れているのは喰ってもおいしくない雑魚妖怪。
すうっと目を細めると、俺は口からちろりと舌をのぞかせた。
― なっ、なにをする! ―
俺によって体の主導権を奪われた間抜けな猫頭の声が脳内で響く。
お前は優しすぎる。化け猫を親に持つ割にはな。
俺は猫の顔で口の端を上げた。
さあ。
愉しい愉しい、狩りの時間だ。