その4
「……え?」
慌てて全ての引き出しを開けてみる。
時々中身が入っている引き出しもあったけど、それは18より前に使っていた物ばかりだった。
いくらなんでも2年間何も変えずにいたとは考えにくい。
第一愛用してた文箱がない。
あの中にはお気に入りのペンとインクが入っていたはずだ。
ペン軸はお義兄様が誕生日に送ってくれた名前入りの物で、とても好きだったから……。
捨てたとは考えにくい。
だけどどこを探してもない。
ここ2年間のわたしなど、記憶と一緒で存在しなかったかのように……。
「……どういう……こと?」
ぐるぐると思考が空回る。
もはや日々の日課となっている吐き気がこみ上げてくる。
そもそもこの気持ち悪さも異常だ。
だって治る気配がない。
階段から落ちた時にぶつけたらしい頭だってもう痛みはないのに……。
食欲だっておかしい。
前は好きだったものが食べられなかったり、ひたすらに一つの物を食べ続けたくなったり。
そんなこと、前はなかった……はずだ。
少なくとも記憶のある18年間はなかった。
……いったい、空白の2年に何があったというの?
震え始めた自分の身体を抱きしめながら、何かヒントはないかと部屋を歩き回る。
衣裳部屋に足を踏み入れてみれば、そこも違和感で溢れていた。
外出用のドレスはすべて記憶にある物だった。
記憶があるなら……と思いたいところだけど、この2年間一度もドレスを新調しなかったとは考えにくい。
領地で作られた絹製品の宣伝も兼ねて、夜会では新しい物を身に着けるのが恒例になっていた。
だから……2年前のドレスしかないこの部屋の有様は……異様だった。
「……本当に……どういうこと?」
まるで記憶と一緒に、わたしの2年分の存在が消え失せているみたい。
そう一度思ってしまえば、恐怖は無限に湧いてくる。
だって、この状況をおかしいと思っているのはわたしだけで。
お義兄様もマーサも、他の執事や家令たち、メイドたちだってこの状況をおかしいと思ってないのだ。
「どう……しよう……」
恐ろしい考えが頭にもう一度浮かび上がる。
お義兄様とみんなが結託して、この家を乗っ取ろうとしてるとか……?
そんなバカな……と思いつつ、再浮上した嫌な考えは今度はそう簡単に消えていかなかった。
「……お母様のお部屋を見てみましょう……」
主寝室がお義兄様のものになっているなら、お父様が使っていた私室はお義兄様のものになっているだろう。
とすると……主寝室を挟んでお義兄様のお部屋と対になっている部屋、本来であれば侯爵夫人が使うあの部屋が今どうなっているか……。
ヒントはそこにある気がした。
あの部屋が元のお母様の部屋のままなら、もしかしたら主寝室の内装もお父様とお母様の趣味がこの2年の間に変わっただけって可能性が出てくる。
もし、お母様以外の女性が使っているようなら……そこを盾にお義兄様を問い詰めるしかない。
……もし、空っぽだったら……?
それはそれで怖い。
やっぱりわたしを亡き者にして名実ともにこの侯爵家を手に入れて、我が物顔でメラニーを夫人として我が家に迎え入れるとか?
そんな……ことある?
自分の考えすらまとまらないまま、わたしはスヴェストル侯爵夫人が使う部屋へと向かうのだった。
◇ ◇ ◇
「……え……? どういうこと……?」
久しぶりに訪れたお母様の部屋は、まるで雰囲気が変わっていた。
臙脂色を基調とした落ち着いた雰囲気だったはずのお母様の部屋は、白や薄桃色を基調とした明るい雰囲気に様変わりしていた。
一歩足を踏み入れれば、お母様が愛用している香水の香りがしていたこの部屋は、今はとても馴染みのある香りに溢れている。
それは……わたしの香り、というかお義兄様がわたしをイメージして作ってくれた香水の香りだ。
ずっと、ずっと前から使っている香り。
だからもちろん2年分の記憶を失っているわたしでも馴染みあるもので。
でもわからない。
何故この香りがこの部屋からするのか。
まるでここが……わたしの部屋みたいだ。
「……え?」
一歩一歩と歩みを進め、この部屋に設えられている文机と向かう。
ドキドキと逸る心臓を押さえながら、そっと引き出しに手をかけた。
「っ?!」
開いた引き出しから姿を現したのは、見覚えのある文箱。
そっと箱を開ければ……大事なペン軸が収められていた。
「どう……いうこと? こ、これ……何?!」
くるりと踵を返して、この部屋に繋がっている衣裳部屋へと駆けこむ。
わたしの私室にあるものより広いそこには真新しいドレスがかかっていた。
わたしの紅茶色の髪に合うであろう、美しい色合いのドレス。
ただ一点、ドレスはすべて既婚女性用のデザインだった。
「……どういう……こと?」
わたしの私物ある部屋に、同時に既婚者の女性向けのドレスが置いてある。
すべてが、そう、すべてがちぐはぐだ。
「リア?!」
「ひっ!?」
後ろから声をかけられ、思わず身体が跳ねる。
じわじわと冷や汗を感じてしまう。
だって、今このお屋敷でわたしを『リア』と呼ぶのは一人しかいない。
「お……義兄……さま?」
恐る恐る振り返れば、想像した通りの人物がいた。
わたしの呼びかけに美しい顔を歪めるお義兄様。
……それはどういう感情なんだろう。
もう……よくわからない。
「あ……勝手にお部屋に入って……ごめんなさいっ!」
「リア!」
どこか恐ろしくて。
何かが怖くて。
わたしはお義兄様の横をすり抜けて廊下へと飛び出した。
どうして、わたしは階段から落ちたのだろう。
どうして、メラニーはお屋敷からいなくなったんだろう。
どうして、お父様とお母様はここにいないんだろう。
どうして、メラニーはあんなことを叫んだんだろう。
どうして、わたしの身体はいつまでたっても回復しないんだろう。
どうして、お義兄様は……。
「リア! 走るなっ!」
お義兄様の怒ったような声が私を追いかけてくる。
それがどこか恐ろしくて。怖いものに思えて。
わたしは足を止めることができない。
ふと気が付けば、わたしが落ちたと言われている階段に差し掛かっていた。
夢の中でもわたしは走っていた。
とても嬉しいことがあって。それを誰かに伝えなくちゃって。
誰に? お父様に? お母様に? マーサに?
違う。わたしが一番に伝えたいと思っていたのは……お義兄様……じゃない……。
わたしの……。
「リア! あぶないっ!!」
お義兄様の怒号が聞こえる。
大声に焦ったわたしは足を縺れさせて、バランスを崩した。
わたしの身体が倒れ込んだ先には……階段が……。
ぐらりと揺れる身体。ふわりと身体が浮き上がる感触。
これは夢で見た……。
「っ! リアっ!!」
力強い手がわたしの腕を掴む。
くるりと身体が回転して、ダンスを始める時のような姿勢になる。
腰に回されたお義兄様の腕がしっかりとわたしを支えていた。
見上げれば……。
ものすごい形相でわたしを睨む……いえ、違うわね。泣きそうなお顔で、わたしのことが心底心配だという表情でわたしを見るお義兄様。
……いいえ。そうね。違うわね。この方はお義兄様ではない。……今はわたしの……。
「リアっ! あれほど走ってはいけないと! いいか!? 今の君は君だけの身体じゃないんだ! もっと自分を大事にしてくれっ!」
「そう……ね。ごめんなさい。旦那様……」
「だいたいリアは! お転婆な君も可愛いが、非常に可愛いんだが、今だけはもう少し……リア?」
ものすごい勢いでまくし立てていたお義兄様、いえ旦那様がポカンと口を開いた。
「えぇ、そうよね。わたし、今……お腹に赤ちゃんがいるんですものね……旦那様?」
びっくりした。
青い瞳があっという間に潤んだかと思えばボロボロと涙が溢れ出した。
いつも沈着冷静な旦那様のこんな表情は珍しい。いえ、さっきの焦った顔も珍しいと言えば珍しいのだけど。
「旦那様……サミュ様? サミュ? 泣かないで……。ちょっと……忘れちゃってごめんなさい……?」
「っ! 本当に! 君はっ!」
ぎゅうと一瞬だけ力強く抱き締められて、慌てたように緩められる。
それを少しだけ物足りなくなりながらも、今のわたしの状況なら仕方ないとも思う。
そう、わたしは今、妊娠中なのだ。
相手は……今目の前でわたしを抱きしめている元お義兄様で、現旦那様のサミュエル様。
思い出してみればなんてことのない話だった。
我が家は、お母様がわたしを生んだ後妊娠を望めない身体になってしまった。
この国では男でなければ爵位を、家を継ぐことができない。
我が家唯一の子であっても女性であるわたしでは家を継げないのだ。
本来であれば、お母様と離縁して新しい女性を迎えてその方と……というのが血を繋いでいかなければならない貴族家のお役目なんだけど、お母様を愛していたお父様はそれを拒否したのだ。
そして、遠縁のお義兄様を引き取って、わたしと婚姻させることによって、我が家の後継ぎ問題と血の問題を解決したのだった。
わたしとお義兄様の相性が悪い可能性も鑑みて、うっすらと血の繋がってるお義兄様が選ばれた訳だ。
さらに、幼少期から共に過ごすことによって、相性を見定めていたという部分もあるのだろう。
そんなお父様の思惑通り、わたしはお義兄様が大好きで、だけどいつか別の方に嫁するものだと頑なに信じ込んでいて……。
わたしが18を迎えた半年後に、お義兄様との婚姻式が行われた時には、そうとう阿呆面を晒していた記憶がある。
……この記憶は戻って来なくて良かったんだけどな?
そんなこんなあって、夫婦となったわたしたち。
お父様とお母様は、後は任せたと言わんばかりにサミュ様に家督を譲って、早々に領地へと引っ込んでいった。
子供の目も憚らずいちゃついていたあの二人のことだ。
領地でのんびりしながらイチャイチャしたいのだろう。
その結果、スヴェストル侯爵となったサミュ様と同じく侯爵夫人となったわたしは二人で主寝室を使っていてもおかしくない訳で。
あのわたし好みの内装は、わたし自身が張り切って揃えた物だった。
若き侯爵として、その侯爵を支える夫人として忙しくしていたそんな折、わたしの体調が微妙に思わしくない日が続いた。
微妙なだるさと吐き気。疲れているのかしら? と思いつつお医者様を呼んだところ、懐妊がわかったのだけど……。
「……ところで旦那様? メラニーとはどういうご関係でしたの?」
わたしの言葉に、少しだけ涙の跡が残る青い目を見開いたサミュ様。
わたしは逃がさないとばかりに、サミュ様の腰に抱き着いた。




