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その2

「ねぇ、マーサ? たまには外の空気を吸いたいわ」


「……大人しくなさってくださいませお嬢様」


「そうは言ってもねぇ。もう一週間も屋敷から出ていないのよ? 窓だって開けちゃダメって言うから新鮮な空気も吸えないし……。病気になりそう……」


 ぼそっと最後に付け足した言葉が功を奏したのか、マーサが一つため息をついてわたしに向き合った。


「……確かにそうですね。今のお嬢様のお身体で不健康に引きこもるのもよろしくないでしょう。少し旦那様、いえ、サミュエル様に相談してまいりますね」


「さっすがマーサ! 頼りになるぅ!」


 くるりと部屋着を翻してマーサの元に駆け寄ってその手を取る。

 長年我が家に仕えてくれるだけあって、マーサの手はがっしりとした働き者の手だ。

 自分の細いだけの手が少しだけ情けなく見える。


 ……このまま記憶も戻らず、よくわからない状態で、嫁き遅れになったりして……。

 って、それはさすがに役立たずが過ぎるわね。


 思わずじっとマーサの手を見つめていると、そっと離れていったマーサの手が、反対にわたしの手を包み込んだ。


「エリアーヌお嬢様、サミュエル様を信じてくださいませね。かのお方はあなたさまの……。いえ、あなたさまを必ず守ってくださるのはあのお方ですから……」


 ぎゅうと握り締められ、マーサの体温がじわりと移る。

 だけどどういうことだろう?

 いずれお義兄様は妻を迎え、この家を盛り立ててはいくだろうけど……。

 その時わたしの存在は邪魔でしかないはずだ。

 その……はずだ。


 ちくちくと胸を刺す痛みと、むかむかと込み上げてくる吐き気を飲み込んでいると、マーサの温もりがそっと離れていった。


「では、旦那様、いえ、サミュエル様にお伝えしてまいりますので……。けっして部屋から出ませんように。そして窓にも……」


「はいはい。近づきません! 小さい子じゃないんだからっ!」


「私はお嬢様の乳母ですからね。私にとってお嬢様はいつまでも小さなレディですよ」


 マーサの言葉に、照れくささを感じながら手を振る。

 マーサはそっと扉から出ていった。


「……さて。マーサは忘れちゃったのかしらね? わたしが結構手のかかる子供だったこと」


 くるりとスカートの裾を翻して部屋を横切る。

 目的地はわたしの部屋にある窓だ。

 わたしの部屋は屋敷の門が臨める側に窓があり、門から玄関へと続く青々とした芝が良く見えた。


 大きく窓を開ければ、新鮮な空気が我先にと言わんばかりに部屋へと吹き込んできた。

 胸いっぱいに新鮮な空気を吸いこんで、ほっと息を吐いた。


「うーんこれこれ……」


 階段から落ちたらしい日からずっと寝台から、部屋からでないように監視されていたから、新鮮な外の空気は久々だ。

 庭師のトムが整えてくれてる花々の香りが、柔らかな風に乗ってわたしの元まで届いた。

 ずっとむかむかとした気持ち悪さを抱えていたけど、少しだけすっきりした気分だ。


「……ふぅ……あら?」


 深呼吸を何度か繰り返した後、柔らかな日の光に照らされながらぼんやり外を眺めていると、門の外側に誰か来て……。


「……もめてる?」


 家令が対応しているようだが、家令が門を開ける気配はない。

 ということは招かれざる客なのだろう。


「……女の人……よね?」


 でも我が家を訪ねてくる女性が歩いてくるかしら?

 我が家に用がある女性ということは、ある程度身分ある相手ということだ。

 もちろん、食料品や日用品の搬入で女性が来ることもあるけど、そう言った場合は裏門を利用すると思う。


 だから……。

 

 割と質素なワンピースで正面から歩いて我が家を訪れる女性という存在は……なかなか珍しい。

 だからこそ家令は相手を一歩も敷地内に入れないようにしてるんだろうけど……。

 相手もなかなかしつこいみたいだ。さすがに声までは聞こえないが、家令と何事かもめているみたいだ。


「……どうしましょう? マーサに頼んで誰か家令の加勢に向かってもらうようにした方がいいかしら? それとも憲兵を呼んでもらう?」


 はらはらしながら状況を観察する。

 マーサに頼めば窓から顔を出していたことがバレてしまうけど、何やらもめている家令を守らなくちゃいけない。


「マ、マーサ……」


 使用人を呼ぶベルを手に取ろうとした瞬間、視界の隅に人影が見えた。

 誰かが加勢に向かったのだろうか……。


「あぁ、良かっ……お義兄様?」


 颯爽と現れたのはお義兄様だった。

 お義兄様が姿を現した途端、あれほど大騒ぎしていた女性の態度が一変した。

 門の隙間から必死に手を伸ばし、お義兄様に何事か訴えている。

 だけど動かないお義兄様にしびれを切らしたのか、最後には悲鳴のような金切り声を上げていた。


 そして……わたしは気付いてしまった。


「……メラニー?」


 そう。

 門の向こうで今や絶叫に近いほどに声を荒らげているのは、メラニーだった。

 わたしの認識では最近までわたし付きだったメイド。


 落ち着いた雰囲気を持った大人っぽい彼女は、物静かだったがわたしの意図を汲んでくれる優秀なメイドだった。

 そんな彼女が髪を振り乱しながら、大声をあげている。

 そんな光景はにわかには信じられない。


 だけど、一度彼女をメラニーだと思ってしまえば、もうそうとしか見えなかった。


 呆然としたままその光景を眺めていると、くるりとお義兄様がメラニーに背を向けた。

 その瞬間。


「奥様より私を愛していると言ったじゃないっ!」


 メラニーの絶叫が響いた。


「……え?」


 お義兄様とメラニーが思い合っていた?

 そもそも奥様って……誰?

 この家の奥様と言えば、わたしのお母様のことだけど、さすがにお義兄様とお母様がどうこうといったことはないだろう。

 だから……。


「お義兄様には……妻がいるってこと?」


 え? だとしたら、今どこに?

 よく物語の中では敷地内の小さな邸に愛人を囲うとか書いてあったりするけど、我が家の敷地にそんなものはない。

 あるのは食料庫と倉庫、庭師のトムが主に使っている剪定用の用具が仕舞われた小屋だけだ。

 まさかそんなところにお義兄様の奥様を閉じ込めてるなんてことはないだろう。

 お義兄様は優しい。自分の妻にそんな不遇な扱いをするとは考えにくい。

 そんなことを冷静に考えているつもりだったけど、実のところちっとも冷静じゃない。

 ずっとずっと諦めていた……つもりだったお義兄様への気持ちがじくじくと胸を刺す。

 いつかは……とは思っていたけど……現実を目の当たりにしたショックは想像の比ではなかった。

 だけど本当にお義兄様の奥様は……どこにいるの?

 

「え……? 本当にどういうこと……?」


「おく……お嬢様っ! あれほど窓には近づかないでくださいと……っ!」

 

 呆然と窓の側で佇んでいると、背後からマーサの叱責が聞こえてきた。

 ショックで覚束ない身体を無理やりに振り向かせれば、意外にも心配そうな表情を浮かべたマーサがいた。


「……まーさ? ……うぐぅ……」


「お嬢様!」


 込み上げてきた吐き気に、思わず口元を押さえる。

 どうしてだろう。

 階段から落ちてからこちら、どうも体調がすぐれない。

 落ちた時の打ち所が悪かったのだろうか。

 時折込み上げてくる吐き気と、慢性的な気持ち悪さがどうにもいただけない。


 ぐらぐらと揺れる身体を持て余してしゃがみ込んでしまう。

 慌てて駆け寄ってきたマーサがわたしの身体を支えてくれたけど……。


 じわりと意識が闇に呑まれていった。




 ――――急がなきゃ!

 ――――急いでお伝えしなきゃ!

 ――――あぁ、メラニー! あの方は喜んでくれると思う?

 ――――きっと喜んでくれるわ!

 ――――ねぇ? メラニー? あなたもそう思うでしょう?


 ――――どうしたのメラニー?


 ――――あ! お義兄様! 旦那様! 聞いてください! わたし……! ……え? 旦那様? どうしてそんな怖い顔を……? え? メラ……?


「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 ガバリと身を起こせば、そこは見慣れたはずの自分の部屋だった。

 お気に入りの寝台にお気に入りのリネン類。

 お気に入りの香りをつけたそれらはとてもよく眠れる……はずだった。


 ドクドクと心臓が激しく鼓動する。

 じんわりと額を濡らす汗を手の甲で拭う。

 一緒に悪夢の残滓も拭えたらどんなにいいだろう。


 悪夢は……悪夢でしかない……はずだ。


「お義兄様がわたしを階段から突き落とすワケ……ないものね」


 あえて口に出してみれば、より納得できる気がした。

 そう。夢の中でわたしは階段から落ちていた。

 ぐらりと揺れる身体。ふわりと身体が浮き上がる感触。

 ものすごい形相でわたしを睨むお義兄様。

 わたしの方に突き出されたお義兄様の腕。


 きっと……夢だ。


 生々しい感触が残る自分の身体を抱きしめる。

 わたしの身体は……かすかに震えていた。


「そんなはず……ないものね……」


 言い聞かせるように呟いていれば、うつうつと眠りが忍び込んできた。

 ほやほやとした意識のまま、寝台に身体を横たえるけど、何かが足りない。


「……寒いわ」


 記憶よりずっと寒い寝台を持て余しながら、本来あるはずのぬくもりを求めながら、わたしは目を瞑った。

 

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