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マーチングバンド東京都大会編

夏が終わり、空気の熱気が少しずつ軽くなっていく頃。

部室の雰囲気は、むしろ反比例するように緊張感を増していた。

――東京都大会。

数えきれないほどの学校がこの日のために練習を積み、

どのバンドも本気で勝ちに来る最大の戦場。

フォーメーション、音、姿勢、すべてに“完璧”が求められる。

結月も蒼真も、覚悟はできているはずなのに、

胸の奥に大きな不安がまだ眠っていた。

それでも音を合わせる瞬間だけは、迷いも揺れも消える。

今年一番の夏が、まだ終わっていない。

(結月視点)


私は井上結月――クラリネットを始めて一年半。


九月の朝は、少しひんやりしていて、

部室に入ると木の香りとリードの匂いが混じって落ち着く。


だけど今日は、落ち着けない。


だって――

東京都大会まで、あと二週間。


フロアの広さに合わせたフォーメーション練習が始まってから、

私はずっとある悩みを抱えていた。


“斜めラインが、どうしてもずれる”


音は吹けるのに、動きで遅れたり速くなったりしてしまう。


クラリネットの先輩だった三年生がいない今、

相談できる人もいない。


「結月、おはよー。今日の練習表見た?」


突然、後ろから軽い声がして振り返ると一一

蒼真が、いつものラフな笑顔で手をひらひらさせた。


「今日さ、午後はフィールド借りて通しやるって」


「えっ、もう?は、早くない?」


「早いよな。でも、東京都大会なら普通だって顧問言ってた」


蒼真の声は明るいけど、

その手元のホルダーを握る指は少し強かった。


彼も緊張している。


私もがんばらなきゃ。


そう思って、小さく深呼吸をした。


◆ 日常の練習風景 一 木管セクション練


部室横の廊下を借りて、木管セクションだけで練習。

指揮台の前に仮ラインを引き、

姿勢を固定したまま通しで吹く。


「結月、そこテンポ少し走るよ。足と合ってない」


同じクラの二年生が優しく教えてくれる。


「ご、ごめんなさい!気をつけます」


「いいよ、まだ時間あるから。焦らない焦らない」


そう言ってくれるのに、

胸がぎゅっと締まった。


“あと二週間しかない”。


そんな言葉が、頭のどこかで響く。


◆ 金管セクション ― 蒼真の成長


(蒼真視点)


金管のグラウンド練習は、正直しんどい。

動きながらの息の持久力、姿勢の維持、

さらに東京大会用のハイブリッドフォーメーション。


でも、俺はこの緊張感が嫌いじゃない。


二年生のリーダーが声を張る。


「トランペット隊、第三ドリル!動き出し早いぞ! もう一回!」


全員が汗で髪を張りつけながら返事する。


「はいっ!!」


息があがり、肺が痛い。


だけど一一

視界の端に、フィールドの端でクラリネットを抱えた結月が見えた。


彼女は、黙々と自分のドリル番号を確認している。


いつも不安そうなのに、

頑張り方だけは誰より真剣だ。


……負けてられない。


そう思うだけで、疲れが薄れていく。


◆ 合同練習 一 小さなミス、大きな不安

(結月視点)


午後のフィールド練が始まる。


太陽はまだ強くて、

アスファルトがじんわり熱を返してくる。


「クラパート、左斜め前へ二歩!」


「金管、そこ角度気をつけて!」


「視線、前へ!」


顧問の声が響くたび、

自分の足が正しいかわからなくなってくる。


そして一一


「……っ!」


まただ。

斜めラインがずれる。


私だけ、ほんの少し後れてしまう。


蒼真が横目で心配そうにちらりと見る。


でもその視線が余計に焦らせた。


「ご、ごめんなさい……!」


ああ、泣きそう。


するとそのとき、

副部長の二年生がそっと肩に手を置いた。


「結月。止まれ。いったん深呼吸」


言われるままに息を吸う。


「焦ったら視界が狭くなる。

 ドリルは前を見るんじゃなくて“空間”を見るんだよ」


空間。


言われた意味はよく分からないけど一一

なぜかその言葉だけが胸に残った。


◆ 放課後 一 蒼真の言葉


練習後、片付けをしながら蒼真が声をかけてきた。


(蒼真視点)


「結月、今日のあれ……気にしてる?」


「……うん」


うつむいて、リードケースを握りしめてる。


「俺さ、昔もっとひどかったよ。

 中一のときなんか、隊形崩して先輩に怒られたし」


「えっ、蒼真、そんな……」


「あるって。全然ある」


彼女の目が少しだけ上がる。


「だからさ。

 今日は上手くいかなかったかもしれないけど、

 明日できるようになればいいんだよ」


言った瞬間、結月が少し笑った。


その笑顔だけで、今日の練習が救われた気がした。


◆ 直前一週間 一 緊張と団結


東京都大会が迫り、学校全体がそわそわしていた。


早朝の基礎合奏


昼休みの動き確認


放課後の通し練


どれも緊張で手が冷える。


でも、全員が互いを支え合っていた。


「結月、テンポの走り直ったよ!」


「蒼真、その入りめっちゃ良かった!」


言葉を掛け合うたびに、

チームの空気がまとまっていく。


大会前日、顧問が言った。


「全員、十分仕上がってる。

 明日は、自分たちを信じて演奏しろ」


その言葉は、胸の奥で静かに光った。


◆ 東京都大会当日 一 決戦の朝

(結月視点)


本番会場に着くと、他校のユニフォーム姿が目に飛び込んでくる。


強豪と呼ばれる学校の迫力ある動き。

聞いたことのあるメロディがフィールドの外にまで響いてくる。


「……すごい」


足の震えが止まらない。


すると蒼真が横で言った。


「結月、深呼吸」


「……うん」


「大丈夫。俺たちも強い。練習してきただろ」


その声だけで、少しだけ怖さが薄れた。


◆ 直前チューニング 一 無言の合図


チューニングエリアは緊張の空気で満たされている。


顧問が言う。


「全員、静かに心を整えろ。

 音は出すな。呼吸だけ確認」


結月は目を閉じる。


息を吸う。

胸が上下する。

手が冷たい。


その肩に、ぽん、と軽く触れない距離で

蒼真がそっと声をかけた。


「結月。いけるよ」


たったそれだけで、心が落ち着いた。


◆ 本番 一 照明の中、音が走り出す

(蒼真視点)


フィールドに入る瞬間、

大会特有の照明の眩しさが目に突き刺さる。


観客席のざわめき。

審査員の視線。

他校のプレッシャー。


全部ひっくるめて飲み込む覚悟が必要だ。


指揮者が前に立つ。


スティックが上がる。


一一息を吸え。


ドンッ!


ドラムのキックが鳴り、

ショーが一気に始まる。


動く。

吹く。

回る。

走る。


そのすべてが音楽と一つにまとまっている。


そして視界の端に、

結月がフォーメーションに完璧に乗っている姿が見えた。


……できてる。


よし、いこう。


(結月視点)


本番のフィールドは、

練習で何度もやったはずなのに全然違って見えた。


足が震える。

でも、音は震えなかった。


副部長に言われた“空間を見る”が頭に浮かぶ。


見るのは前の背中じゃない。

自分を包む空間全部。


そして一一

自然と斜めラインが揃い始めた。


「……できた」


小さくつぶやいた瞬間、

胸の奥が熱くなる。


蒼真が大きな音でリードを吹き、

その音が風のように背中を押す。


この瞬間は、全部がつながっていた。


◆ 最後のクライマックス


観客席から拍手が起き始める。


走りながら吹く最後のセクション。

息が切れる。

足が重い。


でも、止まらない。


最後の音を吹き切り、

フィニッシュの姿勢で静止。


一秒、二秒――


「ありがとうございました!」


歓声が一気に広がる。


◆ 結果発表 ― その瞬間


他校の発表が続く。

心臓が痛いくらいに脈打つ。


顧問が小声で言った。


「落ち着け。結果が全てじゃないぞ」


でも、祈ってしまう。


「続いて、○○高校マーチングバンド一一」


「金賞 」


第一関門を突破した。


一通りの結果発表が終わり、いよいよ支部大会出場校の発表

金賞受賞団体6団体のうち2団体が出場する


「只今より、支部大会に出場する代表2校の発表を行う」


空気が重たくなる


「1校目は一一」


「△✕高等学校吹奏楽部」


周りが歓喜の声で上がる

次呼ばれなければ、三年生はここで引退。今シーズンも終了だ


「続いて2校目は一一」


「〇〇高校マーチングバンド」


瞬間、全員が息をのんだ。


「えっ……!」


「よっしゃああああ!!」


部員たちが互いに抱き合い、跳びはねる。


私も思わず涙がこぼれた。


その横で、蒼真が笑っていた。


汗で顔がぐしゃぐしゃなのに、

今までで一番誇らしい顔だった。


「結月、やったな!」


「うん……!ほんとに……!」


夏が本当に終わった気がした。


でも――

音楽は、まだ続く。

東京都大会を終えた帰り道、

疲れ切っているのに誰もが笑顔だった。

本番の緊張、失敗しそうだった瞬間、

仲間の音が支えてくれた感覚――

全部が胸の奥にずっと残る経験になった。

関東大会に進める喜びと同時に、

さらに厳しい練習が待っているという覚悟も芽生える。

結月も蒼真も、それぞれの不安を抱えながらも、

同じ方向へ歩き始めていた。

夏は終わるけれど、

音楽の季節はこれからが本番だった。

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