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春の定期演奏会編

春の風が少しあたたかくなり、校舎の空気もどこかそわそわし始める。

1年間の集大成となる定期演奏会が、いよいよ目前に迫っていた。

新しい後輩が入ってくる前に、今のメンバーだけで作り上げる最後の大舞台。

練習の音は真剣さを増し、不安と期待が入り交じる。

結月も蒼真も、それぞれ胸の奥に特別な思いを抱えながら、春の大舞台へ向かっていく。

(井上結月視点)


私は井上結月。クラリネット1年。

あたたかい風がひらりと制服のすそをめくる。

校門に入った瞬間、私の胸の奥はざわついていた。


――定期演奏会まで、あと三週間。


朝練のためにまだ薄暗い校舎へ向かうと、

すでに何人もの部員が楽器ケースを開け、スケールを吹きはじめている。


(みんな、やっぱり気合い入ってる…)


クラパートの先輩に挨拶をしながら席に座ると、

楽譜の端がほんの少し湿っているのに気づいた。

昨日の夜、焦って何度も練習したせいでついペットボトルを倒したのだ。


「結月、おはよう!」


明るい声に振り返ると、蒼真が、

ケースを肩にかけたまま軽い足取りで近づいてきた。


「おはよ、早いね」


「そっちこそ。春の曲、不安か?」


「……ちょっと、ね」


正直に言ったつもりはないのに、自然と漏れてしまう。

蒼真は、なにか言いたげに口を少し開き――

それから、言葉を飲み込んで優しく笑った。


「今日の合奏、また難しいところあるだろ。

 昼休み、空いてたら合わせよ」


「えっ、ほんとに…!?助かる…」


「結月は素直で練習するタイプだしな。

 ……放っとけないだけ」


最後の一言が小さかったから、

聞こえたかどうかさえ自信がない。


でも胸の奥がふっと熱くなった。


◆ 午前:個人練とパート練


午前は、クラリネットだけのパート練。

定期演奏会のメイン曲は難所だらけで、

速いパッセージのあとに長いソロがある。


(ここ、まだ安定しないんだよなぁ…)


先輩たちは落ち着いた表情で練習を進めているけど、

私は息が足りなくて途中で音が震えてしまう。


「結月、悪くないよ。

 でも、息を前に出す意識でね」


先輩が優しくアドバイスしてくれる。


分かってるんだけど、頭では理解できても、

体がついてこない。

あせればあせるほど、音は乱れていく。


(やばい…このままだと私が足を引っぱる…)


午前の練習が終わる頃には、

胸の奥がぎゅっとつかまれるように重くなっていた。


(中村蒼真視点)


俺は中村蒼真。トランペット1年。

定期演奏会までの追い込み時期は、

どのパートもピリピリした空気になる。


金管も例外じゃなく、

短いファンファーレのソロの完成度を上げるために、

顧問や先輩に細かく指摘されまくってる。


でも――気になる方向に

どうしても視線が向いてしまう。


(結月…また落ち込んでんな)


パート越しにちらっと見える横顔は、

すごく真剣で、だけど疲れてる。


それを見てしまうと、

なんかこう…助けたくなる。


(結月視点)

◆ 昼休み:2人だけの合わせ練習


「結月、行くぞ」


蒼真に声をかけられ、

私はクラリネットを握りしめて立ち上がった。


向かったのは、校舎の端の空き教室。

誰も使っていない静かな場所だ。


「じゃ、まずさっきの速いとこ吹いてみて」


「う、うん…!」


緊張しながら吹くと、途中で指がかすかにひっかかった。


「はいストップ。

 息が上ずってる。力抜け」


「抜いてるつもりなんだけど…」


「“つもり”じゃダメだって」


蒼真は軽く笑って、ゆっくり手をとり、

クラリネットの角度を調整した。


「ここ。少しだけ上げてみろ。

 それで息の流れが変わる」


「あ、ほんとだ…!吹きやすい…!」


「んで、次はリズム。

 さっきより細かく区切って吹け」


「やってみる!」


息を整え、もう一度吹く。


――さっきまで全然できなかったところが、

なめらかにつながった。


「すごい…!できた……!」


自分の声が思わず大きくなる。


蒼真は、満足したように頷いた。


「結月は飲み込み早いからな。

 午後、その調子でいけ」


「ありがとう…!ほんとに助かったよ…!」


蒼真の目がふっと柔らかくなる。


「結月の演奏、俺好きだからさ。

 ちゃんと響かせられるようにしておきたいんだよ」


「…………えっ」


耳まで一気に熱くなった。


「変な意味じゃねぇよ!?

 音が、って意味だ!」


蒼真が急に慌て出す。


(いや、それでも十分恥ずかしいよ…!)


でも、

言葉の一つひとつが胸の奥に残って、

不安が少し軽くなった。


◆ 午後:合奏の空気が変わる


午後の合奏で、

クラリネットのソロが近づく。


顧問「じゃ、井上。ソロいってみよう」


「は、はい…!」


さっき確認した角度、息の流れ、

リズムの区切り――

全部思い出しながら吹いた。


音が、震えなかった。


顧問「お、安定してきたな。よし、もう一回」


先輩「結月、いいよ!その調子!」


(できてる…!ほんとにできてる…!)


胸が熱くなる。


合奏の流れは厳しかったけど、

その厳しさの中でも“音がまとまっていく”瞬間がはっきり感じられた。


蒼真のいる金管側から、

曲の芯になるような太い音が響く。


(すごいな…蒼真くんの音)


思わず横を見ると、

蒼真がちょうど私のほうを見ていて、

軽く頷いた。


(……頑張る!)


私は急いで前を向いた。


(蒼真視点)


午後の結月は、

午前とは別人だった。


顧問に褒められたあと、

ほんの少しだけ緩んだ表情してて――

その瞬間を見たら、

なんか胸の奥がぎゅっとなった。


(結月のソロ、当日は絶対決めさせたい)


そう思うだけで、

自然と自分の音にも気合いが入る。


金管全体が集中し始めて、

合奏室の空気そのものが引き締まる感覚が気持ちいい。


(本番、いい演奏になるな)


そんな予感がした。


(結月視点)

◆ 本番まで数日:不安と期待


日が経つにつれて、

練習はどんどん厳しくなり、

同時にみんなの気持ちも一つになっていった。


でも――

私は、本番が近づくほど不安が膨らんでいった。


(私がミスしたら、全部台無しになる…)


夜遅くまで楽譜を見返しすぎて、

お母さんに「寝なさい」と言われるほど。


そんな状態のまま迎えた、

前日練習。


合奏はうまくいったはずなのに、

なぜか胸はずっと重かった。


練習後、ぼんやりステージ裏の廊下に座っていると――


「結月」


蒼真が静かに声をかけてきた。


「……不安?」


私はうなずくことしかできなかった。


「ちょっと来い」


蒼真はそう言って、

私を屋上へ連れ出した。


(蒼真視点)


屋上の風は、

まだ少し冷たい。


だけど、

ここなら誰にも聞かれない。


「結月、顔死んでるぞ」


「……だって、本番が怖いんだもん」


小さな声が震えていた。


結月は頑張り屋で、

だからこそ追い込みすぎる。

わかってたけど、

今日は限界が近いのが見て取れる。


「結月のソロ、今日めっちゃ良かっただろ」


「でも、本番でダメだったら…」


「ダメじゃない」


「でも…!」


「ダメじゃねえって言ってんだろ」


思わず少し強く言ってしまった。


結月がびくっと肩を揺らす。


「……ごめん。でもな」


俺は息を吸った。


「俺、ずっと結月の音聞いてきた。

 近くで、ちゃんと」


「……」


「結月の音、まっすぐで、あったかくて、

 ちゃんと曲に溶けるんだよ。

 俺はそれ知ってる」


結月が、ゆっくり顔を上げた。


目がうるんでて、

胸が痛くなる。


「怖いって思ってるのも分かる。

 でもな、結月。

 “怖い”って思うってことは、

 それだけ本気ってことだろ」


「……うん」


「大丈夫。

 本番、絶対いける。

 俺が保証する」


その瞬間、

結月が声を押し殺すように泣きだした。


俯く背中に、

そっと手を置く。


(泣くほど頑張ったんだもんな…)


結月はしばらく泣いて、

やっと落ち着いた声で言った。


「……ありがとう。蒼真くん」


その笑顔を見たら、

こっちまで胸が熱くなった。


(結月視点)


蒼真の言葉に支えられて、

私はようやく呼吸が楽になった。


(うん…やれる。やらなきゃ)


屋上を出るころには、

胸の中の重さが少しだけ溶けていた。


◆ 当日:定期演奏会本番


会場は満席。

緞帳の隙間から客席が見えるだけで足が震えた。


でも――

ステージに立った瞬間、

音楽以外のものが全て消えた。


幕が上がり、

曲が始まる。


顧問のタクトを見つめ、

息を吸う。


(いける…!)


ソロが近づいた。


蒼真のトランペットが芯のある音で支えてくれる。

金管の音があったかくて、

まるで背中を押してくれるみたいだ。


(大丈夫。大丈夫…!)


息を吸い、

クラリネットの先端が震える。


――吹く。


音が、まっすぐ伸びた。


震えなかった。

途中で詰まらなかった。


顧問が頷く。

客席が静まり返る。


(できた――!!)


胸の中で何かが弾けた。


蒼真の横顔が、

ほんの少しだけ嬉しそうに笑っていた。


(蒼真視点)


結月のソロ、

本番が一番良かった。


息の通り方も、

音色のまろやかさも、

全部、今までで一番綺麗だった。


(やっぱ、結月すげえよ)


誇らしくて、

でもどこかくすぐったくて――

そんな気持ちを抱えながら、

最後の曲へ進んだ。


フィナーレのファンファーレで

金管全体がひとつになる。

空気が震える。


最後の一音が響き、

会場に拍手が広がった。


緞帳が下りる瞬間、

思わず拳を握った。


(やり切ったな……!)


◆ 終演後:涙と笑顔の部室


会場を出ると、

先輩も後輩も先生も泣き笑いしていた。


「結月!ソロ最高だったよ!!」


「ありがとう…っ!」


みんなに抱きしめられ、

私はまた泣きそうだった。


そのあと、

少し離れたところで蒼真が手を振る。


「結月」


「……蒼真くん」


「いい演奏だったな」


「うん…!ありがとう、蒼真くんのおかげだよ」


「いや、結月の努力の勝ちだ」


彼はそう言って、

ほんの少しだけ照れたように笑った。


春の夜風が少しひんやりしていたけれど――

胸の奥は、あったかかった。

長い一日が幕を下ろし、部室には達成感と余韻が静かに満ちていた。

うまくいった音も、少し悔しかった部分も、すべてがかけがえのない“今日だけの演奏”だった。

結月は、自分の成長をしっかりと実感し、蒼真も仲間の音に誇りを感じていた。

春の定期演奏会は終わったけれど、ここからまた新しい季節が始まる。

音楽と仲間と、少しだけ強くなった自分を胸に、ふたりは次の一年へ歩き出していく。

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