日常編
大会もイベントもひと区切りつき、学校には穏やかな時間が流れ始める。教室の笑い声、部室の雑談、放課後のゆるい練習。特別な出来事はないのに、なぜか毎日がちょっと楽しい。結月は小さな成長を見つけては喜び、蒼真は変わらない日常の中で後輩たちを面白そうに見守る。そんな“普通の毎日”が、ふたりの距離を少しずつ近づけていく。
(結月視点)
昼前の休み時間。
教室に差し込む光がちょうどいい明るさで、
結月は一人、机の上に譜面を広げて黙々と書き込みをしていた。
「この16分音符のとこ、指替え間に合わないんだよなぁ……。
ここは息を浅めに……いや、深め……え、どっち……?」
半分独り言をつぶやきながら、
クラリネットの指番号や注意点を小さくメモする。
そんなときだった。
「おまえ、何ひとりで真剣になってんの。」
「ひゃっ!?」
突然声をかけられ、結月は盛大にびびった。
振り返ると、蒼真が腕を組みながら立っていた。
「な、なんでいきなり後ろに立ってるの!? 心臓とぶかと思った!」
「いや、普通に前から来てたけど? 気づかなかったのお前だけ。」
「あっ……そ、そう……?」
蒼真の視線が譜面へ落ちる。
「それ、書き込み? 指番号めっちゃあるな。」
「だ、だって難しいんだもん。間に合わないから整理してて……!」
「へえ。こうやって工夫するのはいいことだと思うけど。」
変に褒められて、思わず顔が熱くなる。
なんか、距離感が近い。
いや近いってば!!
「そ、それよりなんで来たの!?」
「なんでって……席近いからだろ。話しかけるくらい普通じゃね?」
「普通……?」
そんな自然体で言われるとこっちが困る。
結月の頭が混乱しきったそのとき——
「ちょっとちょっとぉ〜〜!? なにこれ!?」
「え? え? なんかいい感じじゃん!」
「結月、昼ドラ始まってる!? もしかしてそういう……?」
周りからクラスメイトがわらわらと集まってきた。
「ちがう!! ほんとになんでもないから!!」
結月は全力で否定する。
「なんでもないけど、めっちゃいい雰囲気だったぞ?」
「蒼真くん、顔近くない? たまたま? いやわざと?」
「わざとじゃない!!」
「ていうかわざとって何!!」
結月の周りは一瞬で騒ぎになった。
蒼真は……というと、苦笑しながら。
「はいはい、解散。こいつただ書き込みしてただけだから。」
「いや蒼真くんが優しく話しかけてたのは事実〜!」
「それはまぁ……普通に話しただけだし。」
「普通って言うけどー!」
結月は机に突っ伏した。
「もぉおおお!! みんな帰ってぇぇ!!」
わいわいと笑いながらクラスメイトが散っていく。
蒼真は小さく息を吐くと、軽く結月の頭をぽんと突いた。
「気にすんな。いつものことだろ。」
「……うぅ。恥ずかしすぎて死ぬ……」
「死ぬな。放課後、練習あるからな。」
「……わかってる……」
その軽いやり取りだけで、
さっきの恥ずかしさが少し和らいだ。
(蒼真視点)
放課後の部室。
相変わらず打楽器エリアは騒がしく、
管楽器はそれぞれ準備に追われている。
「ちょっと、それ私の譜面!!」
「いや違う! おれの! ほら落書きあるし!」
「それ余計ダメじゃん!」
クラリネットの1年たちのドタバタを聞きながら、
蒼真はマウスピースを確認する。
そんな中、隅のほうで結月がまた譜面とにらめっこしていた。
あの必死な顔は、さっきの休み時間とまったく同じだ。
(ほんと真面目だよな、あいつ。)
そこへ、成瀬が駆け寄ってくる。
「蒼真!! 名簿がない!!!」
「知らねえよ。」
「いやいやマジで!! 机にもロッカーにも! もしかしてこれは……事件ッ!」
「うるせぇ成瀬探偵。まず顧問に言え。」
「ダメだ! 顧問は打楽器に囲まれて帰ってこれなくなってる!」
「それはそれで問題だろ……」
部室は瞬時に騒ぎへと発展する。
「誰だ!? 名簿ぬすんだやつ!」
「犯人はこの中にいるッ!!」
周りが勝手に巻き込まれて演劇みたいになっていく。
結月「え、わ、わたしじゃないよ!? だって触ってないし!!」
成瀬「怪しい!!!」
蒼真「いやだからまず落ち着けって……」
結局、名簿は椅子の下に落ちていただけだった。
成瀬「まさかこんなトリックが……!」
蒼真「トリックじゃなくてただの落とし物。」
結月「よかったぁ……犯人じゃなくて……」
(お前は最初から犯人扱いされるタイプじゃねえだろ……)
と喉元まで出かかったけど言わなかった。
結月のほっとした表情が、
なんか子犬みたいで笑えてしまったから。
(結月視点)
次の日の昼休み。
結月の席にはなぜか人が集まっていた。
「昨日の名簿事件さ〜」
「絶対コントだったよね」
「蒼真くんがツッコミしなかったら収拾つかなかったよ」
「ちょ、ちょっと! なに私のとこに集まってんの!? 私関係ないよね!?」
「いや結月も巻き込まれてたじゃん〜」
「というか蒼真くんとよく話してたし!」
「そこ関係ないからぁぁ!!」
そこへ弁当を持った蒼真がやってくる。
「お前んとこ、毎回なんでこんな人集まるんだよ。」
「知らないよぉ!!」
「青春の磁場だろ。」
「やめて!!」
蒼真はため息をつきながらも、ほんの少し笑っている。
(蒼真視点)
放課後。
顧問が突然言い始めた。
「今日は軽く音出しするだけだから〜〜
……と見せかけて、合奏するぞ!!」
「いや見せかけた意味!!?」
「譜面持ってきてないよ!!」
「わああ先生やめて!!」
部室は地獄のような混乱に。
結月「む……無理……!! 初見とか無理……!!」
蒼真「泣くな。わからんとこは休符でいいから。」
「そんなプロみたいなこと!!」
ドタバタしながらも、なんとか合奏は終了した。
結月はへろへろになって座り込む。
「つ、疲れた……」
「まあ、あの顧問にしては普通だったけどな。」
「どこが!!?」
そのあと、結月がひとりこっそり練習しているのを見つけた。
「……何隠してんの。」
「ひゃっ!? な、なんでもない!!」
「その反応がなんでもあるって言ってるんだけど。」
「ちがうから!! これは……その……っ」
私語が聞こえたのか、部員たちが一気にニヤついて近寄ってくる。
「はいきた青春!」
「秘密の練習!! 二人で!!」
「尊い!!」
結月「違うってばーーーー!!」
蒼真「だからお前ら……落ち着けって……」
たぶん落ち着く日は来ない。
(結月視点)
帰り道、夕焼け色の廊下。
「今日ほんと、いろいろありすぎた……」
結月はため息をついた。
「ま、いつも通りだろ。」
蒼真が隣で軽く笑う。
「いつも通り、かな……」
「お前がドジだからな。」
「ひど……でも……楽しかったかも。」
蒼真はその言葉に、少しだけ目を細めた。
「だろ。」
結月はきっと——
こういう日常が、好きなんだと思った。
何気なく過ぎていく日々の中にも、笑った瞬間やちょっとした失敗、みんなでわいわい騒いだ記憶が確かに積み重なっていく。結月にとっては気づけば大切になっていた時間で、蒼真にとっては居心地のいい日常そのものだった。特別なイベントがない日でも、仲間と過ごす放課後には小さなドラマがある。その積み重ねが、次の季節へ向かう力になる。




