マーチングバンド全国大会前夜編
全国大会の前夜は、
いつもより音が少ない。
校舎に残る気配も、
楽器ケースの重みも、
すべてが「明日」に向かって静かに揃えられていく。
不安が消えることはない。
責任も、期待も、重さを増すばかりだ。
それでも、
夜道を並んで歩く二人の間には、
確かに温度があった。
これは、
大舞台の直前に交わされた、
とても小さくて、
とても大切な時間の話。
(蒼真視点)
校門を出たとき、空はもう完全に夜だった。
街灯の明かりがぽつぽつと道を照らしているだけで、昼間の学校とは別の場所みたいだ。
「……遅くなったな」
そう言うと、隣を歩く結月は小さくうなずいた。
「うん。結局、最後まで確認しちゃって」
全国大会前日。
音を出せば出すほど、不安も一緒に増えていく。
それは、俺も同じだった。
少し歩いて気づく。
結月が、やけに静かだ。
「なあ」
声をかける。
「……なに?」
返事はあるけど、視線は前を向いたまま。
足取りが、ほんの少しだけぎこちない。
しばらくして、結月がぽつりと言った。
「……暗いね」
――来たな。
俺は思わず笑ってしまった。
「またかよ笑」
その瞬間、結月がこっちを見て、頬を膨らませる。
「やめてよ〜!」
「だって、前も言ってたじゃん」
「今日は特に無理なの!」
必死な声。
冗談じゃないって、すぐ分かる。
俺は歩くスピードを落として言った。
「はいはい。ほら、横来い」
結月は一瞬ためらってから、小さく「……うん」と言って、距離を詰めてきた。
――――――――――――――――――――
(結月視点)
蒼真の隣に並んだだけで、少しだけ安心する自分が悔しい。
でも、暗い道はやっぱり怖い。
「笑わないでよ……」
「笑ってないって」
嘘。
ちょっと笑ってた。
でも、そのあと何も言わずに、私の歩幅に合わせてくれる。
それだけで、胸の奥がじんわり温かくなる。
しばらく沈黙が続いたあと、急に不安が溢れてきた。
「……ねえ」
「ん?」
「明日さ……」
言葉が、喉につっかえる。
「失敗したらどうしようって、ずっと考えちゃう」
蒼真は何も言わずに、ちゃんと聞いてくれる。
「副部長なのに」
「ソロなのに」
「私が崩れたら、全部……」
言い終わる前に、名前を呼ばれた。
「結月」
顔を上げる。
「副部長意識し過ぎだぞ」
一瞬、頭が真っ白になる。
「……え?」
蒼真は前を向いたまま、続けた。
「結月は結月だろ」
「肩書きより、音でここまで来たんだよ」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「それにさ」
「明日もし崩れるなら、俺が一番前で受け止める」
ずるい。
そんな言い方。
「……ずるいこと言う」
「今さらだろ」
そう言って、蒼真は小さく笑った。
――――――――――――――――――――
(蒼真視点)
風が少し冷たくなった。
結月が、無意識に身を縮める。
俺は考えるより先に、手を伸ばしていた。
結月の手を、そっと握る。
「……手、離さないで」
小さな声。
「離すわけないだろ」
夜道に、二人分の足音だけが響く。
世界が、少し静かになる。
結月の手は、まだ少し震えていたけど、
さっきより力が入っている。
――――――――――――――――――――
(結月視点)
家の前に着いたとき、
正直、もう少し歩きたかった。
「……送ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
少し間が空く。
「明日」
「一緒に音出そう」
蒼真が言う。
「……うん」
短い返事。でも、それで十分だった。
ドアを開ける前、もう一度振り返る。
蒼真は、ちゃんとそこにいた。
――――――――――――――――――――
全国大会前夜。
不安は消えない。
でも、
一人で抱えなくていい夜が、確かにあった。
明日は、
二人で、音を鳴らす。
夜は、怖さを連れてくる。
不安も、弱さも、
昼間よりずっと正直になる。
でもその夜、
結月は一人じゃなかった。
笑われて、拗ねて、
それでも隣にいてくれる存在があった。
全国大会は、明日。
結果は、まだ誰にも分からない。
それでも、
この前夜を越えた二人は、
もう十分に強かった。
音は、
きっと届く。




