今日も婚約破棄する第一王子と公爵令嬢
「セレスティア・フォン・シュテルンリッツ公爵令嬢。今この時を以て、貴様との婚約を破棄させてもらう」
それは静謐な空間に沁み渡るように静かに、それでいて確かな衝撃を与える一言だった。
言葉の主はレイト・ヴァン・アストラント。
このアストラント王国の第一王子にして、セレスティアの婚約者でもある男性だった。
婚約破棄を宣言されてしまったセレスティアは、予想もしていなかった言葉に内心でうろたえながらも、決して表情には出さずに彼の真意を問うた。
「そ、んな……何故ですか、殿下。不手際を働いた覚えはございません。私は常に殿下のためを想って尽くしてまいりました。それなのに、何故…」
「何故、だと? そんなものは決まっている。貴様は常に無表情で愛想も悪く、おまけに女にしては背も高すぎる。まあ仮にヒールを履こうが私の方が高いが。加えて付け加えるなら……」
レイトの冷たい眼差しがセレスティアに突き刺さる。
果たしてどのような絶縁の言葉が吐き出されるのか。
セレスティアはぎゅっと両手を握り込み、いざ断罪の時を待ち──、
「今日の会談の席でのあの愚行はなんだ!? 昔から火花を散らしている隣国の、第一王子とのひりつくような舌戦の最中に、こともあろうに貴様という女は!!」
「王子の隣で変顔をしておりました……?」
「道理でおかしいと思ったわ!! 隣国の王子めっちゃ笑ってたからな!! 言葉を誤れば戦争もあり得る状況でやたらニヤニヤしてたからな!! なんかめっちゃ余裕あるって勝手に深読みしてた私の緊張返せこのトンチキ公爵令嬢!!!」
事の発端はつい先程、隣国であるゾディアク帝国の第一王子との会談中だった。
何を思い立ってしまったのか、このセレスティア・フォン・シュテルンリッツはレイトの隣で堂々と変顔を晒してくれやがったのであった。
「場の雰囲気を和ませようかと……」
「いらんわそんなもの!! 大体運良くウケたからよかったものの、下手したら侮辱されたと戦争になっていてもおかしくなかったんだぞ!!」
「ご安心下さい。私、これまで変顔で外したことはございませんので」
「淑女が変顔芸に自信持ってどうする!! 詩を詠むとか花を愛でるとか、そういうことに自信を持て!!」
「やはりこの端正な顔立ちとの落差がウケるのでしょうか」
「冷静に自己分析するんじゃない……ッ」
レイトが苦悶の表情を浮かべる。
対してセレスティアはというと、やはり無表情を貫いていた。でも両手でピースをしていた。感情は結構豊かな方であった。
「でもお付きの近衛騎士の方達は吹き出してすらいましたよ?」
「知っている。私が一時和平を結ばないかと本命の話を切り出したところで吹き出されて心底驚いたからな。『こいつ和平なんて甘っちょろい提案してきやがったぜ俺たちの間には血で血を洗う闘争しかあり得ないってのによぉヘヘッ』みたいな意味合いかと思っちゃったからな」
「あの時の殿下の表情……ふふっ、すみません。思い出すとつい頬が綻んでしまって」
「不敬罪でギロチン刑に処されたいのか貴様!? ええい普段は『氷の君』と呼ばれるほど無表情な癖に、私のことを嘲笑う時だけは心から愉快そうに笑いおって……!」
心底屈辱だと言わんばかりにレイトは拳を握りしめる。ともすればこのまま殴ってしまいそうな勢いだったが、変なところで理性的というか、女性には優しくするよう厳しく躾けられて育ったので、そういうのはNGだった。
「確かに王族や公爵といっても我々はあくまで学生の身分。今日の会談も隣国の学園との交流会という側面が強く、これだけで国の趨勢が決まるというほどの重要性はなかった。しかし隣国との関係は貴様も知っての通り最悪の一言。ここ十年ほどは冷戦という形で仮初の安寧を保てているが、いつ火種が燃え上がってもおかしくはない。だというのに……!」
「見てください、この記念硬貨。愉快な物を見せてもらったお礼にと、隣国の第一王子様からプレゼントしてもらいました」
「お捻りを貰っているんじゃあない!」
レイトは頭を抱えた。
もう何度目になるか分からない、この公爵令嬢との不毛なやり取り。しかし今日という今日は我慢の限界だった。隣国の王子からお捻り(帝国の建国記念硬貨)をもらって喜んでいる場合ではないのだ。
「貴様には淑女としての羞恥心はないのか……? 王国と帝国の第一王子同士という、気が滅入るような会談に付き合わせてしまった負い目はある。だがしかし、TPOというものをだな……」
「TPO。存じておりますわ。Tは『楽しく』、Pは『ピースフルに』、Oは『行う』。会談を楽しくピースフルに行う。私、何か間違っておりましたでしょうか?」
「全てが間違っている……! そんな略語は聞いたことがない。Time(時)、Place(場所)、Occasion(場合)だ。公爵令嬢ならそれくらい覚えておけっ」
レイトの怒声が響き渡るが、セレスティアは「まあ、一つ賢くなりましたわ」と涼しい顔で受け流す。その泰然自若とした態度がまた神経を逆撫でする。
レイトはもはや叫ぶことしかできない。
セレスティアの理論は常に斜め上を飛行しており、常識という名の迎撃システムでは到底撃ち落とせないのである。
「そもそもだ。貴様の奇行は今日に始まったことではないだろうが!」
「おや、私の華麗なる活躍の数々を覚えていてくださったのですか? 光栄ですわ、殿下」
「誰が活躍だと言った? 悪行だ悪行。思い出すだけで胃に穴が開きそうだ……!」
レイトの脳裏に、走馬灯のように過去の記憶が蘇る。セレスティアと婚約してからの日々は、まさに悪夢の連続であった。
ある時は王宮の晩餐会で「殿下のために新しいダンスを考案いたしました」と言い出し、貴族達が見守る中で奇妙なステップを披露した。あれは確か「静かなる白鳥の舞」と称していたが、どう見ても酔っ払いの千鳥足にしか見えなかった。でもなんか凄い拍手されてた。
既存の価値観を破壊する前衛的芸術とか言われていたが、絶対テキトー言ってるだけだろとレイトは今でも思っていた。
またある時は「殿下の学業の助けになれば」と言って、歴史の授業中、文章を読み上げる際に過去の英雄の演技を始めた。断末魔の叫びを上げるシーンではやたら熱が入っていて、教室中が彼女の演技に呑まれていた。
あとで演劇に興味はないか本気で勧誘されてた。
そして極め付けは先月の王族の集まりだ。「殿下の魅力をより多くの方に知っていただくために」と、レイトの幼少期の恥ずかしい逸話を集めた冊子を配布しようとした。未遂に終わったのが唯一の救いであった。
思い出すほどに頭痛がひどくなる。
レイトはがっくりと膝をついた。
もうダメだ。この女に常識を説くのはゴブリンに高等数学を教えるより難しい。
「だが、今日こそは違う!」
レイトは決意を新たにした。
過去の失敗はすべて証拠が不十分だったり、結果オーライで丸め込まれたりしたからだ。
しかし今日の「変顔事件」は違う。隣国の王子という確固たる証人がいる。そして国と国との関係を危うくしかねなかったという、紛れもない大失態だ。
これ以上ないほど婚約破棄に足る理由である。
「今日こそは何があっても貴様との婚約を破棄させてもらう。父上にも、既にご納得いただいている!」
「あらあら、まあ」
レイトが尋ねたところ「え? あーうん、まあいいんじゃないか。そんなことより私は公務で忙しいから、その話はまた今度にしなさい」と返された。これは納得したということに違いない。多分。きっとそう。
しかしセレスティアは少しも動じていない。
むしろ、どこか楽しんでいるようにすら見える。その余裕の態度が、レイトの決意をさらに固くさせた。
「セレスティア・フォン・シュテルンリッツ! これまでの貴様の数々の愚行、そして本日の会談における国家への背信行為……その罪、万死に値する! よって、今この時を以て、改めて婚約の破棄を宣言する!」
「お待ちになってください、殿下。私は貴方と生涯を共にすると誓い、そうなる未来だけを見つめるよう育てられた身空……貴方がいない人生など考えられませんっ」
「フン、知らんな。貴様は貴様の人生を生きるがいい」
レイトは縋りつくセレスティアの腕を振り払おうとする。だが思ったより力が強くて中々離れない。
ええい離せこの、と割と本気で力を込めるが腕をがっしりホールドされてしまっていた。
「殿下との未来を描いた将来の人生設計帳も今年で3訂版が出ますのに!」
「勝手に私との未来の計画を立てるな! そして改訂版まで出しているんじゃない!」
「いつものように使用人が起こしにきたら愛する貴方と共にベッドで幸せそうに息を引き取っている姿が発見された──享年92歳というオチまで決まっているんですよ……!?」
「どれだけ長生きするんだ私達は……!」
「お葬式は国民全員が参列しかつては敵国であった隣国の王族までもが見送りに参られる予定ですのに……!」
「自分を高く見積りすぎだ馬鹿者! 王国の歴史上最高の名君と謳われたアスタロア王ですらそこまでではなかったぞ!」
「殿下がそれ以上を目指せばよろしいではないですか」
「無論目指す気ではいるが」
「えっ……キュン」
「やめろ勘違いするな貴様の与太話を実現するためでは毛頭ないわッ」
レイトは必死に腕を振りほどこうとするが、セレスティアの握力は想像以上だ。普段の淑やかな立ち振る舞いからは想像もつかない怪力である。
「ええい、いい加減に離せ! もう決めたことなのだ。これ以上何を言おうと覆らん!」
「……そうですか」
不意に、セレスティアの手の力が緩んだ。
レイトは一瞬、諦めてくれたのかと思った。だがその予想は甘かった。
「それでは仕方ありませんわね。実は本日の会談の後、ゾディアク帝国の第一王子殿下から個人的にお誘いを頂いておりまして」
「……なに?」
レイトの動きが止まる。嫌な予感が背筋を駆け上った。
「変顔芸が大層お気に召したようで。『君のようなユーモアのセンスを持つ女性は我が国にはいない。是非とも我が国の文化交流大使として迎えたい』とのお言葉を賜りました」
「ま、待て。貴様、まさか……」
「ええ。このまま婚約破棄をされ、傷心のところを隣国の心優しい第一王子殿下に救われる……まるで市井に流行りの歌劇のようで、素敵な展開だと思いませんこと? ああ、まるで恋を知らぬ生娘が白馬の王子様と運命の出会いを果たすような恋に落ちてしまうかもしれませんわね」
セレスティアは相変わらず無表情だが、その目には確かな輝きがあった。いや、輝きというより、何か企んでいる光だ。
「そ、そんなこと……!」
「あら、でも良いではありませんか、殿下。かつては敵国であったゾディアク帝国の第一王子と、この国の公爵令嬢に繋がりができれば、国交も劇的に改善するかもしれませんわ。殿下が長年頭を悩ませていらした外交問題も解決。まさに万々歳ですわよね?」
「それは……確かに国益にはなるかもしれんが……」
レイトの声が急に小さくなる。
明らかに動揺していた。婚約破棄を宣言した本人とは思えないほど、狼狽えている。
「私は構いませんわ。殿下がそうお望みなら、喜んで隣国へ参りましょう。ゾディアク帝国の第一王子殿下は、変顔芸を理解してくださる素晴らしいお方ですもの」
「ま、待て……!」
「はい?」
「その、だな……」
レイトは明らかに言葉に詰まっていた。
先程までの勢いはどこへやら、口をもごもごと動かすばかりで言葉が出てこない。
「貴様が……隣国へ行くというのは……その……」
「その?」
「戦略的に見て……我が国にとって……損失、であると……」
「まあ。戦略的に、ですか」
セレスティアは小首を傾げる。その仕草がまた、レイトの心をざわつかせる。
「そ、そうだ! 戦略的にだ! 貴様はシュテルンリッツ公爵家の令嬢であり、我が国の重要な……えっと……」
「重要な?」
「……資産、的な……」
「資産」
「違う! そういう意味ではなくてだな!」
レイトは頭を掻きむしった。普段の冷静沈着な第一王子の姿はどこにもない。
「とにかく! 貴様が隣国へ行くのは……私が……その……」
「貴方が?」
「…………困る」
「申し訳ございません、お声が小さくて聞こえませんでしたわ」
「困ると言っているのだ!」
レイトは顔を真っ赤にして叫んだ。
「貴様が……いなくなるのは……その……嫌、だ……」
「と、おっしゃいますと?」
「だから……行かないで、ほしい……」
最後の方は蚊の鳴くような声だった。
プライドの高い第一王子が、ここまで弱気な姿を見せるのは極めて稀である。
「ですが殿下。婚約破棄をなさるのでしょう?」
「それは……その……」
レイトは完全に言葉に詰まった。
数秒の沈黙の後、観念したように大きく息を吐く。
「……婚約破棄は、撤回する」
「まあ」
「今日のことは忘れてくれ。私が……少し、取り乱していただけだ……」
レイトは目を逸らしながらそう言った。
耳まで真っ赤になっている。
「では、私は隣国へは参りません」
「当たり前だ! 行くな! 絶対に行くな!」
「変顔芸も続けますわ」
「それは……ほどほどに、な……」
「人生設計帳の第4訂版も作成いたします」
「それは……勝手にしろ……」
完全に気勢を削がれたレイトは、力なくそう答えるしかなかった。
その様子を、部屋の隅で見守っていた侍女と従者が、呆れ顔で顔を見合わせる。
「またやってる……」
「ええ、いつものことですわね」
二人は小さく溜息をついた。
実はこれ、今月に入って三度目の「婚約破棄騒動」である。
レイトがセレスティアの奇行に耐えかねて婚約破棄を宣言し、セレスティアが何らかの手段でそれを撤回させる。そしてレイトが赤面しながら婚約破棄を取り消す──このパターンがもはや様式美と化していた。
「殿下も素直じゃないですからねぇ」
「セレスティア様も、もう少し加減というものを覚えればよろしいのに」
「まあ、でも──セレスティア様があんな笑顔を見せるのは、殿下の前だけですものね」
二人の会話を聞いていたのか、セレスティアがちらりとこちらを見る。
その顔は相変わらず無表情だったが、どこか満足げな色を湛えていた。
「さあ殿下、そろそろ夕食の時間ですわ。今日は殿下のお好きなビーフウェリントンが出ると聞いておりますわよ」
「……ああ、そうだな」
レイトは諦めたように頷いた。
「ところで殿下、食事中に私が考案した『殿下をより魅力的に見せる17の表情』をご披露してもよろしいでしょうか」
「却下だ」
「まあ、即答」
「当たり前だ。食事中くらい普通にさせてくれ……」
レイトは深い溜息をついた。
だが、その表情は先程までの険しさが消え、どこか穏やかなものになっていた。
こうして、今日の婚約破棄騒動も無事(?)に幕を閉じたのである。
明日もまた、レイトとセレスティアの騒がしい日々は続いていくことだろう。
王宮の窓から差し込む夕日が、奇妙な婚約者二人を優しく照らしていた。




