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ep.4 - 雑貨店で起きたこと(5)見返すという選択

 八月の始まり、日差しはすでに高く、熱を帯びた風が商店街のアーケードにこもっていた。


 桐島は、雑貨店フレーケンの対角にある路地裏の写真館の影にいた。


 怜の言葉が、ふと脳裏に蘇る。


「……犯人は、“見られること”を避けてるんです。

でも、“見ている”ことで、えりかさんを支配していた。

だから、逆に“見返す”ことが、いちばんの抑止になる」


 あのときの怜は、淡々としていながら、静かに確信を持っていた。

 桐島はただ頷き、その気づきを胸に仕舞った。


 ──見返す、か。


 それは、桐島がずっと避けていた行為だった。過去に「見たつもり」で、何も救えなかったものがある。

 だから、今はただ、見守ることしかできなかった。けれど、怜の言葉が、かすかにその均衡を揺らした。


 

 フレーケンを出てきた男が、ちょうど横断歩道を渡ろうとする瞬間。


「……立ち止まってもらえますか」


 声は抑えたが、鋭さを含んでいた。

 男が足を止め、ゆっくりと振り返る。薄手のジャケットの袖を握り、表情は無。


「なんですか。俺に、何か」


「ええ。三週間前から、あなたのことを見ていました。フレーケンでの滞在時間、視線の動き、曜日の偏り、立ち位置、えりかさんへの目の止め方──全部記録しています」


 桐島は、ポケットから手帳を取り出した。折り目のついた数ページをめくりながら、言葉を続ける。


「あなたはえりかさんに声をかけない。何も買わない。けれど、ずっと“見ていた”。それはただの好意じゃない。見張っていた。あなたの理想と違う言動があるとき、指がピクリと動く癖も記録しています」


 男は、目を細めた。


「……証拠になるんですか、それ。俺は店を見てただけですよ。誰にも触ってないし、何も言ってない」


「ええ、何も言ってない。だから、質が悪い」


 桐島は、一歩だけ前に出た。


「視線は、刃にならない。でも、“刃にならないことを知っていて向ける視線”は、鈍い刃のようにじわじわと、相手を削ります」


 男は、鼻で笑った。


「くだらない。あの女が“見せびらかしてる”だけだ。自分を。気づかれたくて、オシャレして、気取って、笑って。それを俺が見たくらいで、何が悪い」


「違うな」


 桐島の声が低くなった。


「彼女は“差し出していた”。自分が好きなもの、選んだもの、整えた空間。それを、誰かが好きになってくれたらいい──そんな、受け取り手のある“やさしい差し出し方”だった。あなたは、そこに“型”を押しつけた。勝手に作った理想を重ねて、それを逸れるたびに苛立って、視線で縛った」


 風が通り抜ける。

 夏の日差しが、背後の石畳に歪んだ影を落とす。


「あなたは、見られることを恐れていた。

だから自分の姿は隠したまま、他人の形だけを見ていた。

けれど、それはもう無理です。あなたは“見られていた”。俺が、三週間ずっと」


 男は、目を伏せた。


「……別に、嫌がらせのつもりじゃなかった」


「その言葉を、“彼女”が聞いてどう思うか、考えましたか?」


 何も答えない男に、桐島は静かに手帳を閉じた。


「このまま帰ってもいい。ただし、もう一度でも“見張る視線”を向けたら、その記録を持って警察に行きます。

あなたが言葉にしなかったように、俺も言葉じゃなく、“見ていた”ことで答える」


 一瞬、男の顔に、何かが崩れかける気配が走った。けれど、すぐに背を向けて、何も言わずに歩き出す。


 その背中が通りの角を曲がったところで、桐島はようやく息をついた。

 再発防止の、充分な抑止力にはなっただろう。


 湿った風がシャツの裾を揺らす。まだ夏の始まり。けれど、空気は少し軽くなっていた。


 ──見返すことで、届くものがある。

 そう思えたのは、きっとあの日の、あの若者の言葉のおかげだ。


(……怜)


 心の中で名を呼び、桐島はふと、リュールの扉が開く音を思い出した。

 少し曇ったガラスの向こうで、何かが変わってゆく、そんな光景を。

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