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ep.4 - 雑貨店で起きたこと(2)沈黙が歪む場所

 店に入った瞬間、桐島は一度、足を止めた。


 ──静かすぎる。


 雑貨と文具の店「frökenフレーケン」は、思っていたよりもずっと整っていた。

 音楽は流れていた。

 商品棚の配置、照明の角度、紙モノや便箋の種類と陳列。一つ一つに、気配りの跡がある。

 すべてが行き届いている。


 だが、桐島は、視覚的な整いの奥に、何か見えないノイズが潜んでいるように感じた。まるで、誰かが強く呼吸を抑えて、音を封じているかのような。


 それは「音がしない」ことへの違和感ではなく──音が出ること自体が“許されていない”ような、圧迫された静けさだった。


 桐島は、ゆっくりと棚の間を歩いた。買い物のそぶりを見せながらも、視線は周囲をなぞる。

 棚と棚の間、奥のレジ、照明の死角、動線と立ち位置、客の足取り。


 レジ奥に立つ女性と、ふと目が合った。


 ──東雲えりか。


 白川怜から「よくしてもらってる」と聞いていた店員だ。


 淡い色のブラウスに、控えめな小さなブローチ。

 声のトーンも張りすぎず、接客距離も絶妙。だが、実際に見た彼女は、怜が語ったよりも、ずっと「内側が軋んでいる」ように見えた。


「……いらっしゃいませ」


 張らない声。けれど、そこに“張りつめている人間の声”の癖がにじむ。ごくわずかに高めの音域は、自分の動揺を打ち消そうとする意識の現れだった。


 えりかの声や立ち居振る舞いには、客にとっては気づかぬほどの緊張が流れていた。それは、視線を向けられ続けた者にだけ残る、身体の記憶だった。


(……誰かが“いる”のではない。“いた”のか。それとも、東雲えりかの中にだけ、“まだいる”のか)



 「見られている気がする」という感覚は、長く続けばやがて、空間そのものを歪ませていく。


 レジに立つえりかの目は、ときおり棚の奥を探るように泳いだ。何かを見つけようとしているというより、「見られている自分」がいるのではないかと確認するように。


(この空間に“悪意”があるわけじゃない。ただ、“悪意を感じ続けた痕跡”が残ってる)


 桐島は、何も買わずに店を出た。

 路地を一本、曲がったところで足を止める。手帳を開き、小さな文字で記す。


⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻


7月×日 15:04入店。初回観察。

・外見的には整った空間。構造に異常なし。

・しかし、「音の抜け」悪い=湿気以外の密閉感あり。

・視線の交錯ポイント多数。

・東雲えりか氏:接客の技術は高いが、過剰に“備えている”。

 目線の揺れ、呼吸の浅さ、所作に緊張。

 → 視線に反応する身体=「常時、見られていると感じている者」の動き。


⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻⸻


 風が通り抜け、髪が少しだけ乱れた。桐島はそれを直さず、手帳を閉じた。



(まだ、“誰”かは分からない)


(けれど、“誰かの視線が残った場所”であることは、間違いない)


 そう呟くように、再び歩き出した。


 この違和感が、空気に残された名前のない敵の痕跡だとしたら──きっともう少し見ていくうちに、どこかで輪郭を持ち始めるはずだ。


 桐島は、次に何を見るべきかを、自分の中で静かに定めようとしていた。

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